第2話 岡部 倫


「ふぅー......ちかれたぁ」


ギシッ、ともたれ掛かるゲーミングチェアが鳴る。暗い部屋に2画面並ぶモニターの明かり。その画面にはネット掲示板、Aチャンネルのスレが表示されている。


(......もう、3時過ぎか)



――ふと見れば、夜の闇が薄まり藍色の空が広がっている。



......しかし私の立てたお絵描きスレでVTuberが爆誕するとはね。ルギアもびっくりだぜ。まあ、まだガワのデザインが決まっただけだけど、つーかスレ民のセンスも中々だよな。


(いや、ほんと可愛い子が出来た......こりゃ中身次第で行くこまで行くね。登録者10万人、いや30万人は行ける、か?)


ごとり、と重々しい音がなりそうな分厚い黒縁メガネ。マウスとキーボードの手前スペースにそれを置き、私はこめかみの辺りを指でマッサージする。


(しっかしまあ、仕事の合間に息抜きで始めたこのスレ......ここの住民とはもう一年以上の付き合いかぁ)


......なんとも居心地の良いスレだ。


一癖も二癖もある板の連中だし、言い方とかムカつく事も多いけど、私も好き放題言えるからWin-Win。むしろストレス解消、プラスになってるまである。


『パース狂ってんぞゴミ絵師。それでもホントにプロ?』とか言われた時はマジで蹴り飛ばしてやりたくなったけど、それもいい思い出だ。(許したとは言ってない)


「よっ、と」


――タンッ


ゲーミングチェアから立ち上がり、改め背伸びをする。固まっていた体がぽきぽきと小気味良い音を立てほぐされた。きんもちいーっ。


ぺたぺたとフローリングの床を歩き窓の方へ。マンションの三階に位置する私の家。ブラインドを下ろし忘れたガラスに私の眠たそうな顔が映る。


(......うーむ。相変わらず女だ)


毛先にパーマをかけたミディアムボブの髪型。気のせいか髪質のせいか、染めてもないのに心なしか青っぽい髪色。


とろんと下がる目尻。その先には涙のようにホクロが落ちている。


服装はダボダボの青のパーカー。学生時代からの物であちこち解れたりしているがずっと使い続けている。お気に入りだ。下は適当にネット通販で買った約1000円のショートパンツ。意外と着心地が良い。


女、小柄な体躯、イラストレーター。


(これが今の自分......)



窓ガラス、額をつけ目を閉じる――。



えっと......はい、そうなんです。



唐突な告白なのですが、私、岡部《おかべ》 りん(21)は転生者なのです。前世はというと、35歳の男でした。


おそらくは過労死というやつでして、いわゆるブラック企業のブラックな社員だったことによる過労がその死因としてあげられると思われます。社畜ってやつね。マジウケる〜。(ウケない)


それはそうと転生したことを理解した時のことをお話しますね。あれは中学生のお昼休み、外の庭にあるベンチで昼食をとっていた時のことでした。


その頃の私は、なんとなくぼーっと生きていて、この眠たそうな目つきも相まって周囲からもそんな印象を持たれていたと思います。


夢も希望も無く、ただただフツーに生きて死ぬ。せめて出来るだけ平穏に平和にというスタンスに身をおき、のらりくらりと時間を消費し続ける。


趣味で落書きともいえるようなイラストを描いていた事もありましたが、あくまで趣味。勉強第一。道をひとつ逸れれば詰むと言われるこの現代で、地道にコツコツ真面目にやることだけが重要だと本能的に理解していたからか、どこか適当なイラストばかり描いて適当に遊んでいました。


まあ今思えば、その歳の割に達観した姿勢は生前の記憶が深層心理、奥底に刻まれていた事によるものだったのかなと。しかし、それもこの日まででした。


お母さんに作ってもらったお弁当。それを堪能しつつ、友達二人と今期のアニメ談義で盛り上がっている最中の事でした。


最後に残した大好きなハンバーグを箸で小分けにし「アー○ャハンバーグ好きぃ!」とモノマネしながら頬張り友達を笑かしていた時。


「あー!おおーい!!ボールいったー!!」


そう遠くの方で男子の叫び声が。


――ゴッ、という額への衝撃。


「――がっ!?」


「「倫ちゃん!!?」」


野球部の昼練での暴投。それが私の頭に見事直撃し、額がかちわれました。口に含んだハンバーグはその一部が鼻から飛び出し、私は心の中で「は、は、はっ......はんばああああぐッッ!!」と叫び意識を失いました。



しかし、その時でした。そう、その衝撃で前世を思い出したんです。



蘇る前世の記憶......ザ・四面楚歌。上司である上からも部下である下から、そして更にはお客様の外側からも責められ続けていたストレス塗れの日々が脳裏を駆け巡る。


夢をたゆたうような意識の中、ああ、また死んでまうんか、わし......と、ふたたび死を意識したその時。あの日の事を思い出し始める。




(そうだ、私は......いや、俺は)


生まれてこの方、たいした反抗期もなく親のレールにのっかり言われるまま、安定をとり脳死で勉強し大学を出て、脳死で就職した先は余裕のブラック企業。


自社製品は出るたび自分で買わされ、上司の命令でプライベートもなく仕事終わりの飲み会、部下からは細かなミスをせっつかれ、お客様からは他の社員の営業ミスで変わり身に暴言を叩きつけられる。なんど営業担当の名を出してあいつがやりましたと暴露しようと思ったことか。


そんな多忙極まりない毎日、出社しようとすると激しく胸が痛むようになり自然と涙が流れるようになって、今思えば末期も末期の状態になた時、昔の楽しかった事を思い出しました。


それは学生時代、前世でも趣味でやっていた絵描き。当時、ネット掲示板で知り合った友人『ゲドウツクル』に褒められ、歌い手でもあった彼女にイラストを提供していたりしていた頃です。


俺の絵は好評で、しかも彼女の地名度の高さもあったことから瞬く間に掲示板等で名の通るようになり、そして、いつしかプロのイラストレーターになりたいという夢を持つようになっていました。そしてゲドウツクルにそれを打ち明けたところ。


「じゃあ、イラストレーターになったらあたしの絵を描いてよ!コショウサトウ」「わかった、頑張るよ!ゲドウツクル」※コショウサトウは俺のコテハン。


俺はその気になりました。描いた絵の載った歌ってみた動画はかなりの再生数で、マイリスの数も増えに増え、それはゲドウググルの歌唱力が神がかっていたのもありますが、その数字は俺の自信にもなっていました。


(......これなら、認めてくれるかも)


そう思い親に夢を打ち明けた事がありました。しかしその返答は「そんなのじゃ食べていけない」「普通に堅実に就職しろ」「絵じゃ生きていけない」「そんなもの一過性の人気でしょう?」でした。いわゆる「その先は地獄だぞ」というあれですね。


そうして一瞬の気の迷いとして処理された昔の苦い夢の思い出。しかし、その時の記憶がアスファルトに倒れ込みながら脳裏に浮かんだんです。


流れ落ちた涙が黒い染みになり消え、蝶の骸を引きずった蟻がそこを横切る。激しくなる動悸と吐き気の中、途切れかける意識を辛うじて繋ぎながら、俺は思った。


(......ひたすらに働き続け、俺はどこに向かっていたのか)


今の現実、現状、この状態。果たして「生きている」と言えるのか?俺はまだ生きていけるのか?......無理だ。


(......てか、これもう死ぬんじゃね?)


意識が遠退いてく。ポツポツと降り出した小雨。ハードスケジュールで会議に間に合いそうにもなかったため、入った人通りの少ない近道。誰も居ない。


やがてスーツがぐしゃぐしゃに濡れきってしまうまでに雨が強まっていた。俺は目を閉じる。


(まあ、良いか。この先、俺の人生が好転することなんてないだろうし......なにより、もう疲れた)


その時、ふとゲドウツクルの言葉が頭を過ぎった。イラストレーターになったらあたしの絵を描いてよ、か。


......ああ、どうせこうなるんだったら......。


――好きなことやって、その途上で死にたかった。


「その先は地獄だぞ」と言われた彼はそれでも前に進んでいました。確実な地獄が待ち構えていると、そこに答えである証人がいたのにも関わらず。


俺も、彼のように真っ直ぐ突き進みたかった。


――。


「......うっ、ん......」


そんな前世の記憶と想いが蘇り、ふと目が覚めるとそこは......。


「......知らない天井だ」


嘘です。知ってました。中学校の保健室の天井でした。


そんなこんなで目を覚ました私はその後、鬼のようにイラストを練習し、マーケティングを勉強。復活した前世でのメンタリティと知識をフル活用しつつ、そして親の反対をパッションで押し切り上京。


で、人気イラストレーターの俺が生まれたってわけ。(ハイパーベイビー感)




――窓ガラスから額を離し、再び今の自分を見る。


......まあ、実際この夢だったイラストレーターって仕事は大変だ。


けど楽しい。


誰かが私のイラストを見て、褒めてくれたり喜んでくれたりすると、やり甲斐って言うのかな......生きている感じがする。


それこそ、例え毎日遊んで暮らせるお金を渡すかわりにイラストレーターを辞めろと言われ、その二つを天秤に掛けられたとしても、私は迷いなくイラストレーターをやる道を選ぶ。......それがお金じゃなく他の何かでも同じ。


そう、私は他の何にも代えられないくらい、このイラストレーターという仕事が好きなんだ。


「.....さて、一眠りしよっと。DMも来ないし」


やはり口だけか。と、謎の寂しさを感じ寝室へ行こうとしたその時。


ポーン。というDMの着信音が携帯から鳴った。


「お。......きた」


音声データの添付されている。PwitterのDMでは音声を録音再生が出来る機能がある。


「どれどれ」


――私は再生マークのアイコンを押した。





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