飛田(とびた)アナは飛び立った!
「――続いては台風情報になります。現場に中継が繋がっている模様ですね――現場の
朝のニュース番組だった。
男性アナウンサーが呼びかけると、画面が切り替わる――、台風による豪雨の中、マイク片手に、安物の傘をもう片手に握り締める女性アナウンサーが、激しく当たる雨粒に顔をしかめながらも、映せる表情に調整しながらカメラの前に立っている。
「――はい、こちらは東京湾周辺なのですが、既に台風は上陸しておりまして――、猛烈な風が、先ほどから我々の傘を壊しています。傘を開いた瞬間にビニールは破け、金具が剥き出しにってしまいまして……。通行人の傘が飛び、あちこちに散乱している状況です。我々は、おっとと――、レインコートで対応していますが、こちらも袖から突風が入り込み、女性の場合はバランスを崩して転倒してしまう恐れがありますので、みなさまどうぞお気をつけくださ、」
言葉が途切れた。
同時、飛田アナの姿が、カメラに映らなくなり――
一瞬、カメラが乱れたかと思えば、飛田アナがそこにいたという痕跡が一切なくなっていた。周囲をカメラが追うも――、彼女の姿はない。
見えるのは強くなり続けている雨足と荒れる海である。
「……飛田アナ!? カメラマンさん、飛田アナはどこに――」
「…………」
カメラマンは答えない。スタジオにいる男性アナが取り乱すようなことだ、現場にいるカメラマンが冷静でいられるとは思えない。
「飛田アナっ、飛田アナ!?」
「…………ふう。現場からは、以上になります」
呆然としたカメラマンを正気に戻したのは、激しくなる雨だった。
空間を裂いたような雷の音で、カメラマンは『はっ』として、なんとか声を絞り出した。
番組を成立させるために――
カメラの手前から、最低限の進行だけを残し、画面が切り替わった。
画面はスタジオに切り替わる。
言葉を失っていた男性アナだったが、スタジオには多くの人がいる。視界に映る、身内の事故を他人事だと思っている別の誰かが身振り手振りで指示を出せば、止まった時間も動き出す。
「と、飛田アナがフレームの外へ出てしまったようで……、映像の乱れがありました、申し訳ございません」
男性アナの冷静な言葉に、隣の女性アナウンサーも応えた。
「飛田アナ、無事だと良いのですが……」
「まさか、飛田アナが、とび、……いえ、続報がありましたらお伝えします」
現場ではなく、スタジオでもなければ……、責任を問われるもっと上の部署では、消息不明となってしまった飛田アナを巡って、忙しく人が動き、てんやわんやだった。
「――おい、早く飛田を探せぇ!! 全国ネットで映ってるんだぞ!? このまま行方不明、もしくは死亡したら……、あの場所に連れ出した番組、さらに局の責任問題だ! 飛田がとびた――、持っていかれた方角は分かってるんだよな!?」
立場の偉い恰幅の良い男性が、怒鳴るようにスマホに話しかける。
彼自身の保身もあるが、部下の命の心配だってもちろんしている。
『一応は……。ただ、風に乗っても直線に飛ばされますか……?』
「他にも捜索隊を出す。いいからお前は可能性の一つを調べろ。見落としは許さねえ。なんとしてでも飛田を連れ戻せ――いいな!?」
目の前で同僚の姿を見失ったカメラマンは、上司からの命令に、しかし途方に暮れていた……探せ、と簡単に言うが、手段がない。しかも台風直撃の状況である。
「飛田を探せって言ってもなあ……この台風じゃ、船も出せない、ヘリも飛ばせないし……、歩くにせよ水の上は無理だ……。俺が丈夫な傘を渡さなければ……。ビニール傘なら壊れていた。なまじ頑丈な傘だからこそ、風を全て受け止めて、飛田を持っていった――」
壊れることで勢いを逃がしていたのだ……、その逃げ道がなくなれば、当然、一瞬で衝突する膨大なエネルギーは、女性の体を簡単に持っていく。
飛田だから、ではないだろう……仮に男性だったとしても、自然の力には逆らえない。
「せんぱ――うわぷ!? 雨粒だけじゃなくて新聞紙やポスターまで飛んできてますね!」
「傘は捨てろ。お前まで吹き飛ばされたら最悪だ。ミイラ取りがミイラになるのだけは避けないとな……、それが連鎖したら、鼠算式に人が台風に飲まれていくことになる」
飛田よりもさらに細身で小さな後輩が、丸腰でやってきた。
危機感がないのか……、と怒るどころか呆れてしまうが……、彼女もアシスタントとして現場にいたのだ。その目で見ていたのなら、新たな手がかりが出てくるかもしれない……。
「傘がなくても、飛田さんが言っていたみたいに、レインコートの隙間から入ってくる風で引き倒されそうですし、斜めに打ち上げられるように風が入ってくれば持っていかれそうですけど……。落下防止のフックみたいに、吹き飛ばされ防止用のフックを手すりにつけておいた方がいいんじゃないですか?」
「……前向きに検討する」
後輩に聞いてみれば、飛田が持っていかれた方角は、カメラマンと見ていたものが同じだったようだ。
新しい情報は増えなかったが、同じ情報を見たということは、信憑性が上がるという意味でもある。無駄ではない。
「飛田アナの捜索はどうします?? 事故の瞬間の映像はあるんですよね? 映像から解析して、飛ばされた後の経路を導き出すことはできないんですか?」
「合ってるかどうか分からない推察ならできるだろうけどな……それでも、しないよりはマシか」
「それにしても、まさか飛田さんがとび、」
「言うな」
男性の大きな手が、後輩アナウンサーの口を塞いだ。
不謹慎だ、というわけではないようだが……?
「うっ……、く、苦し……っ、ふう。……せんぱい?」
「――くだらないことを言ってないで、飛田を捜索するぞ――人を集めてこい、台風だが、お前ら、帰れると思うなよ?」
溢れた仕事を処理するために――ではなく。
この荒れた天気の中を帰るのは危険だ……、だったら局で、台風が通り過ぎるまで待っていた方が安心安全である。
――上空。
台風に乗った彼女は、
「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!?」
(ここどこ!? 台風の中!? ぐるぐるにかき回されて……ッッ、どっちが上で下かなんて分からない――まずい、このまま、空の上で溺れるなんてこと……っっ!!)
(――助けてっ、おかあさんっっ!!)
………………飛田が目を開けると、顔をしかめるほどの眩しい光が迎えてくれた。
「――あんたぁ、実家に帰ってくるなりうちの田んぼで大の字になって、どうしたの?」
「お、おかあ、さん……?」
覗き込んでくる顔は、よく知っている顔だった……見間違うはずもない母親である。
「そうだけどぉ……、まさかあんた、台風の中、帰ってきたのかい? いやでも、電車は止まってるし、あの台風の中、歩いてきたとか言わんよねえ?」
「……飛ばされてきた、のかなあ……?」
冗談だと思ったのか、母親の反応は薄かった。
久しぶりに娘と会えた嬉しさの方が大きいのだろう……疑問などすぐに霧散した。
「あらそうかい。大変だったねえ……ほれ、早く起きなさい。泥だらけで……でも怪我はしていないようだねえ、良かったねえ。ほら、風呂に入り。ご飯も食べていくよね? 台風も通り過ぎたし、晴れ間も見えてきた。帰省日和だあねえ」
「……帰省したつもりはないんだけどね……、でも」
母親に手を引かれ、起き上がる娘は――、久しぶりに甘えた。
命があることを、幸せだと感じた。
「――ただいま、おかあさん」
「ああ、おかえり」
「――おいッ、飛田はまだ見つからないのか!?」
「捜索範囲を広げていますが、手がかりの一つもなくて……。あったかもしれない手がかりも、台風で削れてしまった可能性も……」
台風は過ぎ去ったが、行方不明の飛田アナは依然、見つかっていなかった。
当然、休みなく働いていた局の人間は、疲労と心労でピリピリしている……、ちょっとの物音で腹が立つほどには、余裕がないと言えた。
「まずいぞ、このままじゃ番組の存続が……、局のイメージも悪くなる!!」
「…………、飛田アナの心配をしましょうよ……」
「している! その上でだ! 彼女の帰るべき場所であるこの第二の我が家が居づらい場所になっているのは、彼女にとっても苦しいだろう!?」
「物は言いようですね」
保身と仲間の心配……、割合的には大部分が保身になっているだろう。
捜索を開始してから二十四時間以上……、飛田の生還は絶望的だ。
世間も、飛田アナの事故に興味津々である。
SNSによる情報提供もあったが、その全てが空振りだった……。
飛田アナは、どこにもいない。
「あ、お疲れさまです……じゃなくて、おはようございます、ですかね? ……ひとまず、ご迷惑をおかけしました。――飛田アナ、ただいま戻りましたっ」
控えめに敬礼して、ひょい、と顔を見せたのは…………、捜索中の飛田アナだった。
「……幻覚だな。不眠不休で働いたせいで、台風に吹き飛ばされたはずの飛田がシャワー上がりみたいな清潔感と匂いを漂わせて目の前に現れてきやがった。自室さながらじゃねえか。見たこともねえ幻覚を見るとは、俺も末期か……」
「いえ、彼女、本物ですよ」
「本物? ……飛田か?」
「はいっ。飛田アナ、台風に飛ばされた後、偶然にも実家に辿り着きまして。充分に身を清めてから戻りました! 怪我はしていません、睡眠も充分に取り、万全な状態です! 今ならどこへでも突撃取材にいけますよ!!」
彼女の頭を撫でる。頬をつまんで左右に引っ張って――「そこは自分の頬を引っ張ってください!」と手をはたかれたことで、彼女の生還が現実だと確かめることができた。
「それはまたの機会でいいが…………お前、とび、……台風に持っていかれたんだぞ? ほんとに大丈夫、なのか……? 病院で検査くらいは受けた方がいいと思うが……」
「大丈夫だと思いますけどね……――あ、他のみなさんも、おはようございます!」
「――飛田!?」
「飛田さんっ、戻っていたんですか!?」
捜索から戻ったカメラマンと後輩が、飛田の姿を見つけて膝を落とす。
気を抜いたからか、カメラマンは大事なカメラを落として、それに気づいていなかった。
「はいっ、飛田アナ、無事に帰還しましたっ」
彼女のいつも通りの敬礼に、すぐに立ち上がった後輩が、飛田の胸に飛び込んだ。
「よ、良かったっ、だってっ、飛田さん、台風に乗っていって――心配したんですからぁ!」
「ごめんねえ。ふふ、飛田アナが、飛び立っちゃったんだねえ……」
『………………』
――言いやがった。
いいや、言ってくれやがった――と、全員の心の声が響いた気がした。
「……えっ、なになに!? 今の冗談が受けるとは思っていないけど、この称賛されるような――拍手喝采はなんなのぉ!?」
『全員が思わず言ってしまいそうになるけど、必死にがまんしていたことをずばっと本人が言ってくれると気持ちいいものだ――』
飛田の帰還の噂を聞き、駆け付けた大勢の人間が彼女の冗談を聞いて、胸がすっとしたようだ……、誰も言えなかったのだ。言ってはいけないのだと、暗黙の了解があって――
その冗談を言えるのは、世界に一人しかいない……。
「だってその冗談、飛田さんにしか言えないことだから……。みんな、飛田さんが言ってくれるのを、待っていたところもあります――はぁ、良かったぁ。スッキリしました」
飛田が無事に戻ってきた時よりも、不安が取り除かれたような空気である。
唯一、共感できない飛田だけは、生還よりも興味を集めていることに不満だった。
飛田アナが飛び立った――……好きに言えばいいのに。
「いや、勝手に言ってくださいよ……、これ、私の特許じゃないですからね?」
…了
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