この物語は双龍の心臓を喰らう事で──

笹見暮

『龍撃隊』

────





 …………月明かり。





 窓から降りる夜の明かりに、私は照らされていた。



 薄暗い部屋に蒸せ返るは血の匂い。


 私の血の匂い。


 食い千切られた腕の断面から香る、私の匂い。



 痛みはとうに消えて、何も聞こえなくなった時間の中で、私は首を横に倒す。その先に、女の子が一人。白い装束と手を赤黒く染めた女の子。



 そして、私の腹の上に乗る、もう一人の女の子を見下ろした。



 ──その子は、服も手も口も血で染まり……尚も雫滴る人の腕に、歯を食い込ませていた。



 私は、猛獣の様に爛々と輝くその子の瞳を見て……何もかもが、救われたいと願う心から始まってしまったのだと……静かに思い返していた。





◆────────────────◆




  【 ── 一月前 ── 】


【 北方大陸 山岳地帯最大洞窟 】




◆────────────────◆





 ────かねてより、龍と人は天と地で世界を分けて暮らしていた。


 大地にて繁栄さしめる人と、蒼空を余す事無く統べる龍の間には平穏安泰の契り等は存在しない。それでも双方は牙を向き合わす事も無く生を営み、互いの在り方を尊重した心の距離を保ちながら今日まで至る。


 しかし、それはあくまで絵本止まりの話。


 人が龍を崇める心もあれば、龍が人を惑わす事も……その逆の形も確かに存在しているのだと前述しておこう。



──────

────

──



「──逃すなッ、必ず仕留めろ!」


 薄暗く、広大な洞窟にて男の怒号が響いた。

 続いて白い甲冑姿の人々が其々に編隊を成し、颯爽と走り抜けて行く。男女問わず誰もが物々しい殺傷具を携え、一様に奥へ奥へ──。


 進撃し行く一団が進んだ道には明具が設置され、点々と続く赤い水溜りが照らし出される。それらが踏み荒らされる様子を、私は光水を満たしたランタンを抱えたまま眇み見ていた。


「あの出血量……龍と言えど、もう無事ではいられないだろうな」


 龍の死など飽きる程見て来た。

 そうする事が私の仕事であり、そうする事を目的として結成された対龍武装組織に身を置く者にとって、当たり前の光景だ。

 とは言えど、今回の龍は──……呼称を改めよう。空に住む龍ではなく、大地に堕ち禁忌を犯した龍……所謂『堕心龍』は、今まで手を焼かせて頂いた若い個体とは違い、老衰した小さな体躯であった。


 地に降り人を喰らった者に変わりないが、何分老龍を討伐するなど、信仰以前に良心が痛んだ。


「──どうした、アガルタ。仕事中に考え事か?」


 手を止めてしまっていた私に、声を掛けて来た隊員がいた。


「ぁ、いや何でもない。……ブレイドは追わないのか?」

「俺は……ほら、コイツを綺麗にしねぇとさ」


 私の幼馴染み──ブレイドは、龍の返り血を浴びた対龍装衣を指先で叩いて見せた。白亜に似た色だった装衣が赤黒く染まり、宛ら地獄の剣士の様だ。


「今日は早く帰れそうだな」


 私から手拭きを受け取り、他の隊員から水を持ってくるよう頼みながらブレイドが言う。


「何処ぞの勇敢な誰かのおかげだと思うぞ。勇者なんて煽て文句は伊達じゃなかったか」

「運が良かっただけさ。……ん、違うな。二つある龍の心臓の片方を潰せたのは、この討伐祈願の御守りがあったからだな……なんつって」


 口で戯けて見せた彼は、御守りと称した武器を私に差し出した。その武器は対龍武具で最も殺傷能力の高い長剣。それもブレイドが特に愛用している『リジルの柄』と名付けられた一品だ。


「……おい、それ、剣身が……」


 しかし……朝に見た時は煌びやかだったその剣は、先の戦いで龍の呪いでも受けたらしく、無残にも朽ち始めていた。


「龍の心臓に触れたんだ。こうなってもおかしくない。だろ?」


 それに──と、ブレイドは柄から剣身を取り外し、背負った鞘に納める仕草をして、得意気に言い放つ。


「この剣で大事なのは剣身じゃねぇ。柄こそが命。幾らでも代わりのきく刃とは違って、常に俺と一体になる箇所だからな──!」


 再び鞘から解き放たれた柄には、真新しい剣身が繋げられていた。これを豪快に振り下ろし、ブレイドは少年の様に笑った。

 ついさっき、堕心龍の心臓を貫いた男とは思えないあどけなさに、私もつられて笑い返す……が、その時──。


「お。……堕心龍の咆哮か?」


 皆が向かった洞窟の奥から、断末魔の叫びと思える声が轟いた。周りの隊員達が思わず息を飲み、作業する手を止めてしまっていた。


「誰かが討ち取ったな。俺達も行こうぜ。息を引き取ったんなら、弔ってやんねぇと」

「ああ……。そうだな」


 差し出されていた水を手早く浴びた彼は、私を促して走り出す。流石に状況を憶測で判断し、彼を単独行動させられる筈もない。私も武具を携えるとすぐにブレイドの後ろに付き、共に洞内を駆け抜けた。



 ──私達が相手では当然の結果だ。

 抵抗こそ見せた老龍ではあったが、対龍装衣を身を纏った此方の勢力を前にしては多勢に無勢。それも、誰もがブレイドの様に『勇者』と謳われる資質を持つ実力者である故、あのような衰えた個体に勝ち目などあるわけが無かった。



 人の世で人に仇成す堕心龍を討伐する為に、栄誉ある貴族達を筆頭に数多の猛者達を募り結成された専門組織。それが私達──『龍撃のマルドク公国』。


 人などよりも強大な力を持つ龍に対抗すべく、人がこれまで築き上げた全ての英知を一点に収束させた武装集団と謳うだけに、これまで討伐した龍の数は少なくない。


 これだけを聞けば、龍──堕心龍に苦しめられている側にとっては、頼もしい機関であろう。だが、その様な力を持ってしまった事で、私達は機密を持つ事を世界から禁じられた。

 簡潔に言えば、全ての隊員が特別な監視下に置かれ、とても健全な秩序を保たせられているのだ。

 それに関して言えば、龍信に熱い人々からの非難を最小限に留められる分、必要な取り組みだと私も考える。──が、果たして今回はそう言い通せるだろうか。


 力の乏しい老龍の討伐──……。

 下手をすれば、かの勢力を刺激してしまい、一時的な活動自粛もあり得るのではないだろうかとも思い、自然と溜め息も出る話だ。


「──どうした、アガルタ。仕事中に考え事か?」


 それを聞かれたか、ブレイドが弄ってきた。


「別に。万人に受け入れられる仕事をしているわけじゃないよなって……思っただけ。何でもないよ」

「そか。そりゃ、同感かな」


 けど、小言や文句を言われるのが嫌なら──と、前を走る彼が言う。


「いっそ、託児所でも始めるか? 身寄りのない子供を集めて、擁護施設を作るのも良いな」

「はは……。子供嫌いが何を言ってるんだか」


 それに、仮にもそんな物を作ろうものなら、叩きたい勢力に餌を与える様なものだ。崇めるべき龍を殺す姿を見せるなど教育に悪いだの何だのと……。

 私達は『救済』を謳う身分ではない。

 人々の平和を守る為に人々が引け目を感じてしまう事をする者。


 言わば……龍殺しの罪人だ。


 しかし、この仕事は望まれて作られた人間の盾であり、矛だという事。これを理解してくれる者が一人でもいてくれれば、私達は救われる。

 そう。罪深かろうとも、私達は自らの活動を赦されたいと願ってやまない『人』に過ぎない。



 ──そんな事を悶々と考えている内に、私とブレイドは追撃隊が集まる場所へと辿り着いた。


 堕心龍の姿は無い。だが、彼ら彼女らの足下には今まで以上の血溜まりと龍の鱗が散乱していた。


「仕留めたのか?」


 ブレイドが、近くの肩で息をしていた隊員に問い掛ける。


「ああ、向こうで皆に担ぎ上げられて喜んでいる奴がな」

「なら堕心龍の骸は何処だ?」

「さあ? 健気にも最後の力を振り絞って奥へ逃げたようでな。だけど、二つ目の心臓を突かれたんだ。そう遠くには行けてないと思うぞ」


 私も見やれば、ここの空間に留まっている追撃隊から分離した索敵班が動いているらしい。


(……老龍にしては、なかなかにしぶといな。死に目を人に見られたく無い……とか?)


 どうだろう。思えば、あの堕心龍を見た時から老龍と言う時点で多少の違和感を感じてはいたが、奴には人々を襲う事とは別の目的があったのか。


 例えば……人の世で余生を過ごしたい等……それは考え過ぎか。

 何処知れずに目線を放っていた私だったが、物言いたそうに此方を見ているブレイドに気付き、彼を伺ってみた。

 すると、どうやら居ても立っても居られないと言った様子で……。


「俺達も索敵班に混じろうぜ。倒したならちゃんと骸を確認しなくちゃ、気分が晴れねぇ」

「ん……。確かにな。では私達も後に続こう……か?」


 と、思った矢先だ。

 奥へ続く暗がりで、複数人が慌ただしく叫んでいた。


「整備班、明かりを早く!」

「誰か、毛布を持ってませんか!?」



「……あ? なんだ?」

「ブレイドの班じゃないか。明かりならあるぞ!」


 さっきブレイドに絡まれた時に設置し損ねた光水ランタンを掲げ、私が大きく声を上げる。その次に、後ろから来ていた別班の隊員が「毛布ならあるけど、怪我人が出たの?」と呼び止めた。


「違う、子供だ! 人の子がいたんだ!」


 ……──一瞬、彼が何を言っているのかわからなかった。

 子供と言ったか。……こんな山岳地帯の洞窟に、どうして子供がいる? 眉を挟めた私の横で、ブレイドが舌打ち混じりに詰め寄る。


「あ゛? 冗談かましてンのか?」

「冗談であれば面倒な報告もしなくて良いがな。とにかく、早く来てくれ!」


 ブレイドが凄んで見せても、彼は変わらない調子で急かした。嘘……を、言っている様子ではないと、私とブレイドは顔を見合わす。


「行ってみるか?」

「嘘つく理由も……ねぇだろうしな」


 としている横を、本来ならば怪我人に使う筈の毛布を持った隊員が私達を余所に走って行った。それを見て、ようやく私達も遠くで手招きをする彼に従った。



 ──仮に人の子が居たとして、それは何故だ。

 遭難者……浮浪民族……近くに人里が無い事を踏まえると、堕心龍が餌として遠くから攫って来たとも考えられる。

 だとすると、今頃相当怯え切っているに違いない。

 そんな状態で子供嫌いの勇者様──ブレイドと逢わせると、鬼を見たかの様に騒がれても敵わないか。


「ブレイド、私が先に行く。後ろに付いていてくれ」

「んあ? ……あー、了解」


 前を走っていたブレイドを下げさせ、私は細く息を吐いた。血の臭いは今更だが、この空間は特に生々しい生き物の匂いで満たされている。こんな堕心龍の居る洞窟に人の子だ……?

 あまり考えたくは無いが、凄惨な状態である可能性は大いにある故、精神が軋む事の無い様気を引き締めた。



「……ここか?」

 私が持つ光水ランタンの明かりが、辿り着いた洞窟の最奥を照らす。



「……ぅ」

 堕心龍の遺体が横たわっている。

 傷だらけの細長い身体。虚空に浮く為の浮き袋は破れ、蒼天を掻く為の鰭は力無く地面で折れ曲がり、土塗れになっていた。


 ──そして、



「……ぁ、……な……?」



 光水の灯りの中に、人の子はいた。

 それも……二人、女の子だ。


 龍の皮らしきモノを身に纏い、蒼色の髪が乱れ、あどけない横顔は瓜二つ。一見して、その子供達は怪我をしている様子はない様に思える。──それは良い事なのだが。


「……待ってくれ。なんだ、何を食べている?」


 グチグチと、耳に届く粘膜を掻き回す音。

 小さな手は真っ赤に染まっており、老龍の体内と己の口を行き来している。


「……」

「……?」


 口元から下を血塗れにした子供達が私に気付き振り返った。その拍子に照らされた手元を見て、背筋が凍った。


 二人が引き摺り出しているモノは──心臓──!

 私は弾かれた様に二人に駆け寄り、その手を掴み上げた!


「喰うな! そんなモノ早く手離せ! ──救護班、急げ!!」


 良くない状況だ。先程、龍の心臓を貫いたブレイドの剣身がフラッシュバックする。鋼鉄をも瞬時に腐食させる悪夢の代物だぞ。それを食べてしまっては、この子達はもう助からない。いや、下手をしたら既にその兆候が出始めているかも──!

 

 冷や汗が頬を滑り、私は咄嗟に彼女達を振り返る。



「────……?」



 私は……不思議そうに、見返されていた。


 黄の瞳と紫の瞳──。

 そんな瞳をする人間など……少なくとも、マルドク公国内では見た事ない。眼を患っているのかと思うと同時に、耽美的な絵画に心を惹かれる時の様な感動を覚えた。


 ……いや感動などどうでも良い。それよりも、二人の外見に変化は見られない。苦しむ様子すら無いのはどういう……?

 むしろ、変なのはお前だとでも言いたげに注がれる視線に、私が早とちりでもしたのかと思ってしまう。


「──……ぉいおい、マジかよ。アガルタ、いきなり怒鳴る系の兄ちゃんだったか?」


 私の肩に手を置き、ブレイドは「まぁ、コレはしょうがねぇか」と此方の心情を察してくれた。彼の声でハッとした私であったが、二人の子供を照らす以外に為す術を思い至れず……そうこうしている内に、他の隊員が彼女らを毛布で絡んであげていた。

 それに続き、子供が居ると聞いて見に来ただけの野次馬や、明かりを設置する為にやって来た整備班で一気に人気が多くなった。すると……この騒々しさに圧倒されたか、黄色の瞳を持つ子が泣き出してしまった。


 そうなると優しく宥める隊員も居れば、私の隣で舌打ちをかます男も居るもので。それと……泣いてしまったその子を、紫色の瞳の子は無表情のまま頭を撫でてあげていた。



 ──この後、駆けつけた救護班が彼女達を保護し、私達は老龍の遺体の回収作業に入った。以降、我々がマルドク公国への帰路に着いてからも、あの子供達の事は耳にしていない。


 龍の心臓を口にした以上は、すぐに症状が現れなくとも無事ではいられないだろう。ともあれ、どんな形になっていても、あの二人が故郷に戻れる事を祈るだけだ。


 私は、夕闇に落ち行く空を仰ぎながら、帰りの送車に揺られ……そして。



「──……蒼い髪……か」



 瞳の他にもう一つ、胸に引っかかっていた事を吐き捨てた。





──────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る