冬の核

筆入優

1

 鈴虫の音を聞きながらベッドに沈み込んだのを覚えている。失恋して、暑い中熱い涙を流したことを覚えている。ソフトクリームが溶けて、コーンが白い海に溺れ、やがてふやけてしまったことも覚えている。


 全部、昨日のことだった。それなのに、一夜が明けた午前六時、僕はいましがた引っ張り出した毛布にくるまっている。寒い。寒すぎる。冷房は三時に落ちる設定にしていたので、それが原因ではない。では、他に何があるのだろう? 僕の部屋が氷に包まれたのか? そうだとすれば数時間後には全部溶けて部屋は冠水する。一刻も早く策を練らなければ——。いやいや、そんなわけがないだろうブラザー。単なる異常気象だ。信じがたいが今はその仮説しか立たない。


 半袖短パンだった僕は、震える手で制服のかかったハンガーを取った。だがそのワイシャツも半袖であることに気づき、頭にきた僕はハンガーを床に叩きつけた。寒さに震えながら、タンスの引き出しを引いて長袖を取り出した。


 ワイシャツの上にブレザーをはおる。着替え終えた僕は、ベッドで充電されたままだったスマホを手に取る。気象情報を調べると、どうやら、異常気象は全国的に起こっているみたいだった。


 今朝、史上最低気温を観測したとそのページに書かれていた。


                   *


 学校敷地内の大木の下、雪上に散乱していたのは蝉の死骸だった。純白の塊の上に仰向けに転がっている。埋まっていないそれらは、きっと、死ぬまで必死に生き延びようと耐えたのだろう。もしくは、繭にくるまりそびれたか。いずれにせよ、雪が積もったあたりで、それらは力尽きたのだ。澄んだ空気とミスマッチなそれらを見て吐き気を催した。ギリギリのところで耐えて教室に向かった。


 クラスメイトはいつもに比べて少なかった。


「地球どうしちまったんだよ」


 僕が席に着くなり、隣の宇野がカイロを手渡してくる。手袋をも貫通する冷気のせいで、教室に入ってもなお僕の手は冷たいままだった。差し出されたそれを有難く頂戴する。

「さあ。地球にエアコンでもついたんじゃない? 誰かが超低い冷房をかけたんだよ、きっと」


 僕は冗談めかして言う。


「もしそうなら、今頃間違いに気づいた誰かさんが温度直してるわ」


 宇野は「ハハ」と力なく笑った。僕も気怠い。今すぐ毛布にくるまってしまいたい。

 担任も手をこすり合わせながら教室に入ってきた。


「こんな寒い中ですが、今日は転校生を紹介します」


 転校生と聞いて天候を思い出した。こんな寒い中ですが、なんて言うぐらいなら、まずは僕らを休ませるべきだ。最も、転校生は慣れない環境の上にこの寒さ。耐えられるのか? 僕なら耐えられないね。


 人が一人増えたことによって密度が高まり、心なしか温まった気がした。手元がやけに温かいなあと思ったけど、それはカイロのおかげだと思い出した。

 先生が教室の外に向かって手招きする。あまりの寒さに転校生が逃げ出していたらどうするのだろう、とどうしようもない心配をした僕だったが、それは杞憂だった。転校生は無事に入ってきた。


「私は、ナツノカクを探しています」


 教壇の前に立った白髪の少女は雪みたいにしっとりとした声だった。声が大人びていて、でも、言っていることはわけが分からなくて、高校生と言う微妙な年齢も相まって、彼女が子供なのか大人なのか、容姿だけを見れば、判別つかないだろうと思った。わかったことは、強いていうなら、彼女の髪型が僕の好みのボブだってことぐらいだ。


 彼女は一言を言い終えるなり、僕の左隣の空いた机に腰かけた。転校生とは思えないほど、腰が高い奴だと思った。


 先生がこちらに駆け寄ってくる。僕は僕でどうすればいいのかわからなかった。


 先生は転校生の目の前に立ち、「どういうつもり?」と腰に手を当てる。その声色は怒っているようには感じられなかった。心底困惑しているようだった。


「だから、ナツノカクを探してるんだって」


「そんな雪みたいなのに?」


 彼女の言う『ナツ』が四季の夏なのかはわからなかったが、思わず口をついて出てしまった。無視されたほうが、都合がよかった。しかし、そうはいかなかった。


「みんなわかってると思ってたんだけど、一応言うと、ナツノカクは私のことじゃないよ」


 転校生は机から降りて、僕の目の前に周ってくる。


「どちらかというと、君のほうが夏っぽいかも」


 転校生はいきなり僕の額を触りだした。


「は?」


「冗談だよ、平熱が高いんだよね」


 間違ってはいないが、そんな知ったような口をきかれると気分が悪くなる。

 僕は宇野に助け舟を求めて視線を送った。そんなものがだされることは決してなかった。


「まあ、お似合いなんじゃね」


 彼の一言を皮切りにクラスメイトが騒めきだす。さっきまで教室を包んでいた困惑は、たちまち、喧騒に塗り替えられた。

 僕はため息を吐いて椅子を引いた。僕の机に手をついていた転校生は、それを離して、漫画のリアクションのようにわあっと驚く。愛らしく思えて口元が緩みかけた。咄嗟に引き締める。


「夏ノカクってやつを見つけたら、君は大人しくなってくれるのか?」


 僕は転校生を睨む。


「うん。それが目的で、こうして人がたくさんいるとこに来たんだしね」


 転校生の目が輝いた。


「じゃあ行こう。先生、今日は早退します。宇野もです」


 僕は宇野の手を引いて教室を出て行った。もちろん手袋は忘れていない。

 先生が追いかけてきた。

 玄関まで行くと、先生の足音も聞こえなくなった。僕と転校生はいそいそと靴を履き替える。渋る宇野のスリッパを無理やり脱がして、街に繰り出した。


「ほんとに夏ノカクなんているのかよ」


 家電量販店の前を通り過ぎたところで宇野がぼやく。


「うるさい、転校生を鎮めるためなら嘘だってつく。みつかんなくてもすぐに終わるさ」


 嘆く宇野に安心感を与えたところで、転校生が「嘘はつくな!」と叫んだ。僕と宇野は無視して先に進む。


 それにしても寒い。僕は肩にのった雪を払う。


「そもそも、夏の核って何なんだよ?」


 白い息が大気に溶けていく。僕は年甲斐もなくそれを面白がった。何度か「ハー」と小さな呼吸を繰り返す。僕がそれに飽きた頃、転校生はようやく口を開いた。彼女の顔は怪訝そうだった。さっきの僕を顧みればそれも当然だと頷ける。僕は羞恥心に駆られながらつつ、彼女の説明を聞いた。


「核って言うのは、季節を支える存在。私は冬の核だし、秋や春は別にいる。夏だけ、探してるんだ。夏の核が消えたか弱ったかのどっちかが原因で、季節の順番が狂ってしまった。今回の異常気象はそれが原因だね」


 冬の核は淡々と説明を続ける。信じがたい話だった。夏の核を発見すれば、季節を、僕らの生活を救うことができるかもしれない。だとしたら、受け入れるしかない。


 僕らは歩き続ける。

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