第81話 この時代の私有財産と共有財産とそれ以外
さて、晩春から初夏にかけて撒いた豆の収穫や鳩の塔に住み着いた鳩を食べるのも問題なくできるようになり、エリコのオアシス付近に生えているナツメヤシの実の採取もはじまった。
俺がここに来てからヤギやヒツジ、ロバの乳から乳製品にしたり、ナツメヤシやブドウ、イチジクを干してドライフルーツを作って比較的に長期保存ができるようにしたりしたこともあって少量の確保は以前にまして楽になってると思う。
ここでこの時代の私有財産と共有財産、そしてそれ以外についておさらいしておこうかと思う。
まず私有財産は基本的に家そのものとその中にあるものだな。
自分たちで作った布や衣服、狩猟や漁労、農耕や調理等に使うための石器の付いた道具、水瓶やツボのような炻器やカゴなどと栽培・採取した食料や家畜などだ。
他人の家に勝手に入り込んでこういったものを盗んだり、勝手に食べたりするとエリコから道具などの所持は一切認められないで追放されることになる。
そうなるとまずは衛生的な飲料水が確保できないことで干からびて死ぬか、ヨルダン川の水を飲んで腹を下して脱水症状で動けなくなって死ぬかがほとんどだが、それをなんとかしても火を通したりしなくても安全に食べられる果実が手に入る秋以外はほとんど餓死することになる。
運良く他の集落まで生き延びてたどり着ければマレビトとして歓迎されることもあるが、そこでも同様なことをすればまた追放されるのが落ちだろう。
この時代では道具も何も持たずにエリコから追放されるということはほぼ死を意味したんだ。
また、鳩の塔やオアシスの周辺に生えているナツメヤシやオアシスの水、エリコの土地に生えている家畜が食べる草などは、住人の共有財産なので基本的にはいちいちに許可をとったりする必要はないが、無論必要以上に取ることは許されない。
現代で言えば公園の水飲み場の水を飲むのに許可はいらないが、家の水道を使わないために公園の水道水をポリタンクなどで大量に汲んで持ち帰るのは禁じられているのと同じだな。
あまりにもそういった行動が目に余る場合は他人の私有財産を盗んだ時同様にエリコから追放される。
また狩猟や漁猟、農耕や調理に使う石器などの道具で意図的に他人を傷つけたり殺した場合もエリコから追放される。
中国で、漢の高祖である劉邦が秦の軍を破って関中を平定した際、住民を集めて、秦の細かすぎる上に些細なことでも厳しい罰が与えられる法を改め、殺人は死罪、傷害と盗みはその罪の軽重に応じて処罰するようにしたが、そういったことは人間の集団がある程度大きくなってくると必要になってくるものなのだろう。
初期人類であると考えられているアウストラロピテクスいわゆる猿人には個人所有という概念はまったくなかったろうし、集団の数もボノボやチンパンジーと同程度の複数頭の異性が含まれる6人から16人の群れで行動することが多かったと思う。
更にその前に存在したサヘラントロプスもおそらく同じ可能性が高いが、サヘラントロプスが人類なのか類人猿なのかははっきりしない。
ヒトの系統がチンパンジーと分岐して以降の祖先の可能性がある属・種としては、サヘラントロプスに次ぎ2番目に古いオロリンはほぼ現代人類と同じような食性であったらしく、下手するとアウストラロピテクス・アファレンシスなどのアウストラロピテクスはヒトの祖先ではない傍流であるということにもなるらしい。
まあかつてはネアンデルタール人は人間の直接的祖先だと考えられていたが、今では違うとされていたり、哺乳類は両生類から爬虫類に進化した後に哺乳類になったと考えられていたのが現在では哺乳類は両生類から直接進化していて爬虫類とは別の系統進化をしていたとされていたりもするからな。
アウストラロピテクスは疎林や灌木の周辺の草原の環境に適応して、前期アウストラロピテクスこと華奢型猿人は食料は果実などの植物を中心に、昆虫も食べたりしていたようだが、後期アウストラロピテクスは植物も摂取していたが特に加工していない石の礫を使って小動物の狩猟をしたり、肉食獣の食べ残しを石で割って脳や骨髄を食べたりしていたようだ。
前期アウストラロピテクスから分岐したパラントロプスこと頑丈型猿人は植物の根やイネ科植物の葉を主に食べていたらしい。
オロリンはアウストラロピテクスよりも150万年も古いが、より食性など現代の人類に近く、アルディピテクスはラミダス猿人やカダバ猿人を含むが、ホモ属はオロリン属、アルディピテクス属、ケニアントロプス属から直接進化した可能性もありそうである。
ケニアントロプスは、湖畔や氾濫原の環境に生息しており、臼歯がかなり小さくなっていることなどから主に食べていたのは魚などである可能性が高いようで、ケニアントロプスはトゥルカナ湖畔で発見されており、いわゆる水棲人類の水中行動に適応した人類としての性質が出来た可能性もありそうだ。
何れにせよそういった初期人類からホモ・エレクトゥスいわゆる原人、更にはネアンデルタール人やデニソワ人などの旧人に至るまで一つの集団は20名程度でしかなかったらしい。
しかし、ホモサピエンスは狩猟民でも150人の集団を維持することができるようになった。
これは長期記憶容量と細かな言語の差異を感じられる認識能力差によるものらしいが、これより大きい集団になるためには明確な法や宗教などが必要になってくる。
エリコの場合はエリコの塔で夏至の時期をはっきりわかるようにし、村長がそれに基づいて、種まきや採取の準備をいつすればいいか、ヨルダン川の増水がいつ起こるかをおおよそ推測できるようにし、春と秋に祭りを行って集団の中で食料を再分配して親和性を高め、集団生活に適さない行動を起こすものをエリコから追放することなどで200人の集団での生活ができるようになったのだろう。
現状のエリコが一度滅んだあとで、再び人間が住み着いたときは3000人ほどの人口を抱えていた可能性もあり、街路などもきちんと整備されていたらしい。
とはいえ通常ではとても親しい5人程度の家族、それから親族などを含めた10人、さらに子供の友人や採取時などの共同作業における協力者などの35人程度までと普段から親しく行動できる人数はそこまで多くはないのだがな。
鳩の塔を立てる時に協力してくれたのが30人程度だったのもこういった理由もあるのだろう。
なおエリコの街の外にある畑については明確な個人的所有権のようなものはなく割と各自で勝手に耕して種まきや収穫をしたりしているが、明らかにそういったことをしていないものが他の物の栽培した作物を勝手に刈り取ったりしたことがわかった場合は家に侵入して盗み食いをしたとき同様に追放されることもある。
しかし、現状ではそこまで行くことはあんまりないようだが。
日本の縄文時代でも原始的な焼き畑で陸稲を含めた穀物栽培などはされていたが、やはり土地所有の意識は殆どなかった。
だが、弥生時代から明確な土地所有の意識が出てきたらしい。
西アジアでも土地の個人所有の概念ができたのは青銅器時代以降のようだ。
ちなみにエリコの外の森の果実や樹の実、ローズヒップなどは誰のものでもないので採取は自由だ。
もっとも森の中にはオオカミやジャッカル、あるいはライオンなどが出る場合もあるし、他の集落の人間と遭遇することもあるので個人で入るのは余り勧められていないけどな。
現状では産まれた時に体の一部、特に腕や足が欠損している身体障害を持つ者や目が見えない、耳が聞こえない、言葉を話せない、明らかな精神的な障害を持つと言った者も乳児のうちに首を折られて間引かれるし、成人儀式で男は狩猟を成功させ、女は衣服を完成させないと追放される場合もるので生きていくのは意外と厳しいとも言えるが貧富の差や詐欺行為というものはないのでまだ気楽ではあるかな。
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