第11話 氷解

 傍に居ちゃいけない、離れなくちゃいけない。


そんな気持ちに駆られながら、ロッテは森を駆け回っていた。


遠くへ、できる限り遠くへ、いっそこのままどこかへ消えてしまいたい、そんな想いに囚われながら。


腕の傷を抑えながら、今はもう面影のない『黄昏の森』を走り続けた。


土の匂いと水の匂いは、相変わらずだった。夜風が肺に染みる。寒くて、寒くて、もう走れなくなった。


大きな根を持つ木の下にしゃがみ込んだ。


クラージュが巻いた包帯には、血が滲み始めていた。


拡がっていく赤い染みのように、ロッテの心には、一つの感情が波紋のように拡がって行く。


ああ、そうだ。私は、この気持ちからずっと、ずっと逃げたかった。


喚いても、叫んでも、ずっとずっと抜け出せなくて、そうだ。この傷も自分自身が付けたものだった。


そんな奴が、誰かの傍に居ていいはずがない、許されるはずがない。


でも、誰かに傍に居てほしい、笑っていてほしい。


ロッテは膝を抱えながら、自分の思考回路を巡らせていた。


望んでなんかいないはずだ、気づいたら独りだったんだ、気づいたら…。




その時だった。




風を切って、地を掛けてくる音がする。とても速い。ロッテはとっさに口を押えて、身を潜める。


その音は止まり、小さくクゥーンと鳴く声がする。その鳴き声は、とても切ない気持ちにさせた。


ロッテは震えながら、時間が過ぎるのを待った。


しばらくして、気配がその場から消えた。


ロッテは樹木にもたれかかりながら、息を吐く。そしてまた、夜風が揺らす木々の音を聞いていた。


温もりを知った後に訪れる寒さほど、身に染みるものは無い。孤独も同じだ。


独りぼっちになるのが怖い癖に、独りぼっちになると思ったら、離れずにはいられなかった。


自分の意志に関わらず独りになったら、立ち上がれなくなるほど辛いのだと、ロッテは思い出してしまったから。


それでも、こんな時に思い出すのは、優しい人の記憶である。


孤独というそれを忘れてしまっていたほどの、湧水のようにあふれる温もり。


今自分から抜け出さなければ、いつか相手を傷つけてしまいそうな、もしくは相手が離れて行きそうな


そんな気がして手紙だけ残して、ここまで走ってきたのだ。


でも本当にそれなら、手紙なんて未練を残さずに、消えてしまえばよかったのに。


自分の行動に後悔した。


「バカだよ…あたし…。」


ロッテはついに涙を零した。こんなにドロドロした気持ちを持ってても、それを知ったうえで


傍に居てほしいなんて、愛してほしいなんて。


「依存しちゃったら、嫌なんだよ…。」


誰かが聞いているわけでもない独り言をロッテは零し始めた。


「ごめんね、クラージュ、ごめん。」


「うん。」


一瞬の沈黙のあと、ロッテは恐る恐る顔をあげた。


眼の前には、見覚えはないが尻尾を振りながら、息を弾ませる狼が居た。


「もー、『探さないで下さい』なんて書置きされたら、探したくなるじゃん。」


クラージュは狼の形態から2足歩行への形態へと姿を変えた。


「なんで…。」


ロッテが顔を真っ赤にして、口をパクパクさせているとクラージュは笑って言った。


「ほら、僕狼だし。」


その言葉にロッテは項垂れた。


「それにね。」


クラージュは持っていたバスケットから、ブランケットを出すと、ロッテにかけてこう言った。


「絶対見つけるって、思ったんだ。」


「え?」


クラージュは、ロッテをおんぶし始める。


「く、クラージュ?!」


「帰ろう、独りは寂しいよ?」


変わらないクラージュの優しい声に、ロッテはそっと顔を背中にうずめた。


「人間は難儀な生き物だよねー、傷ついたら、その分触れることも触れられることも怖くなる。


否定されたら、自分の気持ちがわからなくなって、怖くなって、言葉を飲みこんじゃうから。」


クラージュは笑いながらつぶやく。


「でもね、僕は君には自分の気持ち、言ってもらいたい。言ってもらわなきゃわからないから。」


「うん…。」


クラージュの暖かさが、ロッテの凍えた体だけではなく、心を溶かしていくような、そんな気がした。


ロッテの心を蔽っていたものは、少しずつ、少しずつ、消えていく、そんな気がしていた。


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