第一章 ミレと妖精の使い #3



とある大きな森の中の、小さな村達の一つ。


私はそこで生まれた。


私の村は精霊の恵みである四季を授かり、その祝福と共に生きていくことを誓う村だった。


精霊とは主に不思議な力を持つ妖精のこと、もしくは妖精を神聖なものとしてとらえて精霊と呼ぶ、または妖精と精霊は同一と捉えるなど諸説がある。


精霊を見たと言う者は私の知る限りいない。


でも私は精霊の存在を信じていた。


父と母の仕事が休みの日に、家族でゆっくりお茶をする幸せも、隣に住むアリシスおばさんが分けてくれる料理が美味しいのも、お気に入りの柄の布で上手く服が作れた時も、すべて精霊がもたらしてくれるものだと思っていた。


その精霊の加護の中で私も含め子どもは育っていく。


私には幼なじみの、と言ってもこの村に住んでいる子どもはみんな幼なじみのようなものだけれど‥そういう男の子がいて、自分の仕事が終わったあと、私の畑仕事を手伝いに来てくれていた。


名前はベートと言って、口数が少ないから何を考えているのかよく分からない子だったけど、それでも時折見せてくれる一瞬の笑顔や、あわてながらも仕事を手伝ってくれる様子から彼が優しい人なのはよく分かった。


この村を含め、この村近隣では十五歳になると男も女も大人とみなされ、女はお嫁にいくための家事修行、畑仕事、もしくは市に出て物を売る仕事をしたりする。


男は人によって様々な仕事をし、女と同じように市に出て物を売ったり、この村周辺に伝わる伝統のティーカップを作ったり、畑を改良して病気に強い作物をつくる勉強をしたり、人によっては何かよく分からない都会の一獲千金を狙って村を出て行きそのまま帰って来なくなったりした。


ベートはその中で木こりをしていて、私がたまたまベートの仕事を見に行った時遊び半分でベートの斧を持って、いつも家で使っている薪割り用の斧とは違う桁違いの重さに驚いたものだった。


自分じゃ持つのもやっとのような大きな斧を振りかざし、さらに何倍も大きな木を相手にし日中働いた後なのに自分以外の仕事も手伝ってくれる男の人の力強さと心の広さに私は尊敬の心を覚えたものだった。


こんな風に私の周りや村の人達は優しくて、質素を愛す信頼出来る良い人達ばかりだった。


そして当たり前である平和で穏やかな日々。


しかし、私は一つだけ、隠し事をしていた。


両親にきつく口止めされていた、隠し事。


あんな事になるまでは、大したことなどないと思っていた、隠し事。


あの頃、あの村に流れていた、異様で、いつも何かに怯えている、冷たい空気。


世の中のいろはも知らないような子供の頃には分からなかった、あの空気。


もっとはやく気づいていれば、私は自分の愛する人達を、失う事も無かったのだろうか。


でも、もう遅い。


愛する者に裏切られた心を癒す対価などこの世に存在しないのだから。










ずっと、ずっと、昔のことでしょうか。


この村を囲む森の中に咲く、色を競い合うような花達に似た多くのケーキ。


村伝統の濃いめに染められた緑を基調とした服装の老若男女。


村の集会所や広場で集った二大主役たちは、淡く白い布を着たテーブルの群を軸にして舞い続け止まることがない様です。


ウィリアンと呼ばれる一人の少女は、自分の住む村の何か月かに一度行われている親睦や村のこれからを決めることを目的とするお茶会に参加していました。


と、いってもその少女は少女というにも十代の半ば過ぎ、しかし実際にはもっと大人びてみえる、どこか神がかった美しさをもっています。


広場に隣接する集会所の窓から差し込む光が、少女のひとすじひとすじがゆるやかに曲がる金色の髪を照らし、少女が近くにいる人達に話しかけたりなどエプロンをひるがえしてくるくると動くたびに、その光は複雑に色とそれを見る人の心を変えてしまいます。


そしてそれを少し離れた所で見ていた青年は、


「ふ ー …」 大きな溜め息をつきました。


「どうしたんだワイグ?」


隣にいた同じ年頃で少し細身の青年が、たずねます。


ワイグと呼ばれた青年はちらりと目だけを向けて、


「綺麗だよなぁ…お前に分かるかなぁ…」


言っている最中にすぐに視線をウィリアンに戻します。


青年は少し身を乗り出してワイグの向こうにいる人物を見て、


「あぁ、ウィリアンだろ?やめとけやめとけ。お前には高嶺の花過ぎる。」


ワイグがむっとした表情で振り返って


「なんだよ!お前だ、」「俺にもな。」


青年の言った言葉とかぶりました。


青年はマイペースでお茶を飲んで、ワイグは


「は ー …」 頭を垂れて新たな溜め息をつきます。


すると青年はカップから口を離して、


「ウィリアンはな」


そう切り出してワイグの顔をちらりと見て、彼が目を見開いて自分の顔を食い入るように見ているのを確認すると、続けて


「俺も一応色々とやってみたが駄目だった。と、いうより気づかないって感じだな。あそこまで気づかないのもすごいが…他の女は森へ連れていけばすぐ落ちるが、ウィリアンはどうもやりづらいんだよなぁ…あの目を見てると悪い事をしてる気分に駆られるというか。」


ワイグがさらに大きく目を見開いて、


「お前…落とし穴が趣味だったのか」


「何が?」


青年が小さく首を傾げました。






その頃、噂の人物であるウィリアンは、


「ウィリアン、アリシスに聞いたんだけど、最近すごくお料理の腕が上がってるそうじゃない。このあいだウィリアンにもらったパンプキンパイがびっくりするぐらい美味しかったのよ!って何回も自慢してたわよ。」


穏やかな顔をした初老の女性と親しげに笑いあっていました。


「アリシスおばさん、私が夕食作ってるのに気づくと『ウィリアン!私が味見してあげるわ。私がついてればお嫁にいくのに困ったりしないからね!』って、言って私の家に来るんですよ。それでなんだかんだいってお料理手伝ってもらううちにおすそ分けすることになっちゃうんですよね。」


二人に起こった笑いが少しおさまって


「ウィリアンにとったら、ちょっとうっとうしいなって思う事もあるかもしれないけど、あの人、子どもがいないからウィリアンの事を自分の娘みたいに大事に思ってるのよ。 それは分かってあげてね。」


初老の女性がふっと優しく微笑って言いました。


「はい‥私もアリシスさんは、大切に思ってます。」


ウィリアンも、そう言って微笑みを返し合っていました。






和やかな雰囲気とは離れた場所では青年たちが、


「ナキィル…お前、そういうことはさ、好きな子とするもんだろ? 俺は、そういうのは、良くないと思う…」


ワイグが、顔を赤くして話し相手の顔を見ない様にしながらそう言って、ナキィルと呼ばれた青年は


「お前もやれば考え方変わると思うぜ。」


近くのテーブルに手を伸ばしてお茶をどぼどぼカップに注ぎながら答えました。


ワイグは少しどもりながらナキィルの方へ身を乗り出して


「あーっ!お前はっ! こう、恋っていうのは、もっと自分が憧れる人にするのが一番の良さというか、醍醐味というか…」


「俺、高嶺の花より野の花。」


ナキィルはずずーっ、とわざとらしく音を立てて、お茶を飲み干しました。






ウィリアンが何人目かの婦人と会話を育みつつ、相手に気づかれないように体重をかける軸足をそっと代えた時


「お前何でもそうやって見下すなよ!!」


カシャーン、、


ワイグの大声はカップの割れる音と反響し合い、言葉の内容は皆のところへ届く前にかき消えましたが、彼がナキィルの服の襟元を掴み上げていることから状況は把握できました。


ナキィルはワイグにかけないように溜め息をつくと、うっとうしそうに横目で睨み返して


「そんなだからお前は女も出来ないんだよ」


微かに吐き出す形に唇を動かします。


ワイグは明日の天気のために雲の流れの速度を読む時の動作で、首をぐいっと真上へ持ちあげると


「余計な「``世話だ!!``」ったな!!」


二人の大声と額が激しくぶつかりました。


「痛ってー!!!」 「――‥!!」


首を思い切りねじ落とした筋の痛みと頭痛をワイグはそのまま叫んで、ナキィルは一見瞳孔を縮めて無表情でしたが何度か指先が痛みを隠せずふるえました。


キャアッ、という抑えた短い叫びや、ざわっ、という声の音の違う重なりが周りに流れ始めます。


もう後は二人は眼の距離あいだで眼光をとばし遭うと激しい、悪くいえばめちゃくちゃな闘いを始めました。


回し蹴りの様なものをしようとして、相手に先に腹に蹴りを入れられ軌道がぶれたりなぐったに唇のあかから離れた赤の模様がかすれ着いたり、そんな両者も引き際のわからない展開を怯えながらもどうにかしようとタイミングを図っていた数人を


「ごめんなさい」


すっと言葉で押し退けて


「わ゛ーーっ!!」「あ゛ーーっ!!」


互いが意地で叫びながらも時おり渦巻く流れが、じゃれるクセを思い出すやり合いは


  ばさっ!!


風圧の跳ぜる音を合図に、形も色もひかりに翻弄された空層に今までの世界が吸い取られるように包囲されました。


二人は一瞬、何が起こったか理解出来ませんでしたが次に髪に襲ってきたはりつく冷たい湿度の感触が半乾きのテーブルクロスである事に気づくと、世界を押し返すように慌てて腕を上へ広げました。


目の前に翳されたのは先ほどまでとは違う、窓を通しても差すような外光に眩んだ眼の中でも逃れられない、陽の色を吸い込んで淡く跳ね返す髪の光。


この耀きをくもり鏡に似せてうつす腕が二人の体に引っかかっているテーブルクロスを、ぐしゃぐしゃとさらう音が最後の一音をたてた瞬時に


「あなたたち…何やってるのよーっ!!!」


ウィリアンは手にしたテーブルクロスが波打ちしそうなほど大きな声で怒鳴りつけました。


見聞きしたことのない迫力のあるウィリアンの周波に、ワイグとナキィルは、寝起きのような顔になって


「… … …」


一度喧嘩の相手に目配せしてから、なにから言っていいのか黙っていると、


「そんな二人共大声あげて喧嘩して!!今日は三ヶ月に一度の大事なお茶会よ!村の人達はもちろん村長だって来てるの!!こんなことして次からお茶会に呼ばれなくなったらどうするの!?村の大事な行事に呼ばれなくなるなんて…そんなの恥ずかしいわよっ!!?」


ウィリアンがわずかなも許さないと一気にまくし立てました。


そして次の言葉を発するためか、はーっ、と息を吸った時


トン、トン 


彼女の肩を誰かが叩きました。


「?」


ウィリアンが顔をしかめて振り返ると、


「わっ!そ、ん長!!」


そこには村長と呼ばれる、村の者達より幾分か高そうで質の良さそうな服を着た、かなりの年齢と見られる腰が曲がりつつも紳士的な立ち方の老人がいました。


ウィリアンは朱から紫へと顔を青ざめさせて


「あっ…あの、申し訳ありません、その…」


「いいんじゃよ、ウィリアン。」


村長は成熟的で且つ優しい微笑みを浮かべると、


「ナキィル、それにワイグ」


呼んだ名前の二人へ向きなおりました。


「「はっ、はいっ!」」


二人がうわずった声を重ねて返事をすると、村長は、威厳を飾り立てるような声域に変えて


「お前達は‥まだ若い。 時には意見がぶつかる事もあるだろう。だから今回は理由は訊かん。特別だ。


次の時は訊く…いいな?」


最後に老熟した含みのある笑顔に落ち着いて小さな演説が止みました。


二人の若者は首をぶんぶん振って、


「返事っ!礼っ!!」


ウィリアンの発破に慌てて同じ返事をし、めったにない角度で腰を曲げて礼をしました。


「では。私は向こうに居るからの。」


村長はその場で成り行きを見まもっていた者達に背を向けて貴重な金属で所々あしらわれた正面玄関から出て行きました。


村人達は、一斉に、村長の背中に向けて深い礼をしました。村長は


「これだから最近の若い者は…」


自分の歩行に手を添える秘書にだけ聞こえるように言いました。


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