68話

 アルギスとマリーが森都を飛び出して丸一日が経とうという頃。


 交易街へと戻った2人は、アランドールの屋敷へ立ち寄った足で、そのまま閉門の差し迫る埠頭へとやってきていた。


 

(これが、船か……)



 アランドールの使用人と集まった船員たちが汗を流して木箱を運び込む中。


 海に浮かぶ巨大な楼閣を見上げたアルギスは、外したマスクを手に、段になった階層を一つひとつ舐めるように見回す。


 やがて、アルギスの目線が水車のようなパドルまで降りてくる頃、背後から伸びた手に肩を叩かれた。


 

「――いやぁ、魔道具船なんて、運が良いじゃないか」 



「……聞きそびれていたが、なぜ、お前がまだここにいる?」



 上機嫌に肩を揺らすハンスに片眉を上げると、アルギスはため息をつきながら、後ろを振り返る。


 しかし、素っ気ない対応に唇を尖らせたハンスは、心外だとばかりに両手を広げた。



「なぜって、君たちが戻ると聞いて待っていたんだよ」 



「交易街へ来て、もう10日だぞ?」



 咎めるような視線を送るハンスに、アルギスは訝しげな表情で首を捻る。


 アルギスの指摘に目を泳がせると、ハンスは言葉を詰まらせながら、ポリポリと頭を掻いた。


 

「まあ、少しばかり森都へ素材を送る手続きに手間取って……。それより、ソラリアへ戻るんだろう?」 


 

「ああ。王都には向かわないがな」



 露骨に話題を変えるハンスに肩を竦めつつも、アルギスは短く息をついて頷き返す。


 未だ仏頂面で腕を組むアルギスに対し、ハンスは気の良い笑みを浮かべながら、魔道具船を眺め始めた。


 

「うん、それも聞いている。向こうについたら、僕は1人で王都に戻るよ」 



「……そうか」 



 嬉しげなハンスの横顔に口を噤んだアルギスは、ふらりと荷物を積み込む船員たちへ目線を送る。


 それから暫くの間、アルギスが船員の動きを追い掛けていると、船尾へかかるフラップから、アランドールが姿を現した。



「準備が、整ったようで」



「ああ、何から何まで……」



 近づいてきたアランドールに、アルギスが感謝を口にしかけた時。


 不意に後ろを振り向いたハンスが、顔を輝かせながら、2人の間へ割り込んできた。


 

「ねぇ、アランドール。こんな時期に魔道具船なんて、どうやって用意したんだい?」 



「ふふ、少し前に申請していただけですよ」 



「……なーんだ。やっぱり、たまたまかぁ」 


 

 忍び笑いを漏らすアランドールの返答に、ハンスはボソリと呟きを残して、魔道具船の見物へ戻っていく。


 一方、アルギスへと向き直ったアランドールは、腰をかがめながら、柔和な笑みを浮かべた。



「こうして約束を守ってもらったのです。私も、力を尽くす必要があるでしょう?」



「……そう言って貰えると、救われるよ」



 アランドールの返答に眉間の皺を薄くすると、アルギスは目を伏せながら、しみじみと呟く。


 しばし2人の間に奇妙な沈黙が降りる中。


 メイド服に身を包んだマリーが、アルギスたちの下へ足早に近づいてきた。



「ご歓談中、大変失礼致します。じき、出航のお時間となるそうです」 


 

「……そうか。では、そろそろ失礼するとしよう」


 

 妙に勢い込んだマリーの声に戸惑いつつも、アルギスは襟を正して、アランドールへ目礼をする。


 そのまま魔道具船へと体の向きを変えるアルギスに対し、ハンスは寂しげ笑みを浮かべながら、片手を差し出した。



「またね、アランドール」



「ええ。くれぐれも、お気をつけて」 


 

 砕けたハンスの態度に頬を緩めると、アランドールは躊躇いもなく、差し出された手を握り返す。



 握手を交わした2人が親しげな口調で会話を続ける一方。


 魔道具船の船尾を見据えたアルギスは、神妙な面持ちで外していたマスクを着け直した。


 

「……行くぞ、マリー」



「かしこまりました!」



 不意に流し目を向けたアルギスが前を歩きだすと、マリーは快活な返事と共に後を追いかける。


 アランドールと話し込むハンスを残して、アルギスとマリーは階段状のタラップへと向かっていった。



(しかし、こいつはこいつで、なんでこんなに元気なんだ?……ますます、ゲームのイメージから離れるな) 


 

 背後で上機嫌に足を進めるマリーに対し、アルギスは首を捻りながら、煌々と明かりの灯った楼閣へ入っていく。


 ややあって、置き去りにされていたハンスが慌てて乗り込むと、魔道具船は波しぶきを上げて進み始めるのだった。


 



 アルギス達がエルドリアを発って2日が過ぎだ頃。


 モウモウと煙突から煙を吐き出すメリンダの家には、エレンがどこかむくれた様子でやってきていた。 

 


「……メリンダ、起きてる?」



 乱雑に本が積まれた1階を抜けて階段を降りてきたエレンは、小さな声を上げながら、おずおずと地下室を覗き込む。


 中央にベッドの置かれた部屋の奥では、椅子に座ったメリンダが、手に持った魔物の角とにらめっこをしていた。


 

「なんとかね」



「あ!届いたんだ!」



 木箱から顔を覗かせる様々な素材に目を留めると、エレンは表情を輝かせながら、メリンダへ駆け寄っていく。


 それから、しばしエレンが素材をしげしげと見回す中。


 持っていた角を木箱へ戻したメリンダは、作業台の脇に避けていた拳大の魔石を取り上げた。



「ああ、いくらか足りないものもあるが、これでようやく止まっていた実験を再開できる」



「良かったね」



 なおも作業台の素材に気を取られつつも、エレンは声を弾ませながら、メリンダの顔を見上げる。


 ニコニコと笑いかけるエレンに対し、メリンダは釈然としない表情で首を傾げた。



「それで、今日は何をしにきたんだい?」



「そうだ。アルギスたちが、どこにいるかわかる?もう、5日は見てない」



 メリンダの問いかけでハッと我に返ると、エレンは唇を尖らせながら、不貞腐れた声を上げる。


 しかし、手元の魔石を透明な筒状の容器に入れたメリンダは、どこ吹く風とばかりに、エレンへ背を向けた。



「私の所へ来るよりも、ハミルトン卿に聞いた方が早いだろう」



「……最近、父様は忙しそう。今も屋敷にいない」 



 巨大な釜をかき混ぜ始めるメリンダに、エレンは作業台を回り込んで近づいていく。


 程なく、エレンが背後までやってくると、メリンダは釜を混ぜる手を止めて、後ろを振り向いた。



「……彼らは、とうにエルドリアを出た。その後のことは、知らないよ」



「え、無視、された……?」 



 気のないメリンダの返答にエレンが愕然とする一方。


 釜で溶けた液体を容器へ注ぎ込んだメリンダは、険しい表情で作業台に向き直った。



「……落ち込んでいるところ悪いが、彼にはあまり関わりすぎない方がいい」



「なんで?」



 重々しい口調で口を開くメリンダに小首を傾げると、エレンはキョトンとした顔で目を瞬かせる。


 立ち尽くしたまま返事を待つエレンに対し、メリンダは容器の中で次第に形を失う魔石を眺めながら、皺を寄せた小鼻を軽くつついた。


 

「あの少年からは、厄介ごとの匂いがぷんぷんする。わかるかい?」



「うーん……?」

 


 諭すような口ぶりに眉を顰めたエレンは、訝しげな声を上げながら首を逆に傾ける。


 どうにも合点がいかない様子のエレンに表情を曇らせつつも、メリンダは魔石の溶け切った容器へ、刻印の入った鉄製の杭を差し込んだ。



「……私がこの役に任じられて以来、唯一取り逃した男と同じ匂いがするんだよ。まあ、近づくなとは言わないが――」 



 エレンへ顔を向けたメリンダが、忠告じみた言葉を口にしかけた直後。


 液体化した魔石に浸されていた杭は、小刻みに震えだし、容器ごと作業台の上で揺れ始める。


 やがて、揺れに耐えきれなくなった容器が倒れると、罅の入った杭はパリパリと音を立てながら、眩い雷光を迸らせた。

 


「きゃぁ!」 

 


 強烈な閃光を放つ杭に、エレンは思わず顔を覆う。


 すると、咄嗟に取り上げた鉢を杭へ覆いかぶせたメリンダは、エレンの首根っこを掴んで、作業台の下へ押し込んだ。

 


「耳を塞いでいるんだ!」



 慌てた2人が作業台の下へ潜り込んで数分。


 轟音と共に被せていた鉢が弾け飛ぶと、メリンダは作業台の端に手をかけて、卓上を覗き込んだ。



「また、失敗だ……。やはり、普通の鋼鉄ではダメそうだな」 


 

「……なに、作ってたの?」



 メリンダに遅れて作業台の下から這い出したエレンは、なおも顔を強張らせながら、じりじりと後ずさる。


 遠巻きに様子を眺めるエレンに対し、メリンダは得意げな表情で、砕け散った杭の破片を集め始めた。


 

「これは私の魔力に感応する目印のようなものだ。完成すれば、擬似的な結界すら作れる」



「すごい!」 


 

 メリンダの返事に目を見開くと、エレンは駆け足で再び作業台へ近づいていく。


 一方、汚れきった作業台から顔を上げたメリンダは、がっくりと肩を落として、集めた金属片を脇の樽へ放り込んだ。



「ただ、この調子では他の素材があっても完成しない。使用する金属は最低でもミスリル、欲を言えばオリハルコンあたりを……」 



「ノルムに聞いてみたら?」



 顎へ手を添えたメリンダが難しい顔でブツブツと呟く傍ら、エレンは良案とばかりに明るい声を上げる。


 しかし、あっけらかんとした提案に眉根を寄せると、メリンダは長いため息をついて、作業台に残った鉢の破片を払い除けた。


 

「そんなもの、あいつらがくれるわけないだろう。それよりもエレン、王都へ行ったらハンスにツテがないか聞いてみてくれないか?」



「うん。いいよ」



 バラバラと床へ破片を落とすメリンダに、エレンは気にした様子もなく、頷きを返す。


 快いエレンの返事に安堵の息をつきつつも、メリンダは綺麗になった作業台を見回して、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


 

「助かるよ。ついでに私からだといって、素材の到着が遅かったことを叱っておいてくれ」



「そっちは、ちょっと……」 


 

 後へ続いた頼みに頬を引き攣らせたエレンは、困ったようにメリンダから目を逸らす。


 しかし、程なく新たな素材が作業台へ置かれると、表情を明るくして、再び実験の様子を眺め始めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る