第5話/ようこそ井馬飯店二階の家へ!
七海の部屋は、井馬飯店二階の住居スペースの一角にあった。
紫苑は七海の案内を待つことなく、迷いなく彼の部屋に入り。
「ホントにもー、先輩ったら強引なんだからぁ……。だいたいさぁ、ロクに準備してない部屋に女の子をあげます?」
「一理あるね、でも綺麗になってるからオッケーって事で。…………いやー、なんか微妙に見覚えのないのとか増えてるんだけどオカンの仕業かなぁ?」
「っ!? そ、そうですよ先輩! 入院中に普通の時でさえ忙しい義母さんがわざわざ綺麗にしてれてるんですから感謝しないと!!」
これは母ではなく紫苑が己の部屋を綺麗にしてくれていたのだと、七海は確信した。
今日の彼女は、大きめのパーカーに短パン、黒ストッキングという今日も可愛いという感想しか出てこないコーデであるが。
不思議とこの部屋で見慣れている格好のような気がして、思わず彼は苦笑した。
(完全に俺の部屋のコト把握してるよね、ドコにどの服が入ってるとか本の並べ方とかさ)
『ムムム、これは厄介な女であるぞご主人ッ! 見ろ――あの女ァ……速攻で片づけ終わったかと思えば、洗濯が必要な物を洗面所に持っていた! この部屋の中だけじゃあないッ、この家すべてに入り込んでいるッ!!』
(これアレだね、オトンとオカンから俺の将来の嫁扱いされてたかも。さっきだってお母さんのニュアンスなんか変だったもん)
普通、恋人ではない男の母の事など小母さんと言うのではないか。
または、○○のお母さんかもしれない。
だが、七海に何一つ聞かないで迷いなく行動する姿を見れば否応がなく彼女がとても親しい仲だった事を突きつけられて。
「――洗濯機回してきましたから、後で自分で干してくださいね」
「うんうん、ありがとう佐倉」
「え、何ですその気持ち悪い顔。先輩ってイケメンじゃないんですから普通の顔してくださいよ」
「この俺の慈悲の心が分からないかぁ、……というかイケメンじゃないって酷いな。雰囲気イケメンぐらいにはなれてるって思ってたけど」
「そりゃー、先輩は私が……、い、いやいやいや何でもないです! とにかくっ、先輩は大人しく晩ご飯を奢ってくれればいいんです!! 炒飯と杏仁豆腐以外は譲りませんよ!!」
「ウーロン茶は付けるかい?」
「勿論! 先輩ったら分かってるぅ~~!」
紫苑は喜びながら、七海のベッドに躊躇なく寝ころんでスマホを眺め始める。
彼はその光景に、何とも思わない自分に少し驚いた。
然もあらん、学校一番の美少女とも言われる佐倉紫苑が無防備に己のベッドに居るのに自然な光景としか思えなくて。
――彼はベッドを背もたれにする形で、床に座ってスマホをチェックするフリをした。
(…………ねぇシステム、ちょっと悪い予想をしちゃったんだけど)
『ふぅ~~む、当てて見せようぞご主人。佐倉紫苑とそういう関係だった事を気づかずに登校したケースであるな?? このシステムめは超超超・高・性・能!! 未来予知を応用したシミュレーションはそれぐらいなら辛うじて何とか!!』
(あ、辛うじてなんだ)
『流石に本来の使用目的外であるからして、――所で結果を聞きたいか? 直近の死亡フラグの一つであるという結果が出たが』
七海は少しばかり悩んだ、まるで薄氷を踏む思いである。
佐倉紫苑と恋人かそれに近い関係だったと仮定して、学校中にそれが知られていたと仮定を重ねる。
そして、己はその記憶が欠落していて只の先輩後輩だと振る舞ったとすると。
(事故に巻き込まれて死にかけた不可抗力とはいえ、俺に対するブーイングが控えめに言ってヤバイんじゃない??)
『ご主人……最悪の想定から目を背けるべきはないぞ。分かっているのだろう――情緒不安定な佐倉紫苑はその場で自殺行為をしかねないと』
(最悪中の最悪のケースだね、でも分かってるなら対処のしようはある)
七海が脳内でシステムと会話している中、それを横目でしっかりと観察していた紫苑はとても訝しんで。
だってそうだ、彼の見ているスマホはホーム画面から動かず。
考え事をしている様に見えて、どこか違和感があった。
(七海先輩……本当に大丈夫? 実は事故の後遺症で脳がヘンになっちゃってない? 入院中も不自然に黙り込む時があったし……でも、お医者さんは脳に異常はないって……)
やはり佐倉紫苑という存在は、井馬七海から離れるべきなのだろう。
そう心に決めた筈だったのに、一度会ってしまえばズルズルと側に居続けてしまって。
退院した今がいい切欠だ、今日で最後、今日で最後だからと心に言い聞かせる。
けれど…………。
(…………ま、まだ大丈夫かもしれないしっ! 今の調子ならなんか先輩は学校でも強引に近づいてきそうだし?)
嗚呼、なんて弱い心なのだろう、と紫苑は自嘲と諦めに半笑いをした。
ダメなのに、離れないと不幸にしてしまうのに。
この居心地のよさから逃れられない、手を伸ばせば届く距離が心にじわじわと毒のように回ってしまっていて。
(が、頑張れ私ぃっ!! はっきりと拒絶するの、その方が先輩のためになるんだから、だから拒絶して――――)
拒絶して、その後はどうなるのか。
考えてはいけない事が思い浮かんでしまう、弱い心が顔を覗かせ大きくなっていく。
こんなにも前を変わらず、側に、近くにいるのに。
(…………賭け、うん、賭けをしよう。ご飯の時に先輩が一度でもあーんってしてくれたら、まだ一緒にいる)
そうでなければ
(私はもう、先輩に必要とされてないってコトだから。先輩の側にいる資格なんてないってコトだから)
無事に退院を見届けたのだ、だから佐倉紫苑に明日なんていらない筈だから。
どこか遠くに行って、消えてしまえばいい。
紫苑がそう思い詰めているのを、察知できぬ七海とシステムではなく。
(――――この気配ッ、凄く近い所でなんかヤバいやつ!!)
『ピピーンと来たぞご主人!! 面倒な女が自分は不幸な女だと自己陶酔してメンヘラってる気配だ!! 今回もグロめのビジョンだが……見るか? 見る必要あるか?』
(要点だけ教えてよ、俺の予想だと勝手に失望か絶望して自殺してそうなんだけど)
『マー、そうではあるのだがご主人。心して聞いてくれ…………あのメンヘラはな、あーんしてくれなかった事を嘆き食事の後に失踪、炒飯食べ歩きで胃袋が満杯になるまで食べて胃袋が破裂して死ぬ…………』
(何ソレぇ?? どうしてそう愉快な方向に行っているんだい??)
七海は隣の紫苑を問いつめたくなったが、必死に我慢して小さく深呼吸。
時計を見れば、いい時間である。
帰ってから気がつけば小一時間、退院の手続きで結構な時間を取られ今日は間食をしていない。
「ねぇ佐倉、ちょい早い時間だけど晩ご飯作って食べない? お腹減ってきちゃったよ」
「先輩が作るんですし、私はそれにあわせまーす」
「オッケー、じゃあ待ってて…………うーん?」
「先輩? どうしたんです? エプロン出しましょうか?」
甲斐甲斐しく動こうとする紫苑を横目に、七海は鋭い目で考え込んだ。
どうも不公平な気がする、彼女の危機は合法的にイチャイチャできると機会でもあるのだが。
なんというか、もう少しばかり彼自身に利益があってもいいと思い始めて。
「――――佐倉、せっかくだから後で食べさせあいっこしないか?」
「ぷぇっ!? は、はい!? 何言ってんですか先輩!?」
「言っておくけど本気だからね、あーんして食べさせてあげるから…………君は俺の膝の上で甘えながら俺に食べさせるんだ」
「先輩が壊れた!? も゛~~っ! どっからそんな考えが出てくるんですか!! イヤですからね!!」
「そっかぁ……口移しの方がよかったか。結果的に俺のファーストキスを捧げるのことになるけど……受け取って欲しい」
「~~~~ッ!? はい! はいはいはいっ!! 私っ、先輩の膝で甘えながら! あーんしあいたいです!!」
紫苑は必死に笑顔を作ってアピールした、やはり事故後から七海はどこか変で。
先回りされた上に逃げ道を封鎖されてるような、甘い飴だけを大量に与えられて溺れさせられているような。
――ずっと側に居てくれ、そう耳元で囁かれているかの如く心の痛みが麻痺していく。
「よーし、じゃあ町中華屋の跡取り息子の実力発揮といきますか!!」
「お、おー! 頑張れセンパーイ!!」
すっ、と料理人モードに入る七海と対照的に。
紫苑はこれからを想像してしまい、嬉しさ半分戸惑い半分で複雑な気持ちのまま心は揺らぐ。
狡い、どうしてこんなに狡いのだろうかと。
(――――まだ、隣に居ていいって、そう思ってていいんですか七海先輩…………)
期待してしまう、リセットされた関係のその先を望んでしまう。
記憶を取り戻す日が近いのかもと、――己は幸せになっていいのかも、と。
(勘違いしちゃうから……、もっと時間をかけて作ってよ先輩)
(うおおおおおおおお!! 炒飯は火力とスピードが命!! 最高の炒飯でイチャイチャしてやるよおおおおおおおおおおおおおおお!!)
夕食の時間が、すぐそこまで迫っていたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます