第2話 致命的な暴発

 ――ゴポッ。



 ジョロロッ!


「あああぁあぁっっっ!!?!?」



 突如、ただでさえ苦しかった尿意が更に大きく膨れ上がる。

 不意打ちを受けた括約筋は、一瞬だけ尿道を明け渡してしまった。


 水着が、魔術の水とは違う暖かい雫に濡れていく。



「どうしたの?」


「えっ!? あ、や、な、なんでもっ、んんっ!? な……なんでもっ、な」



「今の凄かったな!」


「もしかして、ランドハウゼンさんか!?」



 再びアリアの下に、生徒達が集まってくる。

 対して、アリアの尿意はもう限界。


 先ほどまでは『1時間も我慢できない』だった尿意は、今や『もう我慢できない』になっている。



(何でっ!? どうして、こんな、急に……あぁっ!? どうしようっ! もう漏れちゃうっ!)


「ねぇねぇ、みんなも来ちゃったし、もう1回、やってあげたら?」



 先ほどのピンク髪の級友が、可愛らしい笑顔で悪魔のような提案をする。

 一瞬だが、その目が本当に悪魔の様な艶を帯びた様に見えた。



「じゃ、じゃあ、あと、1回……っ!」



 体の震えは止まらない。足がモジモジと動いてしまう。

 早く彼等を追い払おうと、アリアはすがる様に術を組み上げる。



「ス、スプラッシュ……!」



 再び吹き上がる水柱。


 そして――




 ――ゴポポッ


 ジュィィィッ!


「ふぐぅぅぅぅっっ!!?!?」



 再び跳ね上がる尿意。


 先ほどよりも大きな水流が、アリアの尿道を駆け降りる。

 魔術で水着が濡れていなければ、まず隠し通せない量だ。


 先ほどと同じ、魔術を撃つと同時に尿意が増大した。



(まさか……まさかっ……!)




 ――暴発。



 魔術師が稀に発症すると言う、魔術が全く意識を向けていない箇所で発生するという障害だ。


 原因は不明。

 先天的、後天的、その両方、そもそも理由は一つではないなど、様々な説がある。


 本能的なリミッターが働いているとかで、火の魔術で体内を焼かれる、なんてことは流石にないが、術者自身を傷つけること自体はままあるという。



 アリアの水属性魔術は『暴発』していた。




 彼女の――膀胱で。





(何でっ!? 何で私がっ、こんな目にっ!? ああぁあっ!? も、もうダメっ、出る! 出ちゃう! 全部出ちゃうっっ!!)



 それが魔法で作られた水か、彼女自身の小水かは関係なかった。

 アリアのソコから大量の水か溢れ出れば、それが実際は何であろうと、周囲は『お漏らし』として認識する。



(嫌っ! 嫌よ、そんなのっ! ト、トイレっ! 先生に言って、今すぐ、トイレに……ああぁっ!?)



 アリアが狼狽えている間に、人だかりは更に増えていた。

 クラスの半数はいるだろうか。


 アリアはもう、いつ尿道が開いてもおかしくない状態だ。


『皇女が人前で漏らすわけにはいかない』


 そんなガチガチのプライドだけで、奇跡的に小水を押し留めているに過ぎない。

 この人垣を掻き分けて、教師のところに行くなど到底不可能だ。



「ごめんねっ。なんか、みんな集まって来ちゃって」



 そして彼女は言った。今度は、明確な悪意を滲ませて。



「もう1回だけ、やってくれない?」



 アリアは、目立つ生徒だ。

 羨望や尊敬も多く集めるが、その分嫉妬も多く買っている。

 ここにきてようやく、アリアは目の前のピンク髪の少女が、自身の敵であることに気付いた。



 全ては、完全に手遅れだった。



 脚はもう、1ミリも開けない。

 目からは涙が溢れ、太ももは脚の間から出た雫でグッショリと濡れている。

 実習で全身に水を被っていなければ、誰もがアリアの窮状に気付いただろう。


 だが、そのことに、アリアは最後の光明を見出した。



(ちょっとだけならっ、出ちゃっても、バレないっ! 術を使って、ちょっとだけで、我慢してっ、それで、トイレに……ああぁっ!)



 ジョロッ、ジョロッ!


「っっ!! じゃ、じゃあ、やるから、んくぅっ! 見たら、どいて……っ!」



 アリアは気付いていなかった。

 自分を取り囲む彼等の視線が、先ほどより更に邪に、熱を帯びたものに変わっていたことを。



 この中で、アリアの状態を正確に把握している者は僅かだ。

 だが全員が、何かに悶えるアリアに仄暗い劣情を感じていた。

 魔術を披露しただけでは、もうこの人の檻からは出られない。


 アリアが今この瞬間、この場での醜態を回避する方法はただ一つ。

 教師に聞こえる程の大声で尿意を訴えて、両手で出口を抑え、尻を突き出しプールのトイレに駆け込むしかなかったのだ。



 アリアは、選択を間違えた。



「す、すす、すぷらっしゅっっっ!!!」



 三度吹き上がる、水の魔術スプラッシュ。



 ――ゴボボボッッ!!



 そして、今日一番の大暴発。


 物理的な限界を超えた体内の水が、唯一の出口を大きく開かせる。

 もう二度と、閉じられない程に。




「んあ゛はぁっ!?」



 アリアの出口もまた、『スプラッシュ』した。




 ジョオオオオオオオオ――




「サイクロンウェーブ」




 ――ゴオオオオオオオオオッッッ!!! ザババババババババババババッッッ!!!バジャジャジャジャジャジャジャッッッ!!!




「うわああああああああっっ!!?」


「べっ!? ばふっ! ごぼっ!?」


「ちょっと、うぶっ!? 何なのよっ、ぼごっ!?」



 アリアには、何が起こったのか理解できなかった。


 衆人環視の中で始まってしまった大失態。

 だがその直後、アリアの恥を押し流すかのような激流が、プール全体を襲ったのだ。




「あ、ごめん。ちょっとテンション上がっちゃって」




 そう言ったのはアリアの級友の一人、ロッテアーネ・ブルージュ。

 非常に珍しい海獣タイプの獣人で、イルカの特性をもった少女だ。


 あまり人と話すことはなく、いつも一人でいることの多い彼女を、アリアは今日まであまり意識していなかった。



「すぐにしまうから、もうちょっとだけ待ってて」



 そう言って、ロッテアーネはチラリとアリアを見た。



『もういいかな?』



 と、聞くかのように。



 アリアは必死で首を横に振った。


 溜まりに溜まった小水は、まだ半分は残っている。

 それに、少しだけ冷静になった頭が、激流にさらわれる黄色を認識していた。



 黄色い。

 膀胱の中で暴発した水分は、ただの水ではなく本物の小水だった。


 括約筋は力を失い、尿道は閉まらない。

 アリアはもう、この激流に運命を託すしかなかった。



(助けてっ、お願いっ……助けてっ!)


『仕方がないなぁ』



 ロッテアーネが浮かべた笑みは、そう言っている様に見えた。




 ◆◆




 結局、ロッテアーネはおよそ30秒に渡り激流を維持し続け、アリアはその間に全力で膀胱の中のものを出し切った。


 全員に強烈な魔術をぶつけることになったロッテアーネは、当然、吊し上げの対象になった。

 が、被害者の一人である筈のアリアがもの凄い剣幕で、それこそ『彼女を殺すなら先ず私から』ぐらいの勢いで擁護をしたため、全員が矛を収めることとなった。


 その後、アリアは体調が優れないと申し出て、ロッテアーネに付き添いを頼みプールを後にした。





「助かったよ。ありがと」


「そんな……こっちこそ。助けてくれて、ありがとう。でも、どうして……?」



 アリアとロッテアーネに、接点は無い。

 何故、自分に非難が集まるのがわかっていながら救いの手を差し伸べてきたのか、アリアにはわからなかった。



「あのまま、あの場所で……は、あまりに可哀想だと思ったから。それだけ。それに、勝算はあった。キミは、自分を助けた人間を見捨てたりはしないだろう?」


「ロッテアーネさん……ええ、当然よ」



 つまりロッテアーネは、困っている人がいると、つい手を差し伸べてしまうタイプの人間なんだろう。



「話はそれだけかな? じゃあ、私はこれで」


「あ、待って。一つ、お願いがあるの」


「?」



 そう言って、アリアはロッテアーネの肩を掴んだ。

 潤んだ瞳でロッテアーネを見つめ、顔を近付けていく。

 頬は紅潮し、吐息は酷く熱い。



「え? あ? ちょっと、何をっ!?」


「…………に、…………て」


「え?」




「トイレに、連れてってっ!」




「はいっ!?」


「まだ、残ってて、でも、もう、力が入らないのっ! ここまで来るのも、精一杯で……あぁああぁっ、も、漏れちゃうっっ!!」


「わわわわかった! わかったから、もう少し我慢してっ!」


「無理っ! もう我慢できないっ! お願い、助けてっ! たすけっ、あっ!」



 その後、トイレまでは間に合わないと判断したロッテアーネは、アリアをプールのシャワー室まで運び込み、再びのサイクロンウェーブで全てを洗い流した。


 二人が『アリア』、『ロッタ』と呼び合う親友になるのは、これから数日後の話。

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