後ろの席のクラスメイトがおっぱいと呟いた件について

立入禁止

後ろの席のクラスメイトがおっぱいと呟いた件について

 西日が差し込む教室。女子生徒が二人。向かい合わせに日誌を書いている。青春っぽい。その言葉に尽きそうなはずなのに、聞こえてきたのはそれとはとても似ても似つかない発言で、己の耳を疑った。

「は?」

 その発言に出た言葉は、はひふへほの『は』の音のみだった。というより、それ以外出てこなかった。

 疑う発言をした相手はと言うと『なにか?』というような顔をしたのち、なに食わぬ顔で日誌を書き進めている。

「いやいや、ちょっと待って」

「なんですか?」

 なんですかじゃねぇのよ。違うのよ。さっきの発言は無かったかのようにしてるけど、こちとら聞いとるのよ。

「さっき、さ、おっぱいって言った?」

 極めて冷静に、いや既に冷静では無いけど。それでも最低限の落ち着きを掻き集めて目の前のクラスメイトに問いただす。

「言いましたけど」

 こてん、と首を傾げて私を見てくる。眼差しが純粋。おめめがキラッキラで透き通っていて綺麗ですね、じゃないんだよなぁ。発言がアウト。ギリギリではなく普通にアウトなんだよなぁ。

「なんで、おっぱい?」

 一年に一度はまわってくる週番になり、放課後、名簿番号順で週番のペアで後ろの席のクラスメイトと共に日誌やら窓閉めやその他の雑務をこなしていく。雑務が終わり、日誌を任せていたクラスメイトこと佐々木さんの元まで行き、手伝うと言うより日誌を書いているところを眺めていたら、ただ一言「おっぱい」と言ったのだ。

「えっ、なんでって……おっぱいって言いたかったからですかね」

「言いたかったからの言葉がおっぱいだったってこと?」

「はい。おっぱいって発音がよくありません? 『お』から始まる勢いにクセになるアクセントで小さな『っ』が入り『ぱ』で弾けて『い』で整う。この四文字の単語には人の心を擽るだけの魅了したものがたくさん詰まってるんですよ」

 …………。

 ……………………。

 いや、わからない。佐々木さんごめん。本当になに言ってるのかすら私には理解できない。なに整うって。『い』で整う意味がわからない。いやいや、その前の『お』の勢いってなんだよ。なんなんだよ。詳しく知りたくないけど気になるから教えてよ。しかも小さい『っ』のアクセントってクセになりますねっじゃないんだよ。『ぱ』で弾けるって……弾けてくんなって思っちゃった。ごめん。もうさ、ツッコミどころが大渋滞でどこからつっこめばいいのか迷子だよ。

「要するに、佐々木さんはおっぱいが好きってことなの?」

「……すき、ですね。はい、すきです」

「左様でございますか……」

 そのまま、すぅーっと何事も無かったかのように日誌は書きあげられ、二人で先生のいる職員室まで出しに行き解散した。

 今日が水曜日。佐々木さんとの週番が終わるまであと二日。


 翌朝、あくびを噛み殺しながら学校までの道のりをローペースで歩いていく。いうまでもなく寝不足の原因は佐々木さんだ。うら若き女子高生の口から、おっぱいについて生き生きとした様子で話していた佐々木さんを忘れられなかった。おっぱいとは、そんなにいいものなのかと調べてみたりもした。調べたところで自分にはおっぱいに関してそこまで興味を惹くものがなかったし、勢いとクセになるアクセントと弾けて整う魅惑の言葉だと思うこともなかった。

 学校につけば何の変哲もない一日が始まる。唯一の変化と言えば週番という使命があること。そして、今日の放課後も雑務を終えて日誌を書いてくれている佐々木さんの机の前に自分の椅子を向けて座るのだ。

「ねぇ、ひとつ聞いてもいい?」

 本当にただの好奇心だ。そして、この好奇心が時には後悔する出来事を運んでくるのも知っている。イギリスのことわざで『好奇心は猫を殺す』と言うくらいだから、例え身を滅ぼすことになっても自己責任となる。ごくり、と無意識に固唾を呑んだ。

「はい。私で答えれることなら」

「その、なんでおっぱいが好きなの?」

「なんで、ですか……」

 佐々木さんは顎に指を当てて考え始めた。

「質問を質問で返してすみませんが、笹塚さんはすきじゃないんですか?」

「あぁ……おっぱいのこと好きか嫌いか今まで考えたこと無かったかな。昨日あれだけ佐々木さんが楽しそうに話してたから調べてみたけど、特にこれといって……」

「そうですか」

 なんだか少し、だいぶ残念そうに言う佐々木さんに悪い事をした気分というか罪悪感が少しだけ芽生えてしまった。いやいやいや、罪悪感なんて一切持つ必要すらないんですけどね。ないんだけどあからさまに残念そうにされると、なんかちょっと、と変な葛藤ゾーンに入ってしまう。

「私が笹塚さんにおっぱいの魅力をお伝えしましょうか?」

「へぇっ?」

 変な声出た。おっぱいの魅力をお伝えしましょうかとは、きっとそういうことで。おっぱいについての魅力を教えてくれるということだろう。最早、昨日からおっぱいおっぱい言いすぎて、自分がなにを言っているのかすら分からなくなってくる。

「おっぱいの、おっぱいによる、おっぱいのためのおっぱい、について教えようかと」

 佐々木さんが最早なにを言っているのかすらわからん。けどなんとなくこのニュアンスはダメな気がする。しかも、なんだか佐々木さんがどや顔な気がする。それに少しだけイラッとした。

「……それはやめとこ。大きな国に怒られちゃうから。本当に。規模が違うからやめとこ。いや、そんな不満気な顔するのやめて」

「いい感じの語呂だと思ったのですが。目的とするものは同じだと思うので怒られない確率の方が大きいと思いますし」

 どや顔の次は得意げな顔で私を見てくる佐々木さんに「じゃかましいわッ」と心の中で盛大に叫んでツッこんだ。

「いや、まぁ、おっぱいの魅力についてはまた今度ということで」

 これ以上は不毛だ。それに疲れた。この数分で非常に疲れた。好奇心で聞いた私が悪いのだが、もう気力もない。一旦この場から離れて頭を休めたい。どうか、休ませてください。

「わかりました。笹塚さんにおっぱいの魅力を理解してもらえるように考えておきます」

「あ、りがとうございます」

 今日も今日とて二人で職員室にいる先生に日誌を渡して解散する。佐々木さんとの週番が終わるまであと一日。


 ここ二日でかなりの疲労が溜まった気がして、昨日は帰ってからご飯を食べてすぐに寝てしまった。寝不足ということはなく、今日で週番が終わるという安堵した気持ちで学校へ向かう。なんだか足どりが軽い気もした。

 教室に入れば友人やクラスメイトと挨拶を交わし自分の席へ。その時に見た後ろの席にいる佐々木さんは、既にいた。なのでいつも通り挨拶だけ交わして自分の椅子へと腰をかけて、鞄の中身を出したり片付けたりと一限に向けての支度に取り掛かった。

 朝のホームルームも終わり、一限の国語が始まる。先生の朗読でいい感じの心地良さに教科書を目で追いつつまわりを見渡せば、一限から既に寝ている人がチラホラと。黒板に書いていく先生の手元を追って私もノートに書き写していく作業に取りかかる。が、その瞬間聞こえたのだ。「おっぱい」と。確かに小さい声で聞こえた。咄嗟にまわりを見渡すが私を除いて誰一人として気づいている人はいなかった。いや、訂正しよう。私と後ろの席の人物を除いてだ。

 内心ヒヤヒヤしながらも平静を装い、引き続きノートに書き写していく作業にとりかかる。しかし、その数分後、またもや聞こえたのだ。「おっぱい」と。肩をビクッとさせてしまった。まわりを再度見渡せばさっきと変わらず。まわりを見渡したついでに後ろを振り返れば何事も無かったかのようにノートをとっている佐々木さんに「こいつ……」と若干の怒りが湧いた。

 それから六限まで、時々発せられる「おっぱい」という単語に翻弄されつつ、まわりを気にしてあげる自分に大きな大きなため息しかこぼれなかった。

「はぁ……つかれた」

 放課後机に突っ伏す。週番の雑務は私に代わり佐々木さんが黙々とやってくれていた。申し訳ないなと思いながらも、いやいや、疲れの原因はこの人だからね、と自分に言い聞かしていく。

 後ろの席がガタリと動いてペラペラと紙がめくれる音に頭を上げて、椅子ごと後ろを向く。

「佐々木さんさぁ、授業中になんでおっぱいなんて言ったの?」

「おっぱいって言いたかったからですね」

 真面目な顔をした佐々木さんに平然かつ冷静に返された。

「誰かに聞かれるかもとか思わなかったの? 恥ずかしいって感情がないとか?」

「笹塚さんにしか聞こえない程度に言いましたから大丈夫です」

 はい?今なんと仰ったんでしょうか。私にしか聞こえない程度と聞こえましたが間違いないでしょうか。佐々木さんの顔を見れば間違いなさそうですね。左様でございますか。って違うんだよ。私にも聞かれないように配慮しなよッ。

「佐々木さん、もっと危機感もちなよ。私にしかってことは距離的に隣にも聞こえるかもなんだから」

「確かにそうかもしれませんが、私に興味のある人なんていませんし大丈夫かなと」

 興味があるかないかじゃないんだよ。違うんだよ。まわりにおっぱい、おっぱいって言ってる子いないじゃん。だからさ、おっぱいなんて呟いたら変な噂がたつかもしれないって危機感だよ。持とうよ、危機感。

「そうでした、おっぱいの魅力についてレポートを書いて纏めておいたのでどうぞ」

「あっ、どうも……」

 佐々木さんは、自分の鞄を漁って透明のファイルごと私に手渡してくれた。それを受け取って見る。数枚に纏められたおっぱいについての記述だった。なんなら図も使われている。

 なんだこれ……。

「おっぱいについてです」

 お願い、怖いから心読まないで。たぶん、顔に出ていたんだと思うけど、それでも声に出さないで。

「一枚目は私がおっぱいの魅力についてハマったきっかけになります。二枚目はおっぱいのサイズやフォルムについてで、三枚目が萌えポイントとなり、四枚目が……」

「わっ、かりました。ポイントは得ました。家で読むから大丈夫でございます」

 淡々とレポートについての説明をしだす佐々木さんの会話を途中でぶんだ切って止めた。このまま説明させたら一枚目からなぞるように話されるに違いない。

「佐々木さんってさ、見た目は真面目そうなのに中身がおっぱいだったとは誰も想像できないだろうね」

 ひとりごとのように呟けば、涼しい顔で日誌を書いている佐々木さんが私の方を見た。

「漫画の世界ではテンプレかと。真面目イコールむっつり的なキャラはたくさんいますし、リアルにもたくさんいると思いますよ。そのうちの一人が私ですが」

 確かにいたねぇ。目の前にいるねぇ。

「そうですよ」

 だからやめて。心を読まないで。心臓に悪いから。佐々木さんのおっぱい好きは受け入れるから。

「笹塚さんがこんなに話しやすい人だとは思いませんでした」

 佐々木さんはふわりと顔を綻ばせて笑った。その顔がかわいくて思わずドキッとしてしまう。あれ、ドキッてなんだ……。

 週番で何度も顔を合わせていたはずで、なんなら学校がある日は毎日のように見かけてたはずなのに、佐々木さんの顔をまじまじと見たのは今日が初めてかもしれない気がした。

 しっかりと見た佐々木さんは思ってる以上にかわいかった。ちょこちょこ失礼な発言を言ってる気もするが、実際に言葉にしてないし思ってるだけだから許して。

「ありがとう。私も佐々木さんがこんなに話しやすいというか、面白いというかなかなかの人だとは思わなかったよ」

「ありがとうございます。褒められて嬉しいです」

 今の発言を褒められてるって捉える佐々木さんの思考がすごいよ。私が受ける側だったら軽く貶されてるかな、と思うレベルだと思うけど。佐々木さんがなんだか嬉しそうだから余計なことは言わずに、まぁいっかと流しておくことにした。

「私は笹塚さんのおっぱい、すきですよ」

「はぁぁぁぁぁぁ。それは、セクハラッ。なんだ、私のおっぱいって。見たことあんのか。目の前で出したことないでしょ。いつ見た? いつ? いつよ」

 ゼーハーゼーハーと息を切らしながら捲し立て、ハッと自分の発言に気付いて佐々木さんに「ごめん」と謝罪した。

「いえ、私が誤解を招くようなことを言ったので。セクハラ発言をしてすみません。ただ、体育の着替えの時に見えるのでその時に下着の上からでも綺麗だなと思ったので伝えてしまいました」

 誤解しか招かない発言だよ。言う前に気づいて。さりげなく褒めてくれてありがとう。褒められたのは嬉しいけど、素直に喜べないよ。なんでかな。おっぱいが褒められたからかな。ちょっと一回頭を空っぽにしたい気分だよ。変なところは心が読めた反応をするのに、その才能を今この時に使ってほしいと切に思ってるよ。

 外側も内側も疲労困憊な自分の体に項垂れる。

 今日で週番は最後だ。これが終わったら佐々木さんとはまた前のように挨拶だけを交わす間柄になる。そう思うと心は軽くなるはずなのに、少しだけモヤモヤしたものが残っていて気持ちが悪い。

「笹塚さんと週番を通して話すことが出来たので、たまにはこうして放課後に話すことは出来ませんか?」

「……それっておっぱい雑談じゃないよね」

「もちろんおっぱいについてですが」

 もちろん案件になってる。レポート貰ったから私もおっぱい好き認定を受けたのか。違う。断じて違うよ。

「こうしておっぱいについて話せるのが笹塚さんしかいないので嬉しいです」

 すごい嬉しそうに笑うじゃん。こんなの「おやおや、私は無理ですね」なんて言えるわけがない。誰か。まじで誰か教えて。こういう時の対応を教えて。その笑顔をかわいいと思ってしまう自分も大概すぎて頭を抱えたくなる。

「……もしかして嫌でしたか?」

「佐々木さんと話すのは嫌じゃないけど、おっぱい雑談は抵抗があるから、普通の話してこ。それならいい」

「わかりました。お互いを知ってからということですね。では、週番が終わってもよろしくお願いします」

「こちらこそ、お手柔らかにお願いします」

 話が一段落ついたので佐々木さんは日誌の続きを書き始めた。それを眺めながら、胸のモヤモヤはいつの間にか消えていたことに気付く。その理由を探そうとしたが、やめた。なんだか探してはいけないような気がしたのだ。

 いつも通り二人で職員室にいる先生に日誌を提出して解散、ではなく下駄箱まで一緒に行く。

「この三日間で一生分のおっぱいについて考えた気がする」

「笹塚さんはまだまだですよ。これからもっとおっぱいについて考えることになりますから。あっ」

「えっ、なに?」

 私がツッこむ前に何かを思い出した佐々木さんに反応して何事かと待ち構える。

「体育の時の着替えを見てしまったので、お詫びに私のおっぱい、見ますか?」

「見ねぇよッ」

 何故か残念そうにする佐々木さんを横目に「ばいばい」と先に校舎から出れば、後ろから「笹塚さん、また来週」と返され、振り向けば手を振られた。私も振り返して今度こそ学校を後にする。

 帰ってから見た佐々木さんのレポートに脱帽しつつ、私自身、おっぱいへの道のりはまだまだ遠いなと悟った。



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