第13話 記憶 【牧瀬美心 視点】



――中学生1年生。蝉が鳴きわめく、ある暑い夏の日。あたしは思い出した。......歌が好きだった事と、そして前世の記憶を。



それは偶然に発見し、過去の自分が歌う曲を聴いた事が原因だった。



――忘れていた夢を思い出すかのように、鮮明な映像と音が脳裏に蘇る。



流行りのボカロを次々と聴き、歌い、ネットにアップしていた。流れる大量の文字の弾幕と、増え続ける再生数とマイリスのカウント。


多くのリスナーとファンに支えられ、ニゴニゴ動画で活動する歌い手の一人、それが前世のあたしだった。


しかしそれは唐突に終わりを告げる。


信号のある横断歩道を渡っていた時、赤信号にも関わらず車が猛スピードで突っ込んできたのだ。


雨の匂いと、口いっぱいに広がる鉄の味。折れ曲がる左腕、アスファルトの赤。


体を震わす寒さ、暗くなる視界と......遠くなる意識。


微かに残る残滓のような意識の中、最期にみた光景はライブ配信で歌っている時の流れる文字の弾幕。そして、あたしを支えてくれていた絵師のイラスト。


(......ああ、死にたくない。あたし、まだ......)


当時23歳だったあたしの命は、こうしてなんの前触れもなく消えた。


そうして取り戻した記憶。過去の夢とその希望が胸いっぱいに膨れ上がる。果たせなかった前世の夢。中学生のこのタイミングで思い出せたことは幸運だった......まだ目指せる十分な年齢。


けれど、その夢はすぐに諦めざる得なくなる。


高校生になるとあたしはバイトを始めた。夢よりも妹達の学費を稼ぐために。


生まれた家は決して裕福な家庭ではなかった。そうした歌い手活動をするのにそもそも金銭的余裕はなく、夢と現実を天秤にかければ拮抗する兆しもなく現実へと傾く。


それはそうだ。確かに夢は追いたい。けれど、生まれてずっと一緒に育ってきた愛しい家族をよそに歌い手で稼ぐなんて賭けにでられるほど、あたしは薄情で無責任な人間じゃない。


(......あたしの我儘で妹達が将来苦しむのは嫌だ)


だからあたしはバイトした。


昼も夜もなく、学校の休憩中まで内職で埋めた。時間を埋め、暇を埋め、夢を地の底へ埋めた。


夢を忘れるため、そんな事を考える暇も無いくらいに、ただひたすらに......。


歌には自信はあった。前世のあたしはそれでお金を稼ぐことに成功していたし、仕事は次から次へと舞い込んでいた。だから、いつかバイトで稼いだお金でPCを買い歌ってみたを投稿し、稼げるようになるかもしれない。そう思った事もあった。


もしかすると、それがきっかけで再び夢を追える......かもしれない。


しかし、時代は移り変わり、あらゆる動画投稿者はリスナーの多く集まるYooTubeへと活躍の場を変える。かつて人気を博し、あたしとライバル関係にあった歌い手も同様にそちらをメインに戦っていたのを発見した。しかし、再生数は稼げておらず、最後に更新された歌ってみた動画は2年前で止まっていた。


......彼女でこれなら、あたしが今からここで戦っても人気なんて出るはず無い。無理だ。......諦めよう。



――ただひたすらに。夢を塗り潰すように、バイトをする。



夢はもういい。今のあたしは牧瀬美心。今大切なのは家族だ。


渇く喉に流し込む珈琲。苦味が残る。特に好きでもない。けど、それしか無いなら。


しかし、そんなある日。ファミレスでバイトをしている時の事だった。


テーブルの清掃をしていると来客をしらせる鐘がなる。聞き覚えのある声がして、視線がそちらへ向く。


「だからぁ、違うってぇ」「あははは、ちがわねーってえ」「きゃははは」


椅子越しに見えたそのお客様は学校の友人だった。楽しそうに彼氏やカラオケ等、遊びの話が聞こえてくる。そんな彼女らの姿が、あたしの心に寂しさを思い出させた。


(......楽しそう)


その時、あたしは前世で張り付くように居座っていたAチャンねるというネット掲示板を思い出した。どこでもいい、誰でもいい......寂しさを埋めるなら、前世のようにここで適当に雑談をするのが良い。後腐れもなく面倒になれば適当に消えれば良いし。


(どこが良いかな)


ふと思い出す。


(そういえば前世でお世話になっていたあの人......まだ居るのかな)


あの頃、Aチャンねるの片隅で見つけた絵師。彼の絵なら一目見ればわかる。


あたしはお絵描き板を片っ端から見ていった。すると。


(......あった)


そこに居た「名無しの絵師」というコテハンを使用している絵師さん。あたしの知るコテハンではなかったけれど、その置かれていたイラストはあたしの知る、前世で仲の良かった絵師と特徴も癖も全てが同じだった。


(あの人......?)


あの人のイラストに感じていた優しくも温かい雰囲気。柔らかな線のタッチ。いつもみていたそれは、見れば見るほど彼のイラストとそっくりだった。


(彼、かもしれない。......けど、今のあたしは彼の知る前世のあたしじゃない......し、突然気安く話しかけたら怖がられそう......けど、たぶん、この絵はあの人だと思う)


確かめるのが怖かった。もしも、この人が彼じゃなかったら......そう思うと、この世界にあたしを知る人が消えてしまうかのような言いようのない恐怖を抱いた。


あたしが死んで......あれからかなりの月日が流れた。最後に会ったのは彼が28の時だから、今は40過ぎ?もう、家庭とか持ってるのかな。子供は?


もしもこの人が彼だったら、プロのイラストレーターになれたって事だ。それなら、おめでとうって......せめて一言だけ言いたい。夢は叶わなかったけど、彼がそうなれたことは素直に嬉しいから。


(駄目だ。......すごく、会ってみたい......てか、声が聞きたい......)


そんな折、例の企画がスタートした。それは最強VTuberデザインを考えようというもの。話はどんどん進み、遂にそのモデルが完成する。


その間にあったスレ民の話では、VTuberはヒットすればかなりの稼ぎが出るらしい。中には歌を武器に成り上がったVTuberもいたみたいで、その時あたしの中にある何かがうずいた。


――出来あがったVTuberモデル、アリス。


ひと目見た瞬間、あたしはそれが欲しくなった。それは今までに感じた事のないほどの欲求、何が何でもアリスが欲しいという想い。


『じゃあ、イラストレーターになったらあたしの絵を描いてよ』


前世の夢と約束がリンクする。あの人のイラストで、あたしが歌う。それを他の誰にも譲りたくないという想い。


勿論、VTuberという活動を始めればバイトも減らさなければならない。どう考えてもそれは収入が減るし、家の事を考えれば悪手だった。


けれど、それは理屈じゃなく。魂の訴えにも似た何か。


(絶対にアリスは誰にも渡したくない......彼女に合う声色、演技をしなければ。明るく、心から楽しむ元気なキャラクター)


「いや、演技ではなく......それを『私』にする」


そうしてあたしは名無しの絵師さんと会うことになる。


結論からいえば、名無しの絵師さんは彼では無かった。男では無く、女性の人だった。スレでの一人称が「俺」だった事と、イラストの特徴が似ていた事で、あり完全にあの人だと思いこんでいた。


(......そんな小説みたいな奇跡、無いか......)


でも一度やると言ったことだ。ここまできて投げ出す訳にはいかない。それにアリスが好きな気持ちも変わらないし、やりたいと思った心に変化はない。


いや、違う。本心はそうじゃない。


あたしは、VTuberをやりたいんだ。


それで、好きな歌で頑張りたい。


(......頑張ろう。頑張って、お金を稼ぐ......)


視線を目の前にいる名無しの絵師さんへと戻す。非常に眠たそうな眼。ごつい黒縁眼鏡。そういえば、彼もこういう眼鏡してたな......。


そんな事を思いながら、彼女と会話が進む。するとあたしは不思議な感覚に陥る。


(あれ、なんだか......)


話し方や仕草が同じなのだ。あの絵師と。本当に不思議だった。性別は違うが、まるで彼と話をしているような錯覚に陥る。


(......あの人と居るみたいに楽しい)


可愛い顔と小さな身体。容姿は彼とは似ても似つかない。けれど、彼の存在感。


そして、それから数週間。


彼女の姿に、彼の面影をどんどん重ねていくあたしがいた。



――



「――♪」



曲のメロディが終わる。あたしの希望でバンドアレンジされたその最後は、消え入るようなピアノの音で、次の曲への前奏へと繋がる。


そして、あたしは次曲の名を静かに呟く。



「――ノマド」



『今』のあたしの心模様。そう願う想いがぴったりと一致する音色と詞。


想いが乗り、あたしの感情によって暗い色が音と混ざり合う。


まるであの日、スレを眺めていた部屋の隅。青暗い闇が広がる朝のよう。


彼に似た彼女は、あたしの心の穴を埋める。


それは痛みを伴っていたけど、忘れることもできないけど。


(もしかしたら、あの人がどこかで聴いているかもしれない......あたしだと、気がつくかもしれない。それでも――)


あたしはアリスとして、VTuberをやる。


――夢の続きを、彼女と。


歌いながら、窓の外にふる雨を思い出していた。覚悟を決めた、あの日の想いを。




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