59話
ハンスを救い出してから既に1時間あまりが過ぎる中。
エルフたちの囚われていた部屋では、怒号交じりの話し合いが繰り広げられていた。
「――お前、俺達を裏切るのか!」
「裏切らないよ。皆で、ここから出るんだ」
鉄格子を掴んで叫び声を上げる青年に、ハンスは首を振りながら、穏やかな声をかける。
しかし、ハンスの説得も虚しく、青年の隣に立つ女は、眦を裂きながら騎士の死体が避けられた出口を指さした。
「そんなこと言って、後ろのとグルなんでしょう!」
「だから、そういうことじゃないんだって!」
物騒な物言いに頭を抱えつつも、ハンスは鉄格子へ手を掛けながら、声を張り上げる。
どうにか場を収めようとするハンスに対し、女は一層目つきを鋭くして、鉄格子から後ずさった。
「やっぱり、否定しないんだ!」
「とにかく、皆一旦落ち着いて!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるエルフたちをハンスが必死で宥める一方。
扉の前に立ったアルギスとマリーの2人は、一向に進まない救出劇を、ただ呆然と眺めていた。
(……地獄絵図だ)
「如何されますか……?」
目頭をきつく押さえるアルギスに、マリーは腰を屈めながら、おずおずと話しかける。
戸惑い交じりの問いかけに目元から手を離すと、アルギスは腕を掴まれるハンスをよそに、騒ぎへ背を向けた。
「付き合っていられん。落ち着くまで、我々は少し出ていよう」
「かしこまりました」
静かに頭を下げたマリーは、歩き出すアルギスへ先立って、すかさず扉を押し開ける。
ハンスが助けを呼ぶ声を背にして、2人はそそくさと部屋を出ていった。
(もう少しすれば、奴らの頭も冷えるだろう)
扉脇の壁に寄りかかったアルギスがため息をつきかけた時。
燕尾服を身に纏う壮年の男が、颯爽と2人の下へ近づいてきた。
「こちらに、いらっしゃいましたか」
「お前は?」
脇へ控える見覚えのない男を、アルギスは壁に寄りかかったまま、胡乱な目で上から下まで見回す。
一方、ピンと背筋を伸ばした男は、両手を脇へ揃えて、深々と頭を下げた。
「申し遅れました。私は当店舗の総支配人を務めるディーノと申します」
「そうか。それで、何の用だ?」
恭しく名乗りを上げるディーノへ、アルギスは首を捻りながら、興味なさげに先を促す。
しかし、素っ気ない態度を気にした様子もなく目線を上向けると、ディーノはマスクに隠されたアルギスの顔をまじまじと見つめた。
「失礼ながら、エンドワース家の御後嗣様でいらっしゃいますね?」
「なんだと……?もう一度、言ってみろ」
囁くような問いかけに顔を顰めたアルギスは、黒い霧を漂わせながら、ディーノへ向き直る。
険しい表情で気色ばむアルギスに対し、ディーノは冷や汗を流しながら、慌てて両手を挙げた。
「どうか、どうか気をお鎮め下さい。他意は、一切ございません」
「……なぜ、わかった?」
困惑を胸の内に押し込むと、アルギスは不信感を滲ませながら、低い声で尋ねかける。
辺りへ広がった霧が空気へ溶け込む中、ディーノはアルギスの顔色を伺いながら、頭を下げ直した。
「武装として死霊を召喚される方は、ごく限られてございますので」
(……しまったな。店へ押し入った時か)
忘れかけていた血統魔術の存在に、アルギスは厄介な事になったと内心で頭を悩ませる。
腕を組んだアルギスがむっつりと黙り込む一方、ディーノは両手を擦り合わせながら、ここぞとばかりに口を開いた。
「ご安心下さい。当店は口の堅さも一流。ですので、ご来店が外へ漏れるようなことは決してございません」
「……言いたいのは、それだけか?」
流れるようなディーノの売り込みが耳に入ったアルギスは、組んでいた腕を下ろしながら、呆れ顔で聞き返す。
早々に話を切り上げようとするアルギスに対し、ディーノは小さく首を振り返して、遠慮がちに言葉を続けた。
「他にも何か、お手伝いできることがあればと」
「なら、中にいるエルフ共を纏めて私の所まで送れるか?」
ディーノが協力を申し出るが早いか、アルギスは小首を傾げながら、冗談交じりに脇の扉を叩く。
しかし、チラリと扉を横目に見やったディーノは、背筋を伸ばして、ゆっくりと首を縦に振った。
「はい。お届け先にもよりますが、可能でございます」
(……マジか)
思いの外歯切れの良い返答に、アルギスは呆気にとられながら、目を瞬かせる。
しかし、すぐにマスクの下で口角を吊り上げると、上機嫌にディーノへ歩み寄った。
「では、私の泊まっている宿まで内密に送ってくれ」
「宿、ですか……。ちなみに、どちらの?」
漠然とした指示に一度目線を彷徨わせつつも、ディーノは腰を低くしながら、アルギスの顔を上目遣いに見上げる。
神妙な面持ちでディーノが返事を待つ中、アルギスは目を細めながら、マスクの表面を撫で回した。
「確か……スレフトの館という所だ。わかるか?」
「ああ。でしたら、問題ございません」
アルギスが宿の名を告げると、ディーノはホッと胸を撫で下ろして、満面の笑みを浮かべる。
ガラリと変わったディーノの雰囲気に、アルギスはマスクから手を離して、目を丸くした。
「ほう?随分と簡単に言い切るんだな」
「ええ、何しろ系列店ですから。多少、無理な要望も通ります」
不思議そうな顔で首を傾げるアルギスへ、ディーノは笑みを柔和なものに変えて、当然とばかりに言葉を返す。
初めて知る情報に顔を顰めながらも、アルギスは咳払いをして、鷹揚に頷いた。
「……なるほど、そういうことなら安心だ。是非とも、丁重に運んでくれ」
「はい、お任せ下さい」
ニコリと微笑んだディーノは、くるりと踵を返して、通路の角を曲がってへ消えていく。
カツカツと遠ざかる足音をよそに、アルギスはうんざりとした表情で、反対脇で黙り込んでいたマリーへ顔を向けた。
「お前は、ここにいろ。ハンスを呼んでくる」
「かしこまりました」
アルギスの指示に頭を下げると、マリーは顔を伏せたまま、そっと扉を引き開ける。
一方、部屋へ足を踏み入れたアルギスは、エルフたちには目もくれず、檻から離れて座り込むハンスの下へ向かっていった。
「おい。ハンス、ちょっと来い」
「おや?なにか、いい案でも思いついたのかい?」
直ぐ側までやってきたアルギスを、ハンスは膝を抱えたまま、キョトンとした顔で見上げる。
未だ警戒心を滲ませるエルフたちを尻目に、アルギスは腰を折りながら、ハンスへ手を差し伸べた。
「ああ、そうだ。詳しいことは外で話そう」
「いいけど……」
躊躇いがちにアルギスの手を取ったハンスは、引き上げられるように、床から腰を上げる。
室内にヒソヒソと囁き声が響く中、2人は何も言わず部屋の外へと出ていった。
「それで、どうする気なんだい?」
扉を閉め直すマリーを背に、ハンスは通路を見回すアルギスへ、顔を輝かせながら声をかける。
期待に満ちたハンスの声に振り返ると、アルギスはため息交じりに肩を竦めた。
「なんでも、ここの店は荷物の配送もしてくれるそうだ」
「に、荷物って、まさか……」
不穏な物言いに頬を引き攣らせたハンスは、苦笑いを浮かべながら言い淀む。
不安げに目線を揺らすハンスに対し、アルギスはあっけらかんとした態度で扉を指さした。
「心配なら、残っていてもいいが?」
「……いや、止めとくよ。僕がいると、余計話がこじれそうだ」
未練がましく扉を横目に見つつも、ハンスは自嘲気味な笑みを浮かべて首を横に振る。
肩を落としたハンスが諦めたように扉から離れると、アルギスは早々に通路の奥へと足を向けた。
「なら、もう行くぞ」
「かしこまりました」
「……そうだね」
振り返ることなく前を歩き出すアルギスに、マリーとハンスは縦に並んで続いていく。
しかし、3人が通路の曲がり角へとやってきた時。
舞台ホールに向かおうとしたハンスは、逆の方向へと進み出すアルギスとマリーに、慌てて後ろを振り向いた。
「って、どこへ行くんだい?」
「さっきの部屋だ。ウェルギリウスに一言言いたいことがある」
程なく、ハンスが隣へ並ぶと、アルギスは簡潔な返事と共に歩く速度を上げる。
アルギスが脇目も振らず通路を進む一方、ハンスは唇を尖らせながら、後を追い掛けた。
「もう、そんなに急ぐことないだろう」
(まったく、勝手にルルカーニャの宿なんぞ取りやがって……)
重たい足取りで後ろを歩くハンスをよそに、アルギスは内心で愚痴を漏らしながら、真っ直ぐ館の奥へと向かっていく。
それから暫くして、最奥の部屋まで戻ってくると、3人は揃って訝しげな表情を浮かべながら足を止めた。
(どういうことだ?)
3人の目線の先では、アルギスの蹴破った扉が、元通り傷一つ無い状態で閉じられている。
また、よく見れば、途中の通路に垂れていたはずの血すら、一滴も見当たらない。
不気味さすら感じさせる状況に息を呑みつつも、アルギスは困惑する2人に先立って取っ手に手を掛けた。
「おい、ウェルギリウス」
扉を引き開けたアルギスが呼びかけても、部屋の中から声は返ってこない。
それどころか、戦闘の痕と血で汚れきっていた室内は、鉄檻が片付けられ、埃一つ無い状態に整えられていたのだ。
「……ここ、さっきの部屋だよね?」
「ああ、そのはずだ」
背中越しの中を覗き込むハンスへ頷きを返すと、アルギスはキョロキョロと目線を動かしながら部屋に足を踏み入れる。
異様な光景に唖然としながらも、3人は家具の配置され直した室内をフラフラと見回りだした。
「あの、大穴すらありませんね……」
「うん、一体どうやって……」
磨き上げられたように輝く床にマリーとハンスが隠しきれない戸惑いを露にする中。
大きなため息をついたアルギスは、パンと両手を叩いて2人の注意を引き付けた。
「……奴がいないなら、もうすることはない。宿へ戻るぞ」
不満げな言葉を最後にアルギスが出口へと歩きだすと、2人もまた、いそいそと後を追っていく。
ややあって、部屋を後にした3人は、胸中にわだかまりの残しながらも、無言で通路を進み出すのだった。
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