第2話 今の私の目指す場所
「それじゃあ姉さま。また後で」
「ええ」
そう言って構内へ入っていく姉さまを見送った後で、侍女と一緒に来た道を戻る。私が見学したいと思っている医学部は、姉さまが見学する予定の教育学部よりも手前の位置にあるからだ。
「あの方、フローライト様じゃない?」
「どうしてここに?」
「オープンキャンパスだからでしょう? 医学部を受験なさると聞いたわよ」
「流石……王家が始まって以来の天才というのは伊達ではないのね」
少し離れた場所の会話を聞きながらも、足を止めずに歩を進める。私は王女だから、こんな風に噂されるのには慣れっこだ。いちいち気にしていてはきりがない。
「ようこそお越し下さいました、王女」
「……貴方は?」
「これは失礼致しました。私はこの医学部の学部長を務めております、教授のメサラ・ルベールと申します」
「学部長自らご挨拶頂きありがとうございます。私はこの国の第二王女、フローライト・エトワールです」
「ええ、ええ、勿論存じておりますとも。才媛と名高い王女が医学に興味を持って下さいました事、誠に嬉しく思います。解放箇所のみにはなりますが、今日はどうぞ心ゆくまでご見学下さい」
「はい」
「ああ、そうです……私の後ろにおります院生が、今日の案内役となります。何か疑問に思われた事がございましたら、遠慮なくご質問下さいませ」
丁寧な挨拶をして下さったルベール教授は、几帳面に一礼して下さった後で教授室に戻ると言って去っていった。入れ替わるように、案内役だと言われた学生が口を開く。
「初めまして、王女様。私は、教授から案内役を仰せつかった医学研究科の二年生、ラリマール・エスペランサと申します。以後お見知りおきを」
「フローライト・エトワールです。こちらこそ宜しくお願い致します」
挨拶を返して、目の前の青年をじっと眺めてみた。エスペランサという家名には聞き覚えがある。確か、国境辺りの土地を領地に持っている伯爵家だった筈だ。娘はいなくて息子が数人いて……つまり、彼はその内の一人という事か。嫡男である長男が三十近かった筈だから、彼は二番目か三番目だろう。
脳内の記憶を掘り起こしながら、彼自身にも目を向ける。癖の無いブロンズの髪に、海みたいなブルーの瞳。今のところ、顔の作りや表情に特段悪い印象はないけれど……中身までそうとは限らない。
「それでは王女様。まずは、普段授業を受ける講義室からご案内致します」
ラリマール様はそう言うと、くるりと前を振り向いた。そして、ゆったりとした速度で歩き始める。そんな彼の背をじっと眺めながら、後をついていった。
***
「……以上で、施設の説明は終わりです。何か質問はございますか?」
「施設に関してはございません。どの実習室も最先端の機器を置いていて、管理体制も流石の一言でした。無事入学出来た暁には、よりハイレベルな医療が学べるだろうという期待でいっぱいです」
「お褒めに預かり光栄です」
「そう言えば、四年次から二年間は実際の現場に研修に行くのですよね? それは一つの科に腰を据えて行うものですか? それとも、期間を区切って全ての科を?」
「学生の実習ですので、後者の方です。診療医が専門の科を決めるのは、卒業した後に二年間の研修プログラムを受けた後になりますから……入学から考えると八年は先になります」
「なるほど……今聞くと遠い未来の気がしますけれど、実際はあっという間なのでしょうね」
「違いないですね。俺も、あっという間に実習が来て、卒試が来て、という感じでした」
向かい合わせでテーブルに付き、用意してもらった紅茶を飲みながら彼の返答に相槌を打つ。ちらりと確認した彼は微笑むように口角を上げているが、いまいち感情が読み取れない。
「貴方は院生とお伺いしております。臨床の現場よりも研究の方を志されたのですか?」
「ええ。実習は勿論他の皆と同じように行いましたが、私にはそちらの方が性に合っておりましたのでね。なので、研修プログラムは受けずに大学院を受験しました。最も、研究内容が臨床寄りなので現場との繋がりもありますが」
「分野を聞いても?」
「病理学専攻です」
「実験系ですか? 外科系ですか?」
「……俺は外科系です!」
何気なく尋ねると、いきなり彼の表情が輝いた。先程の温和な雰囲気から一転、今は好物を与えられた子供のようにいきいきとしている。あまりの変わりように驚いて、がたっと音を立てながら後ずさってしまった。
「実験系も好きなんですけどね! 細胞をさらに細かく見て遺伝子とかミトコンドリアとか見てると小さい筈なのにスケール大きく感じますし、なんたってロマンがある! ですが、外科系の方だと臨床に関われるので研究欲を満たしつつもがっつり医療に携わっているという得も言われぬ充足感がありまして! 一つの症例を見ながらみんなでどの疾患か検討する会議は毎回白熱して時間があっという間に過ぎていきますよ、でもその結果でその患者さんの治療方針が決まるんですから、気合いは入って当たり前なんですけど!」
流れる水のように淀みなく話す彼の姿を見ていたら、極東の方の国にあるという言葉を思い出した。水を得た魚のよう……目の前の彼に、ぴったりな言葉だろう。
「俺はそもそも院生ですし、臨床病理医師として働いている提携病院の方々も実際の患者さんとお会いする機会はそんなにないっておっしゃっているんですけどね……でも、自分達が診断した患者さんの経過は彼らを通じて追えますから、元気になっていっているのを見ると嬉しいですし、困っているならもう一度新しい検体を準備してもらって主治医と僕らでもう一度検討して……って、あ」
「? どうなさいました?」
楽しそうに語られる話に聞き入っていたら、いきなり止まってしまった。続きが聞きたかったので、とりあえずそう聞いてみる。
「も、申し訳ありません……王女様相手に、こんな……無礼な」
「そんな事、微塵も思っておりませんが」
もし本気で無礼だと思ったなら、話を中断してはっきり言うくらいの事はしている。正直、せっかく聞き入っていたのに中断されたという事の方にむっとしたくらいだ。
「ですが、今日は俺、説明者として手伝うように言われていて……それなのに、自分の事ばかりべらべらと……」
「貴方はこの医学部を卒業して大学院に通われている身。ですから、貴方ご自身の話は言わば生の声と言えます。説明責任は十分に果たしていらっしゃると思いますけれど」
「そう、ですか?」
「そうですよ。実際に通ってらっしゃる方のお話を聞く機会は貴重ですもの。率直に言うならば、もっと聞きたいです」
そう言ってにこりと笑ってみせると、彼の表情が安堵したものになった。自分の研究分野の話になって饒舌になるのは、研究者の習性のようなもの。それだけ真剣に打ち込んできたという事なのだから、むしろどんどん話してもらいたい。
「お心遣い感謝致します。しかし、改めて話すとなると、話したい事が多すぎて決めきれませんね……ですので、申し訳ないですが、何か聞きたい事とかをご質問頂けると嬉しいのですが」
「そうですね。それならば……」
聞いてみたい事ならば沢山あるので、順番に聞いていく。その全てに嬉しそうに答えてくれる彼が見せた笑顔に、どきりと心臓が跳ねた気がするけれども。
気づかないふりをしながら、残りの時間を一緒に過ごしていった。
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