第5話 とりあえず状況把握を
「ごめ゙ん゙な゙さい゙〜〜〜〜〜〜ッッッ」
涙はおろか鼻水まで垂らして、およそ美少女にあるまじき様相でリュシエルが泣きじゃくる。
「ここは僕が何とかするから、レナードはとりあえずシャワーでも浴びて来な」
俺は
扉の影に隠れて様子を窺う。
リュシエルの泣き声は暫く続いていたが、アレックスがうまいこと宥めてくれたのだろう、すぐに小さくなり、そして完全に聞こえなくなった。
ただでさえ子供の扱いなんぞ得意ではないというのに、その上あんなふうに大泣きされたら、どうしていいか全くわからない。そもそも、泣きたいのはこっちの方だ。
大きなため息を吐いて顔を上げれば、バスルームの鏡に映る自身の姿が目に飛び込む。
30数年、見慣れた自分自身の顔と体。五体満足。どこも、何一つとして欠けていない。
あんなおかしな化け物に噛み砕かれたはずなのに。手足の骨を噛み砕かれ
首をひねりつつ、記憶を浚う。
ふと、落とした視線が洗面台の上に乗ったままの剃刀を捉える。
俺はそいつを手に取り、手の甲に軽く押し当て、引いた。
表皮に刻まれた浅い傷は、瞬く間に一筋の赤い線と化す。だが、そこから溢れるはずの血は一切無く、そして傷さえあっという間に消えた。
――そう、消えたのだ。
瞬きするような、ほんの短い時間で、文字通り跡形もなく、傷痕すら残さずに。
狼狽えたあまり、剃刀を取り落としそうになってしまった。一体どうなってんだよ、マジで。
俺は乱れそうになった呼吸を整えなが、あの化け物とやりあった時と、その後の出来事の仔細を反芻する。
あれは……そう、
「……んなバカな……」
頭を降って、口を噤む。
どうかしている。
俺は頭がおかしくなったのか?
いや、そんなはずはない。
……ないと思いたい。
じゃぁ、
もう一度、負傷したはずの部位や該当箇所を念入りに眺めるものの、何度見ても傷は無かった。
しかし、その一方で、昔負った傷跡は残っている。
……ということは、つまり?
腕や脇腹に残る幾つかの銃創や火傷痕を前に、俺は半ば呆然としながら呟いた。
「あの時前後が分かれ道……ってことか?」
マジでどういうマジックを使ったんだ、
剃刀のような浅い傷ではなく、もっと深い切り傷を作れば、治り具合をもう少し長く観察できるかもしれないと一瞬思ったが、さすがにリストカットまがいな行為をするのは憚られた。
というか、これ以上の超常現象を目の当たりなどしたら、俺の精神がヤバくなりそうだったからやめた、と言ったほうが正しい。
これについては、やはり、この元凶・原因であるリュシエルとミリアンを問い詰めるしかない。聞いたところで俺の頭では理解できるとも思えないし、したくもないんだが。
俺に理解できる部分は、これがまぎれもない現実で、しかも今は、一分一秒だって惜しい状況ってことだけだ。
「ああ、もう――!」
俺はやけくそ気味に唸りながら、既に役目を果たしていない衣服であったものの残骸を脱ぎ捨てると、シャワールームに飛び込んだ。
身体中にこびりついていた血糊や煤や、その他諸々の汚れを手早く落とし、熱い湯と冷水を交互に被って、まだ若干混乱気味の思考を整理する。
まず、リュシエルから何を聞くべきか。ミリアンがどうしているのかも知りたい。
何より、あの化け物が一匹とは限らない。
正直、あんなのとは二度と対面したくはないのだが、おそらくそうも言っていられないだろう。
何故って?
あの時リュシエルが言っていたじゃないか。
『やった! やったわよレナード! 〝あの子〟、
つまり、確実に息の根を止めたわけじゃないってことだ。
そして、こちらは手持ちの武器をほとんど失った状態とくる。早いところ態勢を立て直さなくてはならない。
何もわからない状況に突然放り込まれるなんてのは日常茶飯事、直前の簡単なブリーフィングのみで鉄火場に飛び込むのは慣れっこだが、今回は少しばかり度が過ぎている。
だが、とにかく態勢さえ整えれば何とかなるはずだ。
……多分。
たて続けにいろいろ起こりすぎて、つい弱気になってしまう。
何とかならなかったとしても、最終的には何とかするしかない。
わけのわからないことに巻き込まれて蹂躙されるばかりじゃ、こちらの腹が収まらないからな。
どうにか自分自身を鼓舞してシャワーを済ませた俺は、ストレージボックスから予備の衣服を取り出して手早く着込んだ。
リビングとして使っている部屋へと足早に向かう。
“次”に向けて、早くアレックスと相談することを考えながら、その扉を開けた。
「あっ、」
室内に入った途端、小さな声があがった。リュシエルだ。
つい先程まで泣いていたせいか、目元が赤く、目蓋も少し腫れぼったい。
リュシエルは俺の姿を見て、一瞬ばつの悪そうな顔をすると、すぐに視線を逸らしてしまった。
「おかえり、レナード」
俺が口を開くよりも先に、アレックスが間に入った。俺を手招きしながら、同時にリュシエルにも声をかける。
「ほら、リュシエルもこっちにおいで。レナードに言うことあるだろ?」
「う、……ん」
しかしリュシエルは躊躇い、視線を泳がせるばかり。ソファーに腰掛けたまま、膝上で組んだ両手を所在なさげにもぞもそと動かし、一向に立ち上がろうとしない。
「リュシエル?」
再度アレックスに促された彼女は、観念したように小さなため息をつくと、渋々といったように立ち上がった。
「えっと……その……」
俺の前までおずおずと進み出たリュシエルは、うつむき、爪先に目線を落としたまま言った。
「ごめんなさい、レナードのこと大嫌いって言ったりして」
謝る部分そこかよ。
「ほら、レナードも」
「何でだよ」
俺は一方的に酷い目に逢った被害者のはずだが。
アレックスを睨むと、奴は『いいから謝っとけ』とばかりにハンドサインを寄越してきやがった。
ちらと目線を下へ戻せば、俺の顔色を窺うような、不安そうな表情で立っているリュシエルと視線がかち合った。
と、その大粒の琥珀のような瞳がうるみはじめ、見るみる涙が溢れてくる。
勘弁してくれ。
「……
一体何が悲しくてこんな茶番に時間を割かねばならんのか。これだから子供の相手は面倒くさくてかなわない。
俺は視線を逸らし、後ろ頭をかきながら口を開いた。
「……あー、なんだ、その。俺の方こそ悪かった。大声で怒鳴ったりして、済まなかった」
よし、終わり。これでいいんだろ? さぁ、本題に入ろうじゃないか。
俺はアレックスに話しかけようとしたが、
「本当?」
疑うような目でリュシエルが聞いてくるではないか。
「だって、まだ怖い顔してるよ」
「悪かったな、元からこういう顔だ」
「レナード」
呆れたような声でアレックスが割って入た。
『何やってんのさ、いいから謝っときなよ』
『だから何でだよ』
『いいから!』
リュシエルの頭上で交わす、小声での応酬。
何がいいのかさっぱりだし、やはり何度考えても受け入れがたい。しかし、ここでゴネても埒があかない。
俺は数秒かけていろいろと言いたいことを全部飲み込むと、代わりにクソでかい諦めのため息を吐いた。
「ああ、もう――、わかった、わかった」
完全降伏のスタイルで、リュシエルに向かって言う。
「怒ってない。お前のことは嫌っていない。だから、泣かんでく――れっ!?」
最後まで言い終わらないうちに、顎に衝撃を食らう。
よろけた拍子に、さっき潜ったばかりの扉で背中と後頭部をしたたかにぶった。
目の前に飛び散る火花と、鼓膜につきささる、少女のはしゃぎ声。
「本当!? 本当ね? ありがとうレナード! 大好き!!」
その細い腕のどこにそんな力があるのか。
俺の首に縋り付くように跳びかかってきたリュシエルは、その両腕どころか両足も駆使して俺を渾身の力で締め上げた上に、銀色の丸い頭をグリグリと胸元に押し付け、頬擦りをする。
「ま――、おい、待て! リュシエル、離れろ! やめ――、ステイ! ステイ!!」
「ワォ、情熱的ぃ」
かぶりつきでキスまでしかねない勢いの美少女と俺との攻防を、アレックスが揶揄する。
「バカ言ってないで止めろ!」
アレックスに向かって拳を振り上げると、奴は半笑いを浮かべながらリュシエルの肩に手を置き、諭すように声をかけた。
「はい、リュシエル。これでレナードと仲直りできたから満足したね? じゃぁ次は、僕とお話の続きをしよう」
「えぇ~?」
不服そうな声をあげてアレックスを振り返るも、リュシエルは俺を締め上げる手足から力を抜くと、素直に俺から離れた。
いやもう本当に何の罰ゲームなんだ、これは。勘弁してくれ。
げっそりとしながら内心で毒づいていると、アレックスが俺に向かって手招きをした。
「ほら、レナードもこっち来て。君も聞きたいだろ? 元ガールフレンドのこと」
「ああ……。……あ?」
反射的に頷いてから、首を傾げる。
「なんでお前が」
「『それを知ってるんだ』って? 今更それを聞く?」
呆れと憐れみが混ざる視線を寄越しながら、アレックスが答えた。
「レナード、君はここで二日間も寝ていたんだ。その間、僕が何もせずに、ただこの子の面倒だけを見てたと思うかい?」
腕組みをして若干ふて腐れたような表情のアレックスに、俺は。
「二日……!?」
「正確には49時間と31分」
驚愕している俺に、アレックスが追い打ちをかけてくる。
「マジかよ」
二日を越えているじゃないか。出遅れたなんてレベルじゃない。
眩暈にも似た絶望。
横っ面を張られるどころか、ボディーブローをぶちこまれた気分だった。しかし、
「ほら、君はそうやってすぐ自分の中で処理しようとする。ショックを受けるのは、とりあえず僕の話を聞いてからにしてくれ」
アレックスはそう言って、ズボンの尻ポケットから取り出した携帯端末を操作し、そこに表示された画面を俺の前に掲げて見せた。
「リュシエルが着ていた白衣にネームプレートが着いていただろ? ご丁寧に所属部署も書いてあったから、君が寝ている間に検索したんだよ」
手渡された端末のディスプレイには、やたらとでかい建物の画像と、企業名と思われる濃紺色のロゴマークが表示されていた。
「【テネブラエ・サイエンティカ】――欧州にある本社と、その
リビング・デッドライン~元軍人のおっさんがひょんなことから不死の体となり美少女(?)に振り回される羽目になる話~ 不知火昴斗 @siranui
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