第17話
僕はこの数日間の間に久ヶ原に連絡を入れていき、繁忙期のこともあり会う時間がないから電話がメールでのやりとりにしてくれないかと返信が来る一方で、少しずつ彼に疑念を抱き始めていった。院内の職員に製薬会社の知人がいるので本当に忙しいのか訊いてみたが、繁忙期になるのには一ヶ月ほど早いと答えてきたので、何かを隠しているのかと察していった。
それから二週間ほど経った頃に仕事が終わり帰宅して着替えをしようとした時、彼からメールが来て話したいことがあるから近日中に会いたいと伝えてきた。
翌週の金曜日になり、夕飯に彼が食べたそうなものを持っていきたいと考えて、途中にあるデパートの地下の惣菜コーナーで数種類食材を購入し、再び電車に乗って家に向かっていった。
マンションの一階に着きインターホンを押したが、久ヶ原はまだ帰宅していないようだったので電話をかけると、今向かっているからもう少し待っていてくれと返答してきた。しばらくしてから彼が到着し、部屋に入って買ってきた惣菜を見せるとそれに合わせてワインとスープを用意してくれると告げてきた。
一緒に盛り付けをしてテーブルに並べて出来上がったばかりのポトフが置かれると思わず声が上がってしまった。乾杯をして食事を進めていき、仕事の話をしながら彼がついた虚偽について訊いてみた。
「忙しくて時間が取れなかったのは本当だよ。そっちも何度も連絡してくるからしつこいなって感じて……それで繁忙期なんだと言ったんだ。悪かった」
「忙しいのはいつもの事だから分からなくはなかった。ただ新が普段と交わす言葉の返し方が強気な感じがしてさ。何かあった?」
「前に社内の女性から告白されたっていう話覚えている?」
「うん。その人と何かあった?」
「この前退勤してから夕飯を一緒に摂ったんだ。色々悩み事とか話を聞いているうちにそうしたら向こうが一晩だけ付き合ってくれって言われてさ」
「は?それでどうしたの?」
「そういう気持ちを持つのも最初で最後にしてくれって返事して……家に連れてきて抱いたんだ」
僕は持っていた箸を強く叩けて置き、彼が席を立ち喉が渇いたからと言いグラスに注いだ水を持ってきて再び席に着くとワインを流し呑んで言葉を砕くように語りかけた。
「久しぶりに女性を抱いた感じってどうだった?」
「……絹糸みたいに柔らかかった。そういう感じだった……」
「……女の人ってさ、一度でも好きな人に抱かれるとその痕が焼き付いてしばらく忘れられなくなるんだよ?それを分かっていて抱いたとか?」
「そう……みたいだな。社内にいても目線を送ってくるし、メモ紙に書いたものを渡されて中を開くとまた家に行きたいとか、ホテルに行こうとか言ってくることがある。全部断っているけど、俺の事が意中になってしまっているからずっとアピールされてきて困っているんだ」
「お互いに馬鹿な事をして何やっているんだよ?」
「俺も相手の事に同情したというか、翔と付き合っていることを伝えたんだが……あの時だけ、たった一度だけ彼女を慰めのつもりで介抱したようなものだった。ただ向こうが忘れられないって言ってきてさ……」
「当たり前だよ。ねえ、ちょっと来てくれる?」
席を立ちあがって彼の腕を引っ張りながら強引に寝室へ入り照明をつけてベッドに座らせた。
「今度さ、買い物に一緒に行こう」
「買い物?何の?」
「寝具一式変えるんだよ。ここにさ、彼女の跡がついているんだよね?そうならば全部処分して新しいの買ってよ。そうだ、僕が選んであげる。これから僕もここに来ることもあるんだから僕が買ってあげるのもいいかもね」
「……あのさ、それはやりすぎだ。ここは俺の家なんだよ。お前が決める権利はない」
「なんで?!他の女や男が来てここで抱いたものがすべて残っているんだよ?そんなの誰だってそうされたら取り替えたいに決まっているじゃん!」
「翔……」
僕はその場で泣き崩れ彼の足元を掴みながら癇癪かんしゃくを起していた。彼もまた僕を宥めようと背中をさすり肩を抱くと彼の胸元を掴んで泣き続けた。
「嫌だよ……どうしてそんなことをしたんだ?……彼女だって、新に抱かれるのなら内心喜んでいたはずだよ?」
「そうだと思う。ただ俺の中には彼女への愛情はないんだ。単純に抱きたくて抱いたんじゃない。女性を抱くということがどんなことだったかを確かめたかっただけ。それ以上の情はないよ」
「嘘つきだよ。新、人が良すぎて優しい嘘つきになっているよ……」
◇
それから少しだけ気持ちが治まるとリビングのソファに座り、久ヶ原はマグカップに入った白湯を差し出してきた。
「まずひと口飲んで。……どう、温まるだろう?」
「うん、温かい。ただのお湯なのに落ち着いてくる」
隣に彼も並んで座るとゆっくりと口を開いて話し出した。
「ちゃんと避妊はしてある。向こうも生理も来ているみたいだし体調も良いって言ってくれている。いつものように張り切って業務にあたっているんだ」
「その人、忍耐とか強そうだね」
「俺らMRの人間って常にタフでないと業者とうまくやっていけない職種だから、何があってもその人それぞれの能力が備わってなければ続かない業界なんだ。病院だってそうだろう?」
「確かにね。ごめんなさい、突然喚くようなことやってしまってさ」
「いいよ。あれくらい大声を出さないとストレスだって解消されないだろう?」
「俺、うまく泣けたみたい。なかなか泣けなくでどうしようってずっと考えていたんだ」
「シーツとか一式変えることにするよ。次の休みに一緒に出掛けよう」
「いいの?」
「ああ。それからもう一つ提案があるんだ」
「何?」
「彼女を……比島をお前と一緒に会わせたいんだ。その当日俺が飯作るから少し買い物にもついて来てくれないか?」
「三人でご飯なんか取って解決することなの?余計揉めごとになってもつれたりしない?」
「本当はお前も冷静になって比島と話し合いしたいんだろう?」
「……なんでわかった?」
「そういう顔をしている。わかりやすいなあお前。ちゃんと話せばわかってくれるよ」
彼は笑ってその場の澱んだ空気を消し去ろうとしていた。彼なりにも反省していることが薄々変わってきたようにも感じたので、まだいろいろと疑ってはいたが、僕もいつまでも引きずりたくはなかったので、彼を抱きしめると頭を撫でてきてくれた。
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