コーディネートに誘われて。【前編】


「あ、もう先生でいいや」


「その決め方で決められて先生が喜ぶと思いますか、櫛川くしかわさん?」


 ベッド横のカーテンを、しゃ、っと開け、開口一番そう言ってきたのは、頭痛がすると言ってベッドを借りにきた女子生徒……、この様子だと、具合が良くなったと言うよりは、最初から仮病だったみたいね……。

 なんとなくそうだろうとは思っていたけど、先生である私は決めつけて追い返すことはできないわけだからね……それに、本当に頭痛だった場合は笑い話にもならない。


 仮病でも、調子が良いならこれ以上に嬉しいことはないわ。


「じゃあ――先生がいい、先生しかいませんっ、先生にこそお願いしたいんですっ!」


「丸分かりの演技ですね……それでも嬉しくなってしまうのは、きっと私がチョロいからなんでしょうね……」


「くすくす、簡単な女」


「言い方。頼めばなんでもしてくれるみたいなニュアンスで言うのはやめなさい、はしたないわよ」

「言ってないし、思ってないですけど……」


 中学三年生――、思春期なのは分かるけど、思っても口には出さないように。


「はぁ、まったく最近の若い子は……。どうしてそう知識だけあるのかしら……やっぱりネット環境のせい……? でも、閲覧の年齢制限が緩い『本』とかの方が……知識を仕入れやすいから……。意外と今の方が入手難易度は高いのかしらね……」


「おーい、先生ー。勝手に解釈して自分勝手に進展しないでくださいよー。わたしは先生のことを『頼めばやらせてくれる売女』とは思っていませんよー。あと、人の口には年齢制限の戸は立てられていませんからね」


「ちょっ、櫛川さん! 声が大きいです! 断片的に会話を拾われたら、私が社会的に死んでしまうじゃないですか!」


 教師が売女とか、信じる人は少ないだろうけど、それでも少数は面白がって曲解し、広めてしまうのだから。

 事実どうあれ、そういう噂が流れてしまうことが問題だ……、人は火のない所に煙は立たぬ、と思ってしまうわけで……。


「クビになったら……私はもう……」


「そうなったらわたしが拾ってあげる。先生、スタイルが良いからモデルにぴったりだし――って、そうだった、忘れてた。先生にモデルを頼みたいんだった――お願いしてもいいですか?」


「モデル? ……そう言えば、櫛川さんは漫画家さん志望でしたっけ? デッサンのモデルですか? それとも衣装を着て見せるだけでいいですか?」


「後者です。あ、すみません、校舎とごちゃ混ぜになってしまいますよね……、学校で言うセリフじゃなかったです。と、先生ならきっとそう考えますよね?」


「櫛川さんの中で私はどういうキャラなんですか……『考え過ぎ』なんですか……?」


「少なくとも、考えなしに動く先生じゃないですよね。うちの担任は、考えなしで、後先も考えず、予想もしません。思いつきで行動し、約束をしたりしますから……。それに比べたら、先生の考え過ぎな性格は助かります――多少はめんどうくさいですけど」


 彼女の担任は、私の同僚でもある……。よく話すしプライベートでも仲が良い……確かに、あの先生は『先生』と呼ぶのを躊躇うほどに、後先のことを考えない。


 今さえ楽しければいい、みたいな人だ。


 それが生徒の受けが良い、という側面もあるけど……。

 否定的な櫛川さんが少数派になってしまうくらいには。


「めんどうくさい、ですか……。あと、あなたの担任の先生は、あれは大人のクズですので、比べられても褒められている気はしませんね……」

「褒めてはいませんから」


 あ、やっぱりそうなの?


「程度の問題です、ちょうど良い人がいいんですよ」

「……お願いする気あります?」


「ありますよーっ。こーんな、かわいい生徒のお願いですよ、聞いてくれませんか? 先生にしか頼めないことなんですっ、だってわたしが漫画を描いているのを知っているの、先生だけなんですから!」


 偶然だけど、カバンから落ちた原稿を見てしまったのだ……、見て見ぬ振りはできないタイミングだったので、櫛川さんも話さざるを得なかった……あれは悪いことをした……。


「…………偶然でも、見つけてしまった責任は取らないといけない、ですか……分かりました。仕事があるので、放課後でもいいですか? モデルに、なればいいんですよね?」


「――はいっ、やった、先生ありがと!!」


「では、早く授業に戻りなさい。頭痛はもういいのでしょう? それだけ話せればもう大丈夫そうですね……、もしも仮病だったなら、二度目は通用しませんから。ベッドはあなた専用じゃないんですよ、櫛川さん」


「はぁい。ここは素直に戻っておかないと、約束を破られるかもしれないし……」

「そういうことは心の中で言いなさい」


 じゃーねー、と手を振って……櫛川さんが授業に戻っていった。

 もうあと五分ほどしかないけど……丸々サボるよりはマシかな……。


「懐かれている、ならいいけどね……、なめられているとなると、違うのよね……」



 〇



 約束の放課後がやってきた――やってきてしまった。


 嫌がっているように見えるかもしれないけど、生徒の力になれることの嬉しさもあるし、頼られて自信に繋がっているところもあるので、全部が全部、嫌ではないけど……――それでもやっぱり、嫌な部分が大半を占める。


 衣装を着せられた……派手な見た目で、かなり恥ずかしい格好だった……。


 スタイルが良いから、って褒めてくれたけど、関係ない衣装だったじゃない……っ。


「きゃーっっ、先生かわいい最高っ超絶っ、美人――っっ!!」


「……櫛川さん、こんな衣装だったとは聞いていないんですけど……」


「え? あれ、言ってませんでしたっけ? 多忙な先生のことですから、やることが山積みで頭がパンクし、聞いた説明がすっぽ抜けてしまった、なんてこともあり得ますけど」


「いいえ、聞いてません――絶対にっ! だって聞いていたら絶対に私は断っていましたから……、うぅ、いい大人がこんな衣装を着るなんて……」


「そろそろ三十路ですからねえ……」

「まだそこまでではないですから。四捨五入したら二十歳です!!」


「二十歳なら全然似合いますよー、先生のサイズに合わせて作ってますからね……オーダーメイドですよぉ? もっと喜んでくださいよー。それにしても……ふふ、さすがのスタイルの良さです、似合ってしまうんですねえ」


「なんで私のサイズで作ってるんですか!! ……似合ってる? 嘘でしょう!? だってこれ――完全にッ、アニメでよく見る『魔法少女』の格好じゃないですか!! 青色で私に合わせてくれていますけど……それでも推奨年齢層はもっと下でしょう!? 低年齢や小柄な子が着て似合う衣装であって、私みたいな――高身長で胸も大きな私が着て似合う衣装ではありませんよ! はっ、恥ずかしいのでもう脱いでいいですか!? 知り合いに見られたらこのまま死にたくなります……いえっ、このまま死ぬのは絶対に嫌ですけど!」


「先生、一人で一気にまくし立てないでください……返事ができません」

「あ、ごめんなさい……って、今っ、スマホで撮影しました!?」

「はい、ばっちりです! 作画資料、ありがとうございます!」


「あうあう……まあ、力になれたのであれば良かったですけど……もう充分、写真は撮ったでしょう? もういいですよね――」


「あ、待ってください、スケッチもするので……こっちの指示通りのポーズを取ってくださいね」


「なっ……! まだまだかかるじゃないですかあああっっ!!」




 美術室――、私は櫛川さんの指示通りのポーズを取りながら、じっと時間が経つのを待っている……、かりかり、というペンの音だけが聞こえきていた。

 順調なのかな、と見ても、スケッチブックの内側までは見えない……。


 たまに、校庭から甲高い野球特有の音が聞こえてくる――そこではっとする。気を抜いたらぼーっとしてしまうくらいには、体勢や環境に慣れてしまったのだろう……。


 魔法少女の格好なのに。


 慣れ、怖い。




 …続

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