ゲームのような世界で、私がプレイヤーとして生きてくとこ見てて!
カノエカノト
第一話 見え……見え……っ!
時刻は七時五〇分。澄んだ青空に朝の日差しがよく映える。
いつものバスの、いつもの座席に腰を下ろし、私は鞄から一通の黒い封筒を取り出した。
洋型、ダイヤ貼りのそれを開き、一枚のメッセージカードに視線を落とす。
先日、私宛に届いた怪しいお便り。何度見返しても、誰が何の意図で送ってきたのかわからない。
『神代 命様。厳正なる抽選の結果、あなたは異世界転生の資格を得ました。
異世界へ転生しますか? YES/NO』
メッセージカードにはそう書かれていた。まったく、何なのだろう。
こんなものを見せられては、私の中の中二男子が黙っちゃいないぞ。
分かるだろうか? これを初めて目にしたときの、私の高揚が。
ワケもなく立ったり座ったり、狭い部屋の中を歩き回ったり。
これを我が家の郵便受けに放り込んだやつは、よく分かっている。
私に効果的ないたずらというものを、とても良く熟知している。脱帽だ。
そんな素敵な犯人を突き止め、称賛と鉄拳を贈るべく、私は再び封筒とメッセージカードを観察した。
とはいえ現代っ子を舐めてもらっては困る。今時封筒を観察したところで、違和感を察知できるほどそれらに詳しいはずもない。
分かることといえば、住所も氏名も書かれておらず、切手さえ貼られていない。ただ神代 命宛ということしか明記されていないため、郵送されたものではなく、直接郵便受けに差出人手ずから、あるいは間者が投函したものであろうことくらいだろうか。実に怪しい。
私は溜め息を一つ吐き、メッセージカードを収めた封筒を鞄の中へ戻した。
「異世界、ねぇ」
思わず零れたつぶやきを置き去りに、ゆっくりとバスは動き出す。
★
昼休み。異世界に思いを馳せながら、自分の席でお弁当をつついていると、対面で同じく昼食を咀嚼していた友人がそれを飲み込み、話題を振ってきた。
「それで、転生すんの?」
「ロマンは認めるよ。だが残念、当面は無理かなぁ」
隠しだてるようなことでもなし、例の転生当選通知の件は、話の種として仲のいい友達などには話してしまっている。
結果、ノリの良い目の前の彼女などは面白そうに食いついてくるのだ。
しかし私の答えが意外だったのか、何故と首を傾げ、先を促してくる。
「考えても見てほしい。転生ってことは、一回死ぬってことだよ。私は今の生活に大きな不満もない。むしろ家族にも、友人にも恵まれて幸せさ」
「おお、嬉しいこと言ってくれるじゃぁないか」
「そんな幸せを与えてくれた、他ならぬ親には感謝しているんだよ私は。だから、いずれはガッツリ親孝行をする気満々なんだ。それを差し置いて死ぬだと? そんな親不孝をぶっこけと? とんでもない話だね」
あり得ない。私はやれやれと首を横に振ってみせた。
彼女は、ほぉと感心した様子で何度か頷くと、更に一つ問いを投げてきた。
「そう思うのなら、そんな得体の知れない手紙はキモチワルイとゴミ箱へ投げ込んでしまえば良いのでは?」
「私もそうは思うのだけれどね。ところが、私の中に住まう中二の少年がそれを決して許さないのだよ」
「あーはいはい」
彼女はそうでしょうねと適当に話を流してくる。問うておいて何たる邪険だ。遺憾だな。
見ろ、私のほっぺは多量に空気を含んでこんなに膨らんでいるぞ。どうしてくれるんだ。
「それにしても異世界ねぇ。命が異世界に転生するとしたら、やっぱりエルフとかになるのかな? なんか似合いそうだし」
「エルフか。悪くないね、美しく長命で、弓に魔法にといかにもファンタジーを満喫できそうで実に良い。だがそうだな、私が転生するとするなら……ん?」
「ん?」
待てよ。転生するとするなら……そんな触れ込みをどこかで聞いたな。それも結構最近だ。
何だったか……?
「そういえばアレはどうなったの? 一ヶ月くらい必死で作ってたやつ」
「そ、それだ!」
あれは確かもう、二ヶ月近くも前のことだったか。
遊んでいたゲームにも飽きてきたから、新しいものをネットで探していたんだ。
そうしたら、それが目に留まった。
――あなたがもし異世界に転生するとするなら、どんな自分を望みますか?
そんな触れ込みに惹かれ、私はそのゲームをダウンロードしたんだ。
いや、ゲームと言うよりは体験版と言ったほうが近いだろうか。
開発中の新しいネットゲームか何かだと思うのだが、3Dモデルのアバターを作成できるというコンテンツだった。
転生後の自分をデザインする、というコンセプトだったのだが、このキャラクタークリエイトが思いがけず自由度が高く、モデルのクオリティもやたら高かった。
気づけば私はコンセプトなどすっかり失念し、理想の嫁をひたすら作り込むことに没頭してしまっていた。
は? ああ。私は確かに女だが。なんなら現役女子高生だが。それが嫁を求めることに何か問題でも?
私の中の中年オヤジを黙らせることは出来ないのだ。素人は黙っとれ。
実に一月以上もの間、私は寝る間も惜しんで嫁作りに没頭した。嫁を完成させるために、持ちうる美的センスの全てを注ぎ込んだ。
心血を注ぐ思いで没頭し、こねくり回し続けた結果、ついに奇跡のようなモデルが完成したのだ。
バカみたいにスクショを撮りまくり、愛でまくった。生涯でこれを超える3Dモデルにはきっと出会えないと思えるほど、我が作品ながら完璧。至高の傑作となった。
「異世界に転生したら、私はあの子と結婚する! あの子に出会うためならば、転生もやぶさかでなし!」
「てか手紙の送り主って、そのゲーム会社って線は無いの? 転生つながり? とかでさ」
「む……?」
確かに、言われてみればアカウントを作る際にメアドくらいは入力したが。
まさかそこから自宅を特定し、こんな訳のわからない便りを寄越したと? しかも郵送もせず直接届けに来た……?
「流石にないでしょ。もしそうだとしたら、個人情報の悪用だ。訴えたら勝てるんじゃないだろうか」
「変な手紙寄越しただけなのに?」
「自宅を特定しているって時点で駄目だろう」
怖い話を聞いてしまったな。いつの世も一番恐ろしいのは人間の悪意だ。
ひょっとすると警察に相談するべき案件、という線も出てきてしまったな。
これが私の考えすぎで、単なる杞憂だと言うなら。そして身近に犯人がいるのなら、大事になる前に名乗り出てほしいものだ。実際怖いしな。
私は念の為スマホを手に取ると、件のページを探す。警察に相談する前に、まずは問い合わせの一つもしてみたほうが良いだろう。あくまで念の為だ。
検索エンジンにそれらしいワードを打ち込み、検索を実行。
「……ん?」
「どした?」
「おかしい……。例のサイトが見つからないんだが」
「うわ……やめてよ。ちょっと怖いんですけど」
記憶をたどり、様々なワードで検索をしてみるが、それらしいページがヒットすることはなかった。
それならばと、検索履歴を遡って探してみるが、驚いたことに履歴にすら何の情報も残っていない。履歴消去などは行っていないはずだが。現にそれ以前の履歴なら残っているのだし。
流石に気味が悪い。ページが閉鎖された、ということだろうか? だが、履歴すら消えるというのはどういうことだ? というか普通、ネット上に何らかの痕跡くらいは残るものだと思うのだが。
何にせよ気味の悪い話だ。そしてもしも本当に例の黒封筒が件のゲーム会社から送られてきたものだとすれば、真面目に何らかの対処を考えるべきかも知れない。
私はすっかり味気のなくなってしまったお弁当の残りを、口数も少なくもそもそと平らげるのだった。
★
カチカチ、カチャカチャと見慣れた自室にコントローラーの操作音と、スピーカーが吐き出すゲームの音声が響く。
きれい好きを自負している私の部屋は、こまめな手入れの甲斐あって埃一つ落ちてはいない。
というのも、棚に並べたフィギュアが埃を被ることなど許容できないがためだったりする。紳士ならば当然の配慮だろう。
ん? 何のフィギュアかって? 美少女フィギュアに決まってるだろう! いい加減にしろ!
けれど今ばかりは、そんな愛しの彼女らも目に入らない。
視界の中心にはモニターを捉えているが、それも気を紛らわすためでしかなかった。
私はゲームが好きだし、得意だ。動画サイトによくプレイ動画を上げては、なかなかの再生数を稼いだりもしている。
FPSから格ゲー、音ゲーにパズルゲーム、ギャルゲにエロゲまで何でもござれだ。
特に対戦系のゲームでは、最上位勢に食い込むことも珍しくはない。一応大会での優勝経験というのもそれなりにある。
ただしソシャゲやスマホゲーで課金勢と競うのは無理。あれは私の知ってるゲームの概念から逸脱してると思う。
そんなわけで、現在画面の向こうの私は、ごきげんに対戦相手をボコしているわけだが。こっち側の私は、うっかりすると発狂しそうになる心持ちを、どうにかやり過ごそうと必死だった。
それというのも、昼間の話の延長になるのだけれど。
帰宅した私は自室に戻ると、手早く着替えを済ませてPCを起動したんだ。
目的は、例のゲームを調べるため。あと、日課の嫁を愛でるため。
昼間の話がずっと気がかりで、何か手がかりでも見つかればと思っていたのだが。せめて開発が中止になった旨の、告知の一つも見つかれば安心できるというものだしね。
だと言うのに、結果としてそれは私の不安をより煽る結果になってしまった。
ゲームが、存在していなかったんだ。デスクトップに置いておいたショートカットをはじめ、件のゲームに関連するデータが、消した覚えもないのに尽く消え失せていた。
そしてあろうことか、私の理想と欲望の粋を結集させた嫁のデータが……。まるではじめから存在していなかったかのように、跡形もなく消滅していた。
幾重にも取っておいたはずのバックアップデータさえ、一つとして残っていなかった。
私は泣いた。子供のように泣き喚いた。こんなに悲しいことがあってたまるものか。絶望だ。ぜっつぼー!
私の嫁が……。寝食をともにした、かけがえのないパートナーが! 今朝まではたしかにそこにいたのにぃぃぃぃ!
デスクトップの壁紙にしてあるベストショットが、今は遺影のように見える。嗚咽が止まらない。
私の嫁ぇ……。齢一六にして未亡人、か……。
そうして今に至る。
気づけばいつの間にかゲームを起動し、えげつないハメ技で対戦相手をボコしまくっている自分がいた。
いかんいかん、幾らどん底のズンドコまで凹みきっていても、プレイマナーは尊重されるべきものだ。気をしっかり持たなくては。
そう、分かっていても、辛いものは辛い。なぁ……あんたもわたしと、辛さを分かち合おうや。なぁ?
分かち! 合えば! 辛さは! 半分に! って! 言うだろぉぉぉ!!
……おっといかんいかん。だめだ、ダークサイドが私を捕まえて離さない。
別のゲームをしよう。オフラインのやつ。対戦ごめんなさいでした。
★
明けて翌朝。
昨晩は良く眠れなかった。寝ても覚めても、消えた嫁のことを考えてしまう。ギネス溜め息選手権にエントリーせんばかりの勢いで、頻繁にはぁはぁ言ってる。
寝不足で足元がふらつく。少し喉も痛い。風邪でも引いたのか? 病は気からというやつか。心が弱ると、体も弱るのかも知れない。辛い。
いつものバス停で、何をするでもなく待ちぼうけしていると、不意に大型のトラックが向こうからやってくるのが見えた。
異世界ものの小説も嗜む私だ。名物である異世界トラックくらい知っている。
主人公を容赦なく撥ね飛ばし、轢き殺し、その魂を異世界送りにしてしまうという恐ろしい存在である。
そして私は、最近やたらと異世界転生という言葉に縁がある。ここは大事を取り、バス停を一時離れて安全マージンマシマシが最適解だろう。
私は遠くから徐々に迫るトラックの動向を観察しながら、いつもより動きの鈍い体を動かし車道から大きく距離を取った。そうして万が一こっちに突っ込んできてもステップで回避できるよう、腰を落とし備えたのである。
朝っぱらからこんなことを本気でやっている辺り、ちょっとどうかしていると自分でも思うのだけれど。備えあればなんとやらだ。
同じくバス待ちをしていたお姉さんが、一瞬こっちを見てさっと目をそらした。なんだ。言いたいことがあるなら言ったら良いだろう! やんのかおおん?!
などとやり場のない心のササクレを内心で持て余していると、不意に私の目の前を小学生の女の子が横切っていくのが目に留まった。しかも、美少女だ!
私の中のおじさんが、生暖かい目で彼女をロックオンしている。これから学校かい? 気をつけて行くんだよ?
と、気を取られている隙にトラックは迫る。
私はハッとして、視線を急いでトラックへ戻した。対象との距離は既に、運転手の姿が確認できるほどに近づいてきている。
そうして私は、まさかの光景に一瞬息を詰まらせた。
トラックの運送業が過酷だ、という話はテレビで聞いたことがある。
徹夜の運転。居眠り。そして事故。遣る瀬無い話だ。
運転手にも生活があり、上から仕事を強いられているのだろう。誰だって事故を進んで起こそうなんて思わないものな。
だけれど、被害者にそんなことは関係ないんだよなぁ。
こうして、運転席で寝コケているドライバーを目の当たりにし、そう強く実感した。これはマジでヤバいやつだ。
さすがの私も、半ば冗談のつもりでいたのに。まさか本当に?
いやだがしかし、半ばなりと心の準備を予めしている私の対応は早い。
「あのトラックのドライバー、居眠りしてる! 皆逃げて!! 早く!!」
すぐさま声を張り上げ、その場にいた全ての人間に警告を発した。そして私自身も、更に警戒を強める。
声の届く範囲にいた人たちは、とっさにトラックを一瞥し、その挙動が明らかにおかしいことを察知するや、一目散に踵を返していく。
トラックがどう動くのか予測がつかない。運転手は依然ハンドルを握ったまま船を漕いでおり、大惨事へのカウントダウン進行中だ。どうしてだろう、こっちに突っ込んでくる予感がビンビンする。
だが、だとて巻き込まれてたまるものか。親孝行するんじゃい! こんなところで転生してる場合じゃない!!
それにこれでも、運動神経には自信があるんだ。ゲームで鍛えた動体視力も馬鹿にできたもんじゃないんだぞ。
とその時、私の中の中二男子が警鐘を鳴らした。
こういう場合のお約束。それは、子供をかばっての事故が定番だと。そしてすぐ近くには依然、美少女小学生がおり、且つ私の警告を聞いてテンパって尻餅をついている只中だった。
トラックはフラフラと怪しく蛇行しながら、もうすぐ近くまで迫ってきている。いつ急に歩道へ突っ込んできても不思議じゃない。くそっ、起きろバカドライバー!
私は歯噛みし、恐怖で腰を抜かしている美少女へ駆け寄った。もはや猶予はない! 私は少女の肩を抱え、声をかける。
「ぐへへお嬢ちゃん可愛いねぇ、大丈夫? 立てるかな? おじさんと一緒にいいところ行こうねぇ」
「ひぇっ」
あっ。やってしまった。
迫る走行音。ガコッとタイヤが歩道に乗り上げる音が鳴り、同時にガードレールだかなんだかを破壊するけたたましい音が耳をつんざく。
振り返る時間もない。心臓が飛び出そうなほど早鐘を打っているが、それに反して現実味が薄いのは寝不足のせいだろうか。本当に、リアルな夢でも見ているようですらある。
結局なんだったんだろうか、と思う。
あの封筒は。もしかしてこうなる未来を予見して、私のもとへ届いたものだったりしてな。今更確かめるすべもないけれど。
私は直後の運命を悟りながらも、しかし紳士たるもの何も出来ず、動けず、彼女を巻き添えにすることなどあってはならない。
美少女小学生を火事場の馬鹿力で抱え、思い切り投げ飛ばした。自分でも信じられないくらいの力が出た。アニメのアクションじみた軌道で少女が飛んでいく。多分怪我をするのだろう。本当にごめん。
少女の驚愕に染まった表情が、スローモーションのようにはっきり見える。これが極限状態というやつか。
あ、投げた拍子に美少女のスカートの中身が、見えっ、見え……満足。ああ、満足だ。
『異世界転生を行いますか?』
不意に頭の中に、そんな声が響いた気がした。
ことここに至って、そんなの答えは決まってる。
願わくば向こうで、嫁と再会できますようにと強く、強く祈りながら。
私は今際の際に答えた。
「イエス」
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