第一一話 昇級試験開始
月が明々と頭上高くで輝き、街に暗い影を落とす真夜中。
街灯の一つもない貧民街。一軒の廃屋じみたボロ屋で、頼りない蝋燭の灯の下、お世辞にも良いとは言えない身なりの男たちが顔を突き合わせ、話し合いをしていた。
「確認するぞ。決行は明日、俺たちは手はず通り西の森に身を潜める。ターゲットをそこへおびき出し、一気に確保。そのまま移送を行い売り飛ばす。間違いないな?」
「ああ、間違いない」
「この前みたいな騒ぎはゴメンだぞ。あれのせいで衛兵の警備は強化され、随分動きにくくなっちまった。今回は大丈夫なんだろうな?」
「問題ないさ、あの女一人を自然な形で孤立させるための手はずは、既に調えてある」
「なんでもいいが、売る前にゃ味見くらいさせてくれるよな?」
ニヤニヤと嗤い合う男たちの中に一人、全身を丈の長い外套で覆い、フードで顔を隠した者が混ざっていた。
男たちに比べ、明らかに華奢な体躯をしたその人物が女性であることは、少し観察すれば明らか。しかしそれを訝しむ者は誰もいない。
肩を震わせ卑屈そうに笑う彼女に、男の一人が声をかけた。
「だがいいのか? あんたこんなことが知られりゃ戻れないぜ?」
「構わないさ。私はあの女さえ地獄に落とせるなら、どうなったっていい。彼を誑かし、全部台無しにしたあの女さえ……」
「おお恐いね。その調子でしっかり頼むぜ? この計画は、立案者であるあんたが要なんだからな」
「当然さ。私の手で奴の人生を無茶苦茶にしてやるんだ……くくく、かかかか!」
彼らの集いは誰に知られることもなく、誰も彼もが目をギラつかせ、明日の幕開けを今か今かと待ち続ける。
月は我関せずと、静かに眼下を照らし続けていた。
★
同じ夜の中。さりとてここは街から離れた森の中。
星天を覆うように伸ばされた無数の枝。幾重にも折り重なる葉は数多。星明りさえ阻もうとする。
そんな夜闇の奥底に、獰猛な野獣の唸り声が低く、鈍く響いていた。
重量を感じさせる足音に反し、風切り音すら置き去りにするほどの速度で暗闇を横切る。
振り下ろされた爪は容易く獲物をひしゃげさせ、こぼれた魔石を乱雑に噛み砕いた。
足りぬ、足りぬとばかりに獣は駆ける。
暗き森を獣は駆け、一つ、また一つと亡骸の石を呑み干していく。
喉は未だ、乾いたまま――。
★
新しい朝が来た! Eランク昇格の朝だ!
なんだかソワソワして、眠りが浅かったのか早い時間に目が覚めてしまった。いけない、冒険者は休むのも仕事だって生前に小説で読んだ気がする。
というわけで、何をするともなく試験に備えてベッドでソワソワゴロゴロしていたら、気配でオルカも目を覚ましてしまったらしい。申し訳ない。
私達はせっかく早起きしたのだからと、朝早くから軽く一狩り――に出るわけでもなく、かと言って他に何をするでもない、ただ駄弁るという贅沢な時間を過ごした。勿論、試験前に疲れる事は出来ないから、という理由あってのことだ。
こうしてみると、生前友達と駄弁っていた時間がどれだけ恵まれた環境のなせることだったか、骨身にしみるというもの。
何もすることがない暇というのは、実のところとても得難いものなんだな。
そんなこんなでノロノロと身支度を整えた私達は、食堂が開く時間を待って朝食を頂き、余裕を持ってギルドへ向かうのだった。
おかげで大分リラックスできた。後は変に気張りすぎたり、逆に油断しないこと。あと、例の変異だか特異だかって種類に遭遇さえしなければ……ってフラグ臭い! やめだやめ! とにかく最善を尽くすんだ。落ち着いていこう。
いつもと概ね同じくらいの時間に、ギルドに着いた。
朝のギルドは混雑している。通勤ラッシュみたいなものだ。考えてみれば当たり前のことなんだけど、朝早くから依頼を受けて、仕事に割ける時間を多く取ることができれば、その分依頼の成功率も上がるし、取れる作戦の幅も増えたりする。
早く仕事が済めば、その分早く戻ってくればいいだけの話なので、別段デメリットがあるわけでもなし。そのため冒険者たちの朝は基本的に早いのだ。
私だってお昼から狩りに出るよりも、朝から出たほうが確実に儲けが多いんだもん。自然とそういう生活になるってものだ。
カウンター前には列ができ、冒険者たちが仕事を貰っては捌けていく。
次々と彼らに仕事を割り振っていく受付嬢たちの手際の良さに、何だかどっかのアイドルのサイン会みたいだな……なんて感想が漏れてしまった。彼女らの美貌も相まって、妙な実感を伴ってしまっている。サインが貰えるなら私も並んでるところだ。
「ちょっと早く来すぎたかな。試験だからもう少し空いた時間を狙ったほうが良かったかもね」
「仕方ない。ソフィアは時間の指定をしなかったから、念を入れるなら早く来ておいて間違いはないと思う」
「そりゃそうか」
暇なので、私達は飲食スペースで飲み物を頼み、退屈な時間をやり過ごすことにした。今日はこんなのばっかだな。
最近はとにかく前のめり気味に動いてたから、ちょっと変な気分である。
あ、給仕のお姉さんと目が合った。いつぞやはお世話になりました、おかげで干からびずに済んだよ。とは言え私は仮面をしているから、目が合ったと思ってるのは私だけのようで、ちょっと寂しい。
なんてぼんやり益体のないことを考えていると、不意にオルカが口を開いた。
「ミコトは、どうしてランクを上げたいの?」
「ん? どうしたの急に」
「考えてみたら私、あんまりミコトのこと知らないから」
「知りたいなら何だって教えるよ。ランクを上げたい理由は、そうだなぁ……」
思えば私達はまだ出会って一週間程度だ。妙に仲良くなったけど、お互いのことはまだ全然知らないんだよね。過去のこととか特に。
とは言え、私は別に転生の件も含めてオルカに隠すつもりもないからね。訊かれたなら何だって答えるつもりだ。逆にオルカの過去を無理に詮索するつもりはない。今の関係が心地良いってやつかも知れないけど。やぶ蛇は嫌だしね。
それでランクを上げたい理由か。
ゲーマーとして、ランクシステムなんてのがあれば当たり前のように上を目指すものだと思っていた。だから、よく考えると理由らしい理由は実のところ持っていないのかも知れない。我ながら、なんていい加減な……。
自分の適当っぷりに頭を抱えていると、オルカが昇級をしないことのメリット、というものを教えてくれた。
曰く、一定のランクで一定の成果を上げ続ければ、冒険者と言えどある程度安定した職業になる。
担当の信頼も盤石になるし、常にある程度の稼ぎを得続けることが出来るそうで、実際そういう冒険者は珍しくないとのこと。
FからEに上がりたいというのはまぁ、あたり前のことだとしても。今後はどうなのだろう。私は上を目指し続けるのか? 特に理由もないのに?
そもそも私はこの世界でどう生きたいんだろう。
唐突に死んで、訳も分からず転生して。妙にすごい力を持ってはいるけれど、それで何をしろと言われたわけでもない。
自由度が高すぎて、何をしていいかわからないタイプのやつだな。生きることが目的のゲームみたいだ。まぁ、現実なんだが。
「強いて言うなら、受けられる依頼が増える。収入も増える。出来ることも増える。私自身の強化にも繋がる。だからランクを上げたい、かな」
「そこには危険が伴うのに……?」
「そうだね、一人だったら怖気づいてたかも。だけど私には、オルカっていう頼もしいアドバイザーがついているから」
「アドバイザー……」
「? どうかした?」
「ううん。任せて欲しい。私がミコトを支えるから」
「そうは言っても、オルカはオルカの仕事をしていいんだからね? 私のせいで収入減っちゃってるんだし……」
「私がそうしたいからしているだけ。ミコトが気にすることじゃない」
オルカはそう言ってくれるけど、やっぱり負い目は感じてしまう。
私がランクを上げたい理由の一つは、早く一人前になってオルカの手を煩わせないようにする、ってのもあるな、これ。
すっかりオルカが居る生活を受け入れつつある私だけれど、思えばそもそもどうしてオルカがそこまで私に良くしてくれるのかを、ちゃんと訊いたことがなかった。
別にオルカを疑っているとかではないけれど。一週間オルカを間近で見続けて、その人柄も見えてきた。心配性で、お人好しで、寂しがり。
なにか下心があって近づいてきたとは、到底思えなかったんだ。
でもだからこそ、ずっとその手を煩わせるわけには行かないしね。
「どうしたの? 暗い顔して」
「なんで仮面つけてるのに分かるの?」
「ミコトのことなら、何となく分かるよ」
「そっか。分かっちゃうかぁ」
冒険者は一期一会。いずれ別れることになるとしても、心地良い今の時間は大切にしたいものだ。
今日の試験に受かることが出来たなら、一度腰を据えてオルカと話し合ってみるのもいいかも知れない。
今までのことを聞いたり、これからのことを相談したり。それと一緒にいてくれる理由もちゃんと尋ねてみよう。
そのためにも試験、頑張らないと。
その後もしばらくオルカと他愛ない話をしながらのんびりと待っていると、いつの間にやらロビーから聞こえる喧騒も落ち着いていた。
「お。そろそろロビーも空いてきたかな」
「そうみたい」
「じゃ、いきますかー」
私達は席を立ち、ソフィアさんのいる受付へ向かった。
軽く手を上げて挨拶すると、おはようございますと返してくれる。昨日の暴走のせいか、少し気まずそうな顔をしている。
「おはようございます。昇級試験を受けに来たんですけど、大丈夫です?」
「はい。ミコトさんに同行する冒険者の方がお見えになり次第、開始することが出来ますよ」
「じゃぁ、今のうちに試験の内容を聞いておきたいんですが」
「分かりました」
ソフィアさんの説明で、今日の試験内容が詳らかにされた。
とは言え昨日オルカが教えてくれたものと違いはなく、同行する先輩冒険者の前で私がモンスターを狩って見せることが試される内容であり、その技術如何で合否が決まるらしい。
だが所詮は低ランクの試験だけあって、相手取るモンスターも大したことはないし、ちゃんと戦ってちゃんと倒せれば概ね問題はないはずだとのこと。
余程素行が悪かったりすれば、例外的に落とされたりすることもあるそうだが。私はそんな問題児無いはずだし、大丈夫だろう……多分。
しかし思いがけない点が一つあった。
それは、試験にオルカの同行は認められないとのこと。試験は私が、私自身の力のみでモンスターを倒せるということを示さなければならない。ならば当然、親しい者が同行しては厳正なる審査の妨げになる、ということらしい。
同行する冒険者は審査役であり、同時にもしも受験者が未熟だったり、何らかの失態を犯した場合カバーする役目も担っているそうな。そしてその同行者はギルド側が予め斡旋してくれているとのこと。
オルカと別行動か。転生初日以来のことで、正直少し動揺してしまった。
いつも無理についてこなくていいと言ってるのは私なのに、すっかり一緒に行動することが当たり前みたいに思ってしまっていた。オルカ依存症の兆候だ、やばいやばい。
他方でオルカは、驚きこそなかった様だが、不安げにこちらを見ている。
もしかするとこうなることは知っていたか、予想していたのかも知れない。それなら言ってくれてもよかったのに。
「どうしても、ついていったらダメ? 私が同行者じゃダメなの……?」
「いけません。身内贔屓の可能性がある以上、同行者は中立である必要がありますからね」
「邪魔はしない。離れて見守ってるから」
「ダメです。遠距離からの支援の可能性があります」
「むぅ……ごめんミコト。今回だけは、力になれないみたい」
どうやらオルカは、どうにかしてついて来るつもりだったため、別行動の件を口にしなかったようだ。過保護か! や、今更か。
がっくりと肩を落とすオルカを宥めながら、私はソフィアさんに問う。
「それで、今日同行してくれる先輩冒険者ってどんな人なんですか?」
「はい。ミコトさんに配慮して、女性の方を募集しておきました。引き受けてくださったのはヴィオラさんという、先日Cランクに上がられた方です。担当に伺ったところ、堅実な立ち回りを好む実力派の冒険者、だそうです」
「Cランクって言うと、オルカと同じ?」
「そうですね。ですが、オルカさんは既に昇級試験への挑戦資格を有していますから。実質C+といったところでしょう」
「へぇ、さすが私の目標だ」
「そ、それほどでも……」
頬を赤らめてもじもじするオルカ。くっ、可愛い。出来れば私もついてきて欲しかったけど、ルールと言われては仕方がないか。
そうこうしている内に、背後から声がかかった。
「あら、遅れたかしら? あなたがEランク試験に挑むミコトさんで間違いない?」
「! あ、はい。そういうあなたは?」
「今日あなたに同行するヴィオラよ。よろしく」
現れたのは暗い紫の髪色をした、細身の女性だった。片手剣と盾を携えた、いかにもスタンダードな冒険者という装いをしており、堅実な立ち回りを好むという前情報を裏付けている様だった。体つきも細身の割に筋肉質で、癖がない感じがする。バランスタイプを絵に描いたような人だ。
顔もなかなか整っているのだが、なんだろう。不思議とお近づきになりたいとは思えない、不気味な感覚を覚える。
この人と一緒に行動するのか……あんまり気は進まないな。だがまさか、ここで駄々をこねるわけにもいかないしな。
「いらっしゃいましたね。それでは、準備ができ次第出発していただいて結構ですよ」
「はい。ヴィオラさん、こちらこそ今日はよろしくお願いします」
「はいはい、ちゃんと私が見てるからしっかり戦ってね」
「……ミコト、気をつけてね」
「うん。頑張ってくるよ」
ヴィオラさんの準備も問題ないとのことなので、オルカとソフィアさんに見守られながら、私達はギルドを後にするのだった。
★
朝はそれなりに天気も良かった。しかし現在は鈍い色の雲が青を隠し、すっかり曇天の空模様を作り出している。
街門を出る頃には、すっかり頭の痛くなりそうな天気だ。雲に濁されて落ちた太陽光はくすんでいて、いつもの草原も味気ない景色に見えてしまう。
ヴィオラさんは少し先を歩いているが、口数は少ない。振り返りもせずズンズン歩く。これ、もし私がはぐれたらどうするつもりなんだろう? それで失格とか言われたら嫌すぎるな。
何だかあんまり私を良く思っていない気がするぞこの人。はぁ……他の冒険者と組むのって、こんなに面倒くさいのか。オルカの有り難みが身に沁みて分かるというものだ。
広い草原の中に引かれた一本線のように、踏み固められた土の道を歩く。いつもの狩場とは異なる場所へ向かうようだ。少し緊張してきた。
しかし何の説明もないな……流石に何だか不信感も湧いてこようというものだ。
「あの。どこまで行くんですか? モンスターなら街からこんなに離れなくてもそこそこ出ると思うんですけど」
「……何を言っているの? あなたまさか、街の周囲にいる雑魚を殺せば昇級できる、だなんて甘いこと考えてないわよね?」
「違うんですか?」
「バッカじゃないの? そんなはずがないでしょう。昇級試験なのだから相応の相手と戦って見せてもらわないと」
「な、なるほど。では、その相手って?」
「教えるはずないでしょう。事前調査で何でもかんでも把握できるわけがない。時には優れた対応力を求められるものよ」
「むぅ……それもそうか」
「分かったなら黙ってついてきて」
険のある物言いだが、一応理屈はわかる。
だが初見の場所に連れて行かれて、初見のモンスターと戦えと言われても、それって試験にしては危険すぎやしないだろうか? そのための同行者というわけなのだろうけど、Eランクに登るのってこんなに危険なのか。何だか不自然な気もするけど……ギルドが正式に手配した人なんだし、文句も言えないか。とにかく、一層気を引き締めておこう。
結局その後もヴィオラさんは何も言わぬまま歩き続け、私もまた黙々とその背に続いた。とても気まずい。そんな調子で約二時間以上……勘弁して欲しい。
そうこうしている間に、歩みは道を外れて草原を渡り始める。
いよいよ試験かと身構えたが、飛び出してきたモンスターはヴィオラさんが一蹴してしまった。いい動きをする……けど、オルカの動きを見慣れているので、それほど凄いとは感じなかった。
というか、なんでヴィオラさんが倒しちゃうんだ? 私の試験は?
「今の、私が戦うんじゃないんですか?」
「ここのモンスターでは試験には不足だから。あなたの出番はもう少し先」
「そうですか……」
私の問いに投げやりとも取れる、温度の感じられない説明が返ってくる。
なんとも嫌な空気だ。曇天はますます空を暗くし、空気の重さに拍車をかけている。
溜め息の一つも吐きたくなるが、そこはグッと堪えて気を引き締める。ここは街の外だ、しかも私にとっては初めて訪れる場所。決して油断していい場面じゃない。
街の西門を出て数時間も歩けば、深い森に辿り着く。そこは生息するモンスターも草原とは異なり、その性質も強さも変化する。
結局私はヴィオラさんの後を歩き続け、そんな危ない森のすぐ側までやってきてしまった。
まさか、ここに入るつもりなのだろうか? オルカから聞いたことがある。ミコトはもう少し経験を積んでから入るべき場所だって。というかそもそも、Fランクや一般人の立ち入りなんかは制限されていたはずでは?
「ここ、Fランクの私じゃ立ち入り制限に引っかかる森、ですよね?」
「はぁ……あなたバカなの? 昇級試験なんだから、格上のモンスターを相手に戦い方を見るのは当たり前でしょう。ここにはそういう相手がいる。だから立ち入り制限は限定的に解除されるのよ」
「試験中、上級の冒険者同伴でなら立ち入れるってことですか」
「そうよ。だからあなたは余計なことを考えず、試験に備えていればいいの。この森に入ったら、いよいよ本番だから」
「が、がんばります」
「ええ。精々格好いいところを見せてちょうだいね?」
斯くして私は、普段なら決して近づきさえしない森の中へ、緊張と不安を懐きつつ足を踏み入れたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます