63話
慌ただしいミダスの出立から5日が経った頃。
交易街へと戻ったアルギスの姿は、既にアランドールの屋敷にあった。
(ん?……ああ)
鼻腔をくすぐる甘い香りに、アルギスは交易街へ戻った事を思い出しながら、ムクリと体を起こす。
そして、鮮やかな壁紙の張られた室内を見回すと、乱れた髪を整えて、床へ敷かれた絨毯に足をつけた。
「ここも、随分と久しぶりだ」
誰にともなく独りごちたアルギスがベッドから立ち上がって程なく。
壁際に控えていた使用人が、裾の長い上着を片手に抱きながら近づいてきた。
「おはようございます。エンドワース様」
「ああ」
挨拶と共に頭を下げる使用人に対し、アルギスは後ろを振り返って、窓から差し込む陽の光に目を細める。
そのままアルギスがゆっくりと手を伸ばすと、上着を広げた使用人が、片腕におずおずと袖を通し始めた。
(残りは1ヶ月程度だが、森都へ向かう事を考えると……ソーンダイク領の調査は難しいな)
「朝餉のご用意が出来てございます」
休暇の残りに眉を顰めるアルギスをよそに、使用人はいそいそと上着の裾を整えて、後ろへ引き下がる。
内心にわだかまりを残しつつも、アルギスは小さく息をついて、脇へ控える使用人に向き直った。
「アランドールはどうしている?昨日は、姿が見えなかったようだが」
「申し訳ございません。旦那様は現在、森都へと向かわれておりまして……」
小首を傾げたアルギスが気楽な口調で尋ねる一方、使用人は眉尻を下げながら、深々と腰を折る。
しかし、再び短く息を吐き出したアルギスは、身を縮こまらせる使用人に、呆れ顔で肩を竦めた。
「少し気になっただけだ。それより、朝食へ向かおう」
「かしこまりました」
あっけらかんとしたアルギスの口調に表情を和らげると、使用人は顔を上げて、出口の扉へと歩き出す。
ややあって、部屋を後にした2人は、真っ直ぐに別館の廊下を抜け、小鳥のさえずる中庭へと出ていった。
(にしても、まさか、これほど時間がかかるとは……)
使用人の後をついて池の上にかかる橋の上を進む最中。
改めてこれまでの日程を思い返したアルギスは、半分を切った休暇に肩を落として落ち込む。
しかし、大きくため息をつくと、不意に顔を上向けて、雲一つない空を見上げた。
「……レイチェルには悪いことをしたな」
「如何されましたか?」
背後でボソリと呟きを漏らしたアルギスに、使用人は足を止めて後ろを振り返る。
一方、使用人へと目線を下ろしたアルギスは、平静を装って、ヒラヒラと手を払った。
「いや、何でもない」
「失礼致しました」
粛々と頭を下げると、使用人は前を向き直って、遠目に見えていた本館の入口へと足を進める。
それから、2人が無言で歩くこと数十分。
アルギスがやってきた本館の食堂では、既に席へついたハンスが、テーブルへ所狭しと並んだ料理を食べ進めていた。
「やあ、おはよう!」
「……なぜ、お前がここにいるんだ?」
案内の使用人が立ち去る傍ら、アルギスは満面の笑みで手を振るハンスに、げんなりとした表情で近づいていく。
ややあって、警戒交じりに向かいの席へ腰を下ろすアルギスに対し、ハンスは満面の笑みで椅子から立ち上がった。
「見ての通り、僕も食事中だよ。あ、お茶いるかい?」
「……ああ」
空のカップを静かに差し出しつつも、アルギスは隣の席へかけ直すハンスに胡乱な目を向ける。
しかし、奥に見える壁際の魔道具に目線を留めると、一転してキョトンとした顔を浮かべた。
「まだ、こんな時間だったのか。随分と起きるのが早いな」
「……例の素材が、まだ集まりきっていなくてね。アランドールもいないし、この後交易街の市場へ行かなくちゃいけないんだ」
気の抜けた声を上げるアルギスに、ハンスは全身に疲労を滲ませながら首を振り返す。
一方、盛り付けられた料理に手をすり合わせたアルギスは、気にした様子もなく、フォークとナイフを手に取った。
「それは、大変だな」
「…………」
我関せずとばかりにアルギスが料理を食べ始める隣で、ハンスは膝の上に手をおいたまま、何かを言いたげに口を開閉させる。
チラチラと送られるハンスの視線に、アルギスは食事の手を止めて、ため息交じりに横を振り向いた。
「……なんだ?」
「これ、本当に貰って良かったのかい?」
アルギスが渋々尋ねると同時、ハンスはポケットからチーフを取り出して、遠慮がちに中に包まれてた小ぶりなピアスを見せる。
しかし、はたとピアスを横目に見たアルギスは、バツの悪そうな顔を浮かべるハンスに片眉を上げた。
「貰うも何も、元はお前の物だったんだろう?」
「でも、誰かへの贈り物だったんじゃないの?」
そそくさと食事に戻ろうとするアルギスへ顔を寄せると、ハンスは声のトーンを落として言い募る。
なおも浮かない顔で俯くハンスに、アルギスはあっさりと首を横に振って見せた。
「なに、そう大それたものじゃない。それに、本人にも聞いたが不要だそうだ」
「そういうことなら、まあ……」
未だ引け目を感じつつも、ハンスは小さく頷きながら、そっと畳み直したチーフをポケットへ仕舞い込む。
会話の止まった室内に沈黙が広がる中、アルギスは思い出したように、ハンスへ顔を近づけた。
「だが、おかげで代替品を約束してしまった。ややこしい頼みだったら手伝え」
「もう、勝手だなぁ……」
言うだけ言って食事へ戻るアルギスへ、ハンスは頬を掻きながら、困ったように笑い返す。
しかし、すぐに笑みを穏やかなものへ変えると、早々に席を立って、食堂の出口へと歩き出した。
(さっさと世界樹の枝を返して、ソーンダイク領へ行かねば)
弾むような足取りで食堂を出ていくハンスを尻目に、アルギスは逸る気持ちを抑えながら、ゆったりと料理を口へ運ぶ。
しかし、程なくアルギスの1人残ったテーブルには、ハンスの食器と入れ替わるように、湯気の立つ皿が運び込まれてくるのだった。
◇
一方その頃、燐光の降り止まぬ森都の中枢、世界樹へほど近い宮城では。
楕円形のテーブルが中央へ配置された一室に、ハイエルフを含む各位階の者たちがズラリと並んでいた。
轡を並べた殆どの者が険しい表情で口を閉ざす中。
最奥の席に腰を下ろしたハイエルフ――ヴァルシャナは、ウィルヘルムから報告書に、苦々しい表情を浮かべていた。
『――では、西方に奪われた民を、連れ帰ってくれたというの?』
『はい。聞くところによれば、そのようで』
斜め前で厳しい視線を送るヴァルシャナに対し、ウィルヘルムは席を立ったまま、小さく頭を下げる。
飄々とした態度に仏頂面を浮かべつつも、ヴァルシャナは咳払いをしながら、ウィルヘルムの隣で目を瞑る長身の男へ目線を滑らせた。
『ランツグラフト、貴方は民が連れ去られていることを知っていたのかしら?』
『ここのところ、交易街が少々不穏である、という話は耳にしておりました』
ヴァルシャナの声に目を開けたオスカー・”ソローム”・ランツグラフトは、落ち着き払った態度で、小さく頷きを返す。
しかし直後、ギリギリと奥歯を噛みしめると、こめかみに青筋を浮かべて、唸るような声で言葉を続けた。
『ですが、それを踏まえた上で、キティエールに警備を任せておりましたので、よもやそのような状況にあるとは』
『……キティエール。貴女から言いたいことは?』
怒りを抑え込むように再び目を瞑るオスカーに対し、ヴァルシャナは床につくほど長い銀髪を後ろへ流して、反対の席へ顔を向ける。
すると次の瞬間、椅子から跳ねるように立ち上がったウルティアは、両手を脇へ揃えて、腰を直角に折り曲げた。
『申し訳ございません!全て、当方の責であります!』
『謝罪はいいわ。それより、何か心当たりは?』
震えだすウルティアを半目で見ながらも、ヴァルシャナは淡々とした口調で質問を重ねる。
続けざまにヴァルシャナがコツコツとテーブルを叩くと、ウルティアはゆっくりと顔を上げて、背筋を伸ばした。
『であれば、先日、件の組織……ルルカーニャの構成員2名を拘束致しました』
『ふーん……それで?』
ウルティアの報告に目を細めたヴァルシャナは、テーブルへ身を乗り出しながら、声のトーンを落とす。
途端に室内へ走った緊張感に、ウルティアは冷や汗を流しながら口を開いた。
『聴取に応じなかったため、既にエクアリタスへの送致が完了しております』
『エクアリタス』
ウルティアが口を閉じるが早いか、ヴァルシャナは被せるように凛とした声を上げる。
安堵の表情を浮かべたウルティアが席へ座り直す一方、サニステリオは入れ替わるように、感情の抜け落ちた顔で立ち上がった。
『……尋問にて判明したことは、ごく僅か。残念ながら、今回も首魁の尻尾は掴めておりません』
『……そう』
悔しげなサニステリオの報告に、ヴァルシャナは興味を失くしたように背もたれへ寄り掛かる。
サニステリオが椅子を引く音だけが響く沈黙の中。
周囲の面々をぐるりと見渡したウィルヘルムは、テーブルへ手をついて、ヴァルシャナへ顔を向けた。
『では、話を戻しても?』
『ああ、そうだったわね。それで、恩賞に望みでもあるのかしら?』
ウィルヘルムの声にパンと両手を合わせると、ヴァルシャナは微笑みを湛えながら、深々と横を向き直る。
頬杖をついて返事を待つヴァルシャナに、ウィルヘルムは穏やかな表情で恭しく頭を下げた。
『私としては、尽力した者たちに、相応の対価を差し上げられれば、と』
『そうね。連れてきたら、私が聞いてあげるわ』
『――な!?』
コクリと頷いたヴァルシャナが二つ返事へ了承するや否や、静まり返っていた室内にうめき声が響き渡る。
突如響いた声にくるりと顔を向けると、ヴァルシャナは目を泳がせるサニステリオに訝しげな表情を浮かべた。
『どうしたの?エクアリタス』
『……なんでも、ございません』
どよめく周囲の視線が一転へと集まる中。
膝の上に手をついたサニステリオは、絞り出すような謝罪と共に、テーブルへ顔を伏せた。
『では、ハミルトン。冒険者がこちらへ着いたら、連絡を』
『承知しました』
『では、アキツシマの件だけれど――』
椅子へ腰を下ろすウィルヘルムを横目に、ヴァルシャナは次の議題を口にする。
全員が表情を引き締め直した会議は、終わる気配もなく、延々と続いていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます