第22話/始まる前に似た



「どーしてこうなちゃうのかなぁ…………」


 七海宅である井馬飯店からの帰り道、紫苑の足取りは重く。

 重くて重くて、今にも止まってしまいそう。

 今日もまた彼に迷惑をかけてしまった、放課後だってそう、さっきだってベッドを汚してしまう所だった。


(私が醜態を見せちゃうのはいいの、でも……七海先輩に迷惑をかけるのはイヤ、イヤなのに――)


 嗚呼、と弱々しい声が出てしまう。


(引いちゃったよね、呆れられちゃったよね、もう愛してなんて…………)


 分かってる、七海はそんな事なんて気にしないと。

 変わらず、紫苑を愛してくれている。

 でも。


「すっ、捨てられちゃったらっ、――――どうしよう――――生きていけないよぉ」


 怖い、怖い、怖い。

 側にいたいのに、側にいるほど不幸に巻き込んでしまう。

 と、思ってしまえば涙がこぼれそうになって、紫苑は天を仰いだ。


「…………そっかぁ、だから私は死を選んだんだ。七海先輩を殺して心中することを選んだんだぁ――――アハッ、アハハハハハハハハハハッ――――ハハハハハハハハハハ!!」


 嗚呼、おかしい、笑いすぎて苦しくて死んでしまいそう。

 なんて矛盾、迷惑をかけたくないのに、迷惑をかけることしかしていない。

 それどころか、命まで奪おうとしている。


 命を守ってもらったのに、不幸から守ってくれているのに。

 当の己が、不幸へ向かって進んでいるなんて。

 こんなに愚かしいことが他にあるだろうか、愚かな女として極まっている。


 耐えられない、こんな自分に。

 耐えられない、彼に愛されていることが。

 ――――彼の愛を喪うことが。


(だからさぁ……嫌いになってよ先輩、――――殺してあげるから――――一緒に地獄に落ちてよ)


 足はいつしか止まって、雨がザアザアと降っている。

 心中しよう、紫苑は呼吸をするかの様に決意した。

 ただの心中ではない、七海の心に深い爪を残し、紫苑のことしか頭にない状態で殺す。


(未来予知でも回避不能な計画を立てなきゃ、待ってて先輩……っ!!)


 紫苑は己の体が濡れそぼって風邪を引いてしまいそうなのにも気づかず、家に帰ってからも考え続け。

 風呂の間も考え続け、就寝時間にも気づかず、――気づけば朝。

 フラフラのまま登校、朝食という気分ではなくそれ故に思考は一層のこと鈍り彼女の思考を捨て身へとお駆り立てた。


(――――――)


 あ、と小さな声を出す、気づけば校門を通り越して部室のある旧校舎前。

 なんて愚か、無意識に七海を待とうとしているなんて。

 会えば揺らぐ、そう分かっているのに、会いたい。


「やっぱり……バカだなぁ私って」


 殺意と愛情をぐるぐると腹の中で混ぜながら、紫苑は部室にはいると棚から本を取った。

 ――読んでいる間は全て忘れられるから、そんな事なんてある筈ないのに自分を誤魔化すために本を読む。

 一方その数時間後、のそのそと起き出した七海はといえば。


『どうするご主人、どんな対策を……と? エプロン? 何故に朝食でエプロンを? ああ成る程、これからの戦いの為に気合いを入れた食事をするのだな!!』


「ん? いや、単に簡単な朝飯作るついでにお昼ご飯にするお弁当をね? 今からなら、ちょっとノンビリしても学校着く頃には丁度お昼時でしょ」


『おいおいご主人、ちょっと暢気ではないか? このままだと大変なことになるんだぞ!!』


「って言ってもねぇ、実際問題さ、完全に解決するには紫苑を物理的にどーにかしなきゃいけない所まで来てると思うんだ」


『それが分かってるなら何故? ご主人なら気持ちと言葉でまだ佐倉紫苑を引き戻せるというものだろう!!』


「そうかい? でも……分かんなくなったからさ、どーしていいのか。だから初心に戻ろうかと思って」


『初心に戻る……? もしや佐倉紫苑と過ごした記憶が戻ったとでも言うのか??』


 システムの困惑した声に、七海は苦笑をひとつ。

 そう考えるのも無理はない、だが少し惜しい。

 だってそうだ。


「記憶なんて戻ってないさ、俺の中にある紫苑と過ごした事故前の記憶は消えたまま」


『では初心とは? 死の運命に対しての?』


「違うよ、想い出にカウントされてなかった切欠を思い出してね」


『…………つまり、記憶が消えている期間の直前だと? まだ二人が他人だった頃の……』


 少しだけ懐かしいな、と七海は炒飯を作りながら呟いた。

 彼女の噂は入学直後から耳にしていた、曰く、かなり可愛いけど変な性格で病弱な一年の女子がいると。

 クラスの友人との他愛ない雑談の話題でしかなかった、彼女が入部してくるまでは。


「紫苑が入部してさ、当時から部長も幽霊部員同然で俺一人でダラーっとマンガとか読んで過ごしてたワケ、ま、ある程度は将来を考えて料理本とかも読んでたけどね」


『佐倉紫苑はどうしていたのだ?』


「挨拶ぐらいはしたかな? でもお互い無言で本を読むだけでさ、帰る時間だってバラバラ。俺は毎日居たワケじゃないけど紫苑は毎日居たっぽいね」


『ほうほう、それがどうして関わるようになったのだ?』


「いやね? メイクで隠してるけど、コイツなんかいっつも顔色悪いよなーって気づいちゃったんだよ。んでちょっと噂を仕入れたら病弱でお昼もろくに食べてないとか何とか、ま、今考えれば財布落として節約生活とかしてたんだろうけど」


 きっとあの頃の紫苑は一人で不幸に耐えていたのだろう、健気にも周囲に悟られまいと平気なフリをして。

 十中八九、病弱という話も不幸の産物。

 ある意味で、彼女が誰にも同情されずに一人で生きていける状況が出来ていたのだろう。


「ま、そんなんだから少しお節介を焼いてやろうかってね、……いや違うな、ただの自己顕示欲だったのかも」


『ご主人の作った料理ならば、佐倉紫苑は美味しいと言うと? 顔色もよくなる、そういう事か……』


「ホントさ、自惚れと浅はかさに満ちた行動だよ。――そんでそっから先の記憶は思い出せないんだけどね。炒飯を作って持って行くかって考えてた事だけを思い出しちゃって」


『成程、ならば消えた想い出の中のご主人はきっと作って持って行ったのだろうな。……それが大切な想い出になってしまったから、消えた、思い出せない』


「それを再現しようってワケじゃないけど、愛の言葉を伝えたり側にいる以外で何か出来ないかなって」


 弁当一つで解決なんてしないだろう、でも彼女の気持ちが少しでも楽になるのなら。


『…………こんな事は言いたくないが、佐倉紫苑が拒絶して投げ捨てる可能性だってあるのだぞ』


「もしそうなったら残念だけどさ、明日また作って持って行くだけだよ。俺の気持ちを分かって貰えるまで……ううん、一生かけて好きって愛してるって言い続ける、それが俺の自己満足でしかなかったとしても……それしか出来ないから」


 どうして今ここに佐倉紫苑がいないのだろう、システムは深く嘆きそうになった。

 井馬七海という愛に生きる男の姿が、佐倉紫苑に人生全てを捧げている姿がここにあったのに。

 システムの中で未来予知が荒れ狂っていた、佐倉紫苑の数々の死の中に敬愛なる主人の姿があった。


『…………愛して、いるのだなご主人』


「まぁね、ところで君は佐倉紫苑から手を引くべきだって言わないのか?」


『このシステムめに感情や意志はない、全ては自動で返される超常現象の反応にすぎない。でも……それでも言うべき事と言わざるべき事の区別はつくつもりだ』


「君に意志も感情もあると思うんだけどなぁ」


 己の頭の中に居る同居人は、人間らしいのに時折ヘンに堅苦しくなると七海は少しだけ笑みを浮かべた。


『頑張れご主人、体を持たぬ故に手を貸せぬがいつでも見守っている、必要とあらば共に頭を悩ませよう』


「ありがとシステム、――じゃあ後は軽く朝食を食べて学校いこうか」


 七海は炒飯を弁当箱へ移す、己の分とそれから紫苑の分を。

 台所の戸棚にあった見慣れぬ弁当箱は、きっと彼女の為に前の七海自身が買ったのだろう。

 だからきっと、これは恋が始まる前の日常だった筈で。


「………………ところで紫苑に会うなり殺される未来とかってある??」


『妙なところで気にするんだなご主人?? 今のところは存在しないから安心して登校しろ??』


 こうして七海とシステムは、遅めの朝食に入り、少しばかりゆっくりした後でのんびり登校したのであった。


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