24話

 試験期間の開始から2週間近くが経ったある日の午後。


 生徒たちが試験の開始を待つ教室には、疲れ切った雰囲気と同時に、僅かな充実感が広がっていた。



(この試験が終われば、やっと休暇か) 



 指定された席で足を組んだアルギスは、逸る気持ちを抑え込むように瞼を閉じる。


 程なくして、扉の開く音と共に長い顎髭を蓄えた講師が姿を現すと、教室はこれまでのざわつきが嘘のように静まり返った。



「これより王国史前期試験を執り行う。各自、箱から筆記用具と問題用紙を取り出してくれ」



(この木箱とも、しばらくお別れか)



 しゃがれ声の指示に、アルギスは奇妙な物寂しさを感じながら、学院の意匠が刻まれた木箱の蓋を開ける。


 ややあって、中身を取り出し終えた生徒たちが木箱を机へ仕舞う中、教室にベルの音が響き渡った。



「――それでは、試験始め」 



 ベルが鳴り止むと同時に、試験官は厳かな声で試験の開始を宣言する。


 これまで机の下に手を降ろしていた生徒たちは、一斉に問題用紙を広げ、ペンを取り始めた。



(強制参加の講義の中だと、この講義が一番興味深かったからな)



 講義の内容を思い出しながら表紙を捲ったアルギスは、ソラリア王国の歴史や外交に関する問題に目を細める。


 時折ゲームで登場する単語に眉を上げつつも、迷うことなく問題を解いていった。


 

(――最後は……”エルドリア皇国”か。ハイエルフと共にある世界樹、是非見てみたいものだ)



 忍び笑いを零したアルギスがペンを走らせると、解答用紙は最後の空欄が埋まる。


 

 しばらくしてアルギスを含め、問題を解き終えた生徒の大半がペンを置いた頃。


 試験の終了を報せるベルの音が鳴り響くと、教室の隅に腰かけていた講師が立ち上がった。



「そこまで!」



 声を張り上げた講師は、教壇に立って鋭い目線で教室を見回す。


 しかし、すぐに小さく息をつくと、表情を緩めて好々爺然とした笑みを浮かべた。



「これにて前期試験の全日程を終える。解答用紙を仕舞い終えた者から退室して構わんぞ」



(これで、冒険者ギルドに行けるぞ)



 解答用紙を仕舞ったアルギスは、顔に喜色を湛えて席を立つ。


 そして、そそくさと教室を出ると、心を躍らせながら廊下を進んでいった。



(……浮かれているのは、俺だけじゃなさそうだ)



 校舎の玄関口を抜けた先の中庭には、悲喜こもごもの表情を見せる生徒たちの姿がある。


 ワイワイと試験の感想を言い合う生徒をよそに、アルギスは弾むような足取りで正門へ足を向けた。



 それから歩くこと数分。


 高い建物の立ち並ぶ一角に差し掛かった時、ひと際華美なローズ・テイラーズの外壁が、アルギスの目に留まった。


 

(そう言えば、例の服が完成したとローズから手紙が届いていたな。帰りに寄っていくか) 


 

 精緻な彫刻の刻まれた外壁を一瞥したアルギスは、帰りの予定を立てながら石畳を進んでいく。


 やがて、多くの人が行き交う大通りを横に入ると、僅かに細くなった通りには、煉瓦造りの冒険者ギルドがそびえ立っていた。



(登録に時間がかからなければ、調べ物もして帰りたいが……)



 無意識に歩く速度を上げたアルギスは、駆けこむように冒険者ギルドの扉をくぐる。


 しかし、アルギスの心配とは裏腹に、ホールでは数人の冒険者が立ち話をしているだけだった。



(時間帯の問題か?……まあいい) 



 がらんとしたギルドの様子に面食らいつつも、アルギスは入り口側の受付へと顔を向ける。


 すると、アルギスと目のあった受付嬢は、首を傾げてニコリと微笑んだ。



「冒険者ギルドへようこそ。どういった御用でしょうか?」



「冒険者登録を頼みたい」



 丁寧な挨拶と共に頭を下げる受付嬢に、アルギスは穏やかな笑みを返す。


 少しの間目をぱちくりさせていた受付嬢は、思い出したように机に置かれていたベルを手に取った。



「……失礼いたしました。職員が登録窓口へご案内いたします」


 

 受付嬢に揺らされたベルは、静かなギルドホールに澄んだ音を響かせる。


 前回とは異なる光景にアルギスが目を丸くしていると、側に立っていた制服の男が近づいてきた。

 


「こちらへ」 



「……ああ」 


 

 未だ感じる受付嬢の視線を尻目に、アルギスは職員に連れられて別室へ向かっていく。


 やがて、受付の裏に設置された別室へやってくると、職員は扉を開けて、手前の椅子を指し示した。



「どうぞ、おかけください」



「ああ、失礼する」


 

 職員の前を通り過ぎたアルギスは、指示通り手前の椅子へ腰を下ろす。


 そして、後ろで棚を開ける職員に気を取られつつも、順調に手続きが進んでいることに安堵の息をついた。



(どうやら、マリーの言っていた資料室とやらにも行けそうだな) 


 

 マリーから聞く所によれば、冒険者ギルドには、魔物の情報から低位術式の詠唱文まで収められた資料室があるという。


 待ちきれないとばかりにアルギスが体を揺らしていると、対面へ腰かけた職員は、ペンと羊皮紙を差し出した。


 

「それでは、この申請書に必要事項を記入してください」



(ふむ。名前と使用する武器に属性、あとは習得スキルか……)



 手早く記入を終えたアルギスは、申請書の上下を反転させて職員へと返す。


 せわしなく指を組み替えるアルギスをよそに、職員は記入された内容を、ゆっくりと確認し始めた。

 


「……内容は特に問題ありませんね。ではこちらを」



「これは?」



 職員から手渡されたドックタグのような金属板を、アルギスは確かめるように両手で弄ぶ。


 間を置かず、アルギスが顔を上げると、職員は羊皮紙をくるくると丸めながら口を開いた。



「そちらは冒険者証になります。少量の魔力を込めて頂ければ、個人登録が完了いたしますよ」



(やはり、これが冒険者証か)


 

 改めて冒険者証へと目線を落としたアルギスは、促されるままに魔力を流す。


 すると、冒険者証はポゥと淡く輝き、アルギスの名と星が1つだけ表示された。



「どうやら無事、登録できたようですね。この後はギルドについての説明になりますが、聞いていかれますか?」



「ああ、聞いていこう」



 職員の問いかけに、アルギスは椅子に腰を据えながら頷く。


 紐で閉じた羊皮紙を脇に避けると、職員は慣れた様子で説明を始めた。



「かしこまりました。では、まず冒険者ギルドの昇格制度についてですが――」



 職員の説明によれば、冒険者の等級は一星級から七星級までの7段階に分けられている。


 そして、依頼の達成によるギルドへの貢献度が一定に達することで昇級するというのだ。



(ゲームでは特定のサブクエストをクリアすることで等級が上がったが……まあ、現実じゃあ1体魔物を倒したくらいでは上がらないな)



 ゲームにおける冒険者ギルドを思い出したアルギスは、現実となったギルドの制度に1人納得する。


 その後も職員の説明は、冒険者ギルドの支援制度、禁止事項と続いていった。


「――以上が冒険者ギルドにおける各制度と禁止事項についてになります。なにか、ご質問はありますか?」



「いや、特にないな」



 職員の問いかけへ被せるように声を上げると、アルギスは早々に席を立つ。


 後ろを振り返ろうとするアルギスを見上げた職員は、穏やかな口調で言葉を続けた。



「それでは、これで冒険者登録は終了です。ただし、一星級の冒険者が6ヶ月間依頼の受注をしない場合、登録は抹消となりますのでご注意ください」



「……ああ、注意するよ」 



 何気なく伝えられた情報に眉を顰めつつも、アルギスは扉を開けて部屋を出ていく。


 そして相変わらず人の少ないホールを見回すと、最奥にある資料室へと向かっていった。



(これほど胸が高鳴るのは、いつぶりだろうか)



 不敵な笑みを浮かべたアルギスが資料室の扉を開けると、中からはインクと古い木材の匂いが漂う。


 ランタンの灯りに照らされた資料室は、横並びに配置された背の高い棚に、所狭しと書物を保管していた。



(これなら、何か見つかるかもな)



 資料室に保管された書物の量に、アルギスは目を輝かせながら、足を踏み入れる。

 すると、入り口脇の机に座る小柄な老人から声を掛けられた。


 

「いらっしゃい。なにをお探しかね?」



「ああ、ダンジョンに関する情報を知りたいんだが……」



「それならこっちじゃな。ついてきなさい」



 ゆっくりと椅子から立ち上がった老人は、資料室のさらに奥へと向かっていく


 程なくして、地図から手帳まで様々な資料の収められた棚の前までやってくると、足を止めてアルギスへ向き直った。



「ここら一帯の棚が、一般的なダンジョンに関する書物になっておる」



「……一般的でないダンジョンの情報は、どこにあるんだ?」



 棚を指さす老人の言葉に、アルギスは疑問が口を衝いて出る。


 一瞬呆けたように目を丸くした老人は、黙って返事を待つアルギスに、たちまち苦笑いを浮かべた。



「それはギルドマスターの部屋じゃよ。主に六星級以上の冒険者に提供される情報じゃからな」



「なるほどな」



 老人の回答に肩を竦めたアルギスは、一転してしげしげと棚を見比べる。


 そのまま無言で棚へ歩み寄るアルギスに、老人は苦笑いを浮かべたまま、再び歩き出した。



「そう焦るでないわい。じゃあ儂は戻るからここを出ていくときに、また声をかけてくれぃ」



(……少し調べていくか)



 遠ざかっていく老人の足音を背に、アルギスは保管された本の一冊を手に取る。


 そして、近くに置かれた脚立へ腰掛けると、ダンジョンについて黙々と調べ始めるのだった。




 静寂の広がる室内に、ページを捲る音だけが響く中。


 パタリと本を閉じたアルギスは、大きなため息をつきながら棚へ戻した。



「まあ、そう新しい情報もないか。……ん?これは?」



 暗澹たる気持ちでアルギスが目を伏せると、足元には見た覚えの無い紙の切れ端が落ちている。


 手のひらよりも小さな切れ端には、薄っすらとだが、文字が走り書きされているようだった。



「手帳の一冊からでも、落ちたのか?」 



 切れ端を拾い上げたアルギスは、ランタンの灯りの下で内容を確認する。


 しかし、切れ端は”王都より東方に死霊の大量……”という記載を最後に破り取られていたのだ。



(王都の東方に死霊?もしや、これは”禁忌の霊廟”じゃないのか?)



 断片的に残された情報から、アルギスはゲームに登場したダンジョンの1つが思い浮かぶ。


 『救世主の軌跡』において”禁忌の霊廟”と題されたダンジョンは、7つある難易度の上から3つ目に指定され、中盤以降に攻略可能となるステージだった。



(ゲームの知識がどこまで通用するかわからない以上、無理はできない。だが、もし仮に”禁忌の霊廟”だとすれば、手に入れておきたいアイテムがある……)



 降ってわいたような情報に、アルギスは難しい顔で切れ端を見つめながら頭を悩ませる。


 しばらくして、手に持っていた切れ端を棚へ置くと、吹っ切れた表情で出口に戻っていった。



「老公、世話になったな」



「おや、もういいのかい?」 



 読んでいた本から顔を上げた老人は、扉へ手を掛けるアルギスに言葉を返す。


 老人の問いかけに、アルギスは足を止めて不敵な笑みを見せた。


 

「ああ。老公のお陰で目的の物も手に入った」



「ほっほっほ、そりゃあ良かった。それと儂の名前はベンジャミンじゃ、ベン爺とでも呼んでおくれ」



 朗らかな笑いと共に肩を揺らしたベンジャミンは、名乗りを上げながら手を差し出す。


 気安い態度に、アルギスは頬を緩めて、ベンジャミンの手を取った。



「アルギスだ。……ではベンジャミン翁、失礼する」


 

「うむ、またのぅ……エンドワースの若いの」



 アルギスが資料室を扉を開けると、ベンジャミンは再び本へ目線を落としながら、声のトーンを落とす。


 ベンジャミンの低い呟きは、資料室の扉を閉めるアルギスの耳に入ることなく消えていった。

 


(ダンジョンに行くなら、アイテムくらい揃えていくか)



 一方、資料室を出たアルギスは、”禁忌の霊廟”の攻略に必要なアイテムを思い浮かべながらホールを進んでいく。


 そして、そのまま冒険者ギルドの扉をくぐると、真っすぐにアイテムショップへと向かっていった。



(……もう着いたのか)


 

 グルグルと思考を巡らせながら通りを歩いていたアルギスの目線の先には、フラスコの描かれた看板が姿を現す。


 アルギスが小さく息をついて扉を開けると、薬草の香りが漂う店内では、いつも通りニコニコと笑うハンスがカウンターに立っていた。


 

「”メリンダの工房”へようこそ!おや?君は……」



「アルギスだ、久しいな」



 顔を覚えられていたことに少し驚きつつも、アルギスはじっと見つめるハンスに名乗りを返す。


 アルギスの名前を聞いたハンスは、拳を手のひらにポンとついて、歳に見合わない好々爺然とした笑みを浮かべた。



「そうだ、アルギス君だ。君も、アイワズ魔術学院に入ったんだね」


 

「ああ。……ん?君もだと?」



 ハンスの言い様に違和感を感じたアルギスは、ピクリと眉を上げて口元に手を当てる。


 アルギスの問いかけに、ハンスはどこか年寄り臭い顔で顎を撫でながら、ポツリポツリと話し始めた。



「実は僕の姪っ子も、今年入学したんだよ。大人しい子だから、友達が出来ているか心配でねぇ……」



(ハンスに姪っ子?随分、歳の近い姪がいるんだな)



 ハンスが憂鬱な面持ちで腕を組む中、アルギスは思わずまじまじと姿を確認する。


 少しの間が空いて、ハッと我に返ったハンスは、これまでの表情を一変させてニコリと笑った。



「っと、ごめんよ、個人的な話をし過ぎてしまったね。……本日は何をお探しで?」



「今日は、いくつか頼みたいことがあって来たんだ」



 元通りの調子を取り戻すハンスに、アルギスはカウンターへ肘をついて顔を寄せる。


 目録を取り出そうとしていたハンスは、カウンターの引き出しに掛けていた手を止めた。



「おや、依頼かな?」



「ああ、アイテムの注文と……術式付与を頼みたい」


 

 ポケットから手帳とペンを取り出すハンスに、アルギスは難しい顔で依頼の内容を説明し始める。


 やがてアルギスが依頼の説明を終えると、ハンスは頬を引きつらせながら手帳を閉じた。


 

「……わかった。でも、依頼料が1億Fを超えるけど平気かい?」



「依頼料に関しては全く問題ない。むしろ、請け負ってくれると思っていなかったくらいだ」

 


 満足げに頷いたアルギスは、カウンターから身を引いて笑みを見せる。


 しかし、ハンスは途端に表情を真剣なものに変えると、アルギスの前に手のひらを突き出した。



「ただし!条件があるよ」



(さすがにそう上手い話だけとはいかないか……)



 ハンスの出すという条件に、アルギスは身を固くしながら言葉を待つ。


 しばしの沈黙の後、ハンスは目を伏せて、優しい笑顔で話し始めた。



「……さっき言った僕の姪っ子が困っていたら、助けてあげて欲しいんだ。どうだろう?」



「……わかった。そいつが困った時には私が助力を約束しよう」



 肩の力が抜けたアルギスは、僅かに拍子抜けしつつも鷹揚に頷く。


 アルギスの返事を聞くと、ハンスもまた、頬を緩めながら何度も頷いた。



「そうかい!なら僕も引き受けよう。付与する衣装はどこだい?」



「ああ、それはこの後持って来る」



 キョロキョロと辺りを見回すハンスに、アルギスは首を横に振りながら言葉を返す。


 すると、ハンスは満面の笑みで忙しそうに動き始めた。


 

「じゃあ僕は遠出の用意をして待っているから、その間に持ってきてくれないかな?」



「なに?遠出の予定があるのか?」



 ハンスの提案を聞いたアルギスは、眉を顰めながら聞き返す。


 訝しげな表情を浮かべるアルギスに、ハンスはやれやれとばかりに首を振った。



「君の依頼は僕1人じゃ少し厳しいからね。師匠に手伝って貰うつもりなんだ」



「……なるほど。そういうことなら、急いで持って来よう」 


 

 得心が行ったとばかりに身を翻したアルギスは、足早に店を後にする。


 そして、すっかりオレンジ色に染まった王都の商業区を、ローズ・テイラーズへ向けて急ぐのだった。

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