リビング・デッドライン~元軍人のおっさんがひょんなことから不死の体となり美少女(?)に振り回される羽目になる話~

不知火昴斗

第1話 それはあまりにも突然の出来事だった

 ハロウィンの夜に出歩くなんて、そんな縁起の悪いことはするもんじゃない。

 死者の魂、幽霊や妖精、そして悪魔が現世に這い出てきて辺りを練り歩くだなんて、そんな話に震えていたのは小さな子供の頃だけのはずだった。

 なのに、三十も過ぎた今になって、まさか本当にそんなバケモノが街中を闊歩する光景を目の当たりにするだなんて――そして、そいつに襲われ、こんな路地裏へと追い詰められることになるなんて。

 まったくもってツいていない。

 俺は寂れたスラムの路地裏で、懐に抱いた小さな体を潰してしまわないように気を付けながら、周辺の状況を探った。

「レナード……」

 俺はか細い声をあげる少女の口に人差し指を当てて制止する。二言目には「お腹が空いた」と続くのがわかっていたからだ。こんな状況だというのに、大した度胸だ。

 路地は静かだった。普段ならば物乞いの一人や二人は転がっているようなスラムなのに、それどころか、少し離れた場所にある繁華街からも何の音も届いてこなかった。

 ハロウィンの夜なのだ。通常ならば浮かれた連中が奇声を上げて練り歩き、深夜までやっている馴染みのバーも盛況なはずなのに、人間どころか野良猫の気配すら綺麗さっぱり消え失せていた。まるで、俺達の周辺だけ周囲から切り取られ、隔離されたかのように。

 ――否、実際そうなのだろう。左耳に装着したインカムからは、砂嵐様の酷いノイズしか聞こえない。つい先ほどまで通信をしていた相手の声どころか、携帯端末のシグナル自体、完全に消失してしまっている。

「アレックス、アレックス――!」

 何度か呼び掛けてはみたが、やはり無駄だった。俺は仲間との通信を諦め、インカムを外した。

 悪態をつく俺の声に、懐で縮こまっていた少女がもぞりと動く。

 仄かに輝く柔らかな銀髪と、琥珀色をした一対の大きな瞳。高価なビスクドールのように整った顏。年の頃は十代半ばくらいだろうか。

 つい数時間前に俺の家に押し掛けてきたこの少女が何者なのか、俺はまだよく知らない。わかっているのは、こいつが厄介事を抱えていることと、その厄介事のせいで俺がこんな状況に追い込まれているということだけだ。

 本格的な冬を迎える直前のこの時期、町外れの寂れた住宅街は夜にもなれば肌寒いを通り越して凍えるほどの外気温にもなるというのに、この少女は薄っぺらなスモックの上にオーバーサイズの白衣を羽織っただけという状態で、俺の家のインターホンを連打していた。

 10月31日の夜。壁掛けのアナログ時計の針がぴったり20時を差した頃だった。

 どこからどうやって来たのか、パパやママはどうしたのか、俺に質問をさせる暇も与えず、扉を開けるなり飛び付いてきた少女は、

「あなたがレナードね? ミリアンが言ってた通りだわ、素敵な赤い髪ね! それからその緑の目もとっても綺麗! ねぇ、お願いがあるの。私を守ってくれないかしら? ミリアンは知ってるでしょ? あなたの昔のお友達! 彼女から、あなたなら絶対大丈夫って言われたの! あ、自己紹介がまだだったわね。私はリュシエル。皆はリュシーって呼んでくれてたわ。セーラムの研究所から、ここまで〝跳んでジャンプして〟きたのよ。すごいでしょ! それから、はい、これ! あなたに渡してって頼まれてたメッセージ!」

 以上の台詞を十秒フラットで捲し立て、昔の俺の恋人からというメッセージの入った小さなメディアカードを寄越してきたのだった。

 悪質な悪戯かと疑いもしたが、彼女が羽織る白衣にぶら下がった名札は、紛れもなく俺の元恋人であるミリアン・アンダーソンその人のものだという事実が俺の動きを止めてしまった。

 とにもかくにも状況がわからない。渡されたメッセージカードを再生しようとした、その時だった。

 玄関先の芝生が爆発した。

 眩い炎と共に周囲に充満する硫黄の臭いに、リュシエルが悲鳴をあげ、その細い腕により一層力を込めて俺にしがみつく。

「やだ! 〝あの子〟付いて来ちゃったわ!」

 〝あの子〟などと可愛い呼び方をされたそいつは、どう見ても可愛いとは真逆の方向にあるバケモノだった。

 ――そう、そいつはまさしくバケモノらしいバケモノだった。

 カボチャ頭の悪霊よろしく、目や鼻や口の辺りに開いた穴から燃え盛る炎を噴き上げるその体は、巨大で、闇を凝縮して固めたような色をしていた。

 月の無い夜に放たれる地獄の犬ヘルハウンド――そう表現するに相応しい姿が、爆炎と共に地面に開いた裂目からのっそりを身を乗り出す。

 脳内で鳴り響く最大級のアラートに、俺は素直に従った。

 そいつが全身をあらわす前に扉を閉め、しがみついたままの少女を引っがし、小脇に抱えて走り出す。いくら俺が〝便利屋〟で大抵の荒事には慣れているからって、そして元海兵隊だったからといっても、あんな得体のしれない相手のオペレーションなど経験したことはない。

 緊急事態に持ち出すべきものを詰め込んだツールボックスと、愛用の武器達を回収した時、この世に完全に顕現した地獄犬は鉄板で強化してある扉をぶち破って俺達を追ってきた。ご丁寧なことに、その身から噴き上げる炎をそこら中に撒き散らしながら。

 車庫まで撤退してSUVサバーバンの後部座席に荷物と少女を放り込んだ頃には、すでに家屋の大半が炎に包まれていた。

 地獄犬による被害は保険適用になるんだろうか、などと馬鹿なことを考えながら、とにもかくにも全力でアクセルを踏む。

 祝祭日の夜ということもあって、外では大勢の人達が出歩いていた。一匹くらい本物のバケモノが交じったところで誰も気に留めなさそうな晩だとはいえ、殺意以上のものを全身全霊で放ってくるそいつとのチェイスに巻き込むわけにはいかない。

 俺は突然の襲撃に半ばパニックに陥りながらも、ひとまず人気のない地域へと向かうことにした。そうして残り半分の思考をフル回転させて、現状把握と打開策を探ることに注力する。

 だというのに、元凶であるはずの少女はといえば、

「凄い! 車ってこんなに早く動くものなのね! 窓開けてもいい? こういうときの風って、どういう感じがするの? このボタンは何? そのレバーはどう動かすの?」

 自分が置かれている状況がまるでわかっていないかのように無邪気さを振りまくばかり。というか、車に乗ったことがないだと? そんな馬鹿な。やはり誰かの仕組んだ悪戯なのか?

 できればそうであって欲しいとは思うのだが、残念ながらミラーに映る地獄犬は相変わらず全力疾走で俺達という獲物を追いかけて来ていた。

 何台かの対向車がすれ違い様にパニックを起こし、派手にコースアウトするのが見えたが、構っている余裕はなかった。

 そうして小一時間ほど逃げ続けた末にとうとう追い付かれ、車を乗り捨てて駆け込んだ先がこのスラム街というわけだった。

 普段から治安レベルが微妙な具合なエリアなせいもあるが、どうも様子がおかしいと気付いたときにはすでに罠に嵌っていた。

 地獄犬は、最初から俺達をここへと追い込むのが目的だったのだろう。一歩踏み込んだ途端、肌で感じる空気の様子が一変した。頼みの綱だった仲間との通信も断絶し、完全に袋の鼠となったことを悟る。

 はたして俺は、夜が明けるまで持ちこたえられるだろうか。

 元同僚で今も仕事仲間としてつるんでいるアレックスと落ち合うまでは、なんとしても――

「ねぇ、レナード。私もうお腹ペコペコで動きたくないよ」

 マイペースが過ぎて緊張感が削がれる。

「アレックスと合流したらピザでもナチョスでも何でも好きなだけ食わせてもらえ。それまでは我慢しろ」

「やったー! 楽しみ!」

 両手を挙げてはしゃぐリュシエルに、眩暈がする。

 ミリアン、お前よくもこんなとんでもないお子さまのお守りを押し付けてくれたな。後で、家と愛車とその他諸々の慰謝料をまとめて請求してやるから覚悟しておけ。

 それはさておき、俺は深呼吸をして、もう一度状況を把握するために考える。

 昔見たホラー映画では、悪魔が出現しそうなシーンでは何故か照明が明滅したり電線がショートしたりしていたが、今まさにそんな現象が俺達の潜む路地の周辺で起こっていた。

 そいつの姿はまだ見えてはいないが、異変の起こっている箇所はゆっくり移動をして近づいていた。炎で焼かれた硫黄に似た刺激臭も、だんだんと強くなっている。ここを嗅ぎつけられるのも時間の問題だった。

 メインアームの短機関銃MP5の残弾数は残り僅か。サイドアームはグロックのみ。それと、ボディアーマーのポーチに入っているグレネードが二発。

 俺は羽織っていた特殊迷彩のケープを脱ぐと、リュシエルの頭から被せながら言った。

「いいか、この方向、1ブロック先で仲間が待っているはずだ。金髪で、眼鏡をかけた男だ。見ればすぐ分かる。もし分からなくても、向こうがお前を見つけてくれるはずだ。合流して、回収してもらえ」

 俺はリュシエルの目を見ながら、一言一言をゆっくりと、そしてはっきりと口にして言い聞かせた。正直なところ、子供一人を庇いながら戦うのは厳しすぎる。

 だが、リュシエルは返事をせず、俺のボディアーマーを握りしめて離そうとしなかった。

「心配すんな。すぐ追い付く」

 俺は小さな手を引き剥がし、MP5を取り上げて構え直す。

 9ミリパラベムの弾倉を幾つ空にしたところであの地獄犬には通じなかった。より威力のあるショットガンは乗り捨てたSUVの中。痛恨のミスもいいところだ。

 もっとも、持ち出せたところで大した時間稼ぎにもならなかったかもしれないが。

「レナード?」

 不安と焦りが漏れたのか、胸元からか細い声があがる。琥珀の瞳が俺の顔にじっと注がれている。

 少女とは言ったが、実際にそうなのかもよくわからない。

 顏の輪郭や華奢な手足と声、そして話しぶりからそう判断しただけで、凹凸がほとんどない肢体は外見から想定されるとは乖離している可能性もある。リュシエルが何者かについては、ミリアンが俺と寄越したメッセージを確認していないことには何もわからない。

 何にせよ、今はとにかくアレックスと合流するのが最重要目標だ。

「心配すんな。俺を誰だと思ってる。〝不死身〟のレナード様だぞ?」

 不敵に笑って見せて、特殊迷彩ポンチョの襟元のスイッチを押す。小さな起動音と共に布地が透けはじめ、周囲の壁や地面を反映させる。裏ルートで手に入れた特殊部隊用の制式装備だ。バケモノ相手に通用するかは解らないが、無いよりはマシだろう。

 携帯端末を持ち直して地図アプリを開く。画面は通信消失する前の場所を表示したままだった。アレックスがこの状況に痺れを切らして移動していなければ、合流地点で待機しているはずだ。

 俺は表示されたポイントを見せながら、端末をリュシエルに握らせた。

「立て。合図をしたら真っすぐ走れ。振り向くなよ? 行けるな?」

 俺はリュシエルの返事を待たずに背を向けると、MP5を構え直した。

 ずきり、と目の奥が痛む。

「レナード?」

 大丈夫だ。何とかなる。

 自分に言い聞かせながら顔を上げる。

 見据える先、建物の影へと伸びる電線が大きくたわみ、激しい火花を散らしながら千切れ飛んだ。

「――っ!」

 また、目の奥が痛んだ。それどころかぐるぐると渦を巻くような不快な感触が湧き上がり、頭蓋の内側を撫でてゆく。

 畜生、何だってんだ、こんな時に!

 激しい眩暈に脂汗が滲み出る。照準がブレて、狙いが定まらない。

 俺は奥歯を噛み締めて、体勢を立て直す。

 この程度の難局、海兵隊時代に何度もぶち当たってきた。死線を潜り抜けて、生き残って帰ってきた。だから今回もきっと、何とかなる。

 垂れ下がった電線から激しく飛び散る火花に照らされ、そいつが姿を現す。

 のっそりとした動きは熊のようで、それでいてその体躯は熊以上。やはり闇を集めて固めたような色をした体つきは猟犬のそれ。四肢の先からは黒い煙が沸き立ち、全身に纏わりつくように蠢いている。

 レーザーサイトの赤い光がその煙に吸い込まれたのと、奴の両目と口から吹き上がる炎の勢いが増すのは同時だった。

 まったく、質の悪い冗談だ。

「レナード!」

「走れ!」

 俺はリュシエルの声をかき消すように怒鳴って、引き金を


「レナード、起きて!」


 ……は?

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