01-04 山猫軒
◇
一日の授業を終えて放課後になってすぐ、俺は身支度を整えて帰宅することにした。部活はいいのか、と嶋野に声をかけられたけれど、猫を探さなければいけないからと答えると、彼は納得した様子だった。
帰り際に携帯を確認すると、怜からメッセージが届いていた。
「今日は部誌について話し合うつもりだけど、部室に来る?」
俺は一瞬だけ迷った。部誌についての決め事なら、出席しておいたほうがいいような気もする。けれど、すぐに断りの返事を入れた。五人目の部員のアテがちせだったなら、彼女も今日は部室にはいかないだろう。となれば出席者は怜と、昨日の真中とかいう後輩だけだ。居心地のいい空間になるとは思えない。
「悪いけど、今日は出られない」
それだけ返信したあと、鞄を持って昇降口へと向かった。昇降口のあたりでちせに会った。そのまま帰るのかと思ったら、とりあえず入部届を出しに職員室に行くらしかった。
「じゃあ、待ってるから一緒に帰るか」
「でも、二見く……えと、お兄ちゃん、部活は?」
「ちせも出ないんだろ」
「それは、ええと……」
「いいよ。もう部長には言ってあるし」
「……それなら、顧問の先生に渡してくるので、少しだけ待っててもらえますか?」
「了解」
ほんとうに、ちせは十分ほどで用事を済ませて昇降口に戻ってきた。こういう事態とはいえ、ちせは入学直後だ。いろいろ話したい相手ややりたいこともあるのだから、そちらを優先させてもいいだろうに、責任を感じているのか、ずっと気を張っているように見える。
それでも、そんなことを口に出したら、彼女を困らせるだけなのだろう。自分にできることなんて、あまりにも少ない。
嶋野にそんな話をしたら、大げさだと笑われるだろうか。
◇
「おかえりー」
ましろ姉の声に迎えられてリビングに入ると、大柄の男性がリビングのソファに腰掛けていて、こちらにむかって頭をさげた。
「おかえりなさい」
と、野太い声で言われる。お互いに固まってしまった。
「……ただいま?」
「こちら峯田さん。挨拶してね」
「ええと、はじめまして」
「二見、お客さんなんだからコーヒーいれて」
「あ、お気遣いなく……」
「……今まで何も出してなかったのかよ」
「いらっしゃったのがついさっきだから。今お話してたところ」
どう反応していいのか、そもそも峯田というこの男性がどこのどなたなのか、考えることは一旦やめた。ましろ姉のやることをひとつひとつ理解しようとしていたら気力が保たない。
一度部屋に戻って鞄を置き、着替えを済ませてからキッチンに向かってコーヒーを用意する。そのあいだも、大きな体を所在なさげに縮こまらせた峯田氏とましろ姉は何かを話しているようだった。
やがて、ちせが着替えてリビングに戻ってきたところで、ましろ姉が彼女に声をかけた。
「あ、ちせは部屋に行ってていいよ」
「……えっと?」
「実はね、こないだ二見がネットのアダルトサイトでフィッシング詐欺に引っかかりそうになって、そのことでお父さんの知り合いに相談することになってたんだよ。二見もちせには聞かれたくないだろうから」
「は?」
「え、あ……」
「いや、なに言って」
「あ、わたし、部屋に行ってますね」
視線を曖昧に泳がせて、ちせは部屋へと戻っていく。俺はなにを言えばいいのかもわからなかった。
「ましろ姉、どういう」
「とりあえずコーヒーをお願い」
……あんまりな扱いという気がしたが、とりあえず言うことをきくことにした。三人分のコーヒーを用意してカウチに腰掛けると、峯田さんは困り顔で頬を指でかいた。
「お願いすることにしたから」
「……なにを?」
「こちら、探偵さん」
「……探偵?」
「僭越ながら」
紹介されて、峯田さんが面映そうに頭を下げた。思わずしげしげと観察してしまう。筋肉質で大柄なのに、人の良さそうな丸顔で、顎髭をたたえている。歳は三十代から四十代だろうか。体格の割には態度は控えめで、完全にましろ姉に圧されているみたいに見える。
彼はシャツの胸ポケットに手を入れて、そこから名刺ケースを取り出すと、一枚テーブルの上に置いた。俺はそれを受け取って、並んだ文字列を眺める。
そこには、
『猫探し専門探偵 山猫軒代表 峯田 龍彦』
と書かれていた。
「……猫探し専門探偵」
「僭越ながら」
いや、僭越ってこともないと思うけど。
「……ましろ姉、お願いすることにしたって言ってたけど、もしかして」
「うん。フィガロの捜索」
ましろ姉はあっさりと笑った。むしろ峯田さんのほうが、ずっと困り顔だ。
「ええとね。……とりあえず、相談は無料なんで、お話を聞いてから判断してもらったほうがいいかなあって」
◇
朝、俺たちが学校に向かったあと、宣言通りにましろ姉は近所をひとまず探し回ったらしい。
住宅地の家々の庭の覗き込んだり、公園の木立を覗き込んだり、コンビニの駐車場のカラーコーンを持ち上げてみたりしたが、どうにも見つからない。
そういうわけで、これは手に負えないと思い、プロに頼むことにした。
そしてネットで検索したら、この街を中心に活動している猫専門の探偵というものがいるらしいと知った。
連絡をしてみると、ちょうど前の依頼が片付いたところだから話を聞くことができるということだった。それならば話が早いと思い、こうして今日来てもらった。つまりはそういう流れらしい。
「……行動力の化身か?」
「いやあ、僕もびっくりしちゃって」
人の良さそうな笑みを浮かべて、峯田さんは俺の言葉に頷いた。それから彼は静かに姿勢を正して、少し真面目な顔を作った。
「普通、二、三日経ってからの依頼が多いんですけどね。正直に言って、安くはないお金がかかるし、ご家族と相談してからの方がいいってお話してたんです。聞くかぎりだと、あっさり帰ってくる可能性もないわけじゃないし。もちろん、依頼されたら全力は尽くしますけど」
「……ちなみにおいくらくらい?」
「三日で五万ちょっと」
峯田さんは顎に手をあてた。
「一週間で十一万強、ですね」
「なるほど」
「八割だってさ」
ましろ姉が不意にそう言った。視線を向けると、彼女は言葉を続けた。
「発見率」
基準はわからないが、動物探しだ。普通に考えたら、低くない数字と言っていいだろう。
「一応言っておくけど」
峯田さんは穏やかな声で言った。
「僕の仕事は猫を見つけることですけど、もし見つからなくてもお代はいただきます」
それはそうだろうな、と俺は思った。
支払った代金分は責任を負う。報酬をもらうと約束した以上は全力を尽くす。もし、見つからなければお代はいいですなんて言われたら、助かるは助かるが、信頼はできない。手抜きをして見つからなかったとしても、金はとらないんだからいいだろうと言われてしまったら、こっちの時間が無駄になるだけだ。
報酬分は働く。そういう相手のほうが信頼できる。問題は、学生の身の上にはあまりに高額だということだ。ましろ姉だって未成年だし、勝手に契約なんてできない。
「これも言っておくけど」と峯田さんはまた付け加えた。
「お金を躊躇なく支払えることは、別に愛情の証明にはならない。僕の役割は単に猫を見つけることで、僕に依頼することに、それ以上の意味は生まれません」
「……どっちにしても、俺たちは未成年だし、峯田さんからしたら、うちの親と話したいんじゃないですか?」
「まあ、正直そうだね。お金を出すのも親御さんだろうし」
未成年者が単独で行った契約行為は法定代理人による取消権行使の対象になる。どちらにしても父母の同意がないかぎり、峯田さんは動かないだろう。
そう考えると、この場にやってきて話してくれているだけ、やさしい対応なのかもしれない。
まあ、ましろ姉なら、十万くらいならポンと出せそうな気もするが、そういう問題だけじゃない。
そのくらいのことは、たぶんましろ姉にもわかっているはずだ。
とはいえ、「手に負えない」と彼女は思ったのだ。その意味を思うと、少し考えてしまう。
「……ましろ姉、もしかしてもう」
「うん。お父さんには連絡したよ。話してみないとなんとも言えないけど、とりあえず相談してみるといいって」
ということは、冗談で言っているわけではないのだろう。
「……まあ、父さんがそういうなら」
そこまで話を聞いて、ちせを同席させなかった理由がわかった。ちせが責任を感じることでは決してないが、彼女はそれを感じるだろう。大事になれば大事になるほどちせが自分を責めることはわかりきっているし、なにより、ましろ姉が「手に負えない」と感じたという事実は、けっこうな重みを持っている。
……だからって、もっといい言い訳があっただろうとは思うけれど。
「とりあえず、お話させてもらうかたちでいいかな?」
ましろ姉の方を見ると、彼女も俺の方に視線をむけていた。俺はひとまず頷いた。
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