60話
未だ日も昇らず、暗闇に包まれた夜明け前。
貧民街へと逃げ延びたソーンダイク家の一団は、ミダスの商人が保有する、薄汚れた家屋の一室で息を潜めていた。
「ハァハァ、危なかった……」
数の減った護衛の騎士が周囲を警戒する中。
テーブルへ突っ伏したヴィクターは、ベタつく汗もそのままに、乱れていた呼吸を整える。
息も絶え絶えのヴィクターに対し、側に控えていた騎士は、戸惑い交じりの表情で口を開いた。
「しかし、宜しかったのですか?」
「何の話だ……?」
不安げな声にテーブルから顔を上げると、ヴィクターはなおも噴き出す脂汗を拭って、騎士の顔を睨みつける。
突き刺すような視線に気圧されつつも、騎士はゴクリと唾を飲み込んで、深々と頭を下げた。
「失礼ながら、あの場には、まだ騎士や使用人も残っておりましたが……」
「それどころでは無い。あそこで時間をくっていれば、今頃死んでいたんだ」
遠慮がちに口を開いた騎士の言葉を遮ると、ヴィクターはテーブルへついた拳を固めながら、奥歯を噛みしめる。
ふつふつと憎悪を募らせるヴィクターに対し、騎士は未だ釈然としない様子で小首を傾げた。
「しかし、旦那様であれば……」
「馬鹿が!あの小僧の使った死霊術を見なかったのか!」
食い下がる騎士に罵声を浴びせたヴィクターは、顔を赤くしながら、テーブルへ拳を叩きつける。
しかし、アルギスとの戦闘を思い出すと、下唇を噛んで、途端に苦々しい表情を浮かべた。
「無手での死霊召喚など、エンドワース家を除いて他にあり得ない……!」
「っ!」
静かに室内へ響き渡った声に、騎士は目を剥いて言葉を失う。
やがて、その場の全員が押し黙った室内には、俄作りの家屋を揺らす風の音だけが残った。
「一体、いつから気がついていた……?まさか、ハートレス家の件も……」
怯える使用人たちをよそに再びテーブルへ突っ伏すと、ヴィクターは頭を抱えながら1人ブツブツと呟き出す。
それからしばらくの間、後悔に塗れたヴィクターの独り言が続いた頃。
薄い壁の向こう側から、微かなながらも悲鳴のような叫び声が聞こえてきた。
――ぁぁ!――
「なんだ!?誰だ!」
徐々に近づいてくる悲鳴に、ヴィクターは顔を跳ね上げて、動揺する使用人たちを見回す。
そして、異変に気がついたヴィクターが耳を澄ませると、外からは悲鳴の中にカツン、カツンと杖で床を突く音が聞こえ始めた。
「おい!様子を見てこい!」
「は、はっ」
狼狽えつつも頭を下げた騎士たちは、一斉に剣を抜いて、ぞろぞろと部屋の出口へと向かっていく。
しかし、騎士たちが扉を閉めた直後には、室内へガタリと剣の落ちる音が響いた。
――ぐあぁぁぁ……!――
「そ、外で、なにが……」
間近で聞こえた断末魔にヴィクターが席を立とうとした瞬間。
騎士たちの出ていった扉には、縦横に無数の剣閃が走り、細切れになって崩れ落ちる。
そして、積み上がった木片の奥からは、片手に杖を携えた細身の老人が、白銀の板金鎧を纏う騎士と共に姿を現した。
「――こうして顔を合わせるのは、いつぶりのことかね。ヴィクター・ソーンダイク」
「あ、貴方様は……!?ゥ゙、ヴェ、ゴホゴホッ!」
長い白髪の毛先を緩く結ったローブ姿の老人に、ヴィクターは嗚咽を漏らしながら咳き込む。
部屋へ押し入った白銀の騎士が、瞬く間に護衛を肉片へと変える一方。
悲鳴の中を悠々と進みだした老人――ハガラス・エンドワースは、一直線にヴィクターへと近づいていった。
「ふーむ。やはり、太り過ぎは体に毒だな。長生きできないぞ?」
「ど、どうして、このような場所へ……」
残った護衛が使用人諸共撫で斬りにされる最中、ヴィクターは立ち上がって、消え入るような声で尋ねかける。
怖々と腰を屈めるヴィクターに対し、ハガラスはニコリと微笑みながら、粗末な椅子へ腰を下ろした。
「この国で静養をしていたところに、君が来ていると友人が教えてくれてね」
「そ、それは、それは。して、私めにどのような……」
引きつった顔に卑屈な笑みを貼り付けると、ヴィクターは汗ばむ両手を揉み合わせながら、一層腰を低くする。
しかし、血に染まる室内を見回したハガラスは、椅子から身を乗り出して、笑みを邪悪なものへと変えた。
「ソウェイルドからも、面白い話を聞いた。そこで、真偽のほどを確かめに、わざわざここまで出向いたわけだ」
「も、申し訳ございません!これには、深い訳があるのです!」
カツカツと床を叩くハガラスの杖に、ヴィクターはビクリと肩を揺らして、涙を流しながらひざまずく。
護衛を斬り尽くした白銀の騎士が側へ控える傍ら、ハガラスは小刻みに震えだすヴィクターを冷たい目で見下ろした。
「なんとも、残念でならないな。クラヴァルの息子との再会が、このような形になろうとは」
「あ、あぁぁぁ……どうか、どうかお赦しを……!」
杖頭で肩を叩かれたヴィクターは、両手を組みながら、床へつかんばかりに頭を垂れる。
必死で言い募るヴィクターに、ハガラスはストンと顔から感情を失くして、小さく首を振り返した。
「時は、遅きに失した。お前の家に任せていた仕事も、これではもう果たせぬだろう?」
「いえ!既に!既に、一部は完成して……!」
にべもない返事に顔を歪めつつも、ヴィクターはここぞとばりに声を張り上げて、ハガラスの足元へ縋り付く。
すると、これまで眉一つ動かなかったハガラスの顔には、一転して晴れ晴れしい笑みが浮かんだ。
「おお!それは素晴らしい!」
「では……!」
口角を上げたハガラスが拍手を送ると、ヴィクターは歓喜の色を滲ませながら片膝を上げる。
しかし、ヴィクターが立ち上がろうとした時には既に、ハガラスの表情は元の冷徹なものへと戻っていた。
「だが、愚行の対価は、その程度では足らん。エンドワース家を裏切った償いは、きっちりとしてもらう」
「っ!」
最早これまでと交渉を諦めたヴィクターは、ハガラスへ背を向けて駆け出す。
そのまま、もつれる足でどうにか逃げようとするヴィクターに対し、ハガラスは落ち着き払った態度で再びパチパチと手を叩き始めた。
「今まで、ご苦労だったな。せめて、安らかに眠れ……デイヴィッド」
「はっ!」
ハガラスが手を止めると同時、デイヴィッドは抜き放った双剣を手に、ヴィクターへ向かって飛び出す。
そして、細身の一振りが銀色の閃光を残して振り下ろされた刹那。
魔石を取り出そうとしていたヴィクターの片腕は、血しぶきを上げながら宙を舞った。
「うがぁぁぁああああ!」
室内へ響き渡る慟哭を最後に、ヴィクターの体はバラバラと崩れ、細切れの肉片へと変わる。
惨劇じみた光景をハガラスが涼しい顔で眺める中。
腰の後ろへ剣を仕舞い直したデイヴィッドは、唯一形を残す片腕から、嵌められていた指輪の1つを抜き取った。
「旦那様、こちらを」
「うむ」
片膝をついたデイヴィッドが差し出す指輪を、ハガラスはどこか憂いを帯びた表情で受け取る。
そして、そっと自らの薬指へ嵌め直すと、 中央へ配置された鈍色の石を淋しげに撫でた。
「……やはり、我が手元へと戻るか。破滅の指輪よ」
ハガラスの囁きの裏腹に、左手へ嵌められた指輪は、薄暗い部屋の明かりを反射して灰色に輝く。
じっと指輪へ目を落とすハガラスに、デイヴィッドは周囲を警戒しながらも、立ち上がることなく首を傾げた。
「いかが、されましたか?」
「私も老いたものだな。柄にもなく、感傷に浸ってしまった」
指輪から目を逸らしたハガラスは、自嘲気味な笑みを浮かべながら、抱えていた杖を握りしめる。
そのまま杖を支えにして立ち上がるハガラスに対し、デイヴィッドは顔を伏せながら、無表情のまま首を横に振った。
「クラヴァル様とのご関係を思えば、必然のことかと」
「フッ、やもしれんな。……お前も、旧交は生きている内に温めておけ」
気遣わしげなディヴィッドの言葉に鼻を鳴らすと、ハガラスは明後日の方向を向きながら、穏やかな声を上げる。
一方、ハガラスに遅れて立ち上がったデイヴィッドは、訝しげな表情で小さく腰を折った。
「と、申しますと……?」
「小うるさいのが来ていただろう?相手をしてやれ」
腑に落ちない様子のデイヴィッドに、ハガラスは顔を顰めながら、投げやりに言葉を続ける。
口調にそぐわない指示に息を呑みつつも、デイヴィッドは姿勢を正して、ゆっくりと頭を下げ直した。
「過分な温情、感謝いたします」
「いい、気にするな」
鬱陶しげに手を振ったハガラスは、無愛想な返事と共に、出口へと歩き出す。
しかし、背後で立ち止まったままのデイヴィッドに気がつくと、足を止めて後ろを振り返った。
「何をしている。戻るぞ?」
「申し訳ありません。つい、呆けてしまいました」
不思議そうな顔を浮かべるハガラスに対し、デイヴィッドは当惑した様子で顔を上げる。
すると、笑みを隠すように口元を覆ったハガラスは、クツクツと喉を鳴らし始めた。
「然しものお前とて、歳には勝てんか?」
「……ええ。剣では、斬れませんので」
試すような口調で声をかけるハガラスへ、デイヴィッドは肩を竦めながら、クスリと笑い返す。
冗談交じりの返答に一層機嫌を良くすると、ハガラスは堪えきれなくなったように哄笑を上げた。
「クハハハ、尤もだ。だが、そう易々とは負けてくれるなよ?」
「勿論でございます。まだまだ、やらねばならぬことは多いようですから」
ハガラスが未だ上機嫌に目を細める一方。
室内の血溜まりを見回したデイヴィッドは、即座に表情を引き締め直す。
すっかり調子を取り戻したデイヴィッドを横目に、ハガラスは満足げな笑みを浮かべながら、前を向き直った。
「ならば良い。行くぞ」
「はっ!」
再びハガラスが前を歩き出すと、デイヴィッドもまた、後を追って出口へと向かっていく。
程なく、2人の立ち去った室内には、風が家屋を揺らす音と、むせ返るような血の匂いだけが残るのだった。
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