31話

 傾きかけていた陽の半分が水平線に沈み、徐々に夜の気配が近づき出す頃。


 アルギスと案内をする使用人の姿は、未だ優美な風景画と彫刻に飾り立てられた母屋の廊下にあった。

 


「ふむ……」 


 

 鮮やかな天井画に気を引かれながらも、アルギスは使用人の後を追い、屋敷の奥へと繋がる廊下を進んでいく。

 

 それから、精緻な文様の絨毯が敷かれた上を進むことしばらく。


 屋敷の中央に位置する扉の前で、アルギスの前を歩いていた使用人がピタリと足を止めた。



「失礼致します」



 一際緻密な彫刻の彫り込まれた扉を叩いた使用人は、少しの間を開けて、ゆっくりと引き開ける。


 使用人の姿が隠れるように開け放たれた扉の奥では、机に腰を下ろしていたアランドールが立ち上がろうとしていた。



「これは、これは……」



「急いでいるわけではない、そのままでいてくれ。予定があるのに、じっとしているのは性に合わないだけだ」


 

「では、失礼して」



 自嘲気味に口元を歪めるアルギスに対し、アランドールは柔和な笑みと共に会釈をして椅子へかけ直す。


 足早に扉をくぐったアルギスは、部屋を漂う甘い香りに鼻をひくつかせながら、四肢の湾曲したソファーへ腰を下ろした。



「エレンのことで話があると聞いたが?」



「ええ。明日中にはいらっしゃるかと思いましたので、取り急ぎご報告をと」

 


 陶器をトレイに乗せて近づいてくる使用人を横目に見やると、アランドールはコクリと頷いて、穏やかな口調で言葉を返す。


 ニコニコと微笑みを湛えるアランドールに対し、アルギスは目を丸くして、ソファーのクッションから背中を浮かせた。 



「おや、急がせてしまったか?これは悪いことをしたな」 



「いえいえ、この程度では。それに、大層気にしていらっしゃったようなので」 

 


 苦笑交じりに首を振りながらも、アランドールはアルギスの前に置かれた陶器を手で指して、すぐに笑顔を取り戻す。


 程なく、アランドールがほのかに湯気を立てるお茶で唇を濡らすと、アルギスもまた、自身の傍へ置かれた陶器を手に取った。


 

「ああ。あいつは、意外と時間に煩いんだ」



「……ハミルトン家のご令嬢は、未だ若木。大目に見ていただけると嬉しくございます」



 ほぅとため息を零すアルギスに、アランドールは机の上で両手を合わせて、小さく頭を下げる。


 しかし、持っていた陶器をテーブルへ置いたアルギスは、気にした様子もなく肩を竦めて、背もたれに寄りかかった。


 

「別に、気にはしていない。私も時間の無駄は嫌いだからな」



 ざっくばらんなアルギスの返事を最後に室内へ沈黙が広がる中。


 顔を上げたアランドールは、予想が外れたとばかりに、ポカンと口を開けた。


 

「……やはり、”どの”エンドワースとも違う。いやはや、面白い方だ」



「なんだ?」



 ややあって、吐息のような呟きを漏らすアランドールに、アルギスは片眉を上げながら聞き返す。


 しかし、アルギスと目の合ったアランドールは、好々爺然とした笑みを浮かべて、再び静かに首を振った。



「いえ、なんでもございません。お呼びだてして申し訳ありませんが、私からお伝えしたいのは以上になります」 



「では、私からも一ついいか?」



 再度小さく頭を下げたアランドールが口を閉じるが早いか、アルギスは身を乗り出して、継ぎ目なく言葉を重ねる。


 爛々と目を輝かせるアルギスに、アランドールはキョトンとした顔で首を傾げた。



「はい。なんでしょう?」



「少しばかり、本を貸してもらいたい。幸い、まだ時間はあるようだしな」



 チラリと壁際に置かれた魔道具を見やると、アルギスは針の指している時刻に、ニヤリと口元を吊り上げる。


 他方、思案顔を浮かべたアランドールは、視線を上向けながら、整えられた口元の髭を撫でた。



「本、ですか?それは、どのような……」 



「”植物の育成”に関するものだと嬉しい。私1人では、選ぶのも難しいだろう」



 腰の低いアルギスの返答に目を見開くと、アランドールの表情は花が咲いたように明るくなる。


 

「おお!勿論でございます。いくつか見繕って、お届けしますよ」



 しきりに頷くアランドールに対し、アルギスは席を立ち上がって、片手を胸に当てた。


 

「よろしく頼む。それでは、私はこれで失礼するよ」



「はい。お部屋で、しばしお待ち下さい」 



 すっかり機嫌を良くしたアランドールは、鼻歌交じりに、引き出しから艶のある紙を取り出す。


 そして、遠ざかっていくアルギスをよそに、紙へカリカリとペンを走らせ始めた。

 


(……この調子なら、出立は早くても明後日だ。エレンが来るまで、ゆっくりさせてもらうとしよう)


 

 小気味よい筆記音に耳を傾けつつも、アルギスは使用人の開けた扉を抜けて、廊下へと出ていく。


 しばしの後、扉を閉めた使用人が前を歩き出すと、緩慢な足取りで別館へと戻っていくのだった。


 

 ◇

 


 一方、同じ頃、煌々とした灯りに照らされるロルクの駐屯地では。


 賓客室へと案内されたエレンが、精緻な刺繍入りのソファーへ腰を下ろして、ウルティアと向かい合っていた。



「……では、説明をお願いしてもいいでしょうか?」 



「はい。事の起こりは、1週間ほど前、埠頭の通関所にて――」 



 エレンが遠慮がちに声を上げると、ウルティアは腿の上で両手を組みながら、事件の概要を語りだす。

 

 ウルティアが曰く、数多の人が並ぶ通関所の列で、冒険者たちが持ち込んだと思しき”蟲”が飛び出した。


 その際、後ろへ並んでいた商人が叫び声を上げて追求したことから、騒ぎが起こったというのだ。



「当初は、よくある口喧嘩かと思っていました。……しかし、警備の者から、持ち込まれた虫が”貪包蟲”であると報告されたのです」


 

(え?”貪包蟲”……?) 



 忌々しげに吐き捨てるウルティアに対し、エレンは目を点にして惚けた表情を浮かべる。


 というのも、巣を形成できない上、成長に魔力を必要とする貪包蟲は、魔物や人体、屍肉を媒介する以外に繁殖の方法がない。


 そして、寄生されたとしても幼体の駆除は容易であることから、現れるのは決まって武力衝突の繰り返される地域だった。 



「それに、あの蟲は大量の餌がなければ生存できないはず……」



 合点のいかない説明に呟きを漏らしたエレンは、こめかみへ手を当てながら、難しい顔で記憶を掘り起す。


 じっと考え込むエレンに対し、ウルティアは薄い笑みを浮かべて、コクリと頷いた。


 

「流石、ご明察です。私もすぐさま全ての兵を動員したのですが、捜索時には、既にその大半が死に絶えておりました」



「では……」


 

 迷いなく肯定するウルティアを訝しみつつも、エレンは膝へ手をついて、先を促すように前のめりになる。


 一方、大きく息を吐き出すウルティアの顔からは、スゥッと感情の色が抜け落ちていった。

 


「……問題はその後、鑑定の結果より彼の者たちに”ルルカーニャ”の息が掛かっていると判明したことなのです」


 

 しばしの沈黙の後、怒りを抑え込むように目を瞑ったウルティアは、一層声を低くして口を開く。


 しかし、冒険者や娼婦に扮して密輸を繰り返すルルカーニャの手口にまで話が及ぶと、堪えきれなくなったように両手の指を握りしめた。



「奴らが持ち込むのは厄介事ばかり。何者が手を引いているか知りませんが、叶うなら私がこの手で息の根を止めたいものです」


 

(身分を隠すとは言っていたけど……まさか、そんな……)



 ウルティアの話に耳を傾ける傍ら、エレンはアルギスの言葉を思い出して、背筋を凍らせる。


 折れそうになる心を必死で奮い立たせるエレンをよそに、話の内容は事件の概要へと戻っていった。

 


「――少々話はそれましたが、以上が事のあらましになります。直に彼らは”ハルディン”の下へ送致されますので、安心してお休み下さい」 


 

「そう、ですか。迅速な対応に感謝します」


 

「いえ、我々は職務を全うしたまでのこと。気にしないでいただきたい」



 ピンと背筋を伸ばしたウルティアは、自信に溢れた表情で静かに首を横へ振る。


 ややあって、席を立ち上がるウルティアに対し、エレンはソファーへ腰掛けたまま、小さく咳払いをした。


 

「ここを出る前に一度、その冒険者たちの顔を見ても?」


 

「構いませんが、一体……」



 唐突なエレンの提案に動きを止めつつも、ウルティアは釈然としない様子で目線を彷徨わせる。


 しかし、ウルティアの顔を見上げたエレンは、冷たい笑みを浮かべながら、ダメ押しとばかりに言葉を続けた。



「如何な者がルルカーニャへと堕ちるのか。後学のために知識として知っておきたく思います」



「あぁ、なるほど。では、夜半までに案内と護衛を用立てますので、少々お待ち下さい」



 エレンの返答にポンと手を打つと、ウルティアはどこか嬉しげな表情で部屋の出口へと歩き出す。


 

 やがて、部屋を出たウルティアが、上機嫌に扉の脇に立つ兵士へと指示を出す中。


 1人部屋へ残されたエレンは、ドッと汗を噴き出しながら、部屋の中をうろつき始めた。

 


(マズイ。どうしよう、どうしよぅ……) 



 思いもよらない状況に、エレンの胸中は激しく波立ちながら、かき乱される。


 しばらくして、倒れ込むようにソファーへ掛け直すと、ごろりと寝転がりながら夜が明けるのを待つのだった。

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