25話

 試験期間を終えた学院が、しばしの休暇へと入る中。


 オリヴァーから呼び出しを受けたレイチェルは、憂鬱な表情で屋敷の庭を歩いていた。



(できれば、戻ってきたくなかったわね……) 


 

 庭を抜けたレイチェルが屋敷を見据える玄関口には、既に直立不動で立つアンダーソンの姿がある。


 レイチェルがトボトボと近づいていくと、アンダーソンは几帳面そうな顔に僅かな微笑みを湛え、深々と腰を折った。



「お帰りなさいませ、お嬢様」


 

「ええ、ただいま」



 アンダーソンの開けた扉をくぐったレイチェルは、そのまま自室へと足を向ける。


 回廊を歩き出すレイチェルの背に、アンダーソンは心苦しそうな声を掛けた。



「お疲れのところ、大変申し訳ございません。旦那様から”到着次第部屋へ来るように”と言伝を頂いております」

 


「……そう。なら、向かうわ」


 

 有無を言わせぬ雰囲気を背後に感じたレイチェルは、一層足取りを重くして廊下を進んでいく。


 そして、オリヴァーの部屋の前までやってくると、大きなため息と共に扉を叩いた。


 

(もう少し、休ませてくれてもいいと思うのだけれど……)



「入りなさい」



 ノックの音が響いた直後、扉の奥からはオリヴァーの重々しい声が聞こえてくる。


 レイチェルが息を呑んで扉を開けると、部屋の中にはオリヴァーだけでなく、柔らかなカールのかかった髪を腰まで下ろした女性がソファーへ腰を下ろしていた。



「手紙は、届いたようだな」



「久しぶりね、レイチェル」 



「……はい、お久しぶりでございます。お父様に、お母様まで」



 母親のメアリーがいることに目を瞬かせながらも、レイチェルは2人の向かいに腰かける。


 組んでいた足を下ろしたオリヴァーは、言葉を選ぶように話し始めた。



「学院での、生活はどうだ?」


 

「大変、充実した日々を送っておりますわ」



 少しだけ気まずそうにしつつも、オリヴァーとレイチェルは、久々の会話に花を咲かせる。


 しばらくして、ふいに話が途切れると、オリヴァーは目を伏せながらレイチェルへと語りかけた。

 


「……レイチェル、婚約について考えは変わったか?」



「……いいえ、まだですわ。だって学院に入る前より、ずっと今の方が幸せなんだもの。簡単に諦められるわけないわ!」



 身を乗り出したレイチェルは、ずっと胸の内にしまい込んでいた本音を一息に吐き出す。


 目を白黒させるオリヴァーをよそに、メアリーはこれまで閉じていた口を開いた。



「レイチェル、貴女はもう、学院で慕うべき殿方を見つけてしまったのね?」



「……え?はぁ!?」



 確信めいた口調で話すメアリーに、レイチェルは口をポカンと開けて言葉を失う。


 レイチェルが徐々に顔を赤くしていく中、メアリーはクスリと無邪気な微笑みを浮かべた。



「そんな顔をしなくてもいいじゃない。とっても素敵なことよ?」



「そうなのか、レイチェル!?」



「誰も、そんなことを言ってないでしょう!もう!」



 目を見開いて詰め寄るオリヴァーに、レイチェルは頬を膨らましながら席を立つ。


 そして、逃げるように2人へ背を向けると、真っ赤になった顔で部屋を出ていった。



(まったく、お父様だけじゃなくお母様まで……!)



 不満を露にして廊下を歩くレイチェルに、使用人たちは目を逸らして脇に避けていく。


 やがて、自室へと戻ったレイチェルは、壁際の魔道具が指し示す時刻に表情を変えた。



「いけない、もうこんな時間だわ」



 寮を出た時は9時を指していたはずの針は、既に正午へ近づいている。


 引き返すように部屋を出ると、レイチェルは制服のまま、駆け足で玄関を目指すのだった。



 

 同じ頃、王都のエンドワース邸では。


 額に汗を浮かべた使用人が、総出で屋敷の大掃除に精を出していた。


 

「……明日、アルギス様が帰っていらっしゃる」



 屋敷の一室を掃除し終えたマリーは、堪えきれなくなったようにボソリと呟く。


 たちまち笑顔を弾けさせて部屋を出るマリーに、長い髪を2つに編み込んだ女性が近づいてきた。



「おつかれさま、マリー」



「お疲れ様です。グレースさん」



 グレースが足を止めて持っていた掃除用具を置くと、マリーもまた、立ち止まって頭を下げる。


 疲れたような笑みを浮かべたグレースは、腰に手を当ててため息をついた。



「それにしても助かるわ。貴女がいるだけで、荷物の運搬が天と地よ」



「ありがとうございます。私には、それしか取り柄がありませんから」


 

 グレースの賛辞に頭を上げると、マリーは遠慮がちに微笑む。


 劣等感を垣間見せるマリーに、グレースは頬を搔きながら苦笑いを浮かべた。



「うーん、そんなことないと思うけど……そうだ、この後昼食でも一緒にどう?」



「申し訳ありません。今日は友人と予定がありまして……」



 グレースの申し出を断ったマリーは、背中を丸めて、申し訳なさそうに眉尻を下げる。


 しかし、グレースは掃除用具を拾い上げながら、気にした様子もなく破顔した。



「それじゃ、仕方ないわね。また時間がある時に誘うわ」



「はい。その時は、是非に」 



 少しの間話し込んでいたグレースとマリーは、思い出したように反対方向へ歩き出す。


 徐々に2人の距離が遠ざかっていく廊下には、程なくして、王都へ正午を報せる鐘の音が響いた。



(え、もうそんな時間?)



 ゆったとしたペースで鳴り響く鐘の音に、マリーは前のめりになって歩く速度を上げる。


 そのままマリーが足早に屋敷を出ると、燦燦と降り注ぐ陽の光が目に入った。



「……急がなくちゃ」



 眩し気に目を細めたマリーは、体を魔力で包みながら、庭を駆けていく。


 数分のうちに屋敷の敷地を出ると、商業区のレストラン街へ向かっていった。


 

(レイチェル様を、お待たせしてなければいいけど……)



 焦るように商業区を進みつつも、マリーの表情には喜色が滲む。


 というのも、意気投合した2人は、初めて会った日以降、度々食事を共にしていた。


 当初は緊張しきりだったレイチェルとの会食も、マリーにとってすっかり良い気分転換となっていたのだ。


 

「ふぅ。とりあえず、大丈夫そう」



 目的のレストランへと辿り着いたマリーは、辺りにレイチェルの姿がないことに安堵の息をつく。


 それからしばらくの間、マリーがレストランの前で待っていると、レイチェルが息を切らせて駆け寄ってきた。


 

「ごめんなさい。遅くなってしまったわ」



「いえいえ、私も少し遅れていましたから」



 レイチェルへ手を振り返したマリーは、恥ずかし気に照れ笑いを浮かべる。


 頬を赤らめて俯くマリーに、レイチェルは思わず目を丸くした。



「あら?そうだったの?」



「はい。今は、お屋敷が大掃除をしておりまして――」



 足並みを揃えた2人は、和気藹々とレストランへ入っていく。


 やがて、2人が注文を終えると、レイチェルは向かいに座るマリーの顔をまじまじと見つめた。


 

「それにしても不思議ね。貴女と最初あった時は、こんな風に食事をするとは思っていなかったもの」



「私も、まさか侯爵家のご令嬢の方とお食事をさせていただけるとは……」



 からかうようなレイチェルの目線に、マリーは肩を窄めて身を縮める。


 ピクリと頬を引きつらせたレイチェルは、すぐに表情を取り繕って、薄い笑みを見せた。



「気にしなくていいわ。……そんなもの」



「……なにか、ございましたか?」



 どこか吐き捨てるようなレイチェルの声色に、マリーは訝し気な表情を浮かべる。


 マリーの問いかけに内心ドキリとしつつも、レイチェルは平静を装って首を傾げた。



「あら?急にどうしたの?」



「なんだか雰囲気が違ったような……いえ、失礼しました、私の気のせいです」



 レイチェルの姿を眺めていたマリーは、すぐに息をついて頭を下げる。


 しばしの沈黙の後、レイチェルは両手で口元を隠しながら目を伏せた。



「それはきっと、アルギス様にパーティーへご出席を頂けないからだわ。とっても落ち込んでしまったもの」



「あ……それは、その……」



 大げさに落ち込んだ素振りを見せるレイチェルに、マリーは目線を彷徨わせて、しどろもどろになる。


 しかし、2人の前に料理が運ばれてくると、レイチェルは何事もなかったかのように顔を上げた。



「ふふふ、冗談よ。もう、慣れたわ」



「……レイチェル様、実はここだけの話――」



 遠ざかっていく店員を横目に見つつ、マリーは声を潜めてレイチェルへ顔を寄せる。


 マリーの話が進むにつれて、レイチェルの表情は驚愕に染まっていった。



「まあ!姿を見ないと思ったら、一度も出席していないの?」



「……というより、そもそも王都では招待状を受け取っていらっしゃいません。ご返事は全て代筆なので、あまり気にされる必要はないかと」



 アルギスが学院へ向かって以降、変更の無い指示に、マリーは浮かない顔で首を振る。


 一方、がっくりと肩を落としたレイチェルは、俯きながら呟きを零した。


 

「……あの美辞麗句が並べ立てられた手紙は、そう言う事だったのね」



 貴族らしからぬアルギスの行動に、2人は揃って黙り込む。


 ややあって、クスリと笑い合うと、気を取り直すように料理へ手を付け始めた。


 

「ねぇ、来週はいつ頃がいいかしら?」



「実はそのことなのですが……しばらく王都を出ますので、お約束できないのです」



 意を決して口を開いたマリーは、食事をする手を止め、悲し気に目を伏せる。


 落ち込んだ様子のマリーに、レイチェルはテーブルに身を乗り出して質問を重ねた。

 


「そう、なの。いつ頃帰って来るの?」



「アルギス様のご予定によりますので、私にはなんとも……」



 一層表情に影を落としたマリーは、困ったように、ゆっくりと首を振る。


 すると、レイチェルは苦笑いを浮かべてテーブルから身を引いた。



「……そうよね、ごめんなさい」



「いえ、私こそもっと早くにお伝えするべきでした」



「ふふ、どうせあの人がぎりぎりで手紙でも送って来たんでしょ?」



「はい。どうやら明後日には、王都を出るご予定のようです」



 レイチェルクスリと笑みを見せると、マリーもまた、ため息と共に笑みを零す。


 前日の試験でアルギスの姿を見かけていたレイチェルは、目をぱちくりさせた。



「……王都を出る前に会えたのは、運が良かったかもしれないわね」



「私もそう思います」


 

 レイチェルの唸るような呟きに、マリーはすかさず頷きを返す。


 再び和気藹々とした雰囲気で2人が食事を始めると、注文していた料理は、たちまち無くなっていった。



「そろそろ、行きましょうか」



「はい」 


 

 すっかり食事を終えた2人は、持っていたティーカップを置いて静かに席を立つ。


 2人がレストランを出た時、商業区の人ごみの中から、深い蒼色のローブを着た中年の女性が近づいてきた。



「おや、マリーちゃんじゃない。今日はお休み?」



「お久しぶりです、エイミーさん。今日は少し長めにお昼休憩をいただいているんですよ」



 聞き覚えのある声に振り向いたマリーは、快活な笑顔で言葉を返す。


 マリーの丁寧な態度に、エイミーは相好を崩しながら頷いた


 

「そうなの。そちらの学院生さんは、お友達かい?」



「失礼しましたわ。私はハートレス侯爵家のレイチェルと申します」



 エイミーが目線を送ると、レイチェルは張り付けたような笑みと共に淑女の礼を取る。


 レイチェルの家名を聞いたエイミーは、目を剥いて顔を真っ青にした。



「こっ!私は冒険者をしております、エイミーといいます。申し訳ありません、貴族様だとは思わず……」



「そこまで畏まる必要はないわ。マリーのお知合いなんでしょう?」



 震える声で慣れない挨拶をするエイミーに、レイチェルはため息をつきながら肩を竦める。


 レイチェルの態度に頬を引きつらせつつも、エイミーはホッと胸を撫でおろした。



「ありがとうございます」


 

「それにしても、この時間に王都の中にいらっしゃるのは珍しいですね」



 2人のやり取りを黙って聞いていたマリーは、レイチェルと入れ替わるように、エイミーへ声を掛ける。


 キョロキョロと辺りを見回すマリーに、エイミーは元通りの笑みを見せた。


 

「ああ、今日はちょっと用事があってね」


 

「エイミー!飯食うぞ!」



 エイミーが続けて口を開こうとした時、腰に曲刀を差した巨体の男が、人ごみの中から大声を張り上げる。


 大きく手を振りながら駆け寄って来る男に、エイミーは呆れ顔で首を振った。



「……アンタ、そんなに叫ばなくても聞こえるよ。それであの子はどこだい?」



「アイツは、また1人でどっかいっちまった」



「仕方ないねぇ。全く……」 



「お、マリーじゃないか、ダンジョン攻略の調子はどうだ?」



 困ったように頭を搔いていた男は、マリーに気が付くと、ニカリと男くさい笑顔を浮かべる。


 戸惑いを見せるレイチェルを尻目に、マリーは男を見上げて笑みを返した。



「今は中層付近によくいますよ」 



「……マリー、失礼だけど、こちらの方々は?」



 親し気な様子を見ていたレイチェルは、そっとマリーの耳元に顔を寄せる。


 レイチェルの声に一度会話を途切れさせると、マリーは慌てて男とエイミーを手で指し示した。



「あっ!レイチェル様、こちらドミニク様とエイミー様です。お二人はご夫婦で”風の奇跡”というパーティを組んでらっしゃるんですよ」


 

 マリーの説明によれば、ドミニクとエイミーは、冒険者ギルドからそれぞれ六星級と五星級を与えられている。


 そして、パーティの等級としても六星級となっているというのだ。



「それに、迷宮主討伐の功績から王家の褒章を受けたこともあるんですよ」



「まあな」



「運よく討伐隊に入れただけだよ」



 得意げに胸を張るドミニクに、エイミーは顔を顰めながら肘で小突く。


 3人が楽し気に会話を続ける中、レイチェルの頭の中には、マリーの言葉がぐるぐると駆け巡っていた。



(迷宮主の討伐で王家が褒賞を……?) 



 王家の褒章は、貴族であってもそう下賜されるものではない。


 しかし、目の前の冒険者が手に入れているという事実は、レイチェルに現状を変える可能性を示していた。


 

(……ダメね。武勲で自分の価値を証明しようだなんて、まるで英雄派だわ)


 

 しばらく俯いていたレイチェルは、未練を振り払うように小さく頭を振る。


 そして、ふと顔を上げると、ニヤリとした笑みを浮かべるドミニクが目に飛び込んできた。



「ただ、その情報はもう古いぞ、マリー。俺達のパーティには、”新たなメンバー”が加入したんだ」



「え!?ドミニクさん達のパーティに加入できる人なんて一体……」



 立てた人差し指を左右へ動かすドミニクの言葉に、マリーは目を見開く。


 一方、肩を落としたエイミーは、ため息をつきながら、呆れ顔で首を振った。


 

「”新たなメンバー”だって?自分の子供が心配だから、パーティに入れただけだろうに」



「あ、おい!言うなよ、エイミー」



「ど、どういうことですか?」



 咄嗟に声を上げるドミニクに、マリーは不思議そうな顔で2人の顔を見比べる。


 もどかしげにガシガシと頭を搔くと、ドミニクは途端に難しい顔で口を開いた。



「いや、実はな。息子のマルコが13歳になってよ……どーにも危なっかしくてなぁ」 



「悪い子じゃないんだけど、考えて行動するのが苦手でね」


 

 こめかみを押さえたエイミーは、しかめっ面でドミニクの言葉を引き継ぐ。


 考え込むように目を瞑るエイミーに対し、ドミニクは視線を上向けながら腕を組んだ。



「ああ、今年の武闘大会に参加するなんて言ってるけど、一体どうなることやら……」



「なるほど……」

 


 同時に大きなため息をつく2人に、マリーは誤魔化すような頷きを返す。


 うんうんと唸りながら頭を悩ませていたドミニクは、ハッと我に返ると、隣に立つエイミーへ顔を向けた。


 

「……行くか」



「そうだね。引き留めてごめんよ、マリーちゃんに……ハートレス様も」



「いえいえ、ではこれで失礼しますね」



「お話、とっても楽しかったわ。ありがとう」



 ”風の奇跡”と別れた2人は、連れ立って人の行き交う大通りを進んでいく。

 

 そして、そのまま商業区を抜けた2人が、しばらく貴族街を歩いていた時。


 レイチェルの後ろに付き従っていたマリーは、ハートレス家の屋敷の前で、はたと足を止めた。



「それでは、私はこれで失礼いたします」



「ええ、またね」


 

 深々と腰を折るマリーに、レイチェルは名残惜しそうな表情で小さく手を振る。


 そして、マリーから顔を逸らすように門扉へ向き直ると、先ほどまでとは異なる重たい足取りで歩き出した。

 

(……アルギス、貴方ならこんなことでは悩まないのでしょうね)


 屋敷が近づき始める中、レイチェルの脳裏には、我知らずアルギスの不敵な笑みが浮かび上がる。


 しばらくしてクスリと笑みを零したレイチェルは、少しだけ軽くなった足取りで、屋敷へと入っていくのだった。

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