第3話 やらせ疑惑
テレビでドキュメンタリーが放送された時の反響は、さほどのものではなかった。
「取れ高」
という意味で、視聴率も想定していたよりも取れていなかったようで、放送局側からすれば、失敗企画だったということになっていたようだ。
だからと言って、荻谷少年に問題があったわけではなく、元々が他人ごとのように見ていたのだから、他人のドキュメンタリーだと思うと、視聴率が高かろうと低かろうと気になるものではない。
しばらくすると、そんな番組があったということすら、忘れてしまうほどであった。
しかし、そんな状態から、少ししてのことだっただろうか。意外なことで、思い出すようになるなど、想像もしていないことだった。
それもいいことであればいいのだが、実際には最悪の形で思い出さなければいけなくなるなど、こちらも想定外であった。
結構な騒動になるのだが、その時はさすがに、以前、ドラマの許可を出した自分を、
「過去に戻って、ぶん殴ってやりたい」
というほどに思うほどだったのだ。
後から思えば、確かに番組はあまりにも、
「作られた、作為的なところがありありだった」
というところがあった。
それを簡単に許可したのは、
「自分のドラマなので、自分を主人公にするのが当然なので、主人公にされると、恥ずかしいという思いから、少し誇張して作ってくれていたことが、却ってありがたかった」
と思ったからだった。
しかし、それが、却って逆効果に導くことになるとは思ってもいなかった。それが、子供の想像を超越してくるような、いわゆる、
「大人の世界」
というものだった。
大人の世界と言えば、
「相手を蹴落としてでも、自分が目立とうとするような世界」
だということを、中学生にもなれば、分かってきていた。
もちろん、今まで大人のそんな世界に巻き込まれたことはなかったので、ぴんとは来ていなかったが、実際には、意識をしていないところで巻き込まれていた。
予言をして、それが、ことごとく外れた時、まわりから、ウソつき呼ばわりされ、
「大人をバカにするんじゃない」
と、本人はそんなつもりもないのに、罵声を浴びせられることに、少なからずのショックを受けていた。
そのショックは、理不尽さを感じさせ。その理不尽さが、
「大人の世界を映し出しているということのなるのだ」
ということを分かっていなかったのは、その時まだ、
「自分が子供だったからだ」
ということを分かっていなかったのだろう。
大人というものを必要以上に意識してしまったことで、却って、大人に関しての感覚がマヒしてしまったあのではないかとも思ったほどだった。
だが、大人を意識するが、大人の世界に巻き込まれたわけではない。大人の方も、そんな普通の子供よりも、より子供のような荻谷少年を、意地でも大人の世界に入ってこないように、結界を張ったようなところがあったのだ。
それは大人のプライドであり、子供にとって、立ち入ってはいけない領域だったのだ。
だから、大人からの罵声を感じながら、子供でいるしかないという状態を中途半端だと感じていたが、その中途半端な感覚ほど、すぐに忘れてしまうものであった。
感覚がマヒするというものではないということである。
そんな大人の世界を知るようになったのは、直接的なことからではなかった。
というのも、ある時、ウワサになっていることがあるというのを、学校の先生から聞いたことから始まった。
そんなことを子供の生徒に聞くというのも、どのようなものかと後になれば感じたのだが、その時は、荻谷少年にとっても、
「寝耳に水」
のようなことであった。
というのも、そのウワサというもの、曖昧な形で、人づてによるものだったということであろう。
そのウワサというのが、この間民放で放送され、視聴率も最低だったということで、
「早く忘れてしまいたいことだ」
と思ったようなことだった。
それを、なぜしばらく経った今になって、問題になるのか、理由が分からなかったのだが、なにやら、週刊誌の一人の記者が、
「やらせ疑惑」
というのを抱いているということだった。
先生がいうには、
「そういうウワサがあるが、お前に何か取材などが来ているか?」
ということであった。
実際に、そんなことになっているなどまったく知らなかったので、
「いいえ、来ていません。そんな話があるなんて、今先生から初めて聞かされた次第ですよ」
というと、
「そうか、それなら、取材がくれば、断る方がいいかも知れないな。下手に話すとやつらは余計なことを書き立てるだろうからな。とりあえずは、静かにしておくのがいいかも知れない。それにしても、まずまわりから攻めていって、まわりを固めてから、本陣に切り込むというやり方は、結構考えられていることのようだ。気を付けた方がいいかも知れないな」
と先生は言った。
「先生のところに取材に来たんですか?」
と先生に聞くと、
「ああ、最初は、君のテレビ番組についての感想や、君の生徒としての感想を聞いてきたので、それなりに適当に差しさわりなく答えておいたが、取材にきた人間は、次第に切り込んでくるような話になってきた。君の家族のことなどをね。それで怪しいと思ったんだ。あまりにもプライベートなことに関わってくるからね。こっちも答えられないというと、あっさりの引き揚げていったけど、あれは、先生の出方を見たんじゃないかと思ってね。攻略できないと思ったので、そこで諦めたんだろう。だけど、今度はまた別のところから切り込んでくるかも知れない。そして、次第に君に迫ってくるだろう。それは、阻止したいと思ったんだ。だから、とりあえず、今のところ君にまだ迫ってきていないということは、取材が難航しているのか、それとも、難航していることで、時間が掛かりすぎることによって、諦めてくれたのかということだが、諦めてくれたのであれば、それはそれでいい。しかし、そうでないとすると、気を付けないといけない。ああいうジャーナリストという連中は、あることやないことを面白おかしく書いて、それをたくさんの人に読ませることが正義のように思っている。真実かも知れないが、犯してはいけない部分があるということは、まだ中学生の君にだって、分かるんじゃないかな? だから、私はそんな変な正義感を持った連中を許せないし、そんな連中に、自分の大切な生徒を犠牲にできないと思っている。だから、もし、連中が取材に来たりしたら、余計なことを言わずに、先生に相談してほしいんだよ」
と先生は力説していた。
先生の力説は、それなりに説得力があった。その思いを、荻谷少年も分かっていて、
「テレビ番組の撮影を許したのは間違いだったのかな?」
と思ったが、あれが、やらせだったのかどうか、よく分からない。
確かに誇張はしていたが、あくまでも他人事として見ていたのだ。それ以外の何ものでもなかったはずだ。
だからこそ、自分の想像もしていなかったことが勃発していることに、
「すでに、自分の思惑ではないところに独り歩きを始めたんだ」
と感じるようになったのは、少ししてからのことだった。
やつらのやり口は、いきなり本人に来るのではなく、まずまわりを固めているようだ。荻谷少年は、家事はしない代わりに、買い物などによく出かけていた。
最初の頃は、専門のお店に出かけて、そのメモを店の人に見せることで、店の人も分かっているのか、必要なものを揃えてくれた。最近では、スーパーでも買い物はできるようになったが、今までのように、肉なら肉屋、野菜なら八百屋と言った具合に、専門店での買い物も欠かさない。
それは、店の人ともかなり仲良くなり、コミュニケーションも図れることから、馴染みのお店も客を大切にしてくれるので、スーパーで買うよりも安くしてくれることもあったりするのだ。
さすがに毎回ではないが、お店の人たちとの繋がりはありがたかった。
店の方からしても、一人でも常連のお客さんはありがたかった。何しろ、その時代になると、いよいよ郊外型の大型商業施設が、幹線道路沿いにできてきたことから、駅前商店街の専門店にとっては、かなりの痛手になる心配が募ってきた頃であった。
まだ、そこまで大きな打撃のなかった頃だが、実際にどうなったかというのは、歴史が証明している。
そんな時代の転換期、確かに自家用車を持っている人は、郊外型のショッピングセンターに買い物に行く。特に週末などは、レジャーランドに出かけるような感覚で買い物に出かけられるのだ。
母親が買い物をしている間。子供はゲームセンターで遊んでいたり、旦那は、専門店街を見て回るなど、一日中いても、飽きないくらいの設備があるのだから、何も歩いて、近所の商店街に出かけることはないだろう。
実際に車を持っていれば、荻谷家も、大型ショッピングセンターに通ったかも知れないが、車がないことと、荻谷には父親がいない母子家庭ということもあって、別に、
「家族団らん」
を望む必要はないのだ。
むしろ、そんなところで、団欒を見せつけられても、どうすればいいのか?
ということである。
せっかく商店街では、荻谷少年が、週に何度か買い物に来てくれるということで、マスコット的存在になっていて、結構かわいがってもらえた。荻谷もちやほやされて嬉しくないはずもないし、荻谷少年の境遇もしている商店街の人たちは、昔気質の人情に厚い人たちなので、そんな人たちにかわいがってもらえるということは、これ以上の喜びはなかった。
「俺って。意外と昭和気質なのかも知れないな」
と感じていた。
その頃までは、まだ昭和の良き時代を振り返るようなドラマや映画もあり、やっと普及し始めたビデオテープに、ドラマなどを予約録画して、見ていたものだった。
昭和かたぎの映画などを見て、人情に触れるのが好きなのは、荻谷少年だけではなかった。実は母親もそういうドラマや映画が好きで、よく一緒に見たものだ。
そんな荻谷少年だったが、最初から商店街の人たちから好かれていたわけではない。
一番最初は、まだ小学生だった荻谷少年が、健気に買い物にきてくれることを素直に、商店街の人は喜んでくれたのだが、そのうちに、予言めいたことをはじめ、昔気質の性格からか、
「ちゃんと聞いてあげないといけない」
という思いから、意見を大切に聞いていたが、その内容が、あまりにも、ウソが多く、いい加減であることから、次第に、大人たちも冷めてきたのだ。
ウソが多いというよりも、本当のことは一つもなかった。そんな状態であれば、さすがに大人は、
「バカにされているのではないか?」
と思い、面と向かって、
「あんまりいい加減なことばかり言ってるんじゃない」
と言われるようになった。
さすがにその頃には、商店街でも、オオカミ少年扱いされるようになったが、そのうちに、逆のことを言い出して、すべてが的中するようになると、現金なもので、それまでいうことを信用しなかった人たちが、見直すようになったのだ。
それを見て、少年は、
「自分の決断は間違っていなかった」
と思ったが、その本心を誰も知る由もなかった。
「きっと、本人の中で何かきっかけがあって変わったのだろう。今まであまりにもうまく行っていなかった歯車が、噛み合うようになったのかな?」
と考えるようになったが、その考えもまんざら、間違った考えというわけでもなかったのだ。
元々、民放の放送局が、番組を作るに至った経緯の中に、実は知られていないが、この商店街の人からの紹介があったのが一つのきっかけになったことであった。
荻谷少年が、
「オオカミ少年」
と言われていたことで、あれだけ商店街の人たちも、
「オオカミ少年のいうことに惑わされないように」
という一種の結束のようなことがあったのだが、しばらくすると、今度はまったく逆になってしまった。
それを、昭和かたぎで、真面目にものを考える人たちにとっては、
「こんな神がかったことは、常人の考えではなかなか理解できるものではない。やはり、あの子には、何かがついているのではないか?」
と、いい意味で見直されてきたに違いない。
しかも、それまでのどちらかというと情けなさそうで、顔色を伺っていそうな少年が、言っていることが当たるようになってきて、その表情に自信めいたものが漲ってきているのを見て、
「これが、あの少年の本当の姿なのではないか?」
ということを感じ始め、その感覚が、
「彼は、覚醒したのではないか?」
とまで思われるようになったのかも知れない。
覚醒という言葉は、大げさなのであろうが、何か見えない力によるきっかけがあったのではないかと思うに至るには十分なのではないだろうか?
「きっかけがあって、覚醒したのだとするならば、そもそも、彼にはその力があって、今までは未熟だっただけで、これが本当の力として、認めてあげなければいけないんじゃないか?
ということで、まわりが、少年を、
「仲間扱い」
するようになったといえるのではないだろうか。
そんな少年のことを、マスゴミが勝手に煽って、テレビ番組まで作ったことは、あとから考えれば、
「失敗だったのではないか?」
という結果論に至ったのだが、当初は、
「彼の覚醒を、我々だけで知るよりも、皆さんに知ってもらうことが、皆のためではないか?」
ということで、商店街が押しての、一種のプロジェクトのようなものとして、商店街の人たちが考えていた。
だから、テレビ局に売り込むような形をして、
「自分たちが、彼を売り込んだということは、彼には知られないようにしてくださいね」
と、まるで、自分たちの手柄のように思われたくないということを示したのも、やはり昭和気質のようなものがあったからなのかも知れない。
ただ、彼らの思惑は、完全に、成功することしか頭に描いていなかったのだ。
これをしたことで、どのようなデメリットがあるかということまで考えていない。
これが一種の、
「昭和かたぎ」
というものなのではないだろうか。
だが、商店街でも、密かに盛り上がってきて、実際に放送されることになるというのが決まった時は、商店街の人たちは喜んだ。
「わが町のヒーローを自分たちで作ったんだ」
という気概もあったことだろう。
少年のためというよりも、自分たちの気概を感じたいというのが、本音の中にあったのは事実だろう。だから、少年の気持ちを大切にしようという気持ちだけではないだけに、余計に、前のめりに近い形で、それぞれが考えていたに違いない。
そんな中で、彼らの思惑通りにテレビ制作が行われることになった。一つの条件として、
「本人には、自分たちが推薦したということを言わないこと」
というのを出していた。
これはもちろん、自分たちが商店街を盛り上げるためにやったということを勘違いさせないための念押しだった。
実際に最初に言い出した人には、そんなつもりはなかったのだが、商店街の中には、いろいろな人がいて、商店街のためにと思って、思惑ありで考えていた人もいたし、ひどい人には、
「これによって、商店街の結束を壊すことができる」
と感じ、商店街の転覆を狙っている人もいたのだ。
彼の場合にも、情状酌量の余地がないわけではなかった。
商店街の息子に生まれたばっかりに、自分のやりたいことができずに、強制的に跡を継がされた人だっていたのだ。
「それが昭和の気質なんだ」
と言われてみれば、それまでなのだが、特に彼の場合は、親の金で大学に進学した。
親とすれば、経営学を学ぶことで、これからの経営者として、店を大きくしてくれることを願ってのことだったが、大学に進むと、時代の最先端の情報も得ることができ、すでに、これからの時代は個人商店ではやっていけないということを思い知らされたものであった。
だが、親とすれば、そんなことが許されるわけもない。自分たちは、子供に託すことが最大の正義だと思っているので、大学で学んだことを言っても、通用するわけもなかった。
親の威厳を振りかざされると、彼としても、人情はあることで、どうしてもジレンマに陥ってしまう。悩んだ末、家を継ぐことにしたのだが、このままいけば、間違いなく、先行かなくなることも分かっていることであった。
商店街の人に話しても分かるはずもない。皆、商店街を継ぐというだけの意識しかなく、
「このままの商店街が、半永久的に続く」
ということを思っているようであった。
だが、実際にはそんなことがありえるわけはない。商店街の未来がないことは、世間のニュースを見ていれば分かることだが、商店街の二世たちにとっては、それほど、深く刺さることではなかった。
まるで、
「対岸の火事」
という程度にしか思っていない。
「こいつらが、ここまでバカだったとは思ってもみなかった。商店会の中では、どうしても多数決でしか決まらないので、こちらは自分ひとりだけでは、太刀打ちできるはずなどあるはずもない」
というのが、彼の考えであった。
実際に、商店会での彼の意見が通ったことはなかったのだ。
そこで彼なりに、他の連中にはあまり気づかない方法で、水面下で動いたりした。
地元の商社に密かに話を持って行ったが、なかなか足元を見られて、交渉にすら発展しない。八方ふさがりになっていた。
そこで考えたのが、ちょっとした方向転換だった。
「きっかけは何でもいい。小さなことであっても、団結できるようなことがあれば、それが、商店街の八方ふさがりな状態を打開できるのではないか?」
ということであった。
つまり、
「今が一番の底辺であり、これ以上下がることはない。だから、ちょっとしたきっかけがあれば、上を向くことができ、上を向くことができれば、上に這い上がることができるのではないか。スピードはゆっくりであっても、向上心というものを皆が持つことができれば、この状態を救うことができるはずだ」
という考えである。
それを叶えてくれそうなのが、荻谷少年の存在だった。
「あの子のように、商店街を好きでいてくれる人が、今では皆の信用を取り戻し、それによって、前を向くための団結に一役買ってくれるのではないか?」
と、考えたのだった。
そんな考えを持っている人たちが、皆、言葉は悪い多、
「自分たちの結束のために、子供を祀り上げて、そうすることで、皆が幸せになれるともくろんでいたとすれば、放送の不人気は、計算外だっただろう。
しかし、それで終わればまだよかったのだが、変なところから、
「やらせ疑惑」
を、提唱している人が少なくとも一人はいるということである。
今のところ一人だけなのだから、
「そんなバカな」
と誰かがいえば、無為無根ということで、すぐに消えてなくなることなのだろうが、当時のテレビ局では、やらせ疑惑というのは、致命的なことだった。
それが、公も場でまことしやかに叫ばれるようになると、疑惑を掛けられた方とすれば、完全に鎮静化できなければ、火だねとして残ってしまい、それが致命的なことになりかねなかったりするので、慎重にことを受け止めなければならなかった。
なぜなら、中小の放送局が作成したバラエティ番組で、
「やらせ報道があった」
ということで、世間が一気にその放送局を攻撃した。
最初は、そこまでひどくはならず、少しの間静かにして我慢をしていれば、
「人のうわさも七十五日」
などという言葉もある通り、すぐに世間は忘れてくれるだろう?
と思っていたのだった。
しかし、実際には、一人が批判すれば、他の評論家も、右に倣えで、どんどん思惑とは別に、火種が広がってくる。
そうなってしまうと、世間が忘れてくれるどころか、世間を完全に敵に回してしまった。何も言わずにやり過ごそうとしたことが完全に裏目で、
「説明責任を果たせないということは、本当にやっていた証拠だ」
と言われてみたり、
「言い訳ができないことで、話題の自然消滅を企んでいる」
と、まんざら嘘ではないことを言われてしまうと、もう、何も言い返せなくなってしまう。
少しでも言い返せていれば、放送局側にも、言い分があると思って、下手をすれば、今以上に炎上するかも知れないが、少なくとも他人事だと思っていて、逃げ腰だとは思われないだろう。
そうなってしまうと、玉砕覚悟で世間と真っ向勝負をするか、それとも、逃げて逃げて逃げまくって、卑怯者のレッテルを貼られたまま、静かに消えていくかのどちらかになってしまう。
この放送局は、後者だった。
他の放送局からすれば、自分に置き換えると、屈辱であり、一歩間違えると、自分の身に降りかかってきてしまうと思うだろう。
しかし、では、彼らがその放送局に対して、何か援助をしたかというと何もしていない。要するに、苛めが行われているのを、自分に火の粉が降ってこないように状況を見守りながら、自分への保守しか考えていないということである。
そんな連中が何を言っても、説得力などあるはずもなく、放送局としての限界を、放送業界全体が知ることになったといってもいいだろう。
そうなってしまうと、自分たちがどうすればいいのか分かるはずもなく、そんな状況に陥らないようにするしかないのだ。
そうなると、
「放送氷河期」
と言ってもよく、放送倫理などあってないようなものになりかねない。
それでも、この、
「バブル崩壊不況」
が続く中。いかに生き残っていくかということと両立しなければいけない問題なのだ。それを誰がいかに考えるかと言って、リーダーシップを取れる人がいるわけでもない。それが、
「放送氷河期」
と言われる時代だと言ってもいいだろう。
ただ、そのことを一般市民は誰も知らない。知られないようにするのも、放送業界の使命であった。下手に知られてしまうと、放送業界の限界が知れてしまい、秩序や倫理などという、企業理念の崩壊になってしまうからだった。それだけは絶対に避けなければいけない事実なのだ。
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