第6話 普通じゃないのは重々承知していた

 姫井に仕事を教えつつ入荷の品出しをこなし、昼になるにしたがって徐々に増えてきた客を捌いていたため少し遅れての休憩時間となった。

 今度は夕方に増えてくる客と業務に備えてに英気を養わなければならない。


 幸い姫井は今日はこれであがり。三時からは従業員も増えるため、幾らか負担は減るだろう。

 今は店長が俺の代わりに表に出ているため、事務室には誰もいない。

 心置きなく休ませてもらおうとスマホを開くと、大量の不在着信が画面をびっしり埋め尽くしていた。


「うわー……」


 つい声が漏れると、空那から丁度『どうして出ないの? 今頃休憩時間だよね? ね?』 と届く。

 胡乱に通知を見ていると、間もなくしてスタンプ爆撃が始まった。やっぱサイレントマナーモードしか勝たんな。


 溜まっていく通知を眺めていると、ふと休憩室の扉が開いた。

 見てみれば、昨日同様黒色が目立つ私服に着替えた姫井がずかずかと事務室へと入り込んできた。片手にはストローを刺したエナドリを携えている。


「よっ」


 姫井は軽い調子で挨拶をしてくると、ストロー缶を机に置く。


「冷やかしか?」

「そんなんじゃないし」


 姫井はそう言ってすぐそばまでやってくると、腰を折り顔を接近させてくる。

 ふっと甘ったるい香りが漂ってくると、二つの結われた黒髪が俺の頬を撫でた。


「ねぇあんた、あたしと付き合ってみる気ない?」

「は?」


 急に何なのこの子。


「付き合ってよって言ってるんだけど?」

「どこへ?」


 この女の今日の行動を振り返ればどういう意味の付き合いかはなんとなく察しはつくが、そんな気は毛頭も無いのですっとぼけた返答をしておく。


「それ本気で言ってる? 男女が付き合うって言ったら恋人同士になるって事に決まってるじゃん」


 逆に今の俺の返答は脈無しに決まってるじゃん。


「で、どう? 悪い話じゃないと思うんだけど。あたしまぁまぁ可愛いし、いつでもヤらせたげるよ」


 姫井が八重歯を覗かせる。

 やるやらないかが恋人の焦点になってんのおかしいだろこいつ。そんなんで釣れると思ってんのか。まぁ仮に違う条件を提示されたとしても現状こいつと付き合うなんて百パーセントありえないのだが。ならば俺の答えは決まっている。


「お断りします」


 一蹴すると、姫井は目を丸くして後ずさる。


「は⁉ 意味わかんない! どうせ童貞の癖になんでこんな美味しい話断れるわけ⁉」


 誰が童貞だ。決めつけんなよ。事実だが。


「俺はお前の事よく知らないし、昨日今日で会った奴とほいほい付き合う方がおかしいだろ」


 そういう理由で断るわけではないが、一般論をふりかざす方が相手も納得しやすかろう。


「でも童貞じゃん⁉」

「……」


 つい半目になっていると、再び姫井が口を開く。


「童貞なのに⁉」


 二回も言うなよ。お前童貞なんだと思ってんだよ。童貞舐めんな。てかどんだけ自己評価高いんだよお前。いやまぁ見てくれはそれなりなのは認めるが。スタイルも同年代にしてはそこそこだろうしな。でも生憎俺の好みはそういった要素だけで決まるわけではない。


「お前の童貞への偏見についてはさておくとして、俺に付き合う気が無いの変わらないぞ」


 忠告するが、姫井はなおも食い下がろうとしてくる。


「なんで? あたしけっこうモテる方だよ? お試しくらいのノリとかでも全然いいし。なんならヤるだけヤってポイとかでも……」


 滑るようにまくしたてる姫井だったが、急に言葉を詰まらせた。


「やっぱそれは無し! 嫌!」


 姫井が訴えかけてくるが興味なさすぎて反応に困る。


「安心しろ。仮にポイ捨てオーケーでも俺がお前と付き合う事は無い」

「なんかそれはそれでムカつく」


 お前が嫌って言ったんだろうが。


「なんでそこまでかたくななわけ? もしかしてあれ? 奈良に置いてきた幼馴染がいるとかそういうパターン?」


 鋭いとこを突いてくる奴だな。だがまだ足りない。


「よく分かったな。ただそれだけならまだ良かったんだが……」


 一瞬眉をぴくつかせる姫井だったが、質問を重ねてくる。


「どういう意味?」

「簡単な話、置いてきたのに追いかけてきたんだよな……」


 奈良から引っ越してきて一年ちょっとにも拘わらず幼馴染が家に襲来してくるのはそういう理由だった。


 流石に空那単身で奈良から出てきたわけではないが、たまたま父親の転勤があったのを良い事に俺の住所を調べてその近くに家族ごと引っ越しさせたのだ。聞く話によればお父様は毎日三時間かけて通勤しているという。


「え、キモ! ストーカーじゃんそれ!」


 馴れ初めを聞いた姫井が前のめりに机を叩く。


「返す言葉もないですね」


 至極まっとうな反応だな。頭が痛い。


「やっぱあたしと付き合った方がいいって! それで諦めてくれるかもしれないし」

「いやそれはできない」

「なんで」

「それは俺が幼馴染の事を好きだからだ」


 告げると、姫井が辛そうに額の辺りを抑える。頭痛を移してしまったか。エナドリ控えろよ。


「……まぁ、そうだよね。話の流れ的に」


 察しが良くて助かる。良すぎるくらいだが。

 まぁでもこれでこの女も諦めるだろう。ストーカーの事が好きってだけでもドン引き案件なのに別に付き合ってるわけでも無くて……とか普通の人は何こいつきっしょ距離置こ。ってなるはずだ。


「幼馴染もそうだが俺も大概な人間だ。分かったら付き合うとかそういうのは」

「諦める気無いけど」


 言い終える前に遮られる。

 そういえばこの子初対面の時から普通じゃなかったな。

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