第4話 疑惑について
救急隊員が、そそくさと帰っていくのを横目に、まだ気が動転している管理人は、我に返ると、警察に連絡した。その家に備え付けの固定電話から、110番したのだ。
「はい、110番です。事件ですか? 事故ですか?」
と、119番の時は、消防か救急かというのを最初に聞かれたのを思い出し、
「同じような電話の出方になるんだな」
とどうでもいいようなことに関心した。
それだけ、頭の中が混乱していて、当たり前のことであっても、納得できるようになったこの状態を、何かのよりどころのように感じたのだった。
「それが、事故なのか事件なのか、よく分からないんですが、マンションの部屋で一人の男性が死んでいるんです」
というと、相手は要領を得ないという感じであったとは思うが、
「じゃあ、どちらも考えられるということですね?」
というと、
「ええ、とにかく、来ていただければ分かるかと思うのですが、最初に救急車を呼んだのですが、救急隊員が、この人は死んでいるので、警察に連絡してほしいと言われたんです」
というと、
「分かりました。では、係員を急行させます」
ということで、ここの場所と自分のことを聞かれた。
「場所は、A市のプラザコートというマンションの、708号室になります、私は管理人で、救急車の手配も私がしました」
と説明すると、
「分かりました。係員が行くまで、お待ちください」
ということで、とりあえず、管理人室に戻ることもできず。警察が到着するまで、死体を一緒にいなければいけないことに対して、たまらない気持ちになっていた。
もちろん、死体や現場のものを動かしてはいけないことは分かっているが。まさかこんなことになるとは思ってもいなかったので、指紋をべたべたといろいろなところに残してしまった。それが少し気がかりであった。
それにしても、最初の通報者というのは誰だったのだろう?
その男が誰なのか、声に聞き覚えはない。その男が介抱している最中に死んでしまい、怖くなったので逃げたというのであれば、それはあまりにもおかしい。疑われるのは分かり切っていることだからだ。
それに、先ほども感じたが、なぜ自分から救急車を呼ばなかったのか。
本人は医者で、助けることができると思っていて、念のための救急車だったのか?
この考えはさすがに突飛すぎるだろう?
しかし、その男には何か時間的に、どうしても行かなければいけないところがあり、そのため、救急車を呼んでもらったとすれば、その場にいなかったというのは、人道的な意味において、決して正しいことだとは言えないが、その人にとってみれば、それだけ切実なことだったのかも知れない。
そう考えた方が一番しっくりくる。慌ただしいのも嫌いなのかも知れない。
自分が運悪く、苦しんでいる人を見つけてしまったが、さすがにそのままにもできない。
救急車を呼んで、そこでいろいろ尋問されるのはたまったものではない。仕方がないので、管理人に連絡をした。
管理人が救急車を呼んでくれている間に、自分はお役御免となってしまえば、自分の責任もないだろうと考えたとすれば、無理もないことだったのかも知れない。
「管理人なんて、しょせんはそんな仕事なんだろうな」
と、管理人は思ったが、とにかく、死んでいることは間違いない。
「この部屋が犯行現場だったら、嫌だな」
と、この部屋が事故物件になってしまうということを、さすがは管理人。最初から分かっていたことだった。
だが、今はそんなことを言っている場合ではない、この状況を警察に説明して分かってくれるだろうか?
最初に救急を頼んだ人物がいて、その人物が消えていた。
しかも、そのことをいかに説明すればいいのか、それによって、自分が微妙な立場になることは、分かり切っていることだった。
「まさか、あの男、それを加味して、この私を事件に引っ張り込んだのだろうか?」
などということを考えないわけにはいかなかった。
これが本当は事故なのか事件なのか、それとも自殺なのか、警察がいかに捜査するかということであろう。
「被害者の顔もハッキリとは分からない。あの部屋の住人の顔は?」
と考えたが、パッと考えて、このマンションには、少なくとも50世帯分の部屋がある。その中で8割がたくらいの世帯が入居している。家族での入居が多いだろうから、一世帯2人から3人と考えても、100人前後の人が入っていることになる。
毎日集まりがあって顔を確認するわけではない、皆出勤も通学もバラバラだ。いつも管理人の受付にいるわけでもない。そういう意味で、どの部屋に誰が、どんな顔の人が住んでいるなど、ほぼ知らないのは実情である。
だから、あの死体を、この部屋の住人かどうかを確認することはできない。
別に契約書にも顔写真が張っているわけでもない。警察から、
「この部屋の住民ですか?」
と聞かれても、管理員では分からないことくらい、警察でも察してくれるであろうと勝手に思っていた。
このマンションは、階上に行けば行くほど、家主は年配が多く、家族の平均年齢が高いような気がした。ただ、中には離婚する人も少なくないようで、今では一人暮らしという人も決して少なくないということであった。
これは、あくまでもウワサを聞きつけた程度であろう。それに、それはどのマンションにも言えることで、そっちのウワサを、自分のマンションにも勝手に結びつけて考えたのかも知れない。
「確かあの死体はうつ伏せになっていたよな。一人取り残された時間があったが、気持ち悪いという思いと、死体やまわりのものに勝手に触れたり動かしたりしてはいけない」
ということが分かっていただけに、余計なことはしないようにしようと思っていたのだった。
このマンションが建ってから確か40年以上が建つという。時期的には、このような高層マンションの先駆けと言ってもいいくらいの、当時としては、最新の技術が使われたマンションだったことだろう。
途中、修復を重ねて、マイナーチェンジを繰り返していきながら、古さを克服してきたのだろうが、法地に建設されているということもあって、キチンと耐震構造にかけては、問題のないところだと聞いている。
一時期、耐震構造の問題が大きくクローズアップされたが、このマンションも調べられ、ちゃんと合格していたのだった。
あれは、世紀末の頃、関西地方で起こった大地震によって、高速道路が横倒しになっていた衝撃の状態を見て、元々、
「少々の大地震くらいでは、日本の耐震構造はビクともしない」
と言われてきた。
「地震大国日本ならではの、耐震構造」
と言われ、
「高速道路は倒れることはない」
という、
「高速道路神話」
と呼ばれるものがあり、あの時の地震では、完全に予想を裏切ったのだ。
地震が想定外の破壊力だったというのもあるだろうが、実際にひっくり返った高速道路を見て、日本の、いや世界各国の人がほれほどの衝撃を受けたことか、それを思うと、
「耐震構造を今まさに調べなおしておく必要がある」
と、ほとんどの人がそう思ったのだ。
何しろ、それ以降、防災グッズが飛ぶように売れ、
「人間、いつどこでどのような災害に遭うか分からない」
ということを、目の当たりにすることになったのだ。
それから、数年かけて、国や自治体で、橋や高速道路、鉄道やマンションなどの住宅の耐震構造を確認してみると、なんと、ほとんどの場所で満たされていないことが判明した。
以前のチェックがいい加減だったこともあって、このような結果が出たのだろうが、それを思えば、あの地震で高速道路がひっくり返ったのも、当然のことだったといえるのではないだろうか。
そういう意味では、
「キチンとしていれば、あの時の高速道路や他の建物もだいぶ救えて、死ななくてよかった命もたくさんあったのではないか?」
と言われても仕方がないだろう。
なるほど、
「日本の技術は世界一」
とまで言われた時代があったわけだが、確かに、技術は世界一でも、その技術を小出しにしたのでは、何にもならない、
「すべては、金だ」
ということになるのだろう。
耐震構造はいい加減で、しかも地震大国、技術がいくら発達していても同じだというのを考えた時、思い出されるのが、松岡君の大学に書いてあった、
「神なき知恵は、知恵ある悪魔を作るものなり」
という、
「知恵ある悪魔」
である。
まさに、最高級の知恵と力を持ちながら、神がないことで、その知恵を使う場所を間違えて、使ったため、守るべき人間を守り切れず、悪魔になってしまったのだ。
つまりは、神がいなければ、この世は悪魔に支配されるということである。
悪魔は確かに存在しているが、神が存在しているかどうか分からないので、時々人間は悲惨な結果に追い込まれる。知恵があるのに、それを使いきれず、自らを滅ぼす。それを人間はすべて、悪魔のせいにして、自分たちが悪いわけではなく、すべてを自然のせいにしようとする。
それこそ、
「知恵ある悪魔」
の正体ではないだろうか。
逆にいうと、
「神が存在しているからこそ、人間は、今のところ、
「全滅を免れているのではないか?」
と言えるのではないだろうか?
ただ、
「悪魔というのは、人間の心の中に住んでいるといわれる。神だってそうだとすると、人間一人一人の中で葛藤が繰り広げられることだろう。それを自分だけで解決できないとまわりに飛び火してしまう。それが欲というものと結びつくことで、人間同士の争いになり、結果、殺し合いになったとしても、何ら罪悪感に対して感覚がマヒしてくるのではないだろうか。何しろ、人間の中には、神なき知恵と、知恵ある悪魔が潜んでいるのだから」
と言えるのではないだろうか。
このマンションも、耐震構造を、21世紀に入ってから、知らべてみたが、他の地域に比べるとしっかりはしていたが、それでも、国の基準にまでは達していなかった。建物に関しては、ほとんど全滅に近いくらいに耐震構造は惨敗だったのだが、それは、昭和のゼネコンの贈収賄などが横行していたことで、安全面はおざなりにされた結果である。
さすがに、大地震で100万都市の機能が一気にマヒしてしまい、ほとんどの建物が倒壊したり、上の階に押しつぶされたりしたのを見ていると、建築業に携わる人間は、大なり小なり、衝撃を受けたことだろう。
しかし、それも、時間が経過すれば、その感覚も鈍ってくるというもので、それこそ、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
ということわざそのものになってしまうことだろう。
先ほどの、
「神なき知恵は知恵ある悪魔を作るものなり」
という言葉に代表されるように、何かあれば、ことわざが戒めてくれているようで、逆に、
「事が起こってからでは遅い」
と言えるのではないだろうか。
よくテレビドラマなどで、
「警察は人が死ななければ、動いてくれない」
と言って、警察だけを悪者にするが、考えてみれば、本当に被害が起こらなければ人間というのは、最悪の場合を分かっているのか、見て見ぬふりなのか、目を背けようとするではないか。
これが人間の習性というものなのか、それを思うと、実に虚しいといえるだろう。
しかも、すぐに人間はその痛みを忘れてしまうので、
「天災は忘れた頃にやってくる」
という言葉どおりに、
「神なき知恵」
は、見て見ぬふりであり、
「知恵なく悪魔」
は、簡単に痛みを忘れさせようとするというものであり、どちらも、人間の中に存在しているものだといえるのではないだろうか。
このあたりに人が住み着くようになってきたのは、今から十数年前からくらいだった。それまで、つまり、この建物の耐震構造を調査した頃はまだ、このあたりが新興住宅地となるなど、想像もしていない時期だった。
ただ、野山の土地は、
「坂巻グループの土地だ」
ということは知っていた。
「どうして、何もしないで放っておくんだろう?」
と思っていたところに、ウワサがちらほら、
「このあたりが新興住宅になるらしい」
というウワサを聞いても、
「まさか、今まで何も手を付けていなかったのに」
と言っていたのだが、実際にはそのまさかだった。
あっという間に山は切り開かれ、住宅街の宅地としての整備が進む。しかも、街の中心に、巨大なショッピングセンターができるということで、さらに、学校、公共施設の建設など。急ピッチで行われるという話だった。
誘致を募る必要はない。グループ会社で、十分一つの大型商業施設くらいは賄える。巨大な要塞になるだろうということは、想像がつく。
そこに、鉄道や高速道路などの交通機関、さらに、電気、ガス、水道というライフラインも、拡充される。完全に、
「坂巻王国」
と言ってもいいところになるのだ。
昔から、網本や地主のようなところが村を牛耳るということはあったが、最近ではここまで大規模なところは珍しい。一気に人口を増やして、市制を敷くところまでできれば、それが一区切りだと坂巻グループは思っていた。
そこまでの下地をすべて坂巻グループが行い、あとは実際の行政を自治体が行う。それを陰で操るのが、坂巻グループだというわけだ。
そんな状態の中で、坂巻グループとは直接関係のない、数少ない建物である。この、
「プラザコート」
というマンションで、変死体が見つかるということになれば、このA市では始まって以来の、全国級のニュースと言えるのではないだろうか。
もちろん、
「財閥級の、大企業グループによる大規模な街づくり」
ということで、話題性という意味のセンセーショナルな話題を全国に振りまいたが、悪い意味での事件性のあることというのは、坂巻グループにとって、青天の霹靂であり、イメージの低下を気にすることではないだろうか。
今後どうなっていくのか分からない中で、管理人は、そのことを知っているのは、今のところ自分だけだと思うと、複雑な心境だった。
自分だけが知りえたというのは、ゾクゾクするものがあるが、それだけにこの事件が自分に悪い意味で関わってくるというのだけは避けなければいけなかった。それを思うと、これから先起こることは、すでに避けて通ることではないところに自分が置かれてしまったことを自覚しなければいけないと思えたのだ。
まもなく警察はやってくるだろう? それまでにいろいろなことが頭を巡っていくが、結局悪い方にしか頭が回らない。頭の中で完全に、
「負のスパイラル」
という螺旋階段を、果てしない真っ暗な、
「地の地獄」
に落ち込んでいくのを感じた。
その暗黒は、すべての光を吸収するかのような、ブラックホールのようなところだった。
管理人は、子供の頃に読んだ本で、
「世の中には、自ら光を発することのない星が存在する」
ということが書かれていたのを思い出した。
邪悪な星であり、見えないために、その星が近づいてきても、その存在を認識することすらできない。
自分が、徐々に邪悪に染まっていることすら自覚できていないのだが、その星の影響がなくなると、今度はまわりが、自分を認識できなくなり、暗黒の星へと変わっていく。
増殖したといえばいいのか、惑割を受け継いだと言えばいいのか、それとも、類は友を呼んだのか。鼠算式に、その星に関わったものは、次第に、その星と化していくのだ。
人間界にも同じような発想があり、実際に、見えないだけで、じっと受け継がれている。
「自分がそんな星でないことを祈るしかない」
ということであるが、負のスパイラルを考えた時、このような邪悪な星を思い出すのだった。
まだ警察が来ていない間に、何も分かっていないのに、勝手な想像をするというのは、普通であればおかしいのだが、そのおかしいことを考えるのが、ここの管理人であった。確かに人が死んでいるということで、救急隊員から、警察に知らせるように言われたことで、気が動転し、
「十中八九殺人だ」
と思ったのだが、殺人であろうが、病死であろうが、変死であることに違いない。
そのためには、警察で司法解剖の必要もあれば、この人物の身元の解明もしなければならない。それが警察の仕事であり、何も殺人事件を解決するだけが、警察の仕事ではない。
確か、救急車では死人は運ばないという話は聞いたことがある。生きている人間と死んだ人間とでは明らかに違うからだ。
家畜に至っては、もっとひどい。生きている動物は、保健所の管轄であり、死んでしまうと、
「粗大ごみ」
のように、
「廃棄物」
として扱われる。
もし、他人のペットを故意に殺してしまったら、その場合は、経常情では、
「器物破損罪」
に問われることになるだろう。
しかし、これが動物愛護法では、
「愛護動物殺傷罪」
として、刑事責任を問われることになったりする。
人間の場合は、さすがに死んだからと言って、モノとして扱うことはない。
「神に召される」
として、丁重に荼毘に付されるというのが、葬儀であったり、火葬だったりするのだ。
そもそも、
「荼毘に付される」
というのは、火葬にするということであるが、元々土葬が主流だった時代もあり、
「荼毘にふす」
という言葉を、埋葬するということで、土葬も含むという広義の意味もあるようだ。
今のところ、管理人である人が、
「見たことがないということ」
なので、まず、その人の身元を確認する必要がある。
もちろん、司法解剖の結果にもよるが、そもそもの第一発見者(死体としてではないが)の存在も忘れてはいけない。
死体があった部屋からインターホンで掛けてきてはいたが、その人物が誰だったのか、殺人事件なら犯人なのか、それとも、ただの通りすがりなのか、いや、そこで何らかのトラブルでもあったのか。少なくとも救急車を要請したということは、その人は被害者を助けたいという意思はあったはずだ。
ひょっとすると、被害者が死んでしまったために、殺人罪になるのが怖くて逃亡したともいえる。
もし、被害者が死なずに、いずれ意識を取り戻したとすれば、容疑者を庇う証言をしてくれたかも知れない。
どちらになるか分からない状態で、二人がここで何があったのかを想像することは、ほぼ難しい。
事件なのか事故なのか、やはり鑑識や司法解剖によるところが大きいだろう。
管理人も、捜査を混乱させないように、なるべく何にも触れず、死体にも一切触っていない。
「死体に触れるなんて、そんな恐ろしい」
という思いで、警察を待っていた。
すると、コートを着て、白い手袋をはめようとしている刑事と思しき人たちが、二人と、鑑識と思しき人たちが、県警お腕章をつけて、鑑識の制服に身を包み、入ってきた。
「通報していただいた方ですか?」
と言われたので、
「ええ、私が通報したこのマンションの管理人をしている、杉本一三と言います」
と言って頭を下げた。
刑事は警察手帳を見せて、
「F県警の桜井です」
と言って、形式的なあいさつに入った。
桜井氏は、警部補のようだった。
桜井警部補は、杉本管理人にそういって挨拶をすると、まず、現場を見に行った。鑑識が入っているので、その邪魔をしないように、いろいろと見ている。
どうやら、被害者の来ている服を物色しているようなので、被害者の身元が分かるものを探しているようだ。
財布や定期入れのようなものなどを物色していたが、被害者が分かったのか、杉本管理人の方に来て、
「管理人さん、どうやら被害者は、山岸隆文と言われる人なんですが、ご存じですか?」
と言われて、
「山岸隆文さんですか? ええ、一年前までこちらのマンションに住んでいました。ただ、この708号室ではなく、確か、8階にお住まいだったと思ったのですが」
というと、管理人は、まだ訝し気な顔をしていたので、
「どうされたんですか?」
と、桜井が聞くと、
「あっ、いえ、私が知っている山岸さんという雰囲気ではなかったので、ちょっと戸惑って絵いるんですよ」
というと、
「まあ、亡くなった時の表情は、穏やかな死に顔でなければ、存命中とはまったく違うでしょうから、すぐには分からなくても当然でしょうね。しかも、うつ伏せで死んでいるのであれば、なおさらではないかと思います」
というのだった。
「ああ、それはそうなのでしょうね。見た瞬間、顔をそむけたくなるほど、こっちを睨みつけているように思えましたので」
というと、
「そうですね。死んだ時の苦しみが顔に出ていますからね。断末魔の表情というやつですよ」
と桜井警部補に言われて、
「そんなものでしょうか?」
と言いながら、またあの表情を思い出して、ゾッとする杉本管理人であった。
「桜井警部補、ちょっと」
と言って、桜井警部補は、鑑識官から呼ばれた。
「どうした?」
「詳しくは行政解剖の結果でしょうけど、どうやら死因は、毒物による中毒死のようですね。この苦しみ方は、毒物だと思われます。それにアーモンド臭も若干感じられることから、おそらくは青酸系の毒物ではないかと思われます」
「死亡推定時刻は?」
「死後硬直などを考えると、ついさっきではないかと思われますね。少なくとも一時間から一時間半くらいではないかと思います」
「自殺なんだろうか?」
というと、
「そこは何とも言えないでしょうね? 毒物は、そう簡単に手に入れられるものではないですからね」
ということであった。
「じゃあ、司法解剖の方、よろしくお願いします」
ということで、鑑識はもう少し現場検証を行ったうえで、死体を運び出すことになった。
「杉本さんは、このマンションの管理人をするようになってどれくらいなんですか?」
と、桜井警部補は、もう一度、杉本管理人のところにやってきた。
「ええっと、そろそろ10年くらいになりますかね」
というと、
「十年というと、その間にはいろいろなトラブルもあったのでは?」
と桜井警部補に聞かれ、
「いや、そんなにトラブルはなかったと思います。ただ、このマンションはペット可ということですので、ペットに関しての苦情のようなものは、定期的にあったと思います。でも、それはマンション側としては想定の範囲内でありましたので、少々込み入った内容になった場合は、弁護士を紹介するようにしていました」
「じゃあ、何度か弁護士に相談するような事案が発生したこともあったんじゃないですか?」
と言われて、
「ええ、まあ、それなりにはですね。でも、ここ2年くらいの間、ほとんどトラブルは発生していないと思います」
「管理人さんの知らない間に、当事者間だけでのトラブルというのは?」
「そこまでは分かりませんが、一応、入居の際に、ペット関係でトラブルが発生し、ことが少しでも大きくなるようなことになりそうなら、こちらを通してくださいとは話をしています。そんなにことが大きくならない事案であれば、当事者間での解決ということもあったかと思われます」
「なるほど、じゃあ、今回の被害者、山岸さんはどうでしか? 山岸さんから、何か、ペットにこだわらず、何かの相談を受けたりしたことはありましたか?」
と聞かれた杉本は、
「いいえ、今思い出した中にはありませんでした。後でもう一度、相談ノートを見てみようとは思います」
「その相談ノートというのは?」
「いつ、誰がどのような相談をしてきたのかということを記録したノートです。分かる範囲で受け付けた時の話の内容を書いているものですね」
「後で拝見しましょう」
と桜井警部補は言った。
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