62話

 低かった陽は高くなり、辺りにも歩く人の姿がちらほらと見えだす頃。


 交易街までの証符を手に入れた2人は、対照的な表情で再び狭い通りを進んでいた。 


 

「フフーン♪」 


 

(証符こそ手に入ったが……)


 

 鼻歌交じりに辺りを見回すハンスに対し、アルギスは依然合点のいかない様子で後に続いていく。


 しかし、程なく先ほどと同じ看板を掲げた店の前までやってくると、堪えきれなくなったように口を開いた。

 


「さっきといい、ここは一体何の店なんだ?」


 

「彼の言っていた通り、質屋だよ。それも、下級商人御用達のね――」



 アルギスの声に横を振り向いたハンスは、扉へ伸ばしかけた手を下ろして、声を潜めながら話し出す。


 なんでも、この裏通りでは警吏への賄賂と引き換えに、少額の違法取引が半ば容認されているというのだ。


 そのため、本来売買の禁止されている証符も、一部の店舗に限って取り扱われていた。

 


(本当に、どういう街なんだ、ここは……)


 

「――でも、探すのに少し時間がかかるんだ。だから、急がないと」



 唖然とするアルギスに、ハンスはいそいそと扉へ向き直りながら、先を急がせる。


 しかし、背中を押す手に眉を顰めたアルギスは、店の前で足を止めたまま、横を振り向いた。


 

「悪いが、私が同行するのはここまでだ」



「え?まだ素材も買いに行くのに?」



 立ち去ろうとするアルギスを、ハンスは目を点にしながら見つめ返す。


 悪びれる様子もなく食い下がるハンスに眉間の皺を深めつつも、アルギスは努めて冷静に首を振った。



「……言わなかったか?素材の調達を手伝うつもりはないと」



「確かに、言ってたけど……」 



 取り付く島もない態度に、ハンスは目を泳がせながら、モゴモゴと言い淀む。


 一方、渡されていた証符を突き返したアルギスは、ダメ押しとばかりに、ポケットから数枚の白金貨を取り出した。


 

「これなら、もう私は不要だろう」



「わかったよ……」



 渋々証符と白金貨を受け取ったハンスは、しょんぼりと肩を落としながら頷き返す。


 悲しげに扉へ手を掛けるハンスに対し、アルギスはくるりと体の向きを変えて、元来た道を見据えた。



「出発は4度目の鐘がなる頃だ。交易街へ戻る気のあるエルフは、それまでに連れてこい」



「りょーかい。また後でね」



 去っていくアルギスへ手を振り返すと、ハンスは扉を開けて、1人店へ入っていく。


 音を立てて閉まる質屋の扉を背に、アルギスは振り返ることなく、狭い裏通りを進んでいった。



(だいぶ、宿から離れてしまったが……おや?)



 キョロキョロと辺りを見回しながら表通りへと向かう道中、忙しなく動いていたアルギスの足が不意に止まる。


 というのも、アルギスの目線の先では、色褪せた本のマークの看板が、風に煽られて揺れていたのだ。


 裏通りにあることへ一抹の不安を感じながらも、アルギスは吸い寄せられるように店へと入っていった。

 


(やはり、書店だったか……)

 


 後ろ手に扉を閉めたアルギスが乱雑に本の押し込まれた棚を見上げる中。


 革のエプロンを掛けた男が、腰を低くしながら近づいてきた。



「いらっしゃいませ。どんなものをお探しでしょう?」 


 

「ここに、闇属性の魔術書はあるか?」


 

 卑屈な笑みを浮かべた男を一瞥すると、アルギスは首を左右へ捻りながら、壁際へ並んだ本棚を見渡す。


 気楽な態度で返事を待つアルギスに対し、男は頭へ手を当てながら、一層腰を低くした。



「すみません。うちみたいな古本屋じゃあ、そんな高価なものは扱えませんで……」 


 

「……そうか」


 

 期待外れの返答に肩を落としたアルギスは、ペコペコと頭を下げる男に背を向ける。


 しかし、アルギスが店を出ようとすると、男はすかさず本棚に収められた一冊へ手を伸ばした。


 

「代わりに、バウドゥールの冒険譚なんて如何です?術師についても書かれていますよ」 

 


「いや、結構」



 あざとく別の本を売り込もうとする男に対し、アルギスは背を向けたまま言葉を返す。


 すると、途端に勢いを萎れさせた男は、取り出しかけていた本を棚へ仕舞い直した。


 

「そうですか……」 



(まあ、そうそう上手くもいかないか)



 項垂れる男を背にアルギスが諦めて店を出ようとした時。


 不意に見やった出口近くの本棚に、表紙をはみ出させた大判の本を見つけた。


 

「これは……」



 掠れきった背表紙に目を細めると、アルギスは思わず足を止めて、大判の本を引き抜く。


 そのまま本を抱えてページを捲りだすアルギスに、薄笑いを浮かべた男が、揉み手をしながら、にじり寄ってきた。


 

「そちらは調理の指南書ですね。最近、アルデンティアの方から入ってきたんです」 



「いくらだ?」



 男の声に横を振り向いたアルギスは、パタリと本を閉じながら、尋ねかける。


 淡々とした問いかけに目を丸くしつつも、男はすぐにニンマリとした笑みを取り戻した。

 


「2万Fになります」



「貰おう」 

 


 手に持っていた本を小脇に抱えると、アルギスは迷わずポケットから半分に割れた金貨を取り出す。


 一方、アルギスから金貨を差し出された男は、驚いた表情を浮かべながらも、素早く両手を差し出した。

 


「ありがとうございます!では、少々お待ち下さい!」



(これは、いいものを手に入れた)



 走り去っていく男をよそに、アルギスは口角を上げながら、薄汚れた表紙をまじまじと眺める。


 ややあって、戻ってきた男からお釣りを受け取ると、軽くなった足取りで店を後にするのだった。



 ◇



 それから時は流れ、街へ5度目の鐘の音が鳴り響く宵の口。


 甲板から怒鳴り声の上がる船の一室には、窓際に吊られたベンチで、会話を交わすアルギスとハンスの姿があった。



「それで、奴らは結局どうなったんだ?」

 


「やっぱり、全員一度戻るそうだよ」 



 隣で混み合った港を見下ろすアルギスに、ハンスは顔を伏せながら、しみじみと言葉を返す。


 他方、窓から目を逸らしたアルギスは、感心した様子で、頬を緩めるハンスへ顔を向けた。


 

「しかし、あれだけの数をよく怪しまれずに連れてこられたな」



「あはは……。ミダスを案内する商売だと言って、どうにか信じてもらったんだ」



 顎を撫でたアルギスが気楽な口調で問いかけると、ハンスは苦笑いを浮かべながら、困ったように頭を掻く。


 目線を左右へ揺れ動かすハンスに嫌なものを感じつつも、アルギスは肩の荷が下りたように、短く息を吐き出した。


 

「……まあ、問題が無かったならいいだろう」


 

「あ、でも、その時に君たちを上役の息子とその護衛って言ってあるから、そのつもりで頼むよ」


 

 ゆっくりとベンチから立ち上がるアルギスへ、ハンスは思い出したように説明を付け加える。


 しかし、ベンチの脇に控えるマリーを一瞥したアルギスは、後ろを振り返って、訝しげな表情でハンスを見下ろした。



「まだ、我々になにかさせる気か?」


 

「いやいや、普段通りにしていてくれたら大丈夫。むしろ、そのままがいい」



 含みのある言葉と共に両手を小さく振ると、ハンスは冷や汗を掻きながら、アルギスとマリーを交互に見やる。


 引きつった笑みを浮かべるハンスをよそに、アルギスは側で身構えるマリーへ流し目を向けた。


 

「……だ、そうだ」



「承知致しました」 



「じゃ、僕は彼らの所へ戻るよ。何かあったら、呼びに来るね」

 


 2人のやり取りにホッと息をついたハンスは、声を弾ませながら、勢いをつけて立ち上がる。


 そして、足早に出口の扉へ向かうと、頭を下げてから、アルギスたちの部屋を去っていった。

 


「嬉しそう、でしたね」 


 

 一転して静まり返った室内に、マリーの呟きが小さく響く。


 しばしの逡巡の後、首を縦に振ったアルギスは、なおもじっと扉を見つめるマリーへ体を向け直した。

 


「……本当に、あの魔道具をハンスに返して良かったのか?」


 

「はい。私には、不要なものですから」


 

 首を傾げたアルギスに迷わず頷きを返すと、マリーは無意識に小ぶりな耳飾りの揺れる耳へ触れる。


 屈託のない笑みを浮かべるマリーに対し、アルギスはスッと目を細めながら両手を広げた。

 


「では、他に何か欲しいものはあるか?」


 

「えぇと、それはどういった……」


 

 唐突な質問に戸惑いながらも、マリーは腰を低くして、上目遣いにアルギスの顔を覗き込む。


 落ち着きなく気を揉むマリーに、アルギスは呆れ顔で肩を竦めた。



「これだけ働かせて、賞の一つも無しというわけにはいかんだろう」

 


「い、いえ、私は当然のことをしただけですので」


 

 あっけらかんとしたアルギスの返答に目を見開くと、マリーは慌てて首を横に振る。


 しかし、当惑するマリーを見つめたアルギスは、腕を組みながら、口をへの字に曲げた。

 


「だとしてもだ。それでは、私の気が収まらん」


 

「ですが……」


 

 きっぱりと言い切るアルギスに対し、マリーは目を泳がせながら、歯切れ悪く口ごもる。


 答えあぐねるマリーに再び肩を竦めると、アルギスはフッと表情を緩めて、壁際へ配置された机に足を向けた。


 

「まあ、別に今すぐにでなくてもいい。何か、一つくらい考えておけ」

 


「……かしこまりました」



 スタスタと歩き出すアルギスへ、マリーは未だ頭を悩ませながらも、粛々と腰を折る。


 程なく、顔を上げたマリーが背後へ控える一方、アルギスは机に置いていた大判の本を手に取った。

 


(はぁ……ここから、また交易街へ戻らねばならんとはな) 

 


 ため息をついたアルギスが気を紛らわすように本を読み進める中。


 錨を上げた船は、ゆったりとした速度でミダスの港を出航するのだった。

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