第12話/ちゅっちゅちゅー
「愛してるって、言われちゃったぁ……!」
こんなに幸せでいいのだろうか、浮ついた気分で帰宅した紫苑は体をくねくね踊らせながら部屋着を選んだ。
正直な話、昨晩の愛の言葉は七海の本心ではない事ぐらい理解している。
だって彼は告白した時も初めて結ばれた時も、一緒に過ごした全てを喪ってしまっているのだから。
「それでも、嬉しいって思っちゃうんだなぁ~~我ながらチョロいなぁ…………」
はぁ、と濡れたため息をひとつ。
身も心も満たされてしまっているから、俯いてしまえば涙がこぼれそうで。
いつか本当に好きだと、愛してると言って欲しい。
――満たされていても欲望は限りなく。
だからこそ、不安にもなる。
佐倉紫苑の全て、井馬七海は事故から生還した。
右目と記憶を喪ってなお、紫苑の側にいて好意を向け続けてくれて。
「こーーんなに幸せでぇ、いいのかなぁ~~」
彼に出会うまで不幸続きだったから、一人だったから。
何か手酷い揺れ戻しが待っているのかもと、気づかないだけで取り返しのつかない何かがあるのかもと。
不安になってしまう、幸せなのに満たされているのに、心に冷たい感情が差し込んでしまう。
「………………未来予知、先輩はお腹が減るだけだって言ってたけどさぁ」
そんな軽い代償がありえるのだろうか、未来予知なんて超能力の代名詞のような。
常識から外れすぎて今時ペテン師でも使わないようなもの、そんなものが本当にお腹が減るだけで使用できるものなのだろうか。
もっと何か、悲劇に繋がってしまう何かが起こってしまうのではないか。
「もしくは――――」
続く言葉を紫苑は飲み込んだ、記憶、二人の想い出。
もしそれらが代償として、先払いされていたならば?
もしそれが、七海の意志で為されたのならば?
考えたくない、知りたくない。
幸か不幸か、知る術はなく真相は闇の中。
もしくは、奇跡が起こって彼が思い出すか。
「…………やめやめ、せっかく七海先輩がくるんだから可愛い部屋着とぉ…………あ、そーいや何作ろうか考えてなかったわ」
やべ、と呟いて時計を確認。
立って歩けるようになったのは、昼を過ぎてからだ。
そこに帰ってきた時間、学校が終わる時間、彼がこのマンションに到着する時間を考えれば。
「食材買いに行く時間だって余裕じゃ~~ん、オッケーオッケー、楽勝っしょっ!」
七海にとっては初めての手料理になるのだ、失敗は出来ない。
ならば得意分野で、そう、記憶を喪う前の彼が絶賛したカレー。
それも、スパイスの調合から始めるこだわりのカレーである。
「野菜は家にあるから、後はお肉を買って……いや、違うな、そうじゃない――――七海先輩に買ってきて貰う!! これっしょっ、これしかないっしょ!!」
時間の節約に加えて、買い物を頼むことで恋人感や夫婦感がでる。
なんと素晴らしいアイディアだろうか、紫苑はさっそく追加でメッセージを送り。
手早く着替えるとエプロンをつけ台所へ、各種スパイスをハンドブレンダーで粉状にし始める。
「ふんふんふ~~ん、いやー、早く先輩に食べさせたいな~~、美味しいって言って欲しいなぁ~~」
紫苑は鼻歌交じりに調理に没頭、気づけばピンポーンと来客。
慌てて時間を確認しながら、ウッキウキで玄関モニターを覗けばそこには愛しい彼が。
少しばかり戸惑い気味の七海に抱きつきながら招き入れ――――。
「んふー……、はー、幸せぇ…………っ」
「う、うん、紫苑が喜んでるなら何よりだよ?」
二時間後、そこにはリビングのソファーにて紫苑を膝に乗せた七海の姿があった。
どうしてこうなった、今の彼はその気持ちでいっぱい。
然もあらん、露出多めの薄着な部屋着の彼女はごろにゃんと聞こえてきそうな甘えっぷりで。
(これで今日は何もナシって、生殺しじゃん!! いや昨晩は散々シたけども!!)
『ご主人、これが女の面倒くさい所だよーく覚えておくように。ちな今襲ったらフラグになりかねんから注意しろよ、フリじゃないからな!!』
(ですよねー……!!)
七海も健全で健康な男の子、性欲なんてすぐ復活するが女の子はそうではないらしい。
今日の彼女は、性欲よりイチャイチャする気分らしくて。
理解はするし受け入れるが、こうも密着されると忍耐を試されている気分である。
「せんぱーい、ちゅきちゅき、いっぱいちゅきー」
「お酒飲んでないのに酔っぱらいみたいだなぁ」
「私はぁ、先輩にいっつも酔ってるんですよぉ~~、すりすり、すりすーり、匂いつけちゃおーっと」
「思う存分すりすりしちゃってよ、かもんかもーん」
けど彼女が、佐倉紫苑が幸せそうならよかったと七海は幸せなため息をひとつ。
最初、この部屋にあがった時は少しばかり不安だったのだ。
主に彼女が料理が出来るのか、という点について。
(カレー、美味しかったなぁ……。まさかスパイスを粉にする所から始めてるとは、ほうれん草と挽き肉のドライカレー…………残ってたし明日の朝も食べれるかなぁ……)
(むっ、先輩が私に集中してない顔!? でーもぉー、これはぁ…………さっきのカレーを思い出してる顔と見たっ!! でしょーでしょぉ? 我ながら美味しくできたからねぇ、これは明日の朝も欲しがってる顔だなぁ? うーん、彼女冥利に尽きますなぁ)
(これが作れるなら、いつでもウチに嫁入り……いやいやいや気が早すぎるって俺っ、まだね、うん、まだ先……だよな??)
(おお? 意識してる? してくれてる? お嫁さんにぴったりとか思ったんじゃない? これは絶対に思ってるでしょ!! 私には分かるんだよなぁ……!!)
(なーんか手玉に取られてる気がするんだよな、でも……いやじゃない、うん、これが紫苑に惚れてるってこと…………なのかな?)
昨晩は沢山言えたのに、好きやら愛してるやら確信したと思ったのに。
どうしてか目の前にして今、妙に揺らいでしまう。
その場の勢いだったのか、そうだとしたら何と軽薄な男か。
(あー、これは七海先輩が悩んでる気配とみたっ!!)
彼は満足そうな笑顔のままであったが、彼の胸板に顔をすりすりしていた紫苑は敏感に察知した。
大胆な面もある癖に、妙に生真面目で。
そんな所にだって愛おしさを覚えるほど手遅れ、だから――。
「せーんぱい? 好きってさぁ、私のことぉ……好きって言って?」
「っ!? うぇっ!? 急に!?」
「ふふーん、分かってるんですよ私。昨日のいっぱい好きって言ってくれたのは勢いだって。でも……恋人ですし、いっぱい言ってるうちに気持ちだって追いつくと思うんですよ」
「つまり……練習みたいな?」
「そう! だから……いっぱい好きって言って?」
紫苑は七海の胸板を人差し指でつつーと線を書きながら、上目遣いでおねだりする。
好きと聞きたいだけの欲望は否定しない、でもそれより祈りの方が強かった。
なんて浅ましい願い、自分と同じように、否、それ以上に熱烈に愛して欲しいだなんて。
(好き、って言ってよ七海先輩……)
(俺は……)
好きと言って、いいのだろうか。
単にその容姿に、声に、未来予知で不幸が見えるから勘違いしてるだけではないのか。
でも言ったのだ、まだ恋人同士だと。
(危険だよ、こういう女の子ってさ――)
言葉にし続けたら本当になると言わんばかりに、今は偽りでもいいからと。
今は自分に、彼女に嘘をついてもいいのだと抱擁されている気分。
心が絡め取られていく、重い鎖で身動きとれなくなっていく、でもそれが心地よくもあって。
「――――好きだ、好きだよ紫苑」
「っ!? 先輩!! ん~~っ、好きっ! 好き好き先輩! ちゅっ、ちゅっちゅっちゅっ」
「お、おい!?」
「顔をそらしちゃダーメ、これも慣れてくださーい。ほらほら、お口が止まってますよ~~、もっと好きって言ってくださいよ先輩っ」
「まったく…………好き、好きだ、愛してる」
「――――嗚呼、私も愛してます、大好きです先輩、…………あ、首にキスマークつけちゃお~~、先輩も私につけていいですよ?」
「キスの練習はまた今度な、今は言葉だけ――好きだ、紫苑のそんなさ、優しくてズルい所も好きだよ、うん、愛してる、好きだ」
「ちゅっ、ちゅっ、……先輩、愛してます」
紫苑は七海の髪に顔に首に、時には手に、キスの雨を降らせた。
近くで見るとよく分かる左右で違う色の瞳、紫苑を守ってくれた瞳。
愛と、喪失の証、罪の在処、胸が締め付けられるのは切なさか罪悪感か。
いったい何度好きと言い、何度キスがあったのか。
気づけばソファーの上で二人とも寝落ちしており、先に起きた七海は彼女を起こさないようにお姫様だっこ。
そのまま寝室まで行き、彼女をそっと横たえて己も隣で瞼を閉じる。
――――彼女の寝顔は幸せそうで、でも目尻に涙が少しだけ。
「おやすみ紫苑」
呟いた途端、再びに睡魔が訪れた。
二人分の静かな寝息がかすかに響く中、七海の中に存在するシステムは未来を受信して。
『…………これは、ラブコメハプニングかッ!! 時間の猶予はある、ご主人が起きたら報告だな』
主人と佐倉紫苑が幸せな未来にたどり着けるように、システムは二人を静かに見守っていたのであった。
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