推しを見守る子狐生活
もずのみいか
推しを見守る子狐生活
第1話 ──はじめます!──
「────婚約は、白紙だ!」
目を開けた瞬間、それ?! 寝耳に水だわ。
これがうわさの、異世界転生したら悪役令嬢になってて、ってやつなの?
だれかここまでのいきさつを、端的に説明してくれないかしら。
少し距離をとった人垣を見回しても、興味本位の視線がほとんど。
間に入ろうとする人間の気配はない、か。
────ふぅ。
さぁ、どうしたものか。
「おい、聞いているのか?! ────ふん、眉ひとつ動かさないか、可愛げのない。マリアの爪の垢を煎じてのませてやりたいよ。お前が我が最愛のマリアに行った所業、決して許さんからな!!」
と、言われましても。
さっきまで、お店の開店準備をしていたのだし。
お店の中も外もピカピカにして、看板に光を灯して、おつまみの準備をして……。
あぁそうか、思い出した。
スマホから鳴り響いた、緊急地震速報の音。
夜に訓練なんて、しないものね。
あれは、現実だったのだ。
狭いカウンターにいた私は、後ろの棚から落ちてきた大量の酒瓶の、下敷きになって…………。
アイドルのライブ参戦でお休みだった、バイトのマミちゃん。無事だったのかしら。
ライブは、最後まで見れたのかしら。
怪我がないと良いけど…………。
明るく楽しく、時には、疲れてひと息つきたいお客様の止まり木になれるような。
健全な水商売をモットーに、自分の小さな城を守ってきたけど、もうあの場所には戻れないのか。
お客様との楽しいおしゃべり、美味しいお酒…………心残りがないといえば、嘘になる。
でもまずは、目の前のことを片付けなければね。
困った。
情報が、少なすぎて。
誰か、教えてくれないかしら?
目の前で叫んでいる、ギラギラしたおじさまは、なぁに?
ねぇ、そもそもなのだけど、婚約者の殿方って、異世界の場合とんでもないイッケメェンだったりするのではないの?
おじさまの横で黙っている、お嬢さんは────この方がマリアさんかしら────、そこそこ可愛らしいお顔をしているけど…………。
この娘、このおじさまのどこが良かったのかしら?
おっと、おじさまが歯軋りしだした。
放置、しすぎたかしら。
その……、似合わない大きな宝石が肉に埋もれた、人差し指、こちらに向けないでいただける?
不快なので。
尻尾のひとふりで、ペシっとお叱りしてさしあげたいわ。
…………えぇと、尻尾?
さきほどから、気にはなっていたのよね。
視界の右下でゆらゆらしている、愛らしいフサフサ。
え、これ、私の、尻尾なの?
見間違いかしら……。
つい目を擦ろうとした、前足…………。
…………。
前足、を、しげしげと観察する。
この際、おじさまの事は後回しね。
うん、まごうことなき、前足だわ。
シャンデリアの光に、黄金の毛がキラキラ透けて。
綺麗に整えられた爪は、時に武器としての力を発揮するのかしら?
ピンクと茶色の入り混じった、ぷっくらとした肉球は、触り心地が良さそうで…………。
なぁに、この愛らしい肉球!
可愛すぎない?!
…………いやだ、私としたことが。
取り乱して、しまったわ。
そうそう、置かれた状況を把握しないとね。
もう一度、今度はゆっくりと息を整えて、まわりを観察してみましょう。
体育館くらいの、広間。
きっと、王宮か貴族のお城よね。
窓の外は暗いから、夜のパーティー。
主催は、この、おじさま…………なのかしら?
人垣のせいで、あまり遠くまでは見えないけれど。
とってもいい匂いがするから、この世界の食事には期待できそうね…………。
────!!
何、この美少女!!
急に真横に、麗しい横顔があったら、驚くじゃない!
私ったら、ずっとこの子の右肩に乗っていたのね!
羞恥で顔じゅうが、真っ赤になっちゃうわ!
きっと、毛むくじゃらで見えないけど!!
えぇと、つまり、私が転生したのは悪役令嬢のペット…………ってことなのかしら。
この娘が微動だにしないから、気づかなかったわ。
尻尾を扇がわりにして、オホホと照れ笑い。
でも、声のかわりにでたのは、クゥンという鳴き声だったわ。
────犬科なのかしら?
え、私もしかして、大好きなチョコレートはもう食べられないの?
犬科にチョコは毒だって、小さいころに住んでいた家のお隣さんのお姉さんの、ミッちゃんがいってた。
それはさておき、この娘がおじさまの婚約者だったの?
え、婚約破棄で正解じゃない?!
全然、釣り合いがとれていないもの!
さらさらの銀髪は、腰まであるけど、お手入れバッチリ。
この至近距離で毛穴が見えないって、どんなお化粧品を使ってるのかしら。
意志の強そうな瞳は、透き通ったエメラルドみたい。
たしかに、感情の読めない無表情は可愛げがないと思う人もいるのかもしれないけど、そのミステリアスな雰囲気が、この美貌を引き立ててるんじゃない!
今世での記憶はまだ混乱しているけど、これだけは、分かるわ。
私、この娘の事が、大好きだった。
きっと昔から、今も、ずっと。
「カーラ様は、悪くありません!」
可愛らしい声ね。
心配と、戸惑いと、憤りが混ざったような声。
きっと、味方だわ。
エメラルドの君の名前は、カーラというのね。
私たちの右側2歩半のところで、山盛りケーキを手にオロオロしている金髪碧眼の小柄な美少女が、声の主かしら。
隣で、両手のワイングラスをへし折りそうにワナワナしている長身黒髪美女は、怒りで声も出ない様子。
その紅い目からは、エメラルドの君────カーラに対する心配と婚約者に対する殺…………怒気が炎のように感じられる。
きっと、カーラと親しい間柄の、お嬢さんたちなのね。
────ふむ。
カーラ以外の誰も、肩に動物を乗せていないのが、少し気になるところではあるのだけど。
私はいつだって、カーラの味方よ。
必要とあらば、爪を剥くわ。
でも、軽率に敵を威嚇して状況を悪化させるのは、本意ではないの。
今、できることは…………
────ぎゅ
貴女のすぐそばに味方がいるのよと、伝えること。
カーラの横顔におでこを押しつけ…………もとい、触れる。
少しだけ、カーラの口元の緊張がやわらいだ。
────大丈夫よ。
そう、聞こえた気がしたの。
カーラが、初めて口を開く。
「────婚約破棄の件につきましては、おおせのままに。マリア様への行いについては記憶にございませんが、私の言動が不興をかいましたのならお詫びいたしますわ。婚約立会人のザフォラ公爵にはアクィラ侯爵よりお話し願います」
おじさま、アクィラ侯爵というのね。
よかった、このちんちく…………ぐぉっほん!
このおじさまが国の王だったら、この国ヤベェわとんだ泥舟と思っていたのよ。
おっと失礼、怒りで言葉が乱暴になってしまったわ。
ふぅ、とひと息ついたカーラが、花のように微笑んだ。
「アクィラ侯爵、マリア様、おふたりのお幸せを願っております。それでは私はこれで…………邪魔者は、失礼いたしますね」
華麗な一礼をして、踵を返すカーラ。
人垣が割れ、扉への道がひらく。
────ピンと伸びた背筋が、カッコいいわ、カーラ!
私の推ししか勝たん!!
って、教えてくれたこの言葉、こういう時にこそ使うのよね、マミちゃん?!
覚えたばかりの言葉、貴女に披露したかったわ。
ついに、私にも推したい相手が出来たのよって。
(ありがとう、レフ!)
その時、カーラの瞳が、私を見て輝いたの。
私の気持ちが、通じたのかと思ったわ。
※
一晩あけて、だんだんと今世の記憶が浮かんできた。
記憶に伴う感情などは、全く覚えていないけれど。
文字の無い紙芝居のように、ところどころの情景は思い出せた。
仕事柄、前世から夜には強い。徹夜だっておてのもの。
昨夜は寝たふりをして、この部屋の主人────カーラが寝入るのを待ってから、こっそりと起き出したのだ。
シックで質の良い調度品が置かれた、カーラの寝室。
寝台の上には、カーラがすうすうと可愛らしい寝息をたてている。
レース越しに朝焼けの光がカーラの銀髪を彩って、本当にきれい。
トンッ。
カーラの鏡台に飛び乗り、肉球で鏡に触れる。
────か、可愛い…………!
月光の下で見る姿も素敵だったけど、朝の光をまとった私も、とっても素敵。甲乙つけがたいわ。
琥珀狐、という種族らしい。多分。
昨夜、こっそり図書室に忍び込んで本や図鑑を読み漁ったの。
この体でも、文字や言葉がわかるのは、とってもありがたかった。
(おしゃべりはできないけど、ね)
金色に輝く短毛、すらりとした四肢。
肩に乗れるサイズだけれど、成獣のようだ。
個体差はあって、私は特に小さい方みたいね。
子狐のサイズで、体の成長が止まっているみたいだった。
眼はアーモンド型で、色はまさに琥珀みたい。
通常は山の奥深くで群れで暮らし、あまり人には懐かず、滅多に姿も見せないらしい。
性格は攻撃的ではない。
数少ない遭遇談も、道に迷った旅人を麓の村まで案内したり、雨乞いの神事の後に山のてっぺんでその姿を見た、その後雨が降ったから琥珀狐は神の使いだ────などというものばかり。
そんなレアキャラな琥珀狐の私がカーラと一緒にいるのは、深いワケがあって…………そのことも昨夜遅くに思い出したのだけれど、
────ドンドンドン!!
(お待ちください、ロナルド様! お嬢様はまだお休みです!)
おっと、邪魔が入ったわ。
朝から、騒がしいわね。
侍女のメイの声かしら、慌てているじゃない、かわいそうに。
扉の方を振り返ると同時に、体が優しく抱き上げられた。
「おはよう、レフ。よく眠れた?」
(おはよう、カーラ!)
抱きついて、肩にのぼる。
ここが私だけの定位置なの。
あら、カーラったら、もう着替えが終わってるじゃない。
存在感抜群の容姿のくせに、気配を断つのが上手いんだから。
銀髪に空色のシャツが、よく似合う。
黒のパンツに、ヒールの低いロングブーツ。
この年頃の令嬢にしては珍しい、カーラの普段着だ。
この世界では、ドレスを着るのは社交の場だけ。
それでも、多くの令嬢は動きにくそうなワンピースを普段着にしている。
「ロニー兄様、朝からうるさいです」
ゴン!
勢いよく開いた扉を避けきれず、カーラと同じ髪色の青年は頭をぶつけた。
「おわっ! いきなり開けるなよ。ていうかわざとだよな?!」
ブツブツいいながら、おでこをさする。
大丈夫、その石頭は扉くらいじゃびくともしない事は、新人の使用人すら知っている。
カーラと同じ髪色、ただし短髪の青年。
瞳のエメラルド色は、スマラグドス家の血筋に多い色だ。
「朝早くにドンドン扉を叩く人に、言われたくありません」
カーラ、朝は塩対応だわー。うん、通常運転。
カーラも女性にしては上背があるほうだが、ロナルドはさらに頭ひとつ分背が高い。
何かご用ですか? という妹を見下ろし、はぁ、とため息をつく。
「何って、わかるだろ。朝早く暇をもらって飛んできたんだ。婚約破棄の件だよ」
※
マリンブルーというのかしら。
少しだけ翠を落としたような、深い青。
カーラの部屋のソファーの色。
落ち着くのよね。
ロナルドとカーラは、向かい合って座っている。
私はカーラの膝の上。
ここも私の指定席なのよ。良いでしょう。
朝ごはんと紅茶を運んできたメイに、ありがとうと礼を言い、ロナルドは話を切り出した。
「あの婚約については、反故にできるようこちらでも動いていた。無駄になったが…………。昨夜の出来事は、棚ぼたというか何というか。残念…………とは砂ほども思っていないよな。おめでとう、で良いのかな?」
我が妹が悪者にされた事は腹立たしいが、とひとりごちる。
「ありがとう。────何が真実か、わかる人だけわかってくれたらそれで良いわ。あの婚約は先の王妃の嫌がら…………政策だもの、こちらからは断れなかった。反故にする以上、どんな手を使っても多少の被害は覚悟していたけど、蓋を開けてみたら私の醜聞だけで収まった。一番の目的である婚約破棄は成したのだもの、何ら問題ないわ」
「────強いな、お前は」
体裁を気にする、貴族社会だ。
醜聞がついて回る以上、今後の縁談に期待はできないというのに────。そう、いいたげだ。
兄の杞憂も、この花は一笑に伏す。
「ロニー兄様や、ミーリやミルティア。それにスマラグドス家のみんなが信じてくれているからよ。いつだって私はひとりじゃないもの」
美しくて、とても強い人ね。
ああそうだ、カーラのために怒ってくれていたお友達。
小柄な金髪の娘がミーリ、長身の黒髪の娘がミルティアだったわね。
思い出した。仲の良い、カーラのお友達だったわ。
「…………くっ!」
ロナルドがソファーに倒れて、悶絶している。
(俺の妹可愛すぎか、よね、わかるわ。ロナルド。塩対応からのこの笑顔は、破壊力が限界突破しているわよね)
「もちろん、レフもよ」
(私のご主人、可愛すぎか!!)
まぶしすぎる笑顔に目を細めながら、カーラの膝上で猫のように体を丸めて決意する。
この幸せを守るためなら、何だってやってやるわ────。
※
夢を、見ていた。
木漏れ日の中で。
────レフ、レフ。
赤い唇から囁かれる、甘美な響きを反芻する。
自分だけに聞こえる小さな声で、その名を呼ばれただけで、全身から喜びが溢れそうだ。
そう、私の名前はレフ。
彼女がくれた、大切な名前だ。
※
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます