黒きエルク ちょっと変で、妙な魔王

ヘアズイヤー

受け継ぎし者

白猫と出会う

「あれ?」


 わたしは宙に浮いて、一人の男を見下ろしているのに気づく。

 ICUと思われる場所で、酸素吸入器がつけられいる男。やせて、まだらに黄色い顔色をしている。さまざまな機器からのチューブが繋がれていた。


 それが、わたしだと、自分自身だと気がつくのにしばらくかかった。


 ……あんな顔だっけ? ……あれがわたしなら……見下ろしているわたしはだれ? これって、ああ、幽体離脱?


 子どもの頃から、そうなのかなと思うことは何度もあった。

 ふと目を覚ますと、鼻の先に木目がみえる。天井だとわかると急に落下して、ビクッっと飛び起きる。何だったんだろうと思ったことが何度も。


 ビープ音が鳴り、看護師が駆けてきた。病床の周りが慌ただしくなったが、やがてみんな首をふりつつ離れていった。


「えっ? あ、あの? もしもーし? いかないで!」


 話しかけてみるが、聞こえていないようだ。


 ……うん、そうか。だめだったのか……死んだな、これ。


 わたしは病気だった。悪性の腫瘍が全身に転移している。

 いずれこうなるとわかってはいた。

 パンデミックの影響で、見舞客のこない、寂しい入院生活だったな。遺言書は法務局で保管してもらってるし、跡を濁さないで立つことができるんだろう。

 それでも、それでも……やっぱり未練はあるな。


「……なんで……こんなことになったかなぁ……」


 ゆうべ、苦しい息の下でつぶやいた言葉、あれが最後か。


 で、いまこうして自分を見下ろしているが、上から白い光が降ってきた。見えるというか感じる。


 おやおや、お迎えってやつかな?


 白い光に導かれ、登っていく。色とりどりの光の筋がいっしょに空にむかう。

 ふと見下ろせば地球が足の下にある。宇宙は黒く暗い闇ではなく、一点を目指して進んでいく様々な色の光に満ちていた。


 うん、わかる。

 他の魂がいっしょに進んでるんだな……こんなにいっぱい死んだのか。そうか、生き物には、すべて魂があるんだな。

 人間だけじゃない。猫も、犬も、それに植物にも、微生物にだって。

 感じる、君たちみんなを感じるよ。みんないっしょに天国に行くのかな?


 ひときわ強い光があふれ、まわりが真っ白になった。


 目を開けると、薄暗いところに立っていた。


「暗いな。ファンファーレで天国の門が開いてくれるんじゃないの? あれ? 地獄?」


 門前ではないようだし、発した声があまり響かない。けど部屋の中でもない。立っているのに床はない。

 ここには覚えがある。以前書いた軽い小説、異世界転生の始まりはこんなだったかな? 次は猫が、シロ丸が話しかけてくる……だったかな?


「ようこそ、エルクさん」

「あ、はい、はい」


 背後からの声に振り向くと、白い猫が前足をそろえたエジプト座りで、こちらを見ていた。


「うん、やっぱり?」


 目が合うと小首をかしげる猫。長めの白い毛に、金と青のオッドアイ、尻尾は体に巻かれている。主人公にして書いた小説の猫、同居していたシロ丸だ。


「別れてからずいぶん久しぶりだね、シロ丸。何度か夢に出てきてくれたね」


 ……ん? 話したのは、この子?


「えっ! 今の……シロ丸がしゃべった?」

「しゃべったのは私ですが、そう驚かれても。エルクさんの書いた小説では猫が話していますよね。それでこの姿にしたのですが」

「おおっ! 声の通りに口が動いてる」

「ご自分で書かれた通りにしたのですが、猫がしゃべってはいけませんでしたか?」

「いや、それは……。たしかにそんな話は書いたけど、それはお話であって……普通は、猫はしゃべらないでしょ?」


 ああ、そうか、この状況が普通じゃないか。がん末期で集中治療室にいて……死んだ。


「……迎えに来てくれたの?」

「いいえ。私はシロ丸ではありませんし、天国からのお迎えでもありません」

「わたしは死んだのでしょう?」


 わたしの書いた小説や、他の異世界ものだとこの猫は、神さまとか管理者、とか? でもなぜ『エルク』と呼ぶんだろう。それ本名じゃないし。


「はい、死にました」

「……やっぱりか」

「エルクさんの肉体は死んで今は精神体、魂だけの存在でここにきてもらっています」

「ではあの、あなたはどなたでしょうか? なぜわたしをペンネームで呼ぶのでしょうか?」

「私が魂を選ぶ時は、その記憶をのぞかせてもらいます。あなたの『エルク』という名前の記憶、知識、感情が気にかかり、ここにお呼びしました」


 白い猫はペコリと頭をさげた。


「自己紹介します。私はルキフェ、魔王です」

「へ? はい?」

「魔王ルキフェ、と申します」


 魔王ルキフェは、ほほ笑んで答えた。

 しゃべるのだから、ほほ笑みもするのか。しかし、魔王とは!


「け、契約した覚えはない! 魂はやらない!」


 わたわたと両腕をふって後ずさるわたし。そりゃー経験ないけど、魂を取られるってまずいだろうよ。

 ルキフェは右前足を上げてピンクの肉球をみせ、あわてたように答えた。


「勘違いさせたようですが、私はあなたの世界でいう悪魔ではありません。エルクさんの魂が欲しいわけではありません……いや、欲しいのかな……」

「あげませんっ!」


 やっぱり魂、盗るんじゃないか!


「欲しいという意味を説明させてください。奪うとか地獄に落とすとかではありません。お願いを聞いてもらいたいのです」

「でも魔王って、サタン? 悪魔や地獄の王じゃないの?」

「いいえ、私はティエラ世界の魔族の王。魔王国の王、魔王です。魔王国が陥っている不幸の繰り返しを止めるのに、エルクさんに力を貸して欲しいのです。話を聞いてもらいたい」


 ルキフェは頭を下げた。


「いやしかし、ほんとに、悪魔の契約ではないんですね? えーと、魔王様とお呼びすればよろしいのですか?」

「いえ、ルキフェと呼び捨てにしてください」

「初対面の人……人か? を呼び捨てには、なかなかできないですね。ルキフェさんと呼んでいいですか? 詳しい事情がわからないとなんともお返事できないです。あ、もし、お断りしたら私はどうなるのでしょう?」


 ルキフェは視線を落として答える。


「どうにもなりません。今は旅路の途中で、寄り道をしてもらっているようなものです。魂は輪廻転生の旅に戻り、このことも、前世のことも忘れ、新しい生を得るでしょう」

「あるのか、輪廻転生。ルキフェさんは神とか管理者ではないんですか?」

「神とか管理者……。エルクさんの小説に出てきますね。神は存在を知覚したことはありません。高次の存在は知っていますが。私も魂のようなものです」 

「魂ですか? あなた自身は輪廻転生しないのですか?」


 こちらを見つめて話すルキフェの目、オッドアイの猫って本当に綺麗だ、などと、どうでもいいことが頭に浮かんでいた。


「輪廻転生は私には選べません。私が選べるのは二つ。一つは魔王として復活する。これには大きな問題があります。二つ目は、誰かに魔王を代わってもらい、この魂を消滅させることです」


 いや、これは全部夢とかじゃないのか? なにかの詐欺か? でも話を聞くのはネタにならないか? なぜシロ丸の姿か? 魔王って強大なのか? 消滅するってどうなるんだろう?


「エルクさんは画家の道を求め、挫折し、数多くの幸と不幸を体験してきました。できればあなたにお願いしたいのです」

「わたしのことをいろいろご存知のようですね」

「はい。魂を覗かせていただきましたから」

「それって、個人情報保護法にひっかからないの? あ、ないか」

「特に悪いこととは考えていません。最期を迎えた魂はとても素直なのです。おそらく転生のために全てを忘れてしまうからでしょう」

「前世の記憶は残らないってやつ?」

「はい。エルクさんは前世で経済的な安定を手にしました。さらに幾多の小説を世に送り出しもしました」


 ……まあ、いろいろあった人生と言えるかな。


「しかし、胸に秘めていらっしゃるのは、世の理不尽に対する怒り。愛する奥様とお子さんを奪われた、強い怒り。理不尽に対抗する私に、手を貸していただきたい」

「……。もし、わたしのリスクにならないのであれば、話は聞いてみたいです」

「はい、ぜひ。お願いいたします!」


 にっこり笑顔の猫を見たことがある? さからえない。反則だ。

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