27話

 屋敷へと戻った翌日の朝。


 執務机に腰かけたアルギスは、王都周辺の地図と見比べながら、手帳にペンを走らせていた。



「……そろそろだな」



 ややあって、ペンを持つ手を止めたアルギスが顔を上げると、魔道具の針は6時に届こうとしている。


 眠たそうに欠伸をかみ殺しつつも、アルギスは手帳を拡張バックに仕舞って、椅子から立ち上がった。



(”禁忌の霊廟”の可能性がある場所はわかった。……少しばかり公都への帰投は遅れるが、何とかなるだろう)


 

 アルギスが顔を顰めながらバックを背負った時、部屋に扉をノックする音が響く。


 少しの間が空いて、扉が開くと、流れるようなお辞儀と共にマリーが部屋へ入ってきた。



「失礼いたします。アルギス様、馬車のご用意が整いました」



「丁度いい。出る前に目的地の場所を説明する」



 ピンと背筋を伸ばして近づいてくるマリーに、アルギスは眉間の皺を緩めて声を掛ける。


 そして、机に広げた地図へ目線を落とすと、何もない平坦な荒野の一角を指さした。



「この近辺を調査して帰る」



「公都と反対の方向になりますが、よろしいので……?」


 

 アルギスの指さす先を見つめたマリーは、訝し気な表情で顔を上げる。


 戸惑いを見せるマリーを尻目に、アルギスは大きなため息をつきながら、難しい顔で頷きを返した。



「……一応、手は打ってある。それよりも、騎士の選抜は問題ないな?」



「はい。ご指示の通りに」 



 スッと目を細めるアルギスに、マリーは微笑みを浮かべながら頭を下げる。


 しばしの沈黙の後、くるりと踵を返すと、アルギスはどこか思案顔で歩き出した。 



「では、行くとしよう」



「はい」 



 アルギスの声に顔を上げたマリーは、弾むような足取りで後に付き従う。


 一方、前を歩くアルギスは、口元に手を当てながら緩慢な動きで部屋を出ていった。

 


(さて、どう口止めに応じさせたものか……)



 廊下を進むアルギスの脳内では、様々な考えが浮かんでは消えていく。


 アルギスが騎士たちへの言い訳を考えているうちに、2人は使用人が立ち並ぶ玄関口へと辿り着いていた。



「いってらっしゃいませ、アルギス様」 


 

(……いざとなれば、正直に話すしかないか)



 顔から手を降ろしたアルギスは、使用人たちに見送られ、屋敷を出て行く。


 そして、朝日に照らされた中庭を抜けると、少数の護衛が取り囲む馬車へと向かっていった。



(よし、指示通りだな)


 

「お待ちしておりました!」



 アルギスが辺りを見回す中、護衛の一団から、20代半ば程の騎士が進み出る。


 青紫色の髪をきっちりと後ろへ撫でつけた騎士は、緊張に震える体で深々と腰を腰を折った。



「このような大任をお任せ頂き、感謝に堪えません。身命を賭して、守護をお約束いたします」 



「ああ、楽しみにしているよ。……ペレアス」



 まるで戦場へ向かうようなペレアスの宣言に、アルギスは穏やかな口調で語りかける。


 アルギスが肩を叩くと、ペレアスはビクリと体を揺らして顔を跳ね上げた。



「な、名前をお呼び頂けるとは……」



「わざわざ隊の編成までしたんだ。名前くらいは憶えている」



 ペレアスの目を見つめたアルギスは、柔らかい笑みを浮かべながら肩を竦める。


 一方、ピクリと眉を跳ねさせたペレアスは、ゆっくりと顔だけを、騎士たちの立つ後方へと向けた。



「では、この人数もアルギス様ご本人が?」



「ああ、少しばかり寄り道をして帰るからな。移動速度のためには、こうする他ない」



 目を細めて首を傾げるペレアスに対し、アルギスはニヤリと口元を歪め、したり顔で頷きを返す。

 

アルギスの返答に再度後ろを一瞥すると、ペレアスもまた、表情を引き締めて小さく頷いた。



「なるほど……」



「怖気づいたか?」



 額に汗を浮かべるペレアスをよそに、アルギスはなおも楽しげに、クツクツと笑い声を零す。


 目を見開いたペレアスは、慌ててピンと背筋を伸ばし、声を張り上げた。



「いえ、問題ありません!」



「ふむ。それでは出発するとしよう」



 満足げに頷いたアルギスは、マリーが扉を開けて待つ馬車へと向かっていく。


 しばらくしてアルギスとマリーが乗り込むと、護衛の騎士たちを引き連れた馬車は、王都を出て東に進んでいった。



 そして、それから半日が過ぎ、空はすっかり夕暮れに染まる頃。


 アルギス達の一行は、国王派のローレン・ウィンダム伯爵が預かる小都市クレールへと辿り着いていた。



(……さっさとやることを済ませるか) 



 城壁の門をくぐった馬車が大通りを進む中、アルギスは窓の外をじっと眺める。


 やがて、豪華な宿屋の立ち並ぶ通りが見え始めると、対面に座るマリーへ顔を向けた。



「馬車を止めろ。……マリー、お前は宿の手配に行ってこい」



「かしこまりました。アルギス様はいかがされますか?」



 御者に指示を伝えたマリーは、僅かに身を乗り出してアルギスの言葉を待つ。


 徐々に速度を落としていた馬車が完全に動きを止めると、アルギスは憂鬱な表情で口を開いた。



「……私は代官に顔を見せなければならん。先触れを出しておけ」



「かしこまりました」



 苛立ちを抑えるように目を瞑るアルギスをよそに、マリーは1人馬車から降りる。


 先触れの騎士とマリーが急ぎ遠ざかっていく一方で、アルギスだけを残した馬車は、ゆっくりと街の奥へ進み出した。



(しかし、目的地が王領なのはツイていたな。貴族派の領地だったら隠しようがなかった)



 疲れたように首を回しながらも、アルギスは順調に進んでいる旅程に表情を緩める。


 護衛の一団を引き連れた馬車は、門扉をくぐり、領主館の中庭へ向かっていった。



(このタイミングで商取引とは……)


 

 ぼんやりと中庭の景色を眺めていたアルギスは、遠目に見え始めた荘厳な石造りの領主館に眉を顰める。


 というのも、外壁に彫刻の刻まれた領主館の正面玄関横には、大げさな荷物を積んだ数台の荷馬車が停車していたのだ。



「……まぁいい。行くか」


 

 自分へ言い聞かせるように呟くと、アルギスは馬車から降りて身だしなみを整える。


 すると直後、狙いすましたように領主館から執事服を着た細身の男性が姿を現した。



「お待たせして大変申し訳ございません。ご案内をさせて頂きます、ジェームズと申します」 



「かまわん。さっさと案内しろ」



 腰を折るジェームズに対し、アルギスは護衛の騎士を引き連れて、玄関口に繋がる階段へと足を進める。


 静かに顔を上げたジェームズは、アルギスの歩みに合わせて扉を開けた。



「かしこまりました。では、こちらへ」



「……邪魔させてもらうとしよう」


 

 玄関ホールへ足を踏み入れたアルギスは、追い抜くように前を歩き出すジェームズに案内されて、廊下を進んでいく。


 

 それから歩くこと数分。


 扉の前ではたと立ち止まったジェームズは、後ろを振り返ってアルギスへ向き直った。



「こちらでお待ちください」



「…………」 


 

 ジェームズが部屋の扉を開けると、アルギスは何も言わず前を通り過ぎる。


 そして、ガチャリと扉の閉まる音が響くと同時に、中心に置かれた豪奢なソファーへ腰を下ろした。


 

(……先触れを出したのに、待たされるとはどういうことだ?) 


 

「――お待たせして申し訳ありません」 


 

 苛立ちを募らせるアルギスが1人待つ室内に、重たい声色の謝罪が響く。


 アルギスが声のした方向へ目線を向けると、扉の奥にはローレン・ウィンダム伯爵本人が立っていた。

 


「これは、これは。まさか居るとは思わなかったな、ウィンダム卿」



 ジェームズを伴って部屋へ入って来るローレンに、アルギスは目を丸くする。


 しかし、アルギスの向かいに立ったローレンは、ニコリと微笑みながら、ソファーへ腰かけた。

 


「そんなことはありませんよ。私が陛下から任されている街ですからね」



「律儀なことだ」



 ローレンの国王派らしい返答に、アルギスは呆れ顔で肩を竦める。


 一方、表情を引き締めたローレンは、立派なカイゼル髭を撫でながら、真偽を探るような目線でアルギスを見つめた。


 

「それで、エンドワース家のご子息殿がどういったご用向きですか?」 


 

「なに、ただの挨拶だよ。今日はこの街に泊まらせてもらうからな」


 

「なるほど。……お部屋の準備までに、少々お時間をいただいても?」



「いや、準備は不要だ。心惜しいが、既に宿を取ってしまった」



 せわしなく目線を彷徨わせるローレンに、アルギスは眉尻を下げながら首を振る。


 すると、ローレンはどこか安心した様子で頭を下げた。



「それは非常に残念ですが……この街は宿屋も一級ですので、ごゆっくりお楽しみください」



「ああ、そのつもりだ。では、私はこれで失礼する」



 張り付けたような笑みを返したアルギスは、挨拶を終えると早々にソファーから立ち上がる。


 出口へと足を向けるアルギスに、ローレンもまた、表情に笑みを取り戻して立ち上がった。



「ええ、それでは。……ジェームス、お送りしなさい」



「かしこまりました」 



 ローレンに頭を下げたジェームズは、来たとき同様アルギスの前を歩き出す。


 程なく部屋を後にすると、時折アルギスの様子を確認しながら玄関ホールへの道のりを進んでいった。



「では、お気をつけてお帰りくださいませ」 



「……ああ」



 頭を下げて見送るジェームズを背に、アルギスは足早に領主館を後にする。


 そのままアルギスが階段を降りていくと、玄関前には既にマリーが馬車の扉を開けて待っていた。



「お帰りなさいませ、アルギス様。宿の用意は整っております」 



「うむ」



 マリーに頷きを返したアルギスは、逸る気持ちを抑えながら馬車へ乗り込む。


 続いてマリーの乗り込んだ馬車は、すっかり荷馬車のいなくなった領主館の出て、宿へと向かっていくのだった。


 


 

 同じ頃、ラナスティア大陸の遥か西方、所々で闇の雲が空を覆う最果ての大陸――デモルニア。


 切り立った崖と平野が入り乱れるデモルニア大陸南西部の一角に、魔族の住む領域”アガルザーフ”はある。


 そんな”アガルザーフ”に建てられた屋敷では、ゲイルを連れ帰ったザルゴスと、褐色の肌に琥珀色の瞳をした女が言い争いをしていた。



「何度も言わせるな、クロエ。計画は変更だ」



「はあ?だから理由を説明してもらえる?」



 苛立たし気に組んだ足を揺らすザルゴスに、クロエは喧嘩腰な口調で食って掛かる。


 一方、頬をひくつかせたザルゴスは、怒りを抑え込むように大きく息を吐いた。



「……任務は一時中断する。これは決定事項だ」


 

「なんで急にそうなんの?意味わかんない。ねぇ、聞いてんの?」



 ザルゴスが低い声音で同じ説明を繰り返すと、クロエは不快感を隠すことなく顔を歪める。


 一向に止む気配のないクロエの挑発に青筋を立てつつも、ザルゴスは目を瞑りながら腕を組んだ。



「……アーカナムが着いたら、理由も話す」


 

「チッ!めんどくせーな。さっさと話せよ」


 

 かたくななザルゴスの態度に舌打ちを漏らしたクロエは、わざと聞こえる声量で吐き捨てる。


 気怠そうに椅子へもたれかかるクロエに、ザルゴスは机を叩いて立ち上がった。



「なんだと!?そもそも、お前なんぞ呼んじゃいないんだ。勝手についてきやがって、少し黙ってろ!」



「なに!?仲間に向かって、このヤロー!」


 

 ザルゴスが見下ろすように睨みつけると、クロエもまた、顔を赤くして負けじと立ち上がる。


 2人の間に険悪な雰囲気が流れる中、部屋のドアがバンと音をたてて開かれた。

 


「おう、ザルゴス。久々だな!」



 巨体を屈め、扉をくぐるように部屋へ入ってきた男は、褐色の肌に白い歯を見せながら、2人へ近づいていく。


 そして、はだけたシャツの胸元から奇妙な刺青を覗かせて、ドカリと椅子に腰かけた。



「それで、急にどうした?お前が任務の中断なんて、らしくもない」 



「アーカナム、ゲイルの擬態がバレたぞ」 



 気さくな声を掛けるアーカナムに、ザルゴスは苦虫を噛み潰したよう顔で言葉を返す。


 アーカナムはキョトンとした顔で、顎を撫でながら目線を上向けた。


 

「ゲイル、ゲイルは……まさか、エンドワースの都か!?」



「……ああ、ギルドに潜入してたところをガキに拘束されてな。どうにか連れ戻してきたんだ」



 アーカナムが目を剥いて身を乗り出すと、ザルゴスは椅子に腰を下ろして報告を始める。


 黙ってザルゴスの話を聞いていたアーカナムは、報告の内容に焦りを滲ませながら天井を見上げた。



「さて、困ったことになった。ちっと欲張りすぎたな……」


 

「ああ?いつもの事だろ?」 



 眉尻を下げてうんうんと唸り出すアーカナムに、ザルゴスは訝し気な表情で首を傾げる。


 ザルゴスの報告を側で聞いていたクロエは、アーカナムと対照的に、不快げにまなじりを吊り上げた。



「またゲイルが調子に乗ったんじゃないの?」



「……俺もそう思って問い詰めたが、今回は指示した通りに行動していたようだ。それに、俺が集めた魔物もいつの間にか全て討伐されていた」



 猜疑心を露にしたクロエの問いかけに、ザルゴスは奥歯を噛みしめながら首を横に振る。


 悔し気に俯くザルゴスを、クロエは嘲るように鼻で笑った。


 

「じゃあ、どっちも使えねーってことだな」



「……クロエ、いい加減にしろよ?」



「お前ら、そのあたりでやめとけ」



 再びバチバチと視線をぶつけ合う2人に、アーカナムは声のトーンを落とす。


 アーカナムの声にびくりと肩を揺らしたザルゴスとクロエは、揃って弾かれるように顔を逸らした。



「……くそ」



「すいませんでしたー」



「まったく……」



 どうにも食い合わせの悪い2人に、アーカナムはため息をつきながら首を振る。


 しかし、すぐに表情を引き締めると、椅子に深く腰掛け直した。


 

「それよりもだ。最近では”アンフォラ”も動きを見せている」



「っ!ついにクソ共が動き始めたか……!」



「アイツら死なない癖に、従者をすぐ増やすからきらーい」



 怒りに震えるザルゴスに対し、クロエは嫌悪の表情でぐったりと椅子に寄りかかる。


 対照的な2人に苦笑いを浮かべつつも、アーカナムは真剣な口調で言葉を続けた。



「どうやら雲の量も増えてきているみたいだからな。いつ仕掛けてくるかわからん」

 


「それで、今後はどうするんだ?」



 アーカナムが口を閉じると、ザルゴスは間髪を入れずに先を促す。


 やる気を見せるザルゴスに、アーカナムは目を細めながら口を開いた。



「一先ず、国に入り込んだ従者どもを潰せ。後は……俺が帰ってからでいい」



「また、出るのか?」 



 アーカナムの指示を聞いたザルゴスは、確かめるように質問を重ねる。


 真剣な表情で返事を待つザルゴスをよそに、アーカナムはうんざりとした顔で背もたれへ体を預けた。



「どうせ、あのジジイの耳にも入ってる。俺は頭を下げに行かなくちゃならん」



「ああ、それか。じゃ、頑張れよ」



「おつかれー」



 ザルゴスが一転してアーカナムに興味を失うと、クロエもまた、見向きもせずヒラヒラと手を振る。


 まるで他人事の2人に、アーカナムは表情を一層憂鬱なものに変えた。



「どんな無茶を言われることか……なぁ、どっちか一緒に来ないか?」



「俺は、前回行ったぞ」



 アーカナムが2人の顔を見比べると、ザルゴスは意地の悪い笑みを浮かべて、クロエをチラリと一瞥する。


 ザルゴスの視線にピシリと体の動きを止めたクロエは、青い顔でふるふると首を振った。



「……嫌、絶対にイヤ」



「決まりだな。行くぞ、クロエ」



 席を立って逃げようとするクロエの腕を、アーカナムは満面の笑みと共にがっしり握りしめる。


 有無を言わせぬアーカナムの態度に、クロエはがっくりと項垂れて静かになった。



「……サイアク」 



「じゃあ、こっちのことは頼んだぞ、ザルゴス」 


 

 席を立ったアーカナムは、ふくれっ面で睨むクロエを、しがみついている椅子ごと引きずっていく。


 しばらくして諦めたようにクロエが椅子から降りると、2人は足を並べて屋敷を出ていった。

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