第五一八話 ミコトの実家
結局入浴を断念した私は、自室にて全裸になり。
未練がましく水魔法を使おうにも、流石に部屋を水浸しにするわけにも行かないため、しょぼくれながら清浄化魔法のみを自らに掛けたのだった。
一応スッキリしたのも束の間、ふと自分の脱いだ服を見て思う。
普段だったら服ごと清浄化を掛けるため、脱いだ服に対して思うところなんてのは無いのだけれど、今脱いだ衣類には今日動き回ったことでかいた、汗なんかが染み込んでいるわけだ。
そう思うと……。
「……洗濯、かぁ」
「ガウ」
一先ず洗い物ってことで、今脱いだ衣類は選り分けておくとして、替えの下着や服をちゃっちゃと着込む私。
流石に装備類はそのまま再度身につけるけどね。
厳密に言うなら、服や下着だって装備の一部だ。実際装備枠をしっかり持っていくし。
しかしそれら衣類に付随するステータス補正値というのは微々たるものなので、着替えても然程の問題はない。
ただまぁ、以前防具職人のハイレさんにもらって未だに愛用している下着は、下着のくせにそこそこのステータス補正値を持っているため、おいそれと何処かで適当な市販品を調達するのは憚られた。
かと言って、洗濯すれば痛むしなぁ。
衣類用洗剤なんて然程充実していない世界である。
それでも清浄化魔法だけで済ませるのは、気持ち的によろしくなかったため、これまではイクシス邸の使用人さんにお願いしたりしてたんだけど。
一流の家事スキルをもってしても、やっぱり前世の衣類ほど長持ちさせることは難しいらしい。
私の持ち物に関しては、完全装着スキルで着用する度に新品と見紛うほど修繕されたけれど、他のみんなは偶にソフィアさんに修復のスキルで直してもらうよう頼んでいたっけ。
それだけ、お洗濯って大変なんだ。ましてしつこい汚れを落とそうとしたなら、それだけ布も痛みやすいだろうし。
そんな大変なお洗濯をよもや、不慣れな自分の手で行わなくちゃならないなんて……あっという間に穴とか空きそうだなぁ。
穴の空いたパンツか。そんなの、ハイレさんが発狂しちゃうよ。
でも、これが『普通』なんだなぁ。
「お洗濯ってどれくらい時間の掛かる作業なんだろう」
「グゥ」
「だねぇ。もし何時間も掛かるようなら、お洗濯のためだけに休日を設ける必要があるかも」
冒険者たるもの、休むのも仕事だ! なんて、冒険者になりたての頃はオルカやソフィアさんに言われたっけ。
それで言うと、休みを挟むことは大事なことなんだろう。
転移が使えず移動に時間がかかるってことは、その分休む時間を捻出しづらく、疲れが溜まりやすくなる。
そう考えると確かに、休みをしっかり挟んで活動しないと体が持たない、というのは道理である。
っていうか疲れからミスをして、それが命に関わるってことも普通にあるだろうしね。十分注意しないと。
「冒険者って大変なんだなぁ……」
「ギャウ」
「まぁ今更か。とりあえず、そろそろ夕飯の時間だろうし食堂に行こうか」
換装のスキルに頼らず着替えをしたのなんて、そう言えば何時ぶりだったかな。
服はともかく、防具類を一個一個つけていく作業っていうのは、なかなかに面倒くさかった。
これを毎回やらなくちゃならないのだと思うと、とってもげんなりである。
まぁそんな面倒臭さが、一人で出来るもんっ! って感じがして、実は少しだけ楽しかったりもするんだけど。
着替えを終えた私は、忘れず部屋に施錠し、ゼノワとともに食堂へと向かった。
マジックバッグはどうしようか悩んだけれど、やっぱり手元に置いておかないと不安だったため、結局部屋に残してきたのは脱いだ服くらいのものだ。
流石に帯剣したまま食堂に行くっていうのは、不作法がすぎるだろうかとも思ったけれど、事はステータスに関わる大事である。
ただでさえ仮面をしているせいで浮きがちなのに、今から冒険に出てもおかしくないような格好だ。
結果として、それはもう盛大に周りのお客さんには引かれてしまった。
心眼なんてなくても、表情からそのくらいは読み取れる。
何やら他のテーブルでは、こっちを指してひそひそ話をしてる人も居るっぽいし。
自身の選択の結果とは言え、とても居心地が悪かった。
ひどく肩身の狭い思いをしながら、出された料理を頂く私。
このままでは誰かに絡まれたり、従業員の人に注意されるのではないかという恐怖でテンパり、兎にも角にも急いで食事を済ませる。
そうして逃げるように、早足で部屋へと引き上げたのである。
料理の味なんかは、正直殆ど覚えていない。
これから暫く、毎日こんな思いをするのかと思うと、ちょっと耐えられそうにない。
何か対策を講じなくちゃ……。
★
時刻は夜の七時を回り、外を出歩く人も殆ど見かけなくなる頃。
自室のベッドで悶々と考え事をしたり、ゼノワに弱音をこぼしたりし続けていた私は、そろそろ良い頃合いかと思い待望の転移を発動したのである。
そう、おもちゃ屋さんへの帰還、っていうか帰宅だ。実家のような安心感に飢えていた。
扉に鍵を掛け、リュック型のマジックバッグを背負い、万が一覗き魔なんかに見られてはいないだろうかと気配を探って安全を確かめてからの転移である。
鍵は念の為置いてきた。万一私の不在をスタッフの人に悟られた時、鍵を持ち逃げされた! なんて言われたくないからね。
そんなこんなで瞬く間に私の視界に映る景色は、未だ見慣れぬ宿の真っ暗な自室から、すっかり見慣れたおもちゃ屋さん裏手のそれへと転じたのである。
途端に押し寄せる、得も言われぬ疲労感。
体力的というよりかは、精神的なものだ。今日溜め込んだ不安やストレスが、質量を持って肩に伸し掛かったかのようだった。
ともすればそのまま座り込みそうになる私の頭を、ゼノワがペチペチ叩いて叱咤する。
「ああ、ごめん。これが実家の安心感なんだなぁって思ってさ……」
「ガウ……」
「そうだね。まだ一日目なのに、ちょっと大袈裟だったかもね」
私は足腰に気合を入れ直し、一つ息をついておもちゃ屋さん裏口のドアを開いた。
「ただいまー」
なんて、普段は師匠の誰かを見つけてから言うのに、今日ばかりはドアを開いてすぐに言葉が漏れてしまった。
すると。
「お帰りミコト!」
と、扉の前で待ち構えていたらしいモチャコが、元気よく出迎えてくれた。
ブワッと、胸にこみ上げるものがある。流石にまだ涙腺をやられるほど参ってはいないけど。
「大丈夫だった? 怖い目に遭わなかった? 一人で寂しくなかった? 無理してない?」
「あはは、モチャコは心配性だなぁ」
「ガルガル」
「え、ミコトに元気が無い?! な、何があったのさ!」
ゼノワにチクられた。
っていうかモチャコもゼノワの言うこと分かるんだね。何となく意思疎通できてるのは知ってたけど。
と、そこへやって来たのはトイとユーグ。
「ミコトおかえりー。なにー、何かあったー?」
「早速お土産話かしら?」
「ちょっと聞いてよ! ミコトってば、なんだか元気が無いんだってゼノワが!」
「わー、拡散しないでってば!」
普段なら、これから魔道具作りの修行が始まる時間である。
ところがモチャコたちがこれ見よがしに、私が凹んで帰ってきたと触れ回った結果、あれよあれよとリビングへ連行され。
気づけば師匠たちに取り囲まれ、ソファでお茶をちびちびすすりながら今日の話を語って聞かせることになったのだ。
まぁ正直、私が抱いた悩みだなんていうのは、普通の人からすると「何、そんなことで悩んでんの?!」って驚かれるような、取るに足らないようなものばかりなのかも知れない。
私自身語っている内に、改めて自分の無力さというか無知さというか、経験の浅さが恥ずかしくなったくらいだもの。
まぁもっとも、それらの悩みの幾らかには、私の抱える特殊な事情が絡んでいるのだから、一般論をそのままあてがってハイ解決! とも行かないのが辛いところなのだけど。
そうして、一通り今日の出来事やそこで感じたこと、思い至った困り事なんかをつらつらと語り終えると。
「……人間の世界って、面倒くさいんだね」
というのが、皆の主な感想だった。私もそう思う。
「お金がどうとか、常識がどうとか、洗濯物がどうとか」
「妖精じゃあんまり関係のないことばっかりだねー」
「でも、ミコトはその面倒を体験するために、わざわざ仲間と別れて行動してるのよね?」
「ま、まぁそうだね」
「ミコトも物好きだね。もっと自由に生きたら良いのに」
「だけどー、誰かの苦労を知るためにはー、自分も苦労してみないとねー」
「そうね。そう考えると、ミコトは偉いわ。立派よ!」
トイがよしよしと、私の頭を撫でてくれる。
ぽわんと胸の辺りが暖かくなった。ちょっと恥ずかしいけど、メチャクチャ癒やされる……。
でも、そっか。
私がこうして苦労することで、自分がどれだけ仲間たちに助けられていたかを知ることが出来るんだ。
スキルの有難みだって、今日一日で痛いくらいに思い知ったもの。
それにこれから先、もし他の冒険者と関わることがあった時、相手の気持になって物事を考えることが出来るようになるはず。ただの想像じゃなく、そこにリアリティを持たせて考えることが出来るんだ。
そう思うと、私の感じた小さな悩みの群れも、何だか価値あるもののように見えてくるから不思議だ。
「まぁでも、ミコトが困ってるんなら助けてあげないとね」
と、腕組みをしてそんなことを言い出すのはモチャコ。他の師匠たちも頷いている。
「一人で答えが出ないならー、みんなで考えれば良いんだよー」
「そうよミコト、何でも相談してちょうだい!」
何だか本当に、みんながママかパパに見えてきたよ。
どうやら私はまだまだ、師匠離れが出来そうにはないみたいだ。
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