魔法使いヒナコ

カスガ

魔法使いヒナコ

 幼なじみの神代かじろヒナコは魔法使いである。少なくとも本人はそう主張していた。

 小学生のころは近所のもっと小さな子たちを集めて、よく近所の児童公園で魔法を披露していた。洗面器に布を張った即席の舞台に人間の形に切り抜いた紙きれを落とし、「歌え、歌え、鍋のまわりで。輪になれ、輪になれ、妖精のように」と呪文を唱えながら両手をうごめかすと、紙人形はヒナコの指示のままに立ち上がり、歩いたり跳ねたり踊ったり、さらには寸劇じみたものまで演じるのだった。

 夏の夜には星の光を地上に呼び寄せる魔法を見せていた。ヒナコがガラス瓶に詰めた金平糖を前にして、真剣な顔でなにやらぶつぶつと念じると、金平糖たちは暗闇の中でうっすらと七色の光を帯びてくる。やがて金平糖はきしきしと震えながら輝きを強め、瓶の中につかの間の銀河を描きだす。そして最後には燃えがらのような黒い塊を残して消えてしまう。

 白状すると、わたしも最初はヒナコの魔法に見とれていたクチだ。

 だけど、すぐに飽きた。ヒナコの魔法はワンパターンなのだ。紙切れだの綿毛だの軽くて小さなものを動かすか、色付きの光や火花を出して見せるか、もっぱらそのふたつだけで、あんなものは子供しか喜ばない。

 わたしたちが一応まだ少女ではあるが、もう「お子達」とは呼ばれなくなったころである。たまたま虫の居所の悪かった日に、ヒナコの新作のおひろめに誘われたことがあった。固体の虹を作り出す魔法をものにしたのだという。わたしは断った。

「だって、あんな魔法くだらないし」

「どうして?」ヒナコがきょとんとして訊き返した。

 この「どうして?」がわたしをかたくなにした。

 もし、その言葉から少しでもヒナコの傷ついた内心がうかがえていたら、わたしはすぐさま前言を撤回して、自分の軽率な発言を詫びた上で、ぜひ虹の魔法を見せてくれるようにと懇願していたと思う。けれども、ヒナコの口調から感じ取れたのは、率直な疑問の念だけだった。

「そりゃ、人間より大きな人形を動かして仕事とかをさせられるんなら、わたしだって便利だと思うわよ。でも、飛び跳ねたり踊るだけの紙人形が、一体なんの役に立つの? 金平糖の魔法にしたって、三十秒ももたない明かりじゃ電気の代わりにもならないし、あんな魔法、あったってなくったって同じよ」

「わかってないねえ、ユイちゃんは」ヒナコはやれやれと首を振った。「役に立たないからこそ素晴らしいんじゃない。それとも、ユイちゃんは役に立つものしかないような世界に住みたいのかな?」

「まあ、あんな魔法ごっこでも子供にとっては気晴らしになるし、そういう意味で役に立つのは否定しないわ。大人の人が、タバコやお酒をたしなむみたいなものね。だけどね、わたしたちはまだ大人じゃないけど、もう子供でもないの。いつまでも、ごっこ遊びを楽しんでるわけにはいかないの」

「つまり、ユイちゃんは魔法を信じてないんだね?」

「信じてないわよ」

「もし、本当に役に立つ魔法を見せてあげたら、あたしの魔法を信じてくれる?」

 ヒナコがいつになく真剣な態度で訊いた。その勢いに気圧されて、わたしはやや譲歩した。

「……いいわ、信じてあげる――ただし、さっきも言ったけど、子供の気晴らしに役立つとか、そういうのじゃダメよ。直接に世の中の役に立つような魔法じゃなくちゃ、信じてあげない」

「もしも人の心を自由に動かせたら、ユイちゃんはそれが役に立つと思う?」

「は?」

「確かに、あたしは人間のかわりに力仕事をする人形を作ったり、一晩中部屋を照らしておける明かりの魔法は、まだ使えない。それは認める。だけど、小さなものや軽いものを動かす魔法は使えるし、人間の心だって、小さくて軽い“モノ”なのに違いはないんだよ。もしも人の心を動かして、怒りや悲しみをやわらげたり、憎しみや争いを鎮めたりできたら、それは、とてもとても役に立つとは思わない?」

「それはまあ……役に立つかもしれないけど」

 なんだか丸め込まれているような気もしたが、そう答えるしかなかった。まさか、この一連の会話が心を動かす魔法だとか言い出すつもりじゃないだろうな。

「じゃ、ユイちゃんの髪の毛を一本ちょうだい」ヒナコが右手を差し出した。「ユイちゃんに“魅了”の魔法をかけてあげるから。人間の心を動かす、もっとも古くからある魔法のひとつだよ」

 予想外の提案に、不安を感じなかったと言えば嘘になる。もちろん、何度も言ったとおり魔法など信じていなかったが、ヒナコなら、あるはずのない魔法でも実現させてしまうのではなかろうか――そう思わせる雰囲気が、確かに彼女にはあったのだ。

 だけど、あんな子供だましの魔法を怖がってると思われるのもしゃくだった。わたしは自慢の黒髪をぷつんと一本抜き取り、無言で彼女に手渡した。

 ヒナコはわたしから受け取った髪の毛を、不思議な手順でさくさくと結んでいった。くりかえし結ばれた髪の毛は、いつしか小さなハートの形に変わった。次に、いつも持ち歩いている魔法のリュックから蜜蝋みつろうの粘土を取り出すと、興味しんしんに見守るわたしの目の前で、蝋を指先の体温でこねて柔らかくし、小さな人間の形を作った。

「考え直すなら今だよ、ユイちゃん」ヒナコが蝋をいじる手を止めて、じっとわたしを見つめた。「『ヒナちゃんの魔法を侮辱するようなこと言ってごめんなさい』って、素直にあやまれば許してあげるよ。このまま魔法をかけ終えたら、ユイちゃんは本当にわたしのとりこになっちゃうんだよ?」

「早く終わらせなさいよ」わたしはつとめて平静を装いつつ、答えた。

 ヒナコはわたしの髪の毛で作ったハートを蝋人形の左胸に埋め込むと、その上を指でならして平らにした。そして人形を丁寧に白いハンカチで包み込むと、その上から赤い紐でぐるぐる巻きに縛った。

「かかったね」縛られた蝋人形をしまい込んだヒナコは、リュックの蓋を叩いてにやっと笑った。「これでもう、ユイちゃんの心は永遠にあたしのものだよ」

 その日から、わたしは神代ヒナコのとりこになった。

 

 ――というようなことは、もちろんなかった。

 ヒナコがわたしに魅了の魔法をかけるだのとりこにするだの言い出したときは、なんで唐突にそんなことを言い出すのかと困惑したが、ただ、それだけだった。

 ヒナコを想って夜も眠れなくなるとか、ヒナコのためなら命も惜しくないとか、そういう気持ちが湧き起ってきたりは全然しなかった。あいかわらずヒナコはわたしの幼なじみであり、インチキな魔法使いだった。

 ただ、しばらくすると、ヒナコはふっつりと魔法を使うのをやめてしまった。もしや、わたしの批判じみた言葉のせいではないかと一時は気を揉んだが、本人にそれとなく訊ねてみたところ、今は魔法よりも興味をかれたものがあるのだと言われ、ほっとした。彼女は気の多い女の子だった。

 あえて言うなら、ヒナコが魔法使いを廃業したあとも、あの蝋人形を持ち続けてるらしいのが気になった。別にわたしに恥じるところはないし、勝手にすればいいぐらいに思っているが、なんだか、自分の心の一部を人質に取られているような気がするのだ。

 いやいや、こう考えることこそヒナコの思う壺かもしれない。まず、魅了の魔法とかとりこにするとか意味ありげなことを吹き込んでおいて、その魔法の記念品を肌身離さず持っているのを常にアピールする。そうなると、ついついわたしもヒナコのことばかり意識してしまうという寸法だ。きっと、それが魅了の魔法の仕組みとかいうやつなんだろう。

 わたしはそんなインチキに引っ掛かったりはしないし、わたしがヒナコのことが気になって仕方がないのも、魔法とは関係ない。断じて関係ない。





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