二重人格の螺旋連鎖

森本 晃次

第1話 歯車の噛み合い

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年3月時点のものです。今回は、若干作者の考え方の偏った部分があるかも知れないということで、テロップとしての、「あくまでも、個人の意見です」という部分がありますので、ご了承ください。今回は歴史認識においての自分の意見を結構書いているので、参考にされるのもいいかも知れません。


 あれはいつのことだっただろうか? 仕事で最近、失敗ばかりをすると思って落ち込んでいた桜井だったが、なぜ、そんな失敗ばかりするのか、自分では分かっているつもりでいた。

「きっと、歯車が噛み合っていないんだ」

 というのが、本音だった。

 大学を卒業してから3年、仕事も覚え、自分では、順風満帆な毎日を着実に歩んできた。大きな失敗もなく、ゆっくりではあるが、一歩一歩こなしてきたおかげで、先輩からは期待され、同僚や後輩からは、あてにされてきたと思っていた。

 自分なりに自信も出てきたし、少々のことではへこたれないという思いもあった。

 大学時代までの桜井は、すぐに諦めるタイプだった。好きになった人に別に好きな人がいれば、すぐに諦めたり、コンクールにエントリーする時も、自分よりも優秀な人が立候補してくれば、どうせ、その人が選ばれるだろうと思い、テンションが一気に下がってしまい、最初からあきらめモードだったりした。

 それを、桜井は、自分なりの優しさだと思って、自分の思いを覆い隠してきた。そんな状態だから、真の友達も、彼女もできないでいた。

 それでも、いいと思っていた。どうせ張り合っても勝てない相手に闘志をむき出しにしても、負けてしまえば、惨めになるだけだと思っていたのだ。

 人と争うことをしないことを選んだのは、勝っても負けても、争った時点で、自分が後悔するに違いないと思ったのだ。

 そう思う方が楽だった。高校時代までは、皆自分の気持ちを押し殺して、本音をぶつけようとしない。

「なんて居心地が悪いんだ」

 と思っていた。

 だが、自分一人の世界に入ることは、嫌ではなかった。そのはずなのに、

「一人は嫌だ」

 という感情が表に出ていた。

 自分の気持ちを表に出すのが当たり前のことだと思っていたのだった。何とか大学に入学することができると、それまでの鬱憤を晴らすかのように、たくさん友達を作った。その友達は、高校時代までと違って、自分の気持ちを押し殺そうとするような人は一人もいなかった。

 自分の気持ちを口にする人ばかりで、一年生の頃にはよく、思いをぶつけあって、友達の家で、夜を徹して、自分の気持ちを吐き出しあったものだった。

 だが、そのうちに、皆が自分よりも優れているということを意識し始めた。そのせいで、自分がいつの間にか卑屈になっていくのが分かった。

「こんな人たちを相手にして、自分が勝てるはずはないんだ」

 と思うようになると、楽な方に逃げ込もうと考えるようになった。

 大学時代というのは、それが許される時代だった。自分よりも優れている人たちを意識しているつもりで、実は楽をしたいから、逃げていたのだ。

 楽をしたいというよりも、楽な方に逃げたいと言った方がいいのかも知れない。つまりは、

「楽をするというのは、逃げることが、その最短ルートだ」

 と思っていたのだ。

 安直な考えを最初に頭に思い浮かべてしまうと、それ以外のことを考える前に、すでに結論として決めてしまうのだ。

 楽をしたいわけではなく、逃げ出したいという思いを、

「楽をしたい」

 という言葉を、隠れ蓑にして、自分を納得させてきたのだった。

 そんな時代を過ごしてきたのに、なぜ会社に入ってから、うまく行くようになったのか、よく分からなかった。

 しかし、一つ言えるとすれば、

「最初の1か月くらいは、とにかく会社に行くのが嫌だった。何をしていいのか分からないし、何をしなければいけないかというのを考えないといけないのに、それ以前のところで引っかかっていたからだ。だが、仕事をするというよりも、それ以前に会社にいるということの方がつらいのだ。とにかく、自分が直面しないといけない問題よりも、さらに前の段階で引っかかっているということが、自己嫌悪に陥らせている。だから、そこから一歩でも進めば、少しは先が見えるような気がするんだ」

 という、ネガティブには見えるが、実際にはポジティブな考え方であった。

 なぜなら、その考え方は、

「ハードルを下げたということで、気が楽になる」

 ということが一番、身動きが取れる考え方だということになるのだろう。

 そうなると、確かに気が楽になった。そして、その理由として、思い出したのは、入社してきた時、部長が言っていた言葉だった。

「三日頑張れば、一週間は頑張れると思い、一週間頑張れば、一年頑張れるような気がする。そうやって、一つ一つ刻むことを目標にしていけば、そのうちに仕事も覚えて、仕事ができるようになってくる」

 と言っていたことだった。

 1か月は辛い思いをして、

「明日は辞めるぞ」

 と毎日思いながらでも、何とか1か月を過ごすことができた。

 そうなると、

「一年だってできるのではないか?」

 と思うようになり、一年できると、その頃には会社にも仕事にも慣れているはずだと思うに違いない。

 そうこうしているうちに、3年が経った。2年目から仕事もしっかりこなせるようになり、すべてがうまく行くようになった。仕事も順調で、時間が空いてきたので、学生時代からの趣味であった、読書をするようになったのだ。

 そもそも、他の人がしているような趣味に没頭することはなかった。ゲームをしたり、マンガを見たりというのは、あまり好きではなかった。

 ゲームというのは、少しやってみたが、自分が思っていたよりも面白くなかった。

「何で、皆あんなに嵌るんだろう?」

 と思ったのだ。

 やってみた感想として、ゲームにもコツがあるのだということが分かった。そして、自分には向いていないと思ったのだ。

 引きこもりの人や、仕事でのストレスを抱えた人が、自分の部屋で、ずっとゲームをしているのを見ることがあった。

「何が楽しいのだろう?」

 と思ったが、桜井の中での楽しみというのは、あくまでも、達成感を得られることであった。

 読書は、読み終えた時の達成感だと思っていたので、たぶん、ゲームもゴールをしたり、ラスボスを倒した時に達成感を感じるのだろうが、そこに行くまでの過程が、あまりにも見えてこないことだった。

 どうやれば、最後まで行けるのか、それをどこで調べればいいのかが、そもそも分からない。自分の中にゲームというものに対しての偏見があるのも事実で、偏見があることから、

「どうして俺がゲームごときで調べなければいけないんだ?」

 という、すぐに億劫になるというくせが顔を出してくる。

 そう思うと、読書のように、

「読み終えること」

 という単純なことでの達成感の方が、シンプルであり、それが最高なのだと思えるのだった。

 マンガの場合は、ゲームのような煩わしさはないが、逆に、ビジュアルに訴えることから、

「想像力が掻き立てられない」

 ということから、あまり興味が湧いてこない。

 それでも、小学生の頃まではあ、結構マンガを見ていた。しかし、マンガを見るのは子供の頃までで、思春期を迎えた頃から、急に面白いとは思わなくなったのだ。

 一番の理由は、絵に対してであった。

 正直にいうと、絵のタッチが、桜井の嫌いなタッチだった。劇画調のものであったり、恋愛マンガによくあるタッチなのだ。

 つまり、

「よくある」

 という言葉が鬼門であり、

「皆同じ絵にしか見えない」

 というのが、理由だった。

 要するに個性が感じられないのだ。作者が違っても、皆同じ絵に見えてくる。一度そう思うと、その思いを払しょくするのは難しく、どんどん、そう思えてくるのだった。

 そうなると、

「想像力というものがまったくなくなってくる」

 という思いがまずは生まれた。

 そして、その頃になると、

「個性というものが、芸術には大切なんだ」

 と思うようになった。

 これは、思春期に入ったからだという理由であったり、他にきっかけがあったわけではなく、マンガを見て、皆同じ絵に見えることで、急につまらなくなった理由を考えた時に生まれたことだったように思う。大人になって思い返すと、その思いがそれぞれに効果を与え、相乗効果として表れてきたのではないかと感じたのだ。

 マンガというもの、ゲームというもの、正直、今の子供の一数アイテムともいうべき、2つの趣味となるべきものを自分から遮断したことで、読書に出会えたことで、読書がまるで、救世主のように思えた。

 ゲームに感じた、わずらわしさや、そのわずらわしさを乗り越えないと達することのない達成感を味わえない思いはない。

「ひょっとしたら、ある一線を越えれば、自分もゲームにのめり込んで抜けることのできないほどの興奮を味わえたかも知れない」

 と思ったが、後から思えば、ゲームにそこまでのめり込んでも、何ら得なことはないというのが、結論だ。

「最後まで行ったとして、ラスボスを倒せたとして、達成感以外の何があるというのだ?」

 と感じた。

 何と言っても、大人が見て、

「ゲームばかりしていて、何になる」

 という気持ちが分かる気がしたからだ。

 だからと言って、自分が大人の味方だというわけではない。逆に自分は、

「大人になんか、なりたくない」

 と思う方で、大人になることは、避けて通ることのできないものだが、果たして、その年になった時、

「大人とはどういうものなのか?」

 ということが分かることができるのだろうか?

「大人になると、子供だった頃のことを忘れて、子供を悪くいう」

 ということをよく聞くのだが、自分はそんな大人になりたくないという子供はたくさんいる。

 ほとんどだと言ってもいいだろう。

「それなのに、大人になったら、どうして、その頃のことを忘れてしまったかのように、子供の気持ちを分かろうとしないのか?」

 大人になると、子供の頃の勇ましい気持ちを本当に忘れてしまうのだろうか? それとも、大人になると、大人の事情で、雁字搦めになってしまい、自分がいかに損をしないか、あるいは、ひどい目に遭わないで済むかということしか考える余裕がなくなるからなのだろうか?

 そんな風に考えるようになった。

 入社してから3年が経った今というと、子供で考えると、まだ、やっと、幼児を抜けたくらいではないか、このあたりから、物心がついてきて、後々の記憶として残っていくのが、幼児というものだ。

 という風に考えると、

「子供が大人になって、自分が親になったりすると、自分の子供の頃を忘れてしまうというのは、目の前の子供と、自分の子供の頃の意識を重ねようという無理なことをするために、子供の頃の記憶や意識が、まだ物心がついていなかった時期のように思えてきて、覚えていないのかも知れない。もしそうだとすれば、子供時代のことを棚に上げてしまうのは、実は無理のないことなのかも知れない」

 という思いも湧いてくるのだった。

 それもひょっとすると、大人になってから感じた。

「自分を納得させたい」

 という感情から来ているのかも知れない。

 それだけ、大人というのは、

「自分を正当化させ、いかに楽になろうとするかということばかりを最優先にするようになったのではないだろうか?」

 と感じた。

 だから、社会人になってからというもの、学生時代から一度リセットされてしまって、0歳から、やり直しているという考えも成り立つのかも知れない。

 ただ、そう思ってしまうと、それまでの、20数年という年月が、まったくの無意味だったということになるのを恐れて、リセットということを考えたくないのだろう。

 だから、子供の気持ちが分からなかったり、会社に勤めても、ある一線を越えれば、うまく機能していくはずなのに、そこまで我慢できずに、リタイヤする人も多いということだろう。

 それが人間であり、人間の弱いところだといえるのではないだろうか。もし神様がいるのだとすれば、

「なんと、神様って、むごいものなのだろう?」

 と考えたとしても、無理もないことではないだろうか。

 社会人を3年も過ぎると、物心がついてくる。それまで毎日が、自分の仕事だけで精一杯で、先輩の助けがなければ、やってくることができなかった。それこそ、幼児が親に育てられているということと類似しているのではないだろうか。

 3年目からは、今度は自分がまわりを見て、先輩がしてくれたような気づかいをできるようになって、自分が後輩を助けるようになる。まるで、弟か妹ができた時のような感覚ではないだろうか。

 そういう意味では、部長が入社した時に言っていた、

「それぞれの節目」

 というのは、入社の時なので、一つの例として、会社を続けるということを例に出したが、実際にはそれだけではなく、会社において仕事をするだけではなく、全体的な節目が個人差はあるだろうが、決して避けて通ることのできない結界のようなものが立ち塞がっているということを言いたかったのではないかと思うのだった。

 桜井はそのことを考えていると、確かに今までに何度か節目があったように思えた。そのたび、何とか乗り越えてきて、その節目を、目の前に来た時にすでに分かった時、そして、まさに乗り越えている時に、

「これが節目なんだ」

 と思う時、さらに、乗り越えた後になって、

「あれ? これって節目だったのかな?」

 と、後から考えることだってあるだろう。

「それを考えると、3年間というのが、長かったのか短かったのか、よく分からなかった?」

 ということであった。

 というのも、この3年間を時系列に沿って、一つの塊だと考えた時、そして、その節目ごとに、分割して時間を考えた時、それぞれで違うのだ。

 たった、数年しか経っていないのに、

「どの節目が、前だったのか、後ろだったのかをすぐには理解できなかった気がする」

 というのは、

「節目というものが、3年というひと塊で考えると、キチンとした時系列で考えられるのに、節目を一つ一つで考えると、それが最初だったのかということが分からなくなる」

 のだった。

 そんな思いがいくつかの層になっていくと、自分が何を考えているのか、分からなくなってきた。

 これが一つの節目でもあるのだろうが、急に立ち止まってみて、今まで歩いてきた道を振り返った時、

「もうこんなにも来ていたんだ」

 という、実際には来ているわけでもない道に対して、普段では感じることのない達成感を感じてしまうだろう。

 その思いがいいことなのか悪いことなのか分からないでいると、立ち止まってしまったことを後悔することになるのだ。

 これが、節目において、

「考えてはいけないことなのではないか?」

 という思いに至らせることになるのだった。

 そんな桜井の今まで、順風満帆だった会社での、実績が、少し揺らいできたのだった。これまでは、仕事において、少しへまをしても、大きな問題にもならず、ちょっとしたことが、会社への功績ということになって、大げさに表彰されたりした。

 仕事が楽しいと思えた理由でもあったが、それを、

「これは偶然などというものではなく、自分の実力なんだ」

 と考えるようになっていたのだ。

 しかし、それが幻想であったということを、就職してから四年目で、早くも思い知らされたのであった。

 あれは、あるイベントの手配を任された時、いつものように、キチンと漏れなくやったはずなのに、自分のミスではないが、自分がお願いした業者の方がミスをしたのだ。

 さすがに慌てて、まわりがうまくフォローしてくれたおかげで、大した騒動にもならずに、うまく切り抜けることができたのだが、その頃から、それまでキチンと噛み合っていた歯車が狂い始めた。

 最初はまわりが、うまく噛み合わないことで、自分のせいだとは思わなかったことで、うまく乗り切れたと思っていたのだが、さすがに、2度、3度と続くうちに、精神的に、ストレスが溜まってきた。

「何で、こんなにイライラするんだろう?」

 と、最初はそれが仕事でうまく行っていないことだということにも気づかなかった。

 会社を離れると、仕事のことは忘れるというのが、モットーだったので、大好きな本を読んで過ごすことにしていた。

 だが、本を読んでいて、イライラしてくる。本の内容も少々重たい内容になると、次第に読みたくなくなっていた。

 それまでは、少々重たい内容でも、別に、一つのジャンルだということで読みにくいとも思わなかったが、その頃は読んでいるうちに、小説を読んでいるはずなのに、まるで、難しい何かの専門書でも読んでいるかのようだった。それこそ、大学の試験で、読みたくもない難しい専門書を読んで勉強していた頃は、読書すら、敬遠していたほどだった。

 読書をしていて、苛立っていることが分かった時に、気づくべきだった。後から思えば、気づいていたとしても、どうなるものでもなかったかも知れないと感じたりはしたが、対策くらいは考えようとしたかも知れない。

 とにかく、趣味として、好きなことであり、気分転換にももってこいだったことが、さらに苛立ちを増加させるようなことになるというのは、尋常ではないだろう。

 そして、その頃になると、今まで何も考えずにうまく行っていたことも、うまくいかなくなってしまった。

「何で、こんな極端な転落になってしまったんだろう?」

 と感じたが、

「歯車が一個狂うと、すべてが噛み合わなくなるということの証明だ」

 ということを、結構早い段階で分かっていたはずなのに、それでも、何もしなかったのは、

「今がうまく行っていないだけで、そのうちに元に戻る」

 という思いと、

「今までうまく行っていたのは、必要以上に動かなかったからで、それは自分を信頼していたからだ」

 という思いがあったからだ。

 自分を信頼することが、好機に繋がるということを信じてしまうと、無理に動くことが怖くなってくる。

 そう思って、何もしないで、この悪い流れが通り過ぎてくれるのを待っていた。

 しかし、この3年間があっという間だったように思えたことで、歯車が狂ってから、まだ1カ月ほどしか過ぎていないのに、もう数年、こんな泥沼にはまってしまったような気がしたのだ。

「数年の感覚でいるのだから、そろそろこの自体に慣れてくれてもいいはずなのに」

 と感じるようになり、自分がまったく時間の流れや、長さについて意識していないことに気づいていなかったのだ。 

 気づいていたのは、無意識に感じている時だけであり、それは、精神的な余裕から生まれるものなのではないだろうか。

 それを思うと、一つのことがうまくいかないと、それがすべてに影響してくるのも分かっていたんだろうと思う。何しろ、何もしなくても、うまく行く時は行っていたのだから、一歩間違うと、すべてが狂ってくる可能性だってあるのだということを、覚悟していたはずだからである。

 だが、そのことはすべて、沼に嵌ってしまってから気づいたことだ。沼に嵌ってしまうと、あがけばあがくほどうまく行かない。かといって、何もしないというのも、自殺行為であり、ただ、なぜか、その時の桜井は、自殺行為を選んでいたのである。

「どうせ、仕事でうまく行かなくなったとしても、命を取られるわけでもない。下手にあがいて抜けられなくなるよりも、これ以上最悪にしないようにするには、動かない方がいいんだろうな?」

 と、考えたのだった。

 こういう時に趣味をすればいいというのは、普通の考え方で、

「趣味というのは、精神的にゆとりのある時にするから、楽しめるんだ」

 ということであった。

 前述のように、せっかくの想像力が悪い方に働くと、せっかく楽しいと思えることが、逆効果になる。それは、リアルな感情が生まれてきて、ミステリーや、オカルトなどはもちろんのこと、恋愛小説や青春小説であっても、普段の息苦しさから逃れようという思いが子供の頃にはあったが、リアルさがなかったことで、妄想はいい方に作用してくれたのだが、大人になると、いろいろ分かってくるので、妄想は、リアルさを含んでくる。そうなると、思いは、重たいものになってしまい、読むことがつらくなるのだ。

 そういう意味で、趣味というものは、一歩間違えると、もろ刃の剣なのかも知れない。

 もし、これが、ゲームなどでストレスを発散できるような、他の連中のような性格であれば、どんなにいいだろうと考えたものだ。

 あれだけ一日中ゲームをしていても、飽きもこないし、集中できる。実に羨ましく感じられた。

 そういう意味で、

「他の人と同じでは嫌だ」

 という自分の性格が、あだになる時が来るなど思ってもみなかった。

 だからと言って、うまくいかなくなり、鬱状態になってから、他の人のまねをしてみても、どうなるものでもない。実際にやってみようかと考えたこともあったが、始めようとした瞬間、自分の中の、

「他の人と同じでは嫌だ」

 という自分がいきなり目を覚まし、そっちに逃げようとする自分に対して、容赦ない攻撃をしてくるのだった。

「その結界を超えてしまうと、明日からお前ではない」

 という一言を浴びせられると、急に夢から覚めたようになってしまい、目の前で、後悔に押し潰されている自分が晒されているかのように感じたのだ。

「それだけは、避けなければいけない」

 そう思うと、息ができなくなってしまい、沼の中で窒息してしまう自分が思い浮かぶのだった。

 そこで考えたのが、

「今までにしたことがなくて、興味のあるようなことをやってみよう」

 と感じたのだ。

 その思いは、

「犯罪に抵触しなければ、少々のことは、冒険ということで許される」

 と思った。

 特に、学生時代までに毛嫌いしていたことを、今ならできると思いたかったのだ。だからと言って、ゲームやギャンブルということに足を突っ込もうとは思わなかった。

「却って、疲れるよな」

 と感じたからだ。

「だったら、癒しになるようなことがいいんじゃないか?」

 と思うようになった。

 最初は、キャバクラのようなところに行ってみたいとも思ったが、どうも、テレビ番組などのイメージから、

「ぼったぐられる」

 という感情が強かったのだ。

「どうせお金を使うのであれば、最初から市民権があって、公共の風俗の方がいい」

 と考えるようになった。

 正直、この年になるまで、桜井は童貞だった。風俗にも行ったことがなかった。ひと昔前であれば、

「二十歳過ぎて、童貞って気持ち悪い」

 と言われていたのかも知れないが、今は、それも珍しくもない。

 そもそも、

「童貞を失うことが大人になることだ」

 というのは、いかがなものかと感じさせる。

 だいぶ前から、

「草食系」

 と言われる男子が出てきて、エッチに興味がないのか、異性自体に興味がないのか、自分でもよく分からないのだろう。

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