近いちかい向こう側
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近いちかい向こう側
美しいものに、出会ったとき、貴方はどうしますか?
みんなに見せびらかしたいとか、自分だけのものにしたいとか、思いませんか?
これは、私の欲望の物語。美しいものに出会ってしまった、私の物語。
夏が、眩しい。光る朝、日差しの中、私、入江ムコウは仕事場に向かっていた。仕事は順調だし、夏は美しいし、何の不満もない。
すうっと、おしゃべりをしながら登校途中の女子中学生達とすれ違う。
母校の盛夏服を着ている。
そんな季節か。
そんな場所か。
今日の仕事場は。
ノスタルジックな気分になり、自然とカメラを構えそうになるのをぐっと堪える。 欲望と倫理の板挟み。カメラマンとはそういう仕事だ。あぁ、今日も暑い。
「はい!いいよいいよー綺麗だね!じゃあ脚ちょっと伸ばして上げてみようか」
無表情なモデルに言葉をかけて気分を上げさせる。
それで最高の一枚を出力するために何百枚と無駄撃ちをする。
私の仕事道具はつくづく銃のような凶器だと思う。
モデルを狙い撃ちする。
一番いいのはヘッドショット。
彼女たちをかすめる銃弾を撃ちだすたびに、惜しい気持ちになる。
でも、当てる。
いつかは、当てる。
いつかは、当たる。
私が、狙い撃ちする。
幸運なことに、私の銃の腕はいいらしい。
だから、仕事にも困らない。
次は、当てる。
私が。
モデルが、薄く微笑んだ。
はい、私の勝ち。
「ありがとうございましたー」
「お疲れさまでしたー」
写真のだいたいの選定と編集を済ませて、解散の合図が鳴った。
モデルはつまらなさそうに衣装室へ去っていった。
そうだな、今日は懐かしい場所だし、少し歩いてみるか。
足が軽く歩く音を立て始めた。
よく行っていた喫茶店にでも寄ってみるか。
スタスタと、無駄のない歩みで仕事場を後にした。
カランカラン、ドアベルが鳴る。
うんうん、この音。
相変わらず繁盛とはほど遠いところが好きだ。
「アイスコーヒー、ブラックで大丈夫です」
注文を済ませてから、ふと一人だけの先客に気づいた。
懐かしい制服。
青春を共にした制服。
を着た、なんだろう、うまく言えない、脳がひんやりと冷えるのは、冷房のせいだろうか、を、着た、美しい、次は急に顔が熱くなる、あついさむいあついさむい、どうしようもなく、その美しい少女に、私の心は、惹かれてしまったようだ。
昔から、美しいものが好きだ。
キラキラ光る宝石のおもちゃ、夏祭りでラムネ瓶を割って取り出すビー玉、無駄のない流線形を描く鋏、中学校で歌った讃美歌。
全部、今の私を創り出しているものだ。
だから、この仕事をすれば、美しいものにたくさん出会えるだろうと思った。
美しいひと、もの、風景、薫りや温度さえも、切り取れる気がした。
実際は、ビジネスなのでそんな機会はなかなか無いんだけどね。
「アイスコーヒー、お待たせいたしました、伝票失礼いたします」
初老の店員の声で、ハッと意識を取り戻す。
いけないいけない。
何考えてるんだ。
連想ゲームはアイデアの宝庫なんだけど。
「あの、もしかしてムコウちゃん、ですか?」
「……は?」
「中高の頃よく来てたくれた、ムコウちゃんかと、いや失礼いたしました」
「いやいや、ムコウだよ。おじさんよく憶えてたね」
「やっぱりムコウちゃんか!いやー久しぶり。この雰囲気はムコウちゃんかなって思ってさー」
「卒業してからだいぶ経つのにねー」
「今何の仕事してるの?」
「ん、カメラマン」
「ほぁー!僕はムコウちゃんにそういうセンスを感じていたよ」
「なんじゃそりゃ!」
あっはっは、と笑い合う。今日はグッドデイかも知れない。
「そうそう、この子、君の後輩に当たるよね」
先客の少女を指さすおじさん。ダメだって、それは……だって。
「あ、お姉さま……ですか?」
少女はか細く、でも、鶯のような綺麗な声で応えた。
「あ、うん。そ」
ドクンドクンと鳴る鼓動を抑えて絞り出す声。少女と私。まるで、正反対の声。
「カメラなんて素敵ですね。わたし、美術の成績悪いから……センスのある人、憧れます」
「いやいや、難しいことなんてないよ、シャッター押せばいいんだから」
「そう、ですか?」
「うんうん、ちょっと弄ってみる?」
「え」
小さな口をポカンと開けて驚く。あ、やべ。欲望のまま喋ってしまった。
「そんな、お仕事道具に触るなんて……」
「いいのいいの、ちょっと触ってみなー」
引き攣った笑顔で、私は汚い気持ちの沼へ彼女を引き入れている。
良くない。
大人として、先輩として、お姉さまとして。
欲望と倫理の板挟みは、欲望の勝利のようだ。
「ここで光の度合い、ここでピントの深さ、被写界深度ね。ホワイトバランスってやつで色味を調整する、液晶画面タッチしたらピントがそこに合うから、一枚撮ってみな」
「……じゃあ……」
少女は当たり前のように私にカメラを向けた。あ、いけないって、だってそれは――
銃なんだから。
シャッターを切る音と共に、わたしは彼女に殺された。
「どう、ですか?」
「うん、すごくいいね、いい写真だ」
彼女のスマートフォンにデータを転送しながら、私は苦虫を噛んだ気持ちだった。 そして、私も、美しい少女をこの手で殺したい、と思った。
「ねえ、モデルになってくれない?」
「……え?」
「今度の仕事で使いたいモデルがなかなか見つからなくってさ。貴方がいいと思ったんだけど」
「そんな、わたし、可愛くないし……」
「私を助けると思って!お願い!」
「……はい……お姉さま、いい人そうだし、一回ぐらいならいいかな……」
少女は微笑んだ。私の勝ち。
「私、入江ムコウ。よろしくね」
「わたしは弓弦誓です。よろしくおねがいします、ムコウお姉さま」
こうして、美しいものは、私のものになった。
それから、一回きりという約束を破って、私は彼女、誓を撮り続けた。
誓もそれでいいと言ってくれた。
「わたし、なんだか学校に馴染めなくって……」
「ふうん」
煙草を燻らせながら私は返事をする。
「でも、ムコウさんはわたしを必要としてくれる……そんな気がします」
「うん、そうだよ、誓だけを撮っていたい」
「うれしい」
誓は顔を綻ばせた。あぁ、その表情が何より好きだ。と感じた瞬間、わたしは誓にキスしていた。
「え」
「私もね、誓が必要だよ。だからね、今日の仕事なんてどうでもいい。行かない。ずっとここ……私の部屋にいていいよ。学校なんていかなくていい。だって誓は特別だから」
「うれしい」
誓は、泣きそうな、嬉しそうな、複雑な、私の理解の及ばない表情をした。
美しい、この世の何より、そう思った。
「そうだ、誓の写真、インスタに投稿してみようよ」
「む、無理ですよぉ……恥ずかしい」
「絶対バズるって、ね?一回だけ」
「……それが、ムコウさんの為になるなら……いいですよ」
相変わらず押しに弱いところも、可愛いと思った。
作戦は大成功。
インスタで一枚投稿すると、いいね!の嵐が巻き起こった。
それはもうすごいやつ。
私はまた一回きりの約束を破って、何枚も誓の写真を投稿した。
またいいね!嵐の嵐。
誓もまた理解してくれた。
私の宝物が認められたみたいで嬉しかった。
……嬉しかった半面、『映え』という感覚の浅さにため息を吐いた。
『お顔が良すぎる~!』
『誓ちゃんの顔になりたくて整形しちゃった>-<』
『おんなじお洋服買いました!かわちすぎる♡』
どいつもこいつも分かってない。
私の誓の本当の良さを。
美しさを。
なんなんだよ。
映えってさ。
どいつもこいつも。
そうして私は思いつく。
こいつらに、分からせてやるよ
「ねえ、誓、私のためなら何でもしてくれる?」
「えへへ、ムコウさんの為になるならなんでもいいですよ」
「じゃあ、脱いで」
「へ?」
「脱いで、誓のヌードを私に撮らせて」
「え、えっと……」
「ね?一回だけ」
「…………」
誓は困惑した顔をして黙っていた。
しかし、急に決意をしたように。
「いいですよ、ムコウさんのためならなんでもします。ムコウさんは、わたしを、わたしを……」
そう言いながら、ブラウスのボタンを開け始めた。
あぁ、好きだ。
誓が。
下着をするりと脱いだ誓は、この世の何よりも美しかった。
服など、誓を隠す無駄なものだったのだと、確信した。
そうして、誓に私は、キスをした。
写真は、一発で決まった。
一枚しか撮らなかったけど、最高の一枚だと思えてしょうがなかった。
こんなこと、今まで体験したことが無い。
撮っている途中、つまらなさそうな顔をしたモデルの女共の姿が走馬灯のように流れて、一瞬で終わった。
私は誓に何も言わずに、インスタに写真をアップロードすることにした。
わからせてやる、お前らに、私の美しさを。
アップすれば、私は児童ポルノ提供・製造罪の犯罪者だ。
でもそんなことどうでもいい。
私の誓を、誓いを、見せてやるよ。
インターネットとは蜘蛛の巣をイメージしているというのは本当で、写真は瞬く間に広がり、燃やされた。
『誓ちゃんのこんな写真見たくなかった』
『この子中学生でしょ?児ポでは?』
『娘がこんな目に遭ったら耐えられません、早く消してください』
「なんで……こんなことしたんですか」
「誓が綺麗だったから」
「こんなの……ダメですよ、ムコウさん、逮捕されちゃう……」
「誓、いい?美しさっていうのは、何物にも縛られてはいけない。法律も、モラルも、倫理も、それを縛ることはできない」
「そ、そん、な、」
誓が何か言いかけたところで、インターホンが鳴り、私は無事、犯罪者になった。
「ホシの動機は」
「はぁ、なんか、本当に美しいものを皆に分からせてやりたかったとか。それしか言わないんスよねぇ……」
「ハハハ、芸術家だねぇ。イキっててキショいな」
「引き続き、取り調べますわ」
「はいはい、よろしく」
法廷では、児童ポルノ提供・製造罪の犯罪者として私は脚光を浴びた。
あはは、カメラマンでもまぁまぁだったけど、自分の名前を世間に知らせるには、犯罪が効率がいいらしい。
「私は、美しいものを撮っただけです。それは罪でしょうか。皆に分からせてやりたかった、美しさは、法律などの前にも屈さないと。だから私は、この場でも謝罪などはしません。以上です」
裁判官が頭を掻く。
沈黙の中、誓の両親の啜り泣く声だけがうるさくて邪魔でしょうがなかった。
私がそれしか繰り返さないため、今回の法廷は進展なしで終了した。
いま、誓がどうしているのか、それだけが気掛かりで、頭の中はそれだけだった。
「誓、あなたは傷ついたんでしょ、そんな強がらなくていいの」
わたしの両親は懇々と説教をする。
心配の無限ループだ。
わたしは傷ついてなどいない。
ムコウさんとの日々は、すごく楽しかった。
ムコウさんだけが、わたしを受け入れてくれた。
今更心配されても、もう、どうでもいい。
「わたし、引っ越す。ひとりで暮らす。白い日当たりのいいワンルームがいいな。レースのカーテンもつけて。いいでしょ。美しいと思わない?」
両親はポカンと口を開けて、頷いた。
「誓、つらいのね。可哀想に。好きなだけそこで暮らしなさい。心の傷が癒えるまで。おうち、一緒に探そうね。」
はい、わたしの勝ち。
極度の心配をされると、わがままも通るらしい。
わたしは、これから、ムコウさんのことを想いながら、ひとりの時間を過ごさなきゃいけないんだ。
そう思うと、少し涙が出た。
でも、これがわたしの誓い、名前通りの誓い。
ムコウさん以外いらないという、誓い。
何物にも縛られずに、わたしはひとり生きていく。
周りは何もわかっていない。
あの人の、あの眼差しは本物だった。
カメラじゃなくて、瞳でわたしの脳天をブチ抜いた。
わたしを殺す覚悟を、確かに感じた。
幸せだった。
インスタ映えとか、皆は本物をわかってない。
シャッターを押す覚悟を。
確実に殺すという覚悟を。
スマートフォンでパシャパシャと、気軽に押していいものじゃない。
そんなんじゃ、本物は見えない。
殺せない。
わたしは、あの人の、ムコウさんの、その瞳が、生きていた中で一番美しいと思えた。
わたしを殺してくれて、ありがとう。
あの瞳は、わたしだけのもの。
私たちは、わたしたちは、殺し合った仲なんだから、もう会えなくても一緒に地獄にいこうね。
美しいものに、出会ったとき、貴方はどうしますか?
みんなに見せびらかしたいとか、自分だけのものにしたいとか、思いませんか?
これは、私の欲望の物語。美しいものに出会ってしまった、私の物語。
近いちかい向こう側 xiGa @xxxiga7
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