第3話 次の求婚者は

「そうなのね。充実した時間を過ごせたのなら良かった」

 ふわりと笑った姉さまが、カップの中の紅茶を一口啜る。今日の午後は時間があったから、オープンキャンパスの報告会という名目でお茶会を開いたのだ。

「姉さまの方は教育学部だったわよね。どうだったの?」

「楽しかったわよ。施設見学をした後に複数人の学生さんとお話をしたけれど、どの方の話も面白くて。時間があっという間に過ぎていったわ」

「話って、例えばどんな話?」

「この国と外国の教育体制の比較とか、年間計画の立て方とか……そうそう、教育実習の苦労話も聞いたわ」

「教育学部も実習があるのね。そこは医学部と一緒なんだわ」

「でも、医学部ほどの長期間ではないみたいよ。確か、二か月くらいだったかしら」

「ふうん……教育学部は四年間しかないし、あまり時間を掛けられないのかもね」

 この国の医学部は六年制だし、卒業と同時に医師免許を得る事が可能だ。卒業とは別で教員試験を受けないといけないぶん座学もきっちりやらないといけない教育学部よりも、実技を重んじているという事だろう。

「どうなのかしら……ああ、でも、教員にならない人も多いみたいだから、必修の実習はそのくらいで良いのかも」

「そうなのね。意外と言えば意外だけど」

「自分で塾を立ち上げたり家庭教師になったり、通常の会社や行政にいく人もそれなりにいるらしいわ。実際……お話を聞かせてくれた先輩の中には貴族の嫡男だという方もいたんだけど、自領の教育をより良くするために勉強しに来たって言っている人もいたし。私も、このまま仕事中心で行くなら数年現場を経験したのち国の教育庁に入庁するって道を考えているから、それと似たようなものかなって」

「私も似たような道を考えているし、立場的にはそれが一番良いのかもしれないわね。国の仕組みに手を入れるのならば私達の権力は使えるだろうけど、肝心の現場を知らないと何を改革すれば良いか分からなくて検討違いな事をしてしまうだろうから」

 久々の二人きりのお茶会が楽しくて、話はどんどん弾んでいった。興味を持った分野そのものは違えども、どちらも大まかな将来の道筋は似たようなもので。こういうふとした瞬間に、縁というか血の繋がりめいたものを感じて嬉しくなる。

 そんな事をぼんやり考えていたら、妙に大きい足音が聞こえてきた。一瞬だけ身構えたが、声の主を確認した瞬間に脱力する。

「フロー! お前にまた見合い話が来たぞ!」

 姉妹水いらずの会に割って入ってきたのは、兄さまだった。


  ***


「……兄さま」

「何だ?」

「私と姉さまが、今何をしているか見れば分かりますよね?」

「茶を飲んでいるだけじゃないか。業務中じゃないだろう」

「……業務中じゃないから良いという訳ではありませんよ。兄さまだって、業務中の休憩時間を好きに過ごしている最中に横槍を入れられたら嫌でしょう?」

「緊急の業務や火急の事態ならば致し方ないだろう。業務が滞る事の方が問題だ」

「……」

 相変わらずの仕事人間ぶりに溜め息が出てくる。次期国王として生真面目に業務に向き合っているのは評価するが、自分以外にもそれを強いていては不満を集めかねない。

 そんな事を考えながら眉間の皺を揉んでいると、横から姉さまが兄さまに呼び掛ける声が聞こえてきた。怒っているというよりは……呆れているという感じの雰囲気だ。そのくらい、この状況ならば双子でなくとも分かる。

「お言葉ですけれど、兄さま」

「ローズ?」

「例え休暇中であっても、王子や王女であればそれを返上して対応しなければならない業務がある……というのは私達も理解しております。ですけれど、フローの見合いが決まったという知らせは、果たして火急の業務と言えるのでしょうか」

「姉さまの言う通りです! 私達、久々に二人きりでのお茶会を楽しんでいるところだったのですよ。私が見合いの知らせを心待ちにしているというのならばともかく、そうでないのに楽しい時間を遮られてまで伝えられても、正直面白くありません!」

 流石の堅物もとい兄さまも、妹二人に畳みかけられては折れざるを得なかったようだ。それはすまなかったなという謝罪を受けたので、それ以上は追及しない事にした。まぁ、悪い人ではないのだ。真面目過ぎて融通が利きづらいというだけで。

「それで、今度のお相手はどなたですか?」

 どうせなら聞いておこうと思って、そのまま兄さまに尋ねてみる。見合い話が来たという事は遅かれ早かれ会う必要があるという事だから、事前に相手を知っておきたいと思うのは自然な事だろう。場合によっては、個別に調査しておく必要もある。

「国境沿いに領地を持つ伯爵家の三男だ。他の兄弟は父である伯爵と同じように陸軍或いは海軍に所属しているようだが、彼自身は王立大学院の生徒らしい」

 王立大学院の院生。その言葉を聞いて、心臓がどくりと一つ大きな音を立てた。いいやまだだ、断定するのはまだ早い。逸る気持ちを落ち着けるように、意識して深呼吸する。

「……その方のお名前と所属している科を伺っても?」

 続けて尋ねると、兄さまは目を丸くした。別に、今までだって見合いの話が来たと聞いたらこうして尋ね返している。特段変わった事ではないと思うのだが。

「名前はラリマール・エスペランサ、所属は医学研究科と聞いている」

「ラリマール様!?」

 思わず叫んでしまったからか、兄さまは不思議そうな表情になった。向かい合っている姉さまも、驚いたような表情を浮かべている。

「どうした? 知り合いか?」

「一度だけお会いしました。オープンキャンパスで、私の案内をして下さって」

「ああ、成程。フローが見学していたのは医学部だったな。先輩になるのか」

「その通りです……あの、二人とも、なぜ笑っているの?」

 会話を続けていくうちに、二人の表情が驚きから笑顔に変わっていた。そうやって同じ表情をしていると、やっぱり同じ血筋だと思い知らされる。いや、私も同じなのだけれども。同母の兄妹だし。

「ううん。ようやくお眼鏡に適う方がいらっしゃったのかと思って」

「……そういう訳じゃ」

「でも、明らかに今までの反応とは違ったな」

「……」

 この二人が意気投合した時に反論して、勝てた事は一度もない。それならば、下手に喋らずに黙っている方が得策だろう。一応、予定だけ聞いておこうか。

「日取りはいつですか?」

「来週末を予定している。大丈夫か?」

「問題ありません……私は」

「先方も大丈夫と言っていた。では、そのまま話を進めるとしよう」

 兄さまはそう言って、この場から去っていった。視線で見送った姉さまは再び紅茶を飲み始めたけども、私はとてもそんな気分になれず視線を落とす。

「今度こそ、上手くいくと良いわね」

「……何度も言っているわ。私が結婚するのは、姉さまの後だって」

「結婚はタイミングが大事だって、お父さまもお母さまも言っていたわよ。だから、可愛い妹に好機を逃してほしくはないと思うのだけれど」

「……そもそも、私とラリマール様はオープンキャンパスで一回お話をしただけよ。改めて話をしてみたら思っていたのと違った、という場合もあるのだし」

「そうかしら? お相手は医学研究科の方なのでしょ? 医学部を目指すフローとは話が合いそうだし……さっき名前を聞いた時の反応は、どう見ても嬉しそうな時のものだったけど」

「姉さまの見間違いよ!」

「それなら、どうして今も頬を赤くしているの? 明らかにお化粧の赤とは違うわよ?」

「……もう! そんなんじゃないから!」

 居た堪れなくなってしまって、姉さまに断りも入れずにその場を離れてしまった。背中の方で楽しそうな笑い声が聞こえたのは、気のせいだと信じたい。

「……ラリマール・エスペランサ様……」

 自室のドアを開けて中に入って、鍵をかけながら彼の名前を呟いた。嬉しいと困惑が胸の奥に渦巻いてきて、思わず蹲る。

「私は……どうしたら……」

 たったあの一回だけで、彼に好印象を持ったのは事実だ。だって、あんなに楽しそうに自分の研究について語って下さった、あの時の嬉しそうな笑顔を忘れられる筈がない。

 だけど、今更という感情も浮かび上がる。あんなにずっと、私は姉さまの後と言ってきたのに。それを反故にして彼の手を取ったとしたら、果たして私は私自身を許せるのだろうか。

「……やめやめ。今考えたって仕方ないでしょ」

 沈んでいきそうな思考を、頭を横に振り頬を張って引き留める。まだ見合いをすると決まっただけだ、そこでどんな展開になるかなんて今考えても仕方がない。起こってもない事で気を揉むなんて時間の無駄でしかないだろう。

(……相手がラリマール様だとしても関係ないわ。今までの見合い相手全員に対してと同じように会話して、きちんと人となりを見定めないと)

 まだどくどくと煩い心臓を宥める様に、自分にそう言い聞かせる。何度も言い聞かせて、深呼吸して。ようやく平常心を取り戻した時には、すっかり日が傾いていた。

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