70話

 ソラリア王国へと立ち戻った翌日の昼下がり。


 幽闇百足に乗ったアルギスとマリーは、一路クスタマージョを目指して、山岳地帯を疾走していた。



(この様子なら、もうすぐ着くはずだ)


 

 幽闇百足が足場の悪い急勾配を滑るように駆け抜ける中。


 瞬く間に後方へ流れ去る景色に目を細めたアルギスは、前のめりになって、一層速度を上げさせる。


 一方、アルギスの後ろへ腰を下ろすマリーは、軋む甲殻にしがみつきながら、顔を青くしていた。



「あの、もう少し、速度を落とされたほうが……」



「バカを言うな。これでも遅いくらいだ」 



 か細い声を上げるマリーに対し、アルギスは焦りを滲ませながら、苦々しい口調で口を開く。


 それというのも、3ヶ月近くあった学院の休暇は、既に3週間を切るまでになっていたのだ。


 また、王都への移動を考えると、アルギスの休暇は、事実上ほぼ残されていなかった。

 


(俺の、休暇が……)



 落ち込むアルギスをよそに、幽闇百足は速度を落とすことなく、岩場を駆け下りていく。


 そして、それから街道を外れた川沿いをひた進むこと数時間。


 日も傾きかける中、疲れ果てた2人の目線の先には、クスタマージョを囲む石造りの防壁が姿を現していた。



「……あそこだ。このまま向かうぞ」



「よ、宜しいのですか?」



 僅かに速度を落とした幽闇百足が街道へ乗り上げると、マリーは体を跳ねさせながらも、慌てて周囲を確認する。


 居心地わるそうに身を捩るマリーに対し、アルギスはどっかりと腰を据えたまま、首を振り返した。


 

「あんな奴の街へ、敬意を払う必要はない」



 顔を歪めたアルギスが苛立たしげに吐き捨てると同時。


 再び速度を上げた闇百足は、石畳にガチガチと脚先をぶつけながら、クスタマージョへと向かっていった。



(さて……)



 ややあって、壮麗なアーチ型の門扉の前幽闇百足が動きを止めると、アルギスはマリーと共に、ふわりと地面へ飛び降りる。

 

 しかし、続けざまに、幽闇百足を送還した直後。


 門扉の両脇に控えていた騎士の1人が、剣の柄に手をかけながら近づいてきた。

 


「君たち、一体どういうつもりで――」 


 

「失礼ながら、こちらをご確認ください」 



 険しい表情でにじり寄る騎士に、マリーは先立って影から紋章の入った短剣を取り出す。


 警戒を残しつつも短剣に目を落とした騎士は、刻まれていた紋章に、ビクリと肩を跳ね上げた。


 

「こ、これは……。大変失礼致しました!直ちに、馬車のご用意を!」 



 深々と腰を折った騎士が声を張り上げると、閉め切られていた金属製の門扉は、重々しい音を立てて開き始める。

 

 程なく、門の奥から姿を現した騎士たちがぞろぞろと並び立つ中。


 はたと感じた違和感に、アルギスは訝しげな表情で首を捻った。



(あいつらは、ソーンダイク家の騎士じゃないな。あの紋章は、確か……)


 

「如何されましたか?」

 


 釣られて騎士たちの姿を見やると、マリーは声を押し殺しながら、アルギスへ尋ねかける。


 しかし、マリーの声に思考を止めたアルギスは、興味を失くしたとばかりに目を瞑った。


 

「……いや、何でもない。それより、もうローブを脱いでいいぞ」


 

「かしこまりました」 


 

 ため息交じりにマスクを外すアルギスに対し、マリーは上機嫌に脱ぎ去ったローブを影の中へ仕舞い込む。


 それから暫くの間、2人が防壁の外で待機していると、門扉の奥から護衛に囲まれた馬車が飛び出してきた。

 


「お待たせして、申し訳ございません」



「……ああ」



 見覚えのある騎士たちの顔に片眉を上げつつも、アルギスは軽く手を振り返して、馬車へと足を進める。


 しばしの後、アルギスとマリーの乗り込んだ馬車は、ぐるりとUターンをして、クスタマージョへと入っていった。



(これは、一体どうなっているんだ……?)



 馬車がゆったりとした速度で領主館へと向かう道中。


 アルギスがふと見やった窓の外では、通りの脇で両膝をついた人々が、老若男女問わず顔を俯かせている。


 異様な光景に眉を顰めつつも、アルギスは向かいの席で呆然とするマリーに顔を向けた。



「おい」 



「は、はい」



 手招きをするアルギスに、マリーは席へ浅く座り直して身を寄せる。


 一方、疲労を滲ませながら背もたれに体を預けたアルギスは、うんざりとした表情で窓の外を指さした。



「領主館についたら、少し街の様子を見てこい。そして、問題があれば報告しろ」 



「かしこまりました」



 気落ちするアルギスへ頭を下げると、マリーはいそいそと後ろへ引き下がって、窓の外へ目を向ける。


 以降、じっと街の景色を見つめ続けるマリーに対し、アルギスは腕を組みながら、瞼を閉じた。


 

(レイチェルは、もう公都に着いたのだろうか……) 



 窓際へ寄りかかったアルギスが眠たげに欠伸を噛み殺す中。


 護衛に囲まれた馬車は、ひざまずく人々の間を抜けて、領主館へと向かっていった。

 

 



 暮れかけていた陽が落ち、街には街灯の明かりが輝き出す頃。


 領主館の賓客室へとやってきたアルギスの前には、眦を吊り上げたレイチェルが腕を組んで立っていた。

 


「――なぜ、こんなに遅かったのか、説明して頂いても?」



 ソファーへもたれ掛かって天井を見上げるアルギスに、レイチェルは棘のある口調で質問を投げかける。


 しかし、天井からレイチェルへと目線を下ろしたアルギスは、疲れ切った表情で肩を竦めた。

 


「説明も何もあるか。つい先日まで、ずっとエレンの厄介事にかかりきりだっただけだ」



「でも、これ程かかるなら連絡くらい……」 



 無愛想な返事に目を伏せつつも、レイチェルは尻すぼみに声を小さくしながら言い募る。


 モゴモゴと言い淀むレイチェルに対し、アルギスは目頭を押さえて、小さく首を横へ振った。


 

「……お前の居場所がわからないのに、どう連絡を取れと?」


 

 呆れ口調の呟きに閉口すると、レイチェルは頬を赤らめながら、あちこちに目線を彷徨わせる。


 一方、目元から手を下ろしたアルギスは、不満げに腕を組みながら、俯くレイチェルを見上げた。


 

「それに、お前への手紙を運送ギルドなどに預けられるか」 



「まあ……!」



 淡々と続けられたアルギスの言葉に、レイチェルは口元を押さえてながら、嬉しげな声を上げる。


 そして、途端に表情を明るくすると、くるりと振り返って、アルギスの隣へ腰を下ろした。



「そういうことなら、一応納得しておくわ」 



(……そりゃ、冒険者からの手紙など手元へ届くわけがないからな)


 

 すっかり機嫌を直したレイチェルが鼻歌交じりに足をばたつかせる中。


 長いため息をついたアルギスは、眉間に皺を寄せながら、難しい顔で口を開いた。


 

「それよりもだ。なぜ、父上がこの街にいる?」



「私にもわからないわ……ぁ」



 訝しむアルギスへ首を振り返した直後、不意に息を呑んだレイチェルは、再び表情を曇らせながら顔を下向ける。


 そのまま黙りこくるレイチェルに、アルギスは組んでいた腕を下ろして顔を近づけた。


 

「なんだ?どうした」



「……ごめんなさい。貴方がエレンの下へ向かっていたことを、ソウェイルド様にお伝えしてしまったわ」



 しばしの逡巡の後、消え入るような声で理由を口にしたレイチェルは、眉尻を下げながら、一層背中を丸くする。


 表情を曇らせたレイチェルが落ち込んだ様子で項垂れる一方、アルギスは納得顔で正面を向き直った。


 

「まあ、言ってしまったものは、仕方がないな」



「怒らないの……?」 

 


 あっけらかんとした返答に目を丸くすると、レイチェルはおずおずと首を捻って、アルギスの横顔を覗き込む。


 しかし、肘掛けに頬杖をついたアルギスは、気にした様子もなく、顔色を伺うレイチェルへ流し目を向けた。


 

「どうせ、問い詰められでもしたんだろう?それなら、答えない方が後々厄介なことになる」



「そ、そう……」



 確信めいた口ぶりに身を竦めつつも、レイチェルは短く息を吐き出て、胸を撫で下ろす。


 安堵の表情を浮かべるレイチェルに対し、アルギスは沸き上がる不安に顔を歪めながら、横を振り向いた。



「それで、父上はなんと?」



「……なんだか、凄く嬉しそうだったわよ」



 視線を上向けながら記憶を掘り起こすと、レイチェルは躊躇いながらも、小声で返事を口にする。


 しかし、ピクリと眉を上げたアルギスは、なおも腑に落ちない様子で首を捻るレイチェルに胡乱な目を向けた。

 


「なに?嬉しそう……?」



「え、ええ」 



 思わず声が低くなるアルギスに、レイチェルは顔を強張らせながら、コクコクと頷き返す。


 不可解なソウェイルドの対応に額を押さえると、アルギスは1人答えの出ない思考の中へと沈んでいった。


 

(……胸騒ぎこそ無いが、猛烈に嫌な予感がする)

 


 口元へ手を当てたアルギスが漠然とした不安に苛まれていた時。


 沈黙の満ちていた部屋の中へ、外からコツコツと扉を叩く音が響いた。



(誰だ?)


 

 未だぐるぐると考えを巡らせつつも、アルギスは目線を上げて、扉の脇へ控える使用人に手を振り返す。


 すると、音も立てずに開かれた扉の奥からは、穏やかな笑みを湛えたジャックが姿を現した。



「失礼致します」


 

(噂をすれば、か)


 

 計ったようなタイミングにアルギスが内心で顔を顰める中。


 まっすぐに2人の下へと近づいてきたジャックは、ソファーの脇へ控えて、頭を下げた。



「アルギス様、旦那様がお呼びでございます」


 

「……話の続きは、また今度にしよう」



「ええ。そうしましょう」



 抑揚のない声と共に席を立つアルギスに、レイチェルは目を細めながら微笑み返す。


 一方、服装の乱れを整えたアルギスは、背後へ付き従うジャックを横目に、出口の扉へと足を向けた。


 

「行くぞ」



「かしこまりました」



 チラリと目配せをしたアルギスが歩きだすと、ジャックもまた、レイチェルへ会釈をして後を追っていく。


 ニコニコと見送るレイチェルを背に、2人は対照的な足取りで、使用人の開ける扉を通り抜けていくのだった。

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