ハルピュイアの王国

御餅田あんこ

ハルピュイアの王国



 滅亡した人類の都市はほとんどが水の底に沈み、水面からは背の高い建物の瓦礫が突き出ている。瓦礫を足場に、無数のハルピュイアが翼を並べ、息を潜めて青空の映る水面を見下ろしていた。水面には微かに泡が立っている。色とりどりの鮮やかな翼の並ぶ様は壮観である。彼らは訓練された戦士たちで、機敏な飛行を可能にする強靱な肉体を持っていた。緊張感漲る顔つきで開戦の合図を待っている。

 水面に、影が落ちる。

 きらびやかな宝石と黄金の飾りをぶら下げた王の玉座が、三十のハルピュイアに担ぎ上げられて戦場に現れた。その周囲を盾持ち兵がぐるりと囲んでいる。

 もっとも美しい翼を持つ王族の男児が王に選ばれるが、玉座に座った彼は、今や自分の翼で飛ぶことはない。王は安全な上空から号令を掛けた。

「さあ、戦え、兄弟たちよ。その翼は誰のためにある? 私と、同胞のために飛べ。一匹でも多く、目障りな魚人共を討ち取るがいい!」

 王の言葉に応えて、ハルピュイアの戦士が飛び上がる。戦士たちは槍の穂先を頭上に構え、空中で頭を下へ向けると、勢いよく水面に向かって飛び込んだ。水柱がそこかしこで上がった。ある者は水面下の魚人を槍の穂先に突き刺して、またある者は魚人と組み合ってそのまま水中に引きずり込まれていった。ハルピュイアの戦士は屈強で、空の支配者に相応しい力を持っていたが、水辺での魚人との戦闘はハルピュイアに苦戦を強いた。たくさんの同胞がそうして命を散らしているにもかかわらず、美しい翼を持つ王は玉座の下で起きていることには少しも見向きをしなかった。


 戦闘の喧騒から隠れるようにして、水際を移動するハルピュイアの男がいた。藍色の布を頭から被り顔も翼も判別できないようにして、戦場の外れの陸地に向かって歩いている。目指す先には瓦礫と倒木を積み上げてつくった小屋があり、黒い穴がぽっかりと口を開けていた。ハルピュイアの男は持っていたランプに火を灯し、身の丈の半分ほどしかないその黒い穴に身を屈めて入り込んだ。狭い通路がしばらく続いた先に、ようやく羽を伸ばせそうなほどの広い空間に辿り着いた。

 ここは狒々がやっている道具屋で、壁の棚には滅亡した人類の使っていた道具が並んでいる。ほとんどは何に使うのか分からない物だ。本もあるが、人類の言語はもとより、ハルピュイアも魚人も文字を持たない種族である。狒々だけが文字という文化を持ち、一部の知識層は人類の文字を解読できるという話を聞いた。

 文机の上に、紙とペンに混じって置かれた呼び出し用のベルを鳴らすと、しばらくして、老いた狒々が棚の影から現れた。

「ハルピュイアか。何をお求めかな」

「種だ。樹木の種」

「ほう、どのような樹木だ? 狒々の森の樹木の苗木ならわしにも伝手があるが」

「狒々の森に生えているやつより、うんと大きな木だ。天まで届く奴がいい」

 ハルピュイアの男は真面目に言ったが、狒々は一笑した。その態度に、ハルピュイアの男も自分の望みを叶える物がここでは手に入らないことを知った。ひとしきり笑った後、狒々は「いや、すまなんだ」と目に涙すら浮かべながら言った。

「天まで届く木はない。ここにないだけではなく、わしの知る限りどこにもない。ハルピュイアの伝承では、天空にハルピュイアの大地が浮いているという話だが、お前さんもそれを目指そうというくちかね」

「そうだ。我々の祖先の国だ。そこに辿り着きさえすれば、我々はもう魚人や狒々と小競り合いをすることもなくなるはずだ」

「非戦主義か。近頃のハルピュイアの戦い方を見るに、その方が建設的だわな。終いには森を寄越せと言われるんじゃないかと、狒々の賢者たちも様子を窺っておる。空に大地があればいいが、それを目指して飛び立った何匹ものハルピュイアが、結局叶わず力尽きたなんてことも少なくはない。二十年ほど前、ここに若者が訊ねてきたよ。とても鮮やかな、他種族さえ見惚れるような美しい翼を持つ若者だった。空の大地を探しに行くから、強壮剤をくれというので分けてやった。だが、そいつもそれきりだ」

「我々の間では有名な笑い話だ。王に啖呵を切って飛び立ち、結局力尽きて落ちて死んだ。……だから、私も飛ぶのは諦め、別の方法を探している。木がダメなら、何か手はないか。狒々は頭が良い。我らの知らない知恵を持っているなら教えて欲しい。謝礼は払う」

 狒々は少し考える素振りをして、ハルピュイアの男の、藍色の布を被った頭からつま先までをまじまじと見た。ややあって、「いい木がある」と言った。

「勿論、天までは届かないが、大きくて背の高い、セコイアという木だ。我々狒々も樹上に上がるが、セコイアの高さでは高すぎてとても登れんほどだと聞く。魚人はなおのことだ。ハルピュイアにとっては、他種族に侵害されない土地になるだろう。勿論、芽吹くかどうかはやってみないと分からない。それほどの大きさになるまでは時間がかかる」

「どのくらいかかる?」

「さて、人類の文献に因れば、六〇〇年だとか……」

「六〇〇年は待てん。ハルピュイアの寿命は精々四〇〇年だ。私は生きて精々あと三〇〇年ぐらいだろう」

「三〇〇年もあれば、ひとまず狒々の森の高さは追い越すのではないかな。木が成長すれば、木の有用性を見いだす仲間も増えるのではないか?」

 それまで、若木を守り続けられるかと言うことが、ハルピュイアの男にとって一番の懸念だった。魚人はハルピュイアを嫌っているし、ハルピュイアは戦士でない同種を同胞とは認めず嫌がらせをしてくる陰湿なやつらだからだ。悩んでいると、狒々はハルピュイアの男に「要るのか、要らないのか」と捲し立てた。

「……要る。欲しい」

 ハルピュイアの男が答えると、狒々は、その狡猾そうな顔でにんまりと笑った。

「よろしい、では、取引をしよう」

「宝石をいくつか持ってきた。これで足りるか」

 ハルピュイアの男は、提げていた袋を狒々の文机の上に置いて中を見せた。玉座から飾りをこっそり奪って持ってきた物だ。ハルピュイアにとっては一級品である。

 しかし狒々は「今日はそんな石ころの気分ではない」と言った。狒々はハルピュイアの被った布を指さした。

「その布が欲しい。お前さんの被っている、その藍色の布だ。綺麗な染め物だな。それがいい」

「これは、だめだ」

「では、セコイアの種子は譲れんなあ」

「私は顔に大きな傷がある。翼もだ。ひどい傷だから、誰にも見せたくはない」

「狒々にはハルピュイアの美醜など分からん。顔も区別が付かん」

「それでもだ。なんとかこの宝石で手を打ってくれないか」

 狒々は渋々、承諾した。

「その代わり、一目だけお前さんの翼を見せてくれないか。ここで見たことは誰にも言わない。わしはもう老い先短い。セコイアの木が立派に育つのを見届ける前に死ぬ。それなら、一つだけ、疑問の答え合わせをしておきたいのだ」

 ハルピュイアの男はハッとした。狒々は、ハルピュイアの男の隠し事、即ち被り物の下に隠した正体を既に知っていたのだ。

 ハルピュイアの男は藍色の布をとって、狒々に翼を見せた。狒々は感嘆の声を上げた。

「おお、やはり、何と美しい翼であろう。大空の主人、ハルピュイアの王」

「……今は違う」

 舐めるように翼を眺める狒々の視線を、さっと布で遮った。

「良い物を見せてもらった。とにかくお前さんが生きていて良かった。落ちたと聞いて、可哀想なことをしたと思ったのだ」

 狒々は上機嫌で商品棚から革袋を持ってくると、ハルピュイアの男に押しつけた。そして、文机の上の、先ほどは石ころ呼ばわりした宝石袋をさっと取り上げ、吟味するように中を見てから、懐に抱いた。

「では、幸運を祈るぞ」

 狒々は用が済んだら出て行けと言わんばかりに、ハルピュイアの男に手を振った。強かな老人だ。三〇〇年後も生きているかも知れない。

 ハルピュイアの男は、狒々の道具屋を出て、また藍色の布を目深に被った。戦場の喧騒を逃れ、セコイアの種子を埋めるのに良さそうな、静かな陸地を探し歩いた。

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