二人の中の三すくみ

森本 晃次

第1話 陸の孤島

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年3月時点のものです。昔の特撮に、酷似の内容のものがありますが、言葉を引用させていただきました。あしからずです。また、警察が簡単に話を第一発見者に話をしているのは、フィクションとして見てください。


 F県にあるK市といえば、県下でも、3番目に大きな都市であり、元々、人口は結構いて、F県の観光地としても、都市部としても、大きなところであるのは間違いなかった。

 平成の市町村合併と呼ばれた時期に、ここは、まわりにあるいくつかの街と合併し、面積でも人口でもかなりの増加となり、街の発展は、甚だしかった。

 そのうちの一つに、M町というところがあり、そこは、以前から、

「陸の孤島」

 として、有名なところであった。

 大都市のベッドタウンとして発展するかのように見えたこの場所だったが、なかなか住宅街ができるわけでもなく、そのため、交通の便も悪かったりした。

 一応鉄道はJRがあるのだが、各駅停車しか止まらず、通勤時間は、1時間に、2、3本は走っているのだが、それ以外は、1時間に1本だけだ。

 それも、ワンマン列車の2両編成。快速は通貨するだけ、しかも、途中から、終着駅までの10駅ほどなのだが、ほとんどが各駅停車のごとくにもかかわらず、停車しないのは、この駅だけだというところが、

「陸の孤島」

 と言われるゆえんでもあった。

 しかも、平行して走っているのは、新幹線、何とも田舎を象徴しているかのようだった。

 そんな田舎街で、不知火という一人の青年が何が悲しくて、都会から朝の通勤ラッシュの時間を逆行するかのように、この駅に降り立たなければいけないのか?

 実にしょうがないことであった。

 今から、10年くらい前のことだっただろうか? F県の都心部にある大学を卒業し、地元の大手企業に就職したのだが、最初の数年は、県内にある支店や営業所での勤務を経て、幹部候補として、いずれは本社での勤務になるということは、最初から決まっていたことであった。

 だからこそ、不知火は、

「しょうがない」

 と、ぼやきながらでも、こんな田舎に通勤を余儀なくされても、文句をいうわけにはいかなかった。

 不知火は、車の免許は学生時代に取得したが、さすがに車までは持っていなかった。とりあえず、3年をめどに、車を買おうという計画を立てていた。

 このあたりは、県庁所在地であるF市からは、快速電車で、約40分くらいであろうか? 新幹線も通っているが、新幹線だと、20分くらいではないかと思うが、新幹線を使うことはない。どうせ降りてから、また在来線に乗り換える必要があるからだ。

 朝の時間は、40分かけて、在来線で、この次の駅まで行く。

 というのも、快速の終点の駅だからだ。

 そうすると、前のホームには、ワンマンの2両編成という、例の電車が待っている。そちらに乗り換えることになるのだが、乗り換える人もほとんどいない。いるとしても、ほとんどは学生で、サラリーマンは見かけることはなかった。

 そこで、3分ほどの時間があり、やっと発射する。次の駅なのだが、さすが田舎駅ということもあって、隣の駅まで、5分では着かないくらいの距離であった。

 新幹線の線路と平行して走っているのだが、途中までは、住宅街のようなところが散見できるが、途中にある中途半端に広い川を渡ると、そこから先は、一面が田んぼだらけになってくる。

 F市も、ベッドタウンであるD市を超えると、ある場所から、急に田園風景が広がっている。これは、以前から知っている場所だったので、それほどのカルチャーショックはないが、こちらは、

「何をいまさら」

 という意識の中での、カルチャーショックを受けるのであった。

 一本道が、線路に並行して走っていて、しかも、横を新幹線の線路があることもあり、余計に、この区間が、ずっと一直線であるということを、いまさらながらに思わせるのであった。

 ちょうどその頃というのは、平成の市町村合併から、10年近くが過ぎていた。

 全国的に行われた市町村合併において、F県は、それまで、全国で一か所しかなかった貴重な称号(?)を、2番目に手に入れることになった。ちなみに、平成の市町村合併で、もう一か所がその該当となるのだが、時期的にはF県の方が早かったのだ。

 一番最初からあったのは、かなり昔から存在していたようだ。これは、たぶん、市町村合併でもなければありえないことではないかと思えることで、あと全国で、他に候補地と言われると、よほどの合併劇でもない限りありえないと思われた。

 それこそ、

「令和の市町村合併」

 と呼ばれるものがあるのが、次世代における、次の元号において行われるか、それは疑問であった。

 元々あった土地というのは、

「京都府の京都市と、滋賀県の大津市」

 だけだったのだ。

 これを聞いて、ピンときた人も多いかも知れない。

 そう、つまりは、

「陸続きにおいて、県庁所在地となっている場所で、隣接する市が、隣の都道府県の県庁所在地である」

 ということ。

 要するに、県庁所在地同士が、隣り合わせになっている場所だということだ。

 このF県のF市も、隣のS県S市と隣接している。どちらも県庁所在地だということだ。

 そして、もう一つ、つまり3番目というのは、宮城県仙台市と、山形県山形市である。読者諸君で、興味があれば、調べてみるといい。

 さて、F県というのは、全国でも珍しいという点において、政令指定都市を2つ抱えている県である。全国でも有数だといってもいいだろう。

 そんなところにある陸の孤島と呼ばれるところ、F県には、他にもいくつかは存在する。大都市を抱えている県ではあるが、大きなところは大きいが、まだまだすたれているところもたくさんある。だからこそ、初めてきた時は、

「なんてところなんだ?」

 というカルチャーショックに見舞われた。

 ずっとF県で育ってきたのだが、ほとんどが、都心部か、そのベッドタウンでしか暮らしたことがないので、田舎をほとんど知らないで過ごしてきた。

 電車に乗るにも、時刻表をいちいち意識することもなく、

「駅にいけば、電車はすぐに来る」

 という意識だったのだ。

 ほとんどが、10分置きくらい、長くても、20分置きということで、

「きた電車に乗ればいいんだ」

 ということであった。

 だが、田舎にいくと、実は、田舎でも時刻表を見ることはないという。何と言っても、一時間に一本くらい。しかも、時間がすべて一時間置きということで、一定しているのだ。分を覚えていれば、それに合わせて駅に向かえばいいだけで、時刻表などあってないようなものだった。

 普通なら、都心部に向かっての通勤となるので、朝の通勤も、帰りの通勤も、どちらも反対方向なので、電車で座れないということはまずなかった。

 しかも、最初の数駅座れないことはあっても、ある駅を超えると、ほとんど乗客はいなくなる。その駅は学生街の街なので、学生がほとんどそこで降りてしまう。サラリーマンのほとんどは、都心方向だ。だから、通勤に関しては。少し遠いというくらいで、電車に乗っている間、辛いということはなかった。

 ただ、駅を降りてから、営業所までは、結構な距離だった。

 徒歩にして、約30分、初めてきた時は、

「一直線の道なのに、歩いても歩いても、まったくどこにも辿り着かない」

 という感覚だった。

 それは、まるで、砂漠の中の、道なき道を、あてもなく歩いているという感覚であった。

 ことわざで、

「」百里の道は九十九里を半ばとす」

 という言葉があるが、まさにその通り、後ろを見ると確かにかなり歩いては来ているのに、目的地すら見えてこない。時間だけが無駄に過ぎていき、次第に苛立ちと、体力の消耗を余儀なくされる。そんな状態だったのだ。

 前述のように駅から会社までは、約20分から、30分というところであろうか? 駅前には、昔からの昭和を感じさせる家が結構あり、

「このあたりの地主の人かな?」

 と感じさせる家が建ち並んでいた。

 かと思うと、少し先に行ってみると、そこには、何と、牛小屋があった。

 牛が食べる草であったり、サイロのようなものがあったりと、まるで、村を思わせるようなものがあったりした。

 夏などは臭いのきつさや、虫もハンパなくいるので、歩く時も結構大変だったりした。さらには、その途中には、鶏小屋があった、歩いていて自動販売機があったのだが、何とその自販機は、その養鶏場のもので、売っているものは、生卵だったのだ。

 他の土地では見ることのできないもので、何とも言えない風情があった。

 そう思ってあるいていると、途中に少し張り出した舗装もしていない小さな駐車スペースのようなところがあり、そこに、小屋が建っていた。その小屋には、いくつもの自動販売機があり、雑誌が入っているのだ。どうも、いかがわしいと言われるような、いわゆるエロ雑誌であり、昭和の頃に言われていた、

「ビニ本」

 なるものであった。

 さすがにそれだけでは昭和でしかないので、それ以外には、DVDの販売機もあり、さらにその奥には、

「大人のおもちゃ」

 が置いてあった。

 ビニ本というと、

「表紙だけ詐欺」

 とでもいうのか、表紙にはかわいい女の子が載っているのに、買ってみると、

「中はケバいおばちゃんが……」

 というのが、昭和の頃にはあったというが、まさにその通りだった。

「これが昭和の世界か」

 と思って、後学のためにと思って勝ってみたが、なるほど、何十年経っても、これらの詐欺は変わらないということであった。

 そもそも、こんな田舎に自販機を置いているというのは、昔からあることで、知らないとはいえ、懐かしくもないくせに、新鮮さを感じた自分がバカだったということだ。

 なるほど、販売機の近くの雑草が生えているあたりに、ここで買ったと思われる本が、何冊も捨てられているのを見ると、

「皆、騙されたと思って、捨てていくんだな」

 と思ったのだった。

 お金がもったいないと思うのか、それとも騙された自分が悪いと思うのか、まるで騙されたことをなかったことにしようとでも思うのか、要するに、お金の問題ではないのだろう。

 そんな昭和の臭いのする自販機には、二度と近づくことはなかったが、それを横目に見ながら歩いていくと、今度は、K市中心部から続いている道に差し掛かるのだ。

 その道は、当時まだ、信号が付いていなかった。だから、メイン道路と言っても、それほど広くない道を駅から来た、まるであぜ道を舗装しただけのような道とが重なるところなので、結構事故が多かったようだ。

 定期的に朝の時間帯など事故が起こっているようで、年に何度か、悲惨な事故が起こっていたようだ。

 実際に、車が、田んぼに天井を下にして、ひっくり返っているのを見たこともあった。救急車や、警察が慌ただしく連絡を取っているのを見たこともあった。

 かなりのひどい事故が結構起こっていた割には、その場所では、死亡事故は思ったよりも少なかったという。

「年間、十人以上くらいは死んでいてもおかしくない」

 と言われるくらいであったが、実際には、2,3人がいいところだったようだ。

 だから、本来なら信号をつけないとあぶないと言われていたにも関わらず、ずっと信号がついていなかった。

 しかし、ちょうど、不知火がこのあたりに勤務するようになってすぐくらいだったか、車同士の出会い頭の事故で、一人が即死で、もう一人が、意識不明ということで、ずっと寝た切りになったという。

 その事故がきっかけで、やっと信号が付くということになって、今はその信号が稼働している。ただ、深夜には押ボタン式になるようで、事故は確かに減っているようだが、元々信号のないところだったので、車を運転する人には、最初は混乱が絶えないようだった。

 その場所というのは、メイン道路と、駅からの狭い道とは、完全な十字路になっているわけではない。しかも、メイン道路はまるで、円の弧を描いているように、緩やかにカーブしていて、しかも、カーブしているところには雑木林のようになっているので、車が差し掛かった時に、他の車が飛び出してきたとしても、猛スピードでメイン道路を突っ走ってくれば、避けようがないのだ。

 そんな状態の場所だから、狭い道から飛び出してきた車の横に突っ込んでしまうという事故が起こるのだ。

 特に夜中であったり、早朝など、車が走っているわけはないと思っているので、しかも、狭い道から飛び出してきた車は、自分が交差点に入った時には車が見えていないので、もう車が来るなどということは、想像もしていないだろう。

 これが、この、

「魔の交差点」

 の正体だったのだ。

 ただ、歩行者という意味では、この道は大丈夫だった。歩きながらでも、車が来ていないかどうか、左右を見ながら歩くからだ。

 それだけ徒歩の歩みというのは遅く、用心深い。逆に車が交差点に入ってから、左右を見るということはありえない。それは、わき見運転になるからだ。

 そんな恐ろしい交差点も、不知火が会社に入って3年目には、信号がついたのだ。最初は、

「煩わしい」

 と思ったが、それも気にならなくなった。

 朝の通勤時間はさすがに車が連なっているので、信号を守らなければいけないが、仕事の帰りともなると、信号など、あってないようなものだ。

 なぜなら、元々、信号などなくとも、関係なかったからだ。

「危険がなければ、赤信号でもいけばいい」

 というのが、不知火の考え方だった。

 この信号を超えると、事務所までは、5分とかからない。このあたりから、住宅が増えてきて、駅前とは、若干の違いが感じられるようになってきた。住宅街だけではなく、会社や学校。ちょっとした食品工場のようなところもあり、その奥にはスーパーや、コンビニもある。

 信号ができた頃にはファミレスもできたので、昼食には困らないようになってきたのだ。

 このあたりが、実はこの街の中心部であり、駅前は中心部でもなんでもない。ただ、JRの線路がある中で、

「このあたりのどこかに駅を造らないと、さすがに、この間は、駅間が長すぎるのではないか?」

 ということだったのだろう。

 駅から駅の間が、さすがに20分というのはまずいだろう。そういうことで、どうやら、あそこに、

「陸の孤島」

 と呼ばれる駅が出現したようだった。

 営業時間は、朝7時から、夜の7時まで。それ以外の時間は無人駅だった。

「完全に無人駅じゃないだけ、まだマシだといってもいいだろう」

 というほどの駅で、タクシー乗り場はあるが、路線バスも通っていない。

 それどころか、駅前の駐車場も、ほぼ、勝手に使ってもいいというようなところで、それだけ、利用客が学生くらいしかいないということだったのだろうか?

 と思っていたが、朝のラッシュの時間の利用客はそれなりにいるようで、

「なくなってしまっては困る駅」

 だということに間違いはないようだった。

 そんな陸の孤島の駅前に、一軒のスーパーのような店があるが、実はその店に売っているお弁当がおいしいのだった。

 以前、営業で出かけた時、帰りが昼にかかったので、その店の前を車で通りかかったのだが、店頭に結構人が並んでいるのを見て、

「何だろう?」

 と、先輩社員がいうのをいうので、

「寄ってみましょうっか?」

 ということで、寄ってみると、そこはお弁当の直売をしているようだった。

 よく見ると、その店は、スーパーの横に、夜開業している、飲み屋があるようで、その飲み屋が、昼の時間にはお弁当を作っているようだ。惣菜の棚のところに、おかずだけが入ったプラスチックのケースが置いてあり、それをレジに持っていくと、炊飯ジャーから、ホカホカの飯を入れてくれる。

 さらに、お味噌汁もつけてくれて、500円という安さだったのだ。

 おかずも、幕の内のようなものから、空揚げ、とんかつ、魚の煮込みなど、豊富だった。

「なるほど、これだったら、十分に受けますよね?」

 というと、先輩も、

「うんうん、そうだな。こういう弁当は、会社の自分の机の上で食べるなど、もったいない気がしないか?」

 と言われたので、

「ええ、そうですね。確かここを少し行ったところに、湖畔のキレイな公園があるって聞いたことがあるんですが、そっちで食べませんか?」

 と言って、

「うん、そうだな。俺もそれを考えていたところなんだ」

 ということで、さっそく、その公園に行ってみることにした。

 その公園は、なるほど、実に綺麗な公園で、芝生も生えそろっていて、その上で食べるにはちょうどよかった。

 季節はちょうど春の時期、桜が満開になる前の、八部咲きと言ったところだろうか?

 満開の桜も確かに悪くはないのだが、満開ともなると、そろそろ散ってくる時期でもある。

「桜吹雪も含めて、花見は楽しいんだ」

 という人がいて、自分も、

「もっともだ」

 と思っていた不知火だったが、実際に、いつも花見は満開の時期だった。

 だが、

「満開以外の花見もしてみたいな」

 と思っていたのも事実であり、

「満開でなくとも、百パーセントではない美しさを感じることができるはずだ」「

 と思っていた。

 天邪鬼なのかも知れないが、欲張りだともいえるだろう。それを思うと、不知火は、

「おいしいお弁当を食べながら」

 というシチュエーションが、百パーセントに満たないと思われた花見を、百パーセント越えにしてくれるものだという感情を抱いていたのだった。

 それから、先輩と営業に出た時の密かな楽しみの一つとなった。

 しかし、公園で、ゆっくり食事をできる時期は長くは続かない。時期が梅雨になり、梅雨が終わって本格的な夏になると、車から出ることができなくなった。

 それでも、車の中で食べる弁当も悪くはない。そのまま食べた後に、車の中で昼寝をすることも増えたのだ。

「これが、営業に出た時の特権」

 とばかりにゆっくりとしていた。

 そんな時間も結構楽しかったりしたのだった。

 3年目を過ぎると、もうこの街の人間になったような気分になっていた。

 最初の頃に感じた、

「陸の孤島」

 というイメージは、駅にはさすがに残っているが、駅を出て、会社の近くの街の中心部には、そんな感覚はなかったのだった。

 確かに、田舎は田舎でどうしようもないところはあったが、都会にはない、人の温かさを感じられるようになった。

 ある日のことだったが、朝の時間とはいえ、会社に向かう道は、さすがに車は通っても、歩行者はいない。車もそんなにつながるほどの数もいないので、歩道もない道だったが、何とか、車をよけながら歩いていけたのだ。

 そんな時、後ろからやってきたタクシーの運転手が、

「毎日歩いているのをいつも見ていたけど、会社の近くまで載せていってあげよう」

 と言ってくれたのだ。

 どうやら、そのタクシーは深夜営業で、ちょうど、仕事を終えて、会社に帰って、一仕事をした後での帰宅時間がちょうど、不知火が会社までの道を歩いている場面にぶつかるのだという。

「お金はいいよ。どうせ、今は勤務時間外ではあるし、帰る途中だからね」

 と言ってくれた。

「ありがとうございます」

 と、不知火も遠慮はしなかった。

 その代わり、満面の笑みを浮かべることで、お互いの気持ちが通じ合ったようで、初めてこのあたりの人のありがたみが分かったような気がしたのだ。

「こんな田舎まで、どこから来ているんだい?」

 と言われたので、

「F市からなんですよ」

 というと、

「電車でも結構かかるんじゃないかい? 毎朝だと結構大変だよね?」

「そうですね、乗っている間は結構時間が掛かりますね。でも、しいていうと、他の人と通勤パターンが逆なので、ほとんどサラリーマンはおらず、その代わり、学生が多いんですよ。おかげで、座っては来れるんですけどね」

 というと、

「そうなんだ。それはいいことだね」

 と言って話始めるようになった。

 運転手さんは、F市の話をする時は、結構楽しく聞いてくれる。ただ、会社までの時間なので、いつも、5分くらいの時間でしかなく、時間があったとしても、10分まではないので、いつも中途半端に話は終わってしまう。

「できれば、もっとゆっくり話ができるといいな」

 と思ったが、こればっかりはしょうがない。

 ただ、毎日のように乗っけてもらっていると、これほどあたたかな気持ちにさせられることもなかった。そういう意味で、公園での昼食といい、

「田舎というのも、悪くはないな」

 と思うようになったのだ。

 営業も、K市中心部が多い。

 会社からだと、車で、30分くらいで到着するだろうか。隣の駅までいけば、そこから先は、住宅街や工場などが広がっていて、都心部の様相を呈してくる。そのあたりから、営業先の会社も増えてきて、K市中心部の駅は、新幹線も止まる駅なのだが、駅前というと、どうも、イメージしていた感じとは違っていた。

 これも先輩に聞いてみると、

「昔はよかったんだよ。大きくはないけど、いろいろなお店があったり、駅も平屋建ての駅舎だったんだけど、この駅は、新幹線が開通する前には、駅の改札口から入った広場のところに、孔雀小屋があったんだよ」

 と言われた。

「孔雀小屋ですか? 今はそんな雰囲気、まったくありませんよ?」

 というと、

「そりゃそうだろうね、昔は、キィキィって、甲高い声で鳴いていたものだよ。駅のマスコットのようなものだったんだよ」

 ということだった。

 そんな話を聞くと、今の駅がどれほど閑散としているか、昔のイメージが想像もつかない。

 今は駅は高層マンションのようになっていて、実際に上の階から最上階までは、マンションのようになっているという。ただ、夜見ると、ほとんど電気がついている様子はない。部屋代が高いのか、とにかく、失敗だったのではないかと思えて仕方がなかった。

 3階部分までは、1階にスーパー、そして、その上は専門店街だったり、飲食街だったりするのだが、夜のディナータイムでも、ほとんど客がいないという、体たらくである。そんな様子を見ていると、

「これなら、陸の孤島と呼ばれた駅の方がまだ情緒という意味ではあるようだ」

 と感じた。

 陸の孤島の駅は、キチンとカラー映像で目に残っているが、このK市中心部の駅は、後から思い出すと、モノクロにしか思えないのだ。

 人が歩いてきても、皆モノクロ、

「最初のイメージというものなのか?」

 と考えたが、逆に考えてみると、最初に見た陸の孤島駅に感じた思いは、

「何だ、この駅は? まるでこの世の果てのような気がする」

 と、最悪のイメージだったはずではないか。

 それなのに、ここまでイメージが変わってしまうのは、人の温かさや、街並みに慣れてきたからなのだろうが、

「もし、K市中心部に事務所があったら、俺は一体、どんな気分にさせられることだろうか?」

 と感じてしまって、想像もつかないに違いない。

「陸の孤島」

 それは、住めば都という言葉を象徴しているのだろうか?

 次第に、そんな街に染まってきている自分が、次第に年齢を重ねてきていることを感じるのだった。

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