30話

 日も傾きかけ、交易街の街並みが飴色に染まる夕刻。


 埠頭と市街地を区切る関所の近く、高い見張り台の聳え立つロルクの駐屯地には、エレンを乗せたティファレトが降り立とうとしていた。


 

(アルギス、もう出られてるよね……?) 



 必死で自分へ言い聞かせながらも、エレンは浮かない顔で肩を縮こまらせる。


 一方、大きく羽根を広げたティファレトは、ゆっくりと円を描くように地面へ下降し始めた。



『エレン、少しいいかい?』



「なに?」



 硬い声色で話し出すティファレトに、エレンはぎゅっと羽毛を掴んで小さな声を上げる。


 遠かった地面が徐々に近づく中、ティファレトは眼下へ立ち並ぶロルクの兵士たちに目を細めた。


 

『戒位の者は皆、掟に煩い。決して、油断してはいけないよ』



「う、うん。父様から言われた通りにするね」



『ああ。きっと、それがいい』

 


 不安げなエレンに頷きを返したティファレトが庭へと舞い降りると同時。


 左右へ広がった兵士たちの奥から、長い金髪を一つにくくったエルフの女が姿を現した。



『私は一度ウィルヘルムの下へ戻るよ。あまり、この姿でいては問題になりかねない』



 足で掴んでいた鞄をそっと置き直したティファレトは、周囲の兵士を見回しながら、バサリと羽をはためかせる。


 しかし、なおも不安げに背中へしがみつくエレンに気がつくと、足を体へ引き付けながら身を低くした。



『……なに、すぐに戻ってくる。心配しなくていい』


 

「う、うん」 



 穏やかな口調で宥めるティファレトに頷いたエレンは、おずおずと地面へ足を下ろす。


 程なく、飛び立ったティファレトを見上げるエレンの下には、エルフの女がカツカツと踵を鳴らしながら近づいてきた。


 

「お待ちしておりました。エレン・シェラー・ハミルトン」 



「……出迎えに感謝します。ウルティア・ロルク・キティエール」


 

 冷たい声色の挨拶に目線を落とすと、エレンは腰の後ろで手を組むエルフの女――ウルティアと向かい合う。


 エレンが慣れない微笑みを取り繕う中、ウルティアは入れ替わるように、難しい顔で上空へ睨みを利かせた。



「随分と唐突なご連絡でしたが……お急ぎでしょうか?」



「いえ、さほど急ぐものでもありません。シェラーとして、エローナを訪ねるだけです」



 刺すようなウルティアの視線から顔を逸したエレンは、誤魔化すように腰を折って、細やかな花の彫刻がなされた鞄へ手を伸ばす。


 ややあって、鞄を取り上げたエレンが笑顔を見せると、ウルティアもまた、表情を和らげて快活な笑みを浮かべた。

 


「そうですか。では、客室へご案内致します」



 踵を返して歩き出すウルティアに、エレンもまた、後を追いかけてむき出しの地面を踏みしめていく。


 やがて、煉瓦造りの迎賓館までやってくると、ウィルヘルムの助言を思い出しながら、扉を開くウルティアへ顔を向けた。



「……ところで、先日この街の通関所で騒ぎが起きたと風の噂に聞いています。事実ですか?」



「ええ。この街では騒ぎや諍いなど見慣れたもの。珍しいことでもありません」


 音もなく館の扉を閉めたウルティアは、淡々とした返事と共に、前を向き直る。


 そのまま颯爽と横を通り抜けるウルティアに、エレンは顔を強張らせながら、後を追いかけた。


 

「では、他国の冒険者と商人を拘束したことも、事実ですか?」



「……ええ。それが、なにか?」 


 

 僅かに語気を強めたエレンの問いかけに眉を顰めると、ウルティアはその場で足を止めて後ろを振り返る。


 険しい表情を浮かべるウルティアに怯みつつも、エレンは意を決したように、鋭い目つきで睨み返した。


 

「この街は、西方諸国との架け橋であり橋頭堡。問題があれば、エローナのみならず、我ら”績位”全ての瑕疵ともなり得ましょう」



「っ!」



 重々しい口調で告げられたエレンの言葉に、ウルティアはハッと息を飲んで、目を見開く。


 

「……シェラーとして事を荒らげたくはありません。太守の館へ向かう前に、問題が無いことを確認しておきたいのです」



 2人の間に息の詰まるような沈黙が満ちる中。


 毅然とした態度で言葉を重ねたエレンは、穏やかな笑みと共に首を倒した。

 


「ご納得、頂けましたか?」


 

「勿論でございます。どうか、至らぬ我が身をお許し下さい」



 神妙な面持ちで頷きを返すと、ウルティアは続けざまに深々と腰を折る。


 悔しげに奥歯を噛み締めるウルティアへ、エレンは苦笑いを浮かべながら手を振った。



「いえ、良いのです。こちらが、お力添え頂くのですから」



「ですが、冒険者共の調書は未だ取れておらず……お恥ずかしい限りです」



 静かに頭を上げたウルティアは、苛立ちと羞恥を綯い交ぜにしながら、眉間の皺を深くする。


 屈辱で身を震わせるウルティアに対し、エレンの体からは途端に血の気が引いていった。


 

「……まだ、冒険者を拘束しているのですか?」 



「ええ。……ここではなんですから、お部屋でご説明しましょう」



「ぇ、ええ。是非、お願いしますね」 



 舌をもつれさせつつも、エレンはどうにか口角を上げて、笑顔を取り繕う。


 程なく、会釈をしたウルティアが再び前を歩き出すと、重たくなった足取りで後を追うのだった。


 

 ◇ 



 ロルクの駐屯地でエレンが憂鬱な過ごしていた頃。


 あらん限りの速度で山道を駆け下りたアルギスとマリーは、やっとの思いでアランドールの屋敷へと辿り着いていた。



(……ダリオの所へ行く時間はあるか?)



 夕日に染まった空を見上げたアルギスは、幽闇百足の動きを止めて、甲殻から飛び降りる。


 そして、続けざまに幽闇百足を降りるマリーを一瞥すると、難しい顔でポケットから魔導具を取り出した。

 


「アルギス様?」



 顎を鳴らしていた幽闇百足が黒い霧へと戻る中、マリーは首を傾げながら、しずしずとアルギスへ近寄っていく。


 程なく、隣へ並ぶマリーをよそに、アルギスは魔道具から顔を上げて、裏口の門扉に控えるエルフの兵士を一瞥した。


 

「……こちらは私がいれば問題ない。お前はダリオの下へ素材を届けに行け」



「ですが、私が行っても……」 


 

 顔を向けることなく指示を出すアルギスに対し、マリーは悲しげに目を伏せて、肩を縮こまらせる。


 しかし、ため息交じりに首を振ったアルギスは、呆れ顔で持っていた魔導具をポケットへ仕舞い込んだ


 

「あれは、お前の功績だ。胸を張って届けてこい」



「か、かしこまりました……!」


 

 どこか上機嫌な声を上げたアルギスが顔を向けると、マリーは拳を握りしめて、勢いよく頭を下げる。


 しばしの逡巡の後、顔を上げたマリーの姿は、足元に広げた影の中へと沈み込んでいった。

 


(……さて、俺も行くか)


 

 瞬く間に縮小して消え去る影を尻目に、アルギスは1人、蒼色に塗られた裏口の門扉へ近づいていく


 やがて、槍を手に頭を下げる守衛の前までやって来ると、警戒心を露わにしながら足を止めた。



「エレンは、もう来ているか?」


 

「いえ、ご到着はまだですが……いかがされましたか?」



 アルギスに射竦められた守衛は、居住まいを正しながらも、不安げに息を呑む。


 一方、強張っていたアルギスの表情は、守衛の返答に、目に見えて明るくなっっていった。


 

(どうやら、間に合ったようだな) 



 落ち着きなく返事を待つ守衛をよそに、アルギスは内心でホッと安堵の息をつく。


 しかし、ややあって青くなった守衛の顔色に気がつくと、誤魔化すように手を振りながら苦笑いを浮かべた。


 

「単なる確認だ。そう、身構えないでくれ」



「そうでしたか。これは失礼を致しました」



「気にしないでいい」 



 アルギスの返答に表情を柔らかくした守衛が脇に下がると同時。


 ピタリと閉じられていた金属製の門扉は、口のように、ゆっくりと上下に開き始める。

 

 しばらくして、上がりきった門扉が動きを止めると、アルギスは守衛たちに見送られながら、草木の揺れる敷地内へと入っていった。


(しかし、エレンはどこへ向かったんだ?)


 先行していたはずのエレンの所在を気にしつつも、鮮やかに色づく庭園の木々を抜けて歩くこと数十分。


 既に見慣れた別館では、微笑みを湛えた使用人が、アルギスを待ち構えるように玄関口へ控えていた。



「おかえりなさいませ」



「ああ」



 扉を開く使用人に手を振りつつも、アルギスは見向きもせず、大理石造りの玄関へと足を進める。


 しかし、そのまま奥の廊下へと向かおうとした時、扉を閉めた使用人が、はたと口を開いた。

 


「お疲れのところ申し訳ございません。旦那様からの言伝がございます」



「む?なんだ?」



 背後から上がった声に足を止めると、アルギスは訝しげな表情で後ろを振り向く。


 探るような目つきで見つめるアルギスに、使用人は腰をかがめながら、心苦しそうに眉尻を下げた。

 


「ハミルトン家のご息女がいらっしゃった件でお話がある、とのことです。お休みの後、お声がけ下されば……」



「いや、今から向かおう。丁度、頼みたいこともあったんだ」



 言い淀む使用人の声を遮ると、アルギスは不敵な笑みを浮かべながら、くるりと踵を返す。


 一方、しばし唖然としていた使用人は、ハッと我に返ると、慌てて玄関口の扉を開け直した。



「か、かしこまりました。ご案内いたしますので、お待ち下さい」



(今のうちに、農法に関しても情報を手に入れてしまおう)

 


 呼び止める声に速度を落としつつも、アルギスは歩みを止めることなく、本館に繋がる橋へと向かっていく。


 早足で追い抜こうとする使用人をよそに、ぼんやりと光りだす灯籠を眺めながら橋を渡り始めるのだった。

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