後味の悪い事件

森本 晃次

第1話 法地マンション

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和四年二月時点のものです。


 世間では、河原にある土手や、山間の麓から、斜面になったところに建っているマンションや宅地などを見ることがある。どのような構造になっているのかは、不動産屋や、マンションの管理会社、実際にマンションを作る、土建屋さんなどにしか分からないだろうが、キチンと、法律があり、それにのっとって建設されているのだから、そこは別に問題ないだろう。

 そういう、基本的に宅地として利用できない、盛土や切土のようなところを法地というが、そんな斜面に建てられたマンションも、結構存在したりする。

 前には海があり、後ろにはすぐに山が迫っていて、山にもマンションを作ったり、一級河川の土手になっているところにマンションがあったりする。

 一級河川の土手にマンションが建っている場合は、後から土手を作ったのではないかと思うのだが、そのあたりも、そこまでは分からなかった。

 そういう意味で、法地にマンションが乱立しているようなところは結構あるのではないかと思っていたが、あくまでも、その土地の特性ということなので、他の地域に多いかどうか、疑問であった。

 ただ、傾斜の多いこの土地に、法地のマンションは結構できていて、山のすそ野から、中腹くらいまで、結構たくさんのマンションが立ち並ぶようになったのは、いつ頃からだっただろうか? 近くには、分譲住宅の新しい造営地区があり、高級住宅街として、分譲が開始されて、今は、ほとんどの家が埋まっていた。

 その区域には、学校やショッピングセンター、スポーツクラブなどの、生活やコミュニティー、さらに文化振興のための施設もたくさん作られた。

 警察署の分署や、郵便局も作られ、行政も徐々に活動していく。

 この辺りは、元々、家を作るのは困難な場所で、マンションや、公共施設など、建設が難しいと言われてきたが、建設能力が発展してきて、山間でも、安全な建物が建設できるようになってきた。

 2000年代から、徐々に建物が増えてきて、令和になる頃には、たくさんのマンションもできてきた。

「30年遅れたけど、立派な街が出来上がってくるな」

 と言って、地域振興に、この新興住宅街の発展が大きな期待をかけられるのだった。

 さらにこのあたりには、近くプロ野球球団の寮や、練習施設が、海沿いの方から移転してくることになった。

「土地はいっぱい余っているので、ここにプロ野球の練習施設が誘致できれば、たくさんの人流が増えて、地域振興に一役買うことになる。これは球団にとっても、街にとっても、両方にメリットがある」

 ということだった、

 実際に、この話ができて、それまで、ゆっくりだった国道や、鉄道の駅の検察計画が、一気に加速したのだ。

 球団の練習施設が移転してくる前には、インフラ整備が必須だということで、県や自治体の方でも、その威信にかけて、本格的に乗り出したのだった。

「地元の球団で、非常に人気のある球団なので、練習施設ができると、ファンがどっと押し寄せる」

 ということで、街の方としても、観光キャンペーンの一環として、部署も作られ、プロジェクト化することで、グッズや、街のシンボルのマスコット化なども研究されていった。

 実際には、山岳部分をある程度切り開く形で、建物や施設の造営も行われ、少々費用もかさむが、

「いずれは関わらなければいけない課題でもあったんだ」

 と、市長もそう言って、地域振興に、市と県が連携しての開発に乗り出していたのだった。

 郊外型のショッピングセンター建設も、そこに入るテナントもすぐに集まった。それらは、練習施設の近くに作られることは決まったのだった。

 元々、この辺りは、以前から不動産屋さんあたりから目をつけられてはいたのだが、このあたりの土地を一手に握っているのが、地元の昔でいうところの網本、つまり、領主のようなところであった。

 一族が、昭和からずっとこのあたりの経済を支えていて、住民のほとんどが、何らかの恩恵を受けているという形だった。それこそ、昭和の時代がタイムスリップしてきたようで、古臭いといわれるかも知れないが、いまだにそういうところが残っていたのである。

 だが、時代の流れというものには逆らえないというか、ずっと世襲でくると、息子、孫、曾孫と受け継がれていくうちに、現代的な考え方になっていったり、経済的な問題が、社会問題にまでなると、そうもいっていられなかったりするのだ。

 一番のきっかけは、やはりここ数年においての大問題である、

「世界的な大パンデミック」

 により、いくら巨大な企業であっても、危なくなってきているのだ。

 バブルが弾けた時、リーマンショックの時は、何とか乗り越えられたが、さすがに相手が伝染病では、どうしようもない。

 事業の縮小も致し方なくなっていて、実際にこの土地を持て余していたというところもあったので、今の当主が、売りに走ったのだ。

 その代わり、最大限に口出しをし、スーパーやテナントなどは、同族企業である程度まとめるようにしていた。

 損をしないというのが、一番の目的なので、それも当然のことである。

 企業としても、スーパー業界では、日本一の業績がある。同業他社をどんどん吸収合併し、大きくなっていった。テナントも同時に買収しているので、最近できた郊外型の大型商業施設は、ほぼどこも同じ形で、まるで、テンプレートが数種類あって、必ず、そのうちのどれかに合わせているという形であった。

 土地関係にしても、同族会社の不動産屋、さらには土建屋で固めているので、実質、土地は売っても、財閥並みの大きな会社に、自治体ごときでは、太刀打ちできないというところであろうか。

「転んでもただでは起きない」

 というのが、うちのモットーだ。

 と言わんばかりであった。

 この財閥級のグループ会社は、結構庶民のために、金は使っていた。

 県や、地元の自治体が、伝染病関係のために、人材や施設の建設を急ぐような状態になると、ポンとお金を出して、福祉や医療に貢献していた。

 だから、自治体は、彼らの会社に頭が上がらないわけだ。

 贈収賄くらいは、あるのかも知れない。しかし、それでも、自治体は彼らなくしてはやっていけない状態であった。

 そもそもこの会社は、財閥級とは言いながら、のしがってきたのは、戦後である。財閥が解体され、そのトップの連中が結集して作り上げた会社だった。

 今でこそ、同族会社になってしまったが、戦後の混乱から、カリスマ的な一族が出現し、何とか、会社を存続させることで、そのまま、高度経済成長に乗っかったのだ。

 一族の長に、そんな時代で自分たちが一番としての能力を発揮し、一気に、大企業へと上り詰めた。

 その時に、たくさんの財産を留保することで、いずれやってくる、不況や、バブルの崩壊を乗り切ってこられたのだ。

 彼らの才能は、

「お金は使う時は使い、貯蓄する時は貯蓄する」

 という当たり前であるが、それが一番難しいということに関しての才能が、天才的だった一族なのだ。

 お金の貯えもそうだが、惜しみなく住民のためにお金を使うという、太っ腹なやり方は、地元の人気を十分に博し、その影響で、政治の世界にも乗り出していった。

 家族の中の誰かは、いつも必ず政治家で、さらには、財界にも人員を送り出していることで、政財界に顔が利くという意味で、

「財閥級だ」

 と言ってもいいだろう。

 そんなグループが、今までかたくなに売ろうとしなかった土地を売ったのには、何かの思惑があるのではないかと言われていたが、住民が反対するわけもない。

「きっと何かの考えがおありなんだ」

 と、住民も今までは、近くに大型商業施設や、新興住宅がなかったことで、田舎街扱いを受けてきたが、それはそれでいいと思っていた。

 それが急に180度変わった政策に出た会社が気にはなったが、誰も心配をしている人はいなかったのだ。

 街が出来上がるまで、それほど時間が掛からなかった、何しろ、開発関係は、元々の同族会社ですべてを賄われたので、難しい商談など存在しなかった。そのおかげで、結構急ピッチに進み、インフラの整備も同時に行われたことで、街は、

「理想のモデル」

 と言われるほどになっていた。

 この同族というのは、祖を坂巻弥之助という人物で、明治の元勲だった人だが、戦前までは、さほど表に出てくるわけではなかった。

 他の財閥のように表に出ると、どうしても、政府というよりも軍に操られることになる、坂巻弥太郎という人物は軍による国の支配は、そうは長く続かないと思っていたようだ。

 だから、地道に目立たずに商売を行い、資金を貯めることに終始した。そんな彼が坂巻家を大正時代なって息子の弥太郎に譲ると、昭和の混乱期に、大恐慌が巻き起こり、さらに、戦争の足音が響いてくると、彼は、現金だけではダメなことを感じ、物資も掻き集めるようになった。

 そのおかげで、戦後の新円の切り替えなどの経済混乱を何とか乗り切り、会社を設立することによって、ゆっくりではあるが、大企業にのし上がっていった。

 そして、次代の息子に会社を託すと、三代目の弥一郎が、解体したが、いまだに強大な勢力のあった財閥をに匹敵するだけの力を持った。

 彼は、ゼネコンと、金融、つまり銀行を開くことで、財界と政界とのパイプを強固にし、特に、オリンピック景気や高度成長時代において、勢力を伸ばし、そのゆるぎない力を昭和で確固たるものにしたのだ。

 しかも、弥一郎は、バブル経済に早々と見切りをつけ、他の企業のように、教務拡大には慎重で、そのおかげで、バブルにおいて、それほど大きな被害はなかった。

 バブル崩壊においては、

「銀行は絶対に潰れない」

 という銀行神話があったが、それも、すでにバブル期から疑問視していた。

 だから、彼は過剰融資などは絶対にせず、バブルになって、不良債権を抑えることができた。

 だから、逆に危ない銀行を吸収合併して、どんどん会社を大きくしていったのだ、

 バブル期において、さすがに会社を大きくすることはなかなか難しかったが、その分、体力のある会社として一躍有名となり、元々大企業であったが、さらに強さまで兼ね備える会社になったのだ。

 これを機に政界にも立候補する人も出てきて、政財界とのパイプはさらに大きくなり、地元をはじめとして、大いなる信頼を勝ち取り、今に至っているわけである。

 だが、さすがに今回の、

「世界的パンデミック」

 を予想することは、預言者でもなければできることではなく、会社も設立以来の危機に直面はしていたが、バブル期の教訓と、その時に強くなった強靭な体力により、何とか乗り越えているのであった。

 今回の、この街の巨大なプロジェクトもその一環で、土地を売りはしたが、その売った会社も、財閥の息のかかった会社ということで、結局は、国家の資金も投入されるということで、街の信頼性も、

「国家お墨付き」

 となったわけだ。

 だが、実際には、国家お墨付きと言っても、その言葉に説得力は皆無であった。

 それはある意味当然のことで、今の政府の人気、さらには、支持率は最低を維持したままであった。

 元々、パンデミックに陥った時の、政権のトップである、首相には、三つも四つも、疑惑があり、それに対しての説明がまったくなされないまま、首相を続けていた。

「他に誰もなり手がいない」

 というただそれだけで、政権のトップにいるだけの男だったといってもいいだろう。

 しいていえば、世襲によって、代々続く政治家家系に生まれたために、地元で人気があることで政治家になれただけの男が、

「何を勘違いしているんだ」

 と言ってもいいくらいの、力だけは持っていた。

 それは、今の責任政党が、派閥政治であり。

「数に物を言わせる」

 とでもいうのか、そこに財界も乗っかろうとすることで、こんなろくでもない男が首相を続けるという時代だった。

 この男は、今回2度目の政権で、第二次内閣と言ってもよかった。

 だが、1回目というのは、今から10年以上前の政権であり、その時は、

「病気」

 と称して、病院に逃げ込んだのだ。

 都合が悪くなると、病院に逃げ込み、病気と称して、責任を果たさずに、

「政権を投げ出した」

 ということは、犯罪に当たらないのだろうか?

 その男のせいで、それから少しして、50年以上続いた、

「一党独裁」

 が崩壊し、政権交代が起こったのだ。

 交代した政権が、さらにクソだったこともあり、5年と持たずに、また、政権が元に戻だった。

 しかも、こともあろうに、その時の当主が、例の、

「政権を投げ出した」

 あの男だったのだ。

 またしても、あの男がソーリとして君臨し。世の中をメチャクチャにすることになった。その奥さんが、この男に輪をかけたクズで、さらに、

「世間知らず」

 であったことが、夫の首を絞めることになるのだが、それをこのバカ夫婦は何とか、説明責任を逃れて、自分がソーリであることに胡坐を掻いて、野党の追及が強くなると、責任を部下に押し付け、結局部下が自殺するという悲劇を生んだのだ。

 それでも、このクソ男は、

「この件については、話がついている」

 とばかりに、煙に巻いてしまった。

 元をただせば、自分が国会で、

「この疑惑が本当であれば、私は首相はおろか、国会議員も辞める」

 などと、無責任な発言をしてしまったことで、最終的に自殺者を出すという、悲劇を生むことになったのだ。

 そんな中で、パンデミックが起こる。

 政府は、無能さを露呈させ、政策は後手後手に回る。

 伝染病の最初に政策の鉄則は、

「水際政策」

 として、諸外国から入ってこないようにすることなのに、なんと、

「パンデミック発症の国」

 というのが分かっていたその国の国家元首が、来日するということになっているからと言って、その国の外人どもを受け入れるようなことをしてしまったことで、流行に拍車をかけた。

 普通であれば、自殺行為である。

 そこから先は、結局誰も使わないマスクを配布したり、動画を作成し、コラボということであったが、コラボされたミュージシャンは、

「聞いてない」

 ということで、世間からは大バッシングを受ける。

 その映像が、犬を抱いて、微笑んでいるという、映像で、この間にもどんどん人が死んでいたというのに、実に不謹慎極まりない状態だった。

 そして、この男は、歴代通算首相在任期間が一位になったとたん、その三日後に、なんと、またしても、

「病気」

 と称して、病院に逃げ込んで、政権を投げ出したのだ。

 一国の、しかも先進国の首相が二度も同じ下種な方法で、逃げ出すというのは、前代未聞である。

 なんと言っても、有事に落ち言えれば、そんなにクソ政権であっても、支持率は普通なら上がるものである。アメリカや欧州各国でも、首脳は、支持率を上げていた。それなのに、このクソ首相は、支持率を下げたのだった。

 そして、この男に輪をかけたのが次のソーリだった。

 官房長官からの横滑りのような形で、ソーリに推されたが、最初は、元の首相が最低なことをしたので、その後継ということで、期待値を込めて、就任時はかなりの高支持率だったのだが、伝染病政策で、何ら実績がなく、いたずらに感染が広がっていくばかりになった。

 支持率は急降下。

 そしてなんといっても、一番の問題は、当時、オリンピックを自国開催するのだが、国民の大多数が、

「開催反対」

 と言っているのに、それに対して、強行突破で開催に踏み切った。

 そのせいで、国民からの信用は地に落ちてしまったのだが、そんな時に勢力を盛り返すはずの野党もひどいもので、こんな政府を批判だけして、何ら代替え策を出してくることはなかった。

 それが世間で批判を浴び、政治不信に拍車をかけたのだ。

「今の政府も嫌だが、野党に政権交代などすれば、その瞬間に、国が亡んでしまう」

 とまで言われた。

 それでも、衆議院の解散時期が近づいてくると、責任政党内で、現首相を推す人はなく、重鎮からは、

「支持しない」

 と言われ、泣く泣く、党首選への立候補を辞退したのだ。

 そもそも、この首相は、

「衆議院選までのただの繋ぎ」

 と言われていたはずなのに、何もできないくせに、首相になったとたん、自分は偉くなったというとんでもない勘違いをしたことが、間違いの元だった。

 重鎮からすれば、

「操りやすい首相」

 だったはずだが、思ったよりも、独裁の意思が強かったようだ。

 そのせいもあって、今度は、今までと一味違った首相になり、国民も一縷の望みを託しているようだが、果たしてどうなのか?

 国民の人気は今までに比べてあるが、果たして力はあるのかどうか、それが問題なのであろう。

 まだ、完全に伝染病が終息できているわけではない。これからの政治によって、国の荒廃がハッキリしてくる。正直、今の政権では、今までに比べるとマシなのだろうが、乗り切ることができるか、まるで薄氷を踏むようなものだった。

 そんな中であるが、目立たないまま、坂巻財閥をバックに、政治参加している政治家は、政治に対して積極的ではない。

 ただ、影響力はかなりあり、昔でいえば、元老のような地位と言ってもいいだろう。

「首相の影の相談役」

 という噂もあるが、正直、目立つことは決してしない。

 本当は、そんな人物こそ、首相にふさわしいのかも知れない。

 しかし、派閥の属しているわけではないので、派閥中心の政党なので、力が正直あるとは思えない。

 そんな目立たない中で、力は相変わらずで、

「陰で国を動かしているフィクサーではないか」

 とウワサがささやかれているが、真意のほどは、誰にも分からない。

 ただ、影響力が十分にあるのは間違いないことで、派閥に所属しているわけではないのに、国会議員のほとんどが、坂巻議員に相談していたりした。

 温厚で目立たないタイプであるが、さすが坂巻家の血を引いているだけあって、先見の明に関しては、先祖に負けないくらいのものがあった。

「こんな人が首相にどうしてなれないんだ?」

 という素朴な疑問を抱く政治家も少なくない。

 やはり、今の重鎮とすれば、坂巻は、

「出る杭」

 ということになるのだろう。

 そんな時代を今までしたたかに生きてきた重鎮たちと、坂巻議員。それぞれに力を持ちながら、けん制し合っている。それが実は坂巻議員の目論見であり、

「国家の存亡の危機に、重鎮が目立って、先頭を切るというのは、いかがなものなのだろうか?」

 と思っていたので、けん制役を担っていたのだった。

 それが功を奏してか、首相も、重鎮の顔色を伺うことなく、ある意味延び延びを政治をしている。

 これがどのような結果をもたらすかは分からないが、

「これこそ、新しい政治の仕組みではないか?」

 という専門家もいる。

 坂巻議員の役割は、見る人が見れば、実に大切なところであった。特に野党が、まったくあてにならないこの時代、本当に救世主と言えるだろう。

 ただ、そのせいで、与党の力が強大になっていくのは、大きな問題だった。それでも今は有事であるがゆえに、今までの政権のような、

「自分さえよければ」

 という政府にウンザリしている国民の信頼を取り戻す気概がほしいものであった。

 そんな時代であったが、この街のプロジェクトは、すでに、パンデミック前から始まっていた。途中で中止するわけにもいかず、少し先が読めないという不安もあったが、継続することにした。

 それでも、大型商業施設では、完全対策にも大いにお金をかけて、安心を市民に与えることを最優先としたことが最大の魅力であった。

 そのおかげで、他の地区で買い物をしていた人も、こちらが安全ということで、最初にこっちに来るようになると、少し感染ピークが収まっても、今後のことを考えると、前のところに戻ろうとする客はあまりいなかった。

 そういう意味での、

「先見の明」

 は確かなものがあり、上層部の皆が、同じ考えの元、ブレずに進んできたことが正解だったといえるだろう。

 街の整備も進んでいく。

 何しろ、政界に顔が利くグループの会社なので、自治体も協力を惜しまない。交番や郵便局、公民館や公立の学校などの整備は着々と進んでいった。

 住宅の売れ行きと、インフラや公共施設の整備は、しっかりできてきて、商業施設は少し遅れる形にはなったが、それも、想定の範囲内であった。

 計画が遅延することなく、街が出来上がってくると、そんなに整備等も変わっているわけではないが、何か、近未来の街のように住民が感じるのは、最後まで開発されずにいた土地をずっと見てきたからであろうか。

「やっとこのあたりが日の目を見るようになったか」

 と、以前から住んでいて、過疎地のようになりかかっていたのを心配していた人たちである。

 本当はあまり賑やかになるのは困ったものだと思っていたが、それでも、少々であれば、仕方がないと思っていたものが、ここまで近未来のような土地になってしまったことで、却って、自分たちが最先端の街にいるという自覚で、ある意味新鮮な気がした。このあたりの心理をうまく揺さぶることのできる人が、坂巻グループには、結構いたのだった。

 そんな振興住宅街に、支店を作る会社も結構あった。

 営業所や、事務所を設けて、ここを拠点に営業戦略をする会社が多いのは、それだけ、坂巻グループのやることに、間違いはないということが、業界で定着した考えになっていたからであろう。

 坂巻グループにおいて、この街の住宅事情を一手に引き受ける会社があって、その会社がグループ化しているのだが、その中にゼネコンであったり、不動産であったり、水道、ガス、電気などのライフラインの代理店のようなところが傘下としてあった。

 坂巻グループは財閥のような大きなグループをまとめる経営戦略のトップがあり、そこから、それぞれの事業を取り仕切るグループ会社トップがあり、その傘下に、それぞれの業界としての企業が存在する。ピラミッド型の財閥と言っていいだろう。

 住宅事情関係の不動産で、マンションが乱室している地域を収めている会社があったのだが、このあたりは、どうしても、山の麓に建物を作る関係で、法地のマンションが多かったりする。

 なるべく、住みにくくないようにしていたのだが、ここ一年くらいの間にできたマンションの中で、すでに部屋数の8割がたが埋まっているところがあった。

 他の地域ではこうはいかない。駅の近くに高層マンションを作ったとしても、半分でも埋まればいい方だった。

 理由としては、

「駅に近いのはいいのだが、その分、家賃も高い。これが分譲マンションともなると、普通のサラリーマンでは手が届かない」

 というのが、理由だった。

 特に分譲ともなると、条件としては、

「転勤のない人」

 であり、転勤があったとしても、県内というような、公務員であったり、地元地場産業の会社に勤めている社員くらいであろうか。

 そんな人たちにとって、駅前のマンションは、かなり厳しいだろう。特に経済の回復の見込みが、他の先進国に比べて見えてこず、目に見えて分かる給料のベースアップが、ほぼないに等しいとなると、計画を立てることなどできるはずもないというものだ。

 そんな状態であるのに、この街での入居が結構あるというのは、価格的に、計画の範囲内で、十分賄えるだけのものであると、購入者が納得したからだろう。

 もちろん、不動産会社の、営業トークがうまいともいえるのだろうが、それを差し引いても、安心安全が担保されているほど保証も充実しているのが、購入意欲の背中を押したに違いない。

 そんなマンションの一つに、プラザコートというマンションがあった。そのマンションで起こった事件がこのお話になるのが、いよいよ次章から、詳しく語っていくことになるのであった。

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