リアル・ゲーム・コンヒューズ

沖田鰹

【プロローグ】全焼戦1

 近年、話題沸騰中のフルダイブ型VRMMORPG、通称【アナザー・ヴィスタ】。


 仲間達と世界に蔓延る凶悪なモンスターを討伐しに行くもよし。

 壮大で広大無辺な世界を自由気ままに冒険するもよし。

 農家や自営業、町外れの山小屋などでまったりとしたスローライフを送るもよし。

 現実世界とは別の、『もう一つの(美しい)景色』をコンセプトに展開される、オープンワールド型のVRゲームだ。


 そのクオリティは非常に高く、グラフィック、やり込み要素、ゲームシステム、ワールドマップの規模、多種多様なイベント等々、筆舌に尽くし難い程存在する。

 敢えて他にはない【A・Vアナザー・ヴィスタ】最大の特色を挙げるとするならそれは、この世でたった一人しか存在しない、自分だけの専用ゲーム内アバターが作成できる事だろう。

 前述に挙げた三項のうちあらかじめ自分にあったプレイスタイルを選び、初回アカウント作成時に心理テストのようなものを受けさせられる。

 自己の性格や趣味嗜好しゅみしこうみしこう、特徴や癖・傾向、特性、プレイスタイルをゲーム内搭載の高性能AIが精巧せいこうかつ精密せいみつに判別し、固有能力を有した自分だけの専用アナザー・アバターが完成。


プレイヤーはその自分のAAアナザー・アバターを用いて、広大なオープンワールドの舞台へと羽ばたく。


*****


 そこは、この【A・V】の世界で最難関とも称される三大ダンジョンのうちの一つ、【魔戒裂境まかいれっきょう】。

 洞窟最奥のラスボスステージ。

 未だかつて、誰一人として攻略者のいないこのダンジョンの最後の層である第100層:《破壊への頂戦》ステージ。そこで立ちはだかるのが、


 凶悪なかおに三本のツノを生やし、砂色のモヤに纏われた人型の体躯に禍々しい翼。獰猛どうもうな爪を携えた〈破壊の魔神:ディアベルク〉。


 全ての攻撃が致命傷の一撃に加え、その防御力と耐久性はバグかと思えるほどに硬い。桁違いの素早さに、HPはほぼ底無し。

 本当に誰が勝てるんだと思わせるこのチート級モンスターに現在、たった一人の少女が挑んでいた。


 その少女のプレイヤーネームは、〈アイポイ二クス〉。愛称〈アイポイ〉。

 腰あたりまで伸びた淡い白髪に、顔は可愛らしい童顔どうがん。着飾った巫女服には五色の鮮やかな紋様と、紅の翼を携えたAvatarRoleアバターロール:《鳳凰の巫女》だ。

 小躯なその形はまさに、[ロリコン]というへきを持った一部の人種からもろにぶっ刺さるであろう外見をしている。


 身長3メートル強、魔神という名に相応しい形容でパンチの効いたデザインのディアベルクに対し、正対するアイポイは幾分か矮小わいしょうに映り、そのスケールの差に大丈夫かと心配になるレベルであった。

 がしかし……、幾人もの挑戦者が挑み、1ゲージすら削ることのできなかったディアベルクのHPが今、3ゲージ目の9割減。残すところ3センチ程度の赤いラインのみだ。


 小さき少女があとほんの少しで、前人未到の【魔戒裂境】完全攻略を成し遂げようとしていた。


 だが、アイポイの方にももう余裕はない。ゲーム内なので身体的な疲労は問題ないが、精神的な面での疲労により細かなミスなどプレイへの支障はかなりのもの。


「ぐッ!!!」


 ディアベルクの攻撃パターンを数ドットでも見誤れば、今のようにすかさず強力な一撃をお見舞いされる。

 運よくワンパンは避けられたが、そのダメージはHP9.5割減の致命傷。最後の回復キット(大)を使い、入念すぎるくらいに用意して来たアイテム類も完全に底を尽きた。

 さらに、ここに来て追い討ちを掛けるようにディアベルクの防御力が1段階増し、攻撃力不足となってしまう。


「ああー、まじかよ」「コイツ反則だろ!」「まさか、ここまで来て負けないよな?」「アイポイー、頑張ってー!」


 その光景をライブ映像で見ていた視聴者達は、この緊迫した最終局面をただ息を飲んで見守ることしかできなかった。

 ディアベルクの攻撃を精密に躱し、ミクロ単位でしか入らない攻撃のヒットアンドアウェイ。

 ここまでの戦闘時間は、およそ5時間半。もうすでにアイポイは限界をとっくに通り越し、いつ緊張の糸が切れてもおかしくない状態。それまでになんとか、一刻も早く決着を付けなければならなかった。


 最後の頼みの綱は、もうすぐ溜まるであろうアイポイの《ザ・アルカナ》。俗に、必殺奥義と呼ばれるものだ。

 自身の体力と引き換えに炎による攻撃力と、風によるスピードを大幅に増幅させる奥の手。


 もはやこれが最後のチャンスだと、アイポイはその時が来るまで精一杯時間を稼いだ。

 そして、視界の右下。必殺技UIが蘭と煌めいたその刹那、高らかに叫ぶ発動詠唱。


「神の宴火えんかで風よ舞え!炎風えんぷう聖天神楽せいてんかぐら!」


 瞬間、翼が爛々らんらんと発光し黄金の炎を宿すと、アイポイの全身を強烈な靭風じんぷうが吹き荒れる。

 満タンだったHPは一気に1割も満たなくなるほど減少し、そのライフはもはやディアベルクと同じかそれ以下。

 しかし同時に、その攻撃力とスピードは今までの5倍以上となる。


「ここで決着をつける!」


 そう言って勢いよく駆け出したアイポイの速さは、さっきまでとは比にならないほどだ。視聴者達はもはや眼で追うことができず、ディアベルクでさえも辛うじての反応。

 咄嗟に防御態勢を取るが、それはまさしく神楽の演舞のように軽快かつ予測不能なステップでディアベルクの懐へ入り込むと、金炎こんえんの火球弾をクリティカルヒット。HPが2センチほど減少した。


「あと1」


 もはや、休む暇も与えない。寸毫すんごうの間もなく追撃を与えようとしたアイポイだがしかし、さすがの魔神もその翼を盛大に広げ後退するように距離をとる。


「フッ、オモシロい」


 アイポイの攻撃が自身に通用すると察したのだろう、それならばと破壊の魔神:ディアベルクも勝負に決する。

 両手を地面に付け四つん這いの態勢で構えると、そのツノから黒光りする稲妻が微かに迸った。

 その稲妻は、次第に3本あるツノの中心に収束していき、やがて黒き雷塊らいかいへと形を成す。


「ギュルルルルララララララアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!」


 そしてステージ全体に木霊こだまする、耳をつんざくような咆哮とともに痛烈な雷撃が放射。

 遠距離ならディアベルクに分があると思われたが、否。アイポイは目一杯息を吸い込むと、その小さな胸を最大限にまで膨らませ、黄金の火炎ブレスで応戦。

 黒き雷と黄金の炎が激しくぶつかり、その衝撃と波紋が周囲へ伝播する。画面越しでも伝わる、凄絶せいぜつな鬩ぎ合いだ。


 やがて、二つの力は相殺されるように爆散。今度は辺り一面を土煙が覆う。だがその中で、素早く動く影が一つ。アイポイだ。

 お互い体力は、残り1。このギリギリの局面において必殺技の時間が切れる前に勝負を決めると、アイポイが先に動いたのだ。

 目にも止まらぬ速さで肉薄にくはくすると、まだ技の反動で硬直しているディアベルク目掛けてトドメのパンチをお見舞いする。………はずが、

 ディアベルクもまた、とんでもない速さで滑空すると一瞬にしてアイポイの背後を取った。


(マズい…!)


 誰もが目を見張り、おそらく破壊の魔人も勝ちを確信した最高のカウンター。

 ………だがしかし、鳳凰巫女〈アイポニクス〉はその八重歯をキラリと露わにし、小生意気な笑顔で存分に笑ってみせた。

 ディアベルクがカウンターの一撃を放つほんの寸前、アイポイの腰から生えていた一本の尻尾が徐に動き出し、無防備な魔人の胸を穿通せんつう


 _____


 訪れた一瞬の沈黙のあと、残り僅かだったディアベルクのHPゲージが全部なくなり0となる。


 ド派手な演出や、高らかなBGMはなかった。

 ただ静かに、ディアベルクは細かなライトエフェクトとなり霧散。目の前には、簡素かつシンプルなUIとフォントでただ一言『Completeコンプリート』と記されるのみ。

 その代わりに………、


「「「ウオオオォォォオオォォォーーーーーーーッッッッッッ!!!!!!!」」」


 ライブ映像をリアルタイムで見ていた視聴者達から、これ以上ないほどの歓声が巻き起こった。


 『3周年直前!【魔戒裂境】完全攻略耐久配信』と、銘打って始まったこのライブ配信。

 主である〈アイポイch〉はこの二週間、寝る間も惜しみぶっ通しで【魔戒裂境】のダンジョンを駆けあがり、ついに3周年を明日に控えた今日、前人未到の完全攻略を果たしたのだ。


 時刻は23時55分。3周年を迎える大型アップデートが実施されるまで、あと5分といったところだ。

 そこから約一時間程度メンテナンスが入りログインできないため、完全攻略報酬をアイポイの口から明かされるのはおそらくメンテナンス後になるだろう。


「ここ2週間本当にツラくて…、厳しいコメントとかもたくさんあって諦めようともしたけど、それ以上に応援してくれるファンがいてくれて…、ぐすっ、ひっく、ここまで来れました。

 ………本当に、ありがとうございます!」


 あと5分で配信の閉めとして、今回の【魔戒裂境】に挑んだ感想を赤裸々せきららに語るアイポイ。

 普段おしとやかでネガティブな事を絶対言わず、リスナー達に対しても小さいながら聖母のような対応を見せるあのアイポイが、今回に至ってはその話題性も相まって人の心を持たないようなアンチ達にかなり酷いコメントの数々を送られ、さすがに憔悴しょうすいした様子だった。

 そんな苦しい中決して諦めずに達成した、おそらく過去一厳しかったであろう目標に鼻をすすりながら涙声での感謝。

 その姿はファンのみならず、初見で見ていた人々、さらには心のないコメントを送っていたアンチ達、配信を見ていたすべての人に歓喜と涙腺の崩壊、金銭感覚をバグらせるにはこれ以上ないほどの効力をもたらした。

 コメント欄は現在、喜び・称賛・高額なスーパーチャットの嵐。


 凄まじいほどの興奮と熱気を残したまま時刻は深夜0時を回り、【A・V】内の全プレイヤーがメンテナンスのため強制ログアウトとなった。


 *****


「ふい〜」


 VRの世界から戻って来た俺は、頭と腕に装着された仮想ゲーム世界へダイブするためのダイブハードを外し、今さっき目の当たりにした偉業の余韻に浸るように一息ついた。

 今日の配信も、とっても良い内容だった。


 そのバーチャルアバターは白髪、ロリ、巫女、とかなりの属性を有していて、性格はまさに慈愛に満ち溢れたお母さん。

 加えてその見た目からは想像もつかないほど高い戦闘能力を持っており、今まで数々の難易度の高いチャレンジを配信で成し遂げて来た。今やそこそこのファンが付き、人気が出てきたA・V実況者〈アイポニクス〉。

 かく言う俺も、そんなアイポイを応援するファンの1人であり、彼女の配信だけがこのつまらない人生の唯一の生きがいと言っても過言ではなかった。

 しかしながら俺は、別に白髪が好きという訳でもロリが好きという訳でも(巫女服は少し気になるが)ない。

 どちらかというと、ロリっ子とかを見ているとあのがチラつき少しムカつくのだが、ことアイポイに至っては妹とまったくの真逆と言えるその性格に惹かれたのだ。

 おしとやか且つ柔和で、温厚で慈悲深い優しさに溢れた人。

 アイポイのことを考えるだけで胸がぽかぽかと温かくなった俺は、横になっていたこともあり急な睡魔に襲われる。

 メンテナンスが終るまで暇だし、仮眠がてら一時間ほど眠る事にした。


 _____


 とある事情で塞ぎこんでしまい、現実から目を背けるように自分の部屋へと閉じこもりゲームの世界に逃げ込んだ俺は、当時まだ無名に近かったアイポイchと話したことがあった。 

 もう彼此かれこれ3年(当時は歴1年)ほど、何もせずただ時間を無駄に消費するクソみたいな引き籠り生活。このままではダメだと心の底で思いつつしかし、その一歩を踏み出す勇気がどうしても出てこなかった。

 そんな悩みを掻い摘んで話すと彼女は、驚くほど落ち着いた声と、柔らかい笑みでこう言った。


「そういうの、分かります。心の中で思ってる事って、実際にやっちゃう行動って相違しちゃう事が多いんですよね。

 こんな事したかったんじゃないのに。とか、こんな事言いたかったんじゃないのにって、いつもやってから後悔しちゃったり。

 ………でも、そういうのっていつか本当にやらなきゃいけない時、伝えなきゃいけない時が来ると思います。その時、絶対的な信念を持って逃げずに立ち向かう事が出来れば、それでいいと思います。

 今はその準備期間みたいなもの、焦らずゆっくりやっていきましょう。………なんて、無責任ですよね」


 その笑顔は眩しいほどに美しく、まさに鳳凰の祝福かに思えた。

 結局今でも俺は、現実と向き合えず惨めに引き籠っている。

 いつ来るかも分からない、本当にやらなきゃいけない時を待って………。


 _____


 そんな懐かしい夢を見て目が覚めた俺は、反射的にベッド付近に置いてある時計を見る。時刻は1時過ぎ、我ながら完璧すぎるタイミングだった。

 おそらく、もうメンテナンスは終わっている頃だろう。

 急いで傍らに置いてあったダイブハードを頭と右腕に装着し短く一言、


「DIVE・IN!」


 その呪文を唱えれば、微かな駆動音とともに視界は虹色に明点。もう一つの美しい景色が広がるバーチャルの世界へとダイブする。

 ………はずが、

 いつまで経ってもそうはならず、視界は真っ暗なままだ。

 まだメンテナンス中かとも一瞬思ったが、それならば『ただいまメンテナンス中』という注意書きが視界上に表示されるはず。何の音沙汰なくただの真っ暗闇というのは、初めてだった。


(もしかして、壊れたんじゃないだろうな?)


 という少しの不安を抱えながら俺は、一応確認のためベットから起き上がりパソコンを起動。

 SNSを見てみると案の定、俺と同じようにゲームにログインできないユーザー達が多数存在していた。


(サーバーダウンか?)


 まあ、一度に大勢のユーザーがアクセスすればサーバーがその負荷に耐えきれずダウンするというのは人気ゲームでならあるあるだし、それは規模がデカイ大型アップデート後、新シーズン開幕直後なら尚更だろう。

 大人しくサーバーが復旧するのを待つことにした俺は、そんな事より自分が非常に喉が渇いていることに気が付く。しかし、部屋にストックしておいた飲料水達は全て飲み干してしまった。喉を潤すには、この自室を出て一階のリビングに行くしかない。


「………」


 正直、すごく嫌だったが。喉の乾きが異常だったため、仕方なくその扉を開け俺は何週間かぶりに部屋から出た。


「…うわ」


 キッチンへ行くと、それは考え得る中で一番最悪なパターン。妹と遭遇してしまう。

 それにしても『…うわ』とは何だ、『…うわ』とは。


 目も合わすことなく俺は手短に冷蔵庫を開けると、ペットボトルの水を手に逃げるようにきびすを返す。そそくさと自室へ帰ろうとした俺の背中に、


「いつまでそうしてるつもりなの?」


 そんな声が掛けられた。


「…さあ」


 少し驚いたが、俺は振り返ることなく返す。


「私は、また一つ前に進んだよ」


(?)


 一体何の事だが分からないが、要は『自分はこれだけ頑張っている。お前はいつまでそんな底辺にいるんだ』と、俺の反骨精神はんこつせいしんに訴えかける戦法だろう。しかし残念ながら、それは逆効果だ。

 ……特にお前に言われると、その『萎え』は一層強くなる。


「そりゃぁ良かったな。そのまま俺のことなんか忘れるくらい前に突き進んでくれ」


 未だ、俺は顔を合わせない。

 これ以上話せば、俺の心の奥底にある黒い感情が暴発しそうだったので、話は終わりとばかりにまた歩き出そうとすると、


「本当にこのままで良いの?このままじゃ……」


「うるせえなぁ!」


 嗚呼、ダメだ。


「父さん死んじまって、おばさんも寝たっきり。親戚の人らもお前なら大歓迎みたいな感じだったんだから、さっさとおばさんとそっちに行って、もう俺のことは放っといてくれよ!

 ………、元々血の繋がってねえ、家族でも何でもねえんだから」


 ……違う。


「それとも何か、劣等種を近くにおいて自分は優越感に浸りたいのか?」


 ………違うだろ。


「………」


 俺の勝手な、醜い劣等感をブチまけた叫びに義妹いもうとからの返答はない。本当はこんな事が言いたいわけじゃないのに、コイツを前にするとどうにも悪態を突いてしまう。


「何それ?」


 そしてここからは、


「自分の能力不足を他人の所為にして八つ当たりしないでくれる?クソニート」


 およそ3年前までは日常茶飯事だった、兄妹喧嘩が始まる。


「お前こそ、いつまでも俺みたいな底辺のクソニートを『ああは絶対なりたくなーい』とか言って見下して、自分のことまともな人間だと思ってるバカだろ。

 ピラミッドで言ったら、お前なんか最下層にいる俺の一個上くらいのランクだからな」


 そこで初めて俺は勢いよく振り返り、正面から義妹を睨み言い返した。


「はっ、誰がアンタみたいな人間の悪い部分を全て集約したようなゴミ人間と、自分を比べなきゃいけないのよ。元々ランクが違いすぎて眼中にもないわよ」


「さっき『私は前に進んだ〜』とか、鼻高はなたかに自慢してただろ。お前今夏休みだったか?何処にも行かねえで、ここ二週間くらいずっと部屋に籠ってんじゃん」


「うわっ、何で知ってるの?キモすぎ」


「引き籠りは外とか周りの音や動きに敏感に何だよ。お前、俺とあんま変わんねえじゃねえか。自慢気にやってた事もどうせ、大したことないようなくだらない事だろ」


 今まで皮肉交じりで余裕を見せていた義妹は、俺のその言葉を聞いて様子を一変。鋭かった目つきを一層尖らせ、それは激昂へと変わった。


「お前、ふざけっ……」


 と義妹がそこまで言いかけたその時、手に持っていたガラスが勢いよく砕け弾け飛ぶ。


「痛っ!」

 

 その一つの破片が腕を掠め、綺麗な肌に血が滲んだ。


「大丈夫か?」


 咄嗟に心配の声が口から漏れ掛けよった俺だが、数秒経ってそういえば現在コイツとは喧嘩中だったのを思い出し、何とも言えない気まずさを覚える。

 相手の方もどうやら同じような感情に陥ったらしく、目を逸らし微妙な表情。


 昔は大がつくほどの仲良しだった俺たちは、しかし中学に上がる頃には徐々に仲が悪くなっていき、その顔を見れば今のような口喧嘩の嵐。

 元の原因はおそらく俺にあるのだが、思春期の頃というのは変なプライドが邪魔する所為か、『ごめん』という一言が中々出てこずそのまま相手への不満だけが溜まっていき、そんな中での父親の死に俺が塞ぎ込み引き籠ってしまったため有耶無耶ままこんな関係になってしまった。

 別に心の底からコイツの事が嫌いというわけでもなく、さっきの口をついて出た言葉達も全部が全部本心ではない。そう思った俺は、この3年、少しは成長したと言えるだろうか。

 お前やコイツではなく、実に久しぶりに口にする義妹いもうとの本名を交え告げる。


愛凰あお……、その、ごめん。少しカッとなって、言い過ぎちまった」


 こんな素直に謝罪することができるなんて、自分でも驚きだった。これも、心優しきアイポイを3年間応援して来た恩恵なのだろうか。

 恥ずかしすぎて愛凰の顔は直視できないが、おそらく俺と同様に目をかっ開いて喫驚きっきょうしているだろう。


「私も…」


 そして何かを言い掛けたその時、_____ピンポーンと玄関のインターホンが突然鳴った。


「………、おいおいヤベエ、どうしよう?」


「どうしようって、アンタが無駄にデカい声で叫ぶからでしょう」


「お前の方がキィーキィーうるさかっただろ」


 時刻はまさに、深夜真っ只中の1時半過ぎ。こんな時間に訪れてくる訪問者など、考え得る中で先の真夜中にしてはうるさすぎる口論から一つ。


 ドンドンドンッ!


 と今度はチャイムではなく、直接のドアを叩く音が鳴り響く。

 おそらく、今あのドアの向こうにいるのは『うるさい』と苦情を入れに来た近所の住人であり、俺たちはまたしてもどちらがうるさかったかと罪のなすりつけ合いで喧嘩目前。


「どうすんだよ?」


「そんなの、居留守に決まってるでしょ」


 直前まで声が聞こえたのにそんなのが通用するかと思うが、苦情を入れに来る人間も暇ではない。こちらが決死の居留守で耐えていれば、そのうち諦めて帰っていくだろう。


 その読みは正しく、2、3分ドアを叩いたあとその音は止み、嵐が去った後のような静けさへと変わった。


「……いなくなった。のか?」


「……だぶん」


 そう、俺達二人揃って安心しきったその時、それはまるでB級のホラー映画かのように安堵させてからの、凄まじい破壊音をたててリビングの窓ガラスが大破した。

 

 「何だっ!?」と驚愕した俺が一番最初に頭に浮かんだのは、たった今苦情を入れに来た近隣住民が強行手段としてベランダからの侵入を試みたか、あるいは目には目を歯に歯をというスタンスで石などを投げつけガラスを破壊したという可能性。


 だがしかし、俺たちは普段からそんなうるさいわけでもないし、こんな風に苦情を入れられに来たのも今回が初めてだ。

 たった一回でここまでするか?と、その短気すぎる神経に逆に開き直り掛けていると。それは突然、


「居留守トハ、連れないナア。貴様達プレイヤーが来た時、ワレは逃げずにスベテ出迎エテ迎え撃ってやったノニ」


 少しノイズが掛かりドスの効いた、よくニュースで流れる犯人のような声音こわねがカーテン越しから響き、その人物………否、が姿を見せた瞬間、俺の頭は真っ白になった。


 その姿は……、

 凶悪な貌に三本のツノを生やし、砂色のモヤに包まれた人型の体躯と禍々しい翼。獰猛な爪を携え、タッパは優に3メートルを超える。魔神という名に相応しい形容でパンチの効いたデザイン。

 名を………、〈破壊の魔神:ディアベルク〉。


 見間違えるはずもない、【アナザー・ヴィスタ】の三大難関ダンジョンの一つ、【魔戒裂境】の最終層に君臨する最恐さいきょうにして最強の魔神だ。


「…ありえない」


 すると、俺の隣で同じ光景を拝んでいた愛凰もまた、そう静かに呟いた。


「ゲームの世界だけに存在するワレが、今コノ場にイるのがオカシイか?そうダナ。でもコレは夢でもゲームでもナイ。

 現実ダ!」


 そう嬉々として告げると同時、ディアベルクはその厳つい指を前に構え一閃。

 反応はおろか、目視し認識することすらできなかった俺の身体を愛凰が身を呈して押し倒した事により、横切った攻撃は後ろにあった冷蔵庫を焼き払った。

 一連の攻防が全て終わってから俺はようやくその事実を認識し、愛凰のおかけでその雷撃を何とか避けることができた事に気付く。

 しかし、今の回避は奇跡のようなもの。おそらく次はない。


「頭が良く、回転も速い貴様ならもう薄々勘づいてるダロ?【A・V】にログインできず、異常ニ喉が渇く。感情の揺らぎによって破壊したコップに、今ワレがここに場にイルこの状況。

 さあ。第二ラウンドと行こうカ、


 混乱が頭を駆け巡る中でしかし、俺の耳は今ディアベルクが口にした名前を辛うじて拾った。


 ……アイポニクス?


 今この場には俺と愛凰と、ディアベルクしかいない。

 ディアベルクがそう口にし、俺にその心当たりがないとすれば名指された相手は一人。俺はその人物に視線を向けた。


 同世代の子達に比べれば少し貧しいと言われてしまうかもしれない身体と、幼く見えるその顔は苦虫を噛んだように渋面が滲む。

 少し経ってからその少女:不知火愛凰しらぬいあおはゆっくりと立ち上がると、たしかにそう呟いた。


「DIVE・IN!」


 途端、凄まじい熱風が愛凰を包み込むと、勢いよく渦巻いて、やがて四散。

 次の瞬間、そこに愛凰の姿はなく、淡い白髪に巫女服を纏い、紅の翼を生やした鳳凰の巫女:《》が目の前に降臨していた。

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