第9話

「そういえば、幽霊くんはお風呂入る?」


 彼女は洗った皿を軽く振って、隣の僕に渡す。僕はその皿を受け取り、手に持ったふきんで拭いていく。


「いや、この身体は汚れないから、別にいいかな」


 おもむろに彼女が上半身を倒し、そのまま僕の首元をスンスンと嗅いだ。


「確かに無臭だね。まぁ、気が向いたら入りなよ。でも、服は臭いが付きそうだし、着替えは必要かもね」


「服は同じやつでも買っておくよ」


「えー、つまんなーい。お姉さんは幽霊くんの真夏ゾっとするコーデが見たいのに」


 僕は彼女から最後の一枚を受け取り、同じように布きんを滑らせる。

 ご飯を作ってもらい、一緒に片付けをする。これでは側から見れば、まるで同棲しているカップルにしか見えない。しかし、今の僕は一ミリもドキッとしない。残念なような、別にどうでもいいような。本当にこの身体はおかしい。本能的な感情に関して胃以外は、まるで人とは思えない。


「あっ、そう言えば、これ。渡しておくよ」


 ふと思い出し、ポケットから現金を取り出す。


「ん? なになに? 幽霊君が私にプレゼン――トォッ!?」


 言い切る前に現金の束を見てしまったらしく、不自然に語尾が伸びている。

 彼女はなんとも言えない形相で、現金の束と僕の顔を見比べて――


「あのね、幽霊くん。いくら幽霊だからって、泥棒はよくないと思うよ?」


「おい、違うわ。正真正銘、僕のお金だよ。今日、家に行って持って来たの」


「死ぬ前に貯めてたってこと?」


「そういうこと」


 料理の下げられたテーブルに無造作に現金を置いた。


「……ん?」


 彼女は首をひねる。僕もつられて首をひねる。まるで、鏡のように。


「え? 私が預かっておけばいいの?」


「違うよ。あげるって言ったの。どうせ使わないから」


「いやいやいや! ダメだから! 幽霊くんのものは幽霊くんが使うの! おかしいでしょ。こんな大金をあげるって!」


 確かに高校生からしたら、二十万円はかなりの大金だ。でも、大金とはいえ、使い道も使いたい欲もないわけで、ならばせめて居候させてもらうのだから、彼女に迷惑料としてあげてもなんらおかしくない、と思う。

 しかし、いくら話したところで彼女は「ダメだから!」の一点張りだ。


「とにかく、このお金は幽霊くんが死ぬまでにしっかり使い切ってね! 残されても迷惑だよ!」


「そう言われても死んでるわけだし、お金の使い道なんて思いつかないなぁ」


 彼女はうーんと腕を組みながら唸る。しばしの沈黙。

 突然、彼女の頭の上にビックリマークが浮かんだように見えた。それは気のせいではなかったらしく、彼女はパッと顔をあげる。


「ふふーん。そんなに私に使わせたいのなら、叶えてあげましょう!」


「……というと?」


「明日、私の彼氏になりなさい!」


 ビシッと指を指されるが、今度は僕の頭上にはてなが浮かんだ。眼前の彼女は自分の答えに「そっかー。その手があったかー」などと自画自賛している。


「あの、意味がわからないんですけど」


「だから、明日デートにいくから、なんか奢ってよ! もちろん、全部幽霊くんに払わせるつもりはないよ。私もしっかり出すし!」


「はぁ……?」


「きーまり!」


 彼女はおもむろに立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待って。そんな勝手に――」


 彼女の意見を正そうと立ち上がると、ちょうど彼女を追いかけるような形になった。


「あっ!」


 彼女は不意に振り向き、再度僕に指を向けた。

 またこの顔だ。目尻を下げた満足げなしたり顔。


「私、今からお風呂だから」


「……? だから?」


「反論なら、お風呂場で聞いてあげましょう!」


 絶句した。

 もちろん、そんなことできるわけもなく、今日何度目かの深いため息と共に静かに腰を降ろしたのである。


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他サイト様主催スターツ出版大賞最終選考作品の加筆・修正版です。

旧名「夏色リバイブ」


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