シンデルレラ


「彼女の名前はシンデ=レラ、実は毒リンゴを食べさせられて死んでしまった、世界一美しい美少女じゃ」


「シンデレラ? 他国の王子様がご執心している女性に、そういう名前の人がいた気もするけど……、ガラスの靴だったかな……? それを持ちながら町中の女性の足のサイズにぴったりはまるかどうか探してるっていう……」


「誰じゃそれ。そんな女子おなごは知らんな。儂の家族はシンデレラではなく、シンデ=レラじゃ」


「同名の別人か……。さっき、毒リンゴと言いましたよね? もしかしてこの森の……? 私、道中で食べてしまったのですけど、もしかして毒入り……?」


「この森のリンゴに毒なんぞないわ! 彼女が食べた毒リンゴは行商人が渡したもので――儂らがいない隙を狙ってレラ嬢に毒リンゴを渡したんじゃ……、それを食べたレラ嬢は、意識不明の重体だったんじゃが……、今は心肺停止。つい先日、死亡が確認されたよ……」


「え、死ん、」

「まだ確定ではないぞ?」


 棺の中で眠っているのは、綺麗な金色の髪を持つ、十代の少女だ。

 その棺の周りを囲んでいるのは、髭を生やした、老いた小人たちである。

 


 森に迷い込んでしまった王子は、道中で足を怪我した小人を見つけた。その小人は、「助けてほしい娘がいる」と言い、王子を連れて森の奥まで案内した。


 やがて見えてきたのは、小さくまとまっている、狭い家だった……、元々、小人が住める程度の部屋である。少々手狭には感じるが、人間が暮らせない広さではなかった。

 少女と小人は、この家で暮らしているらしい。


 王子の膝までの高さしかない小人は、彼の裾を引っ張り、棺の前へ誘導する。


「文献によれば、過去、王子様のキスにより、蘇生したというデータがある。ある一族は、唾液に蘇生の効果を持っているらしいんじゃ……、貴様の遠い先祖かもしれんな。王族にその能力が受け継がれる可能性が高いらしいとも言われておる。……血縁があれば、貴様にも受け継がれている可能性があるってことじゃ……――貴様はさっき、レラ嬢を見て、なんと美しい女性だ、と感激していたな?」


「ええ。綺麗な寝顔かと思えば、まさか既に死亡していたなんて……。だとしても、死に顔も綺麗な方です。――もしかして私に、彼女にキスをして蘇生させろ、と言うつもりですか? 遠い親戚が、もしかしたら血統を受け継いでいるかもしれませんが……、時代が経てば薄まるものです。私の唾液で彼女が蘇生するかどうかは分かりませんよ?」


「失敗しても構わんよ。このままなにもせずにレラ嬢の死亡を受け入れるわけにはいかない。儂のキスでは意味がないんじゃよ、レラ嬢に傷をつけるだけじゃ――」


「そんなことは、」

「ない、と言えるかね? 彼女の経歴に泥を塗るわけにはいかんよ」


「…………」

「小汚いジジイよりも、若くて格好良い王子様のキスの方が良いに決まっているだろう」


「そう思われているのは、ありがたい話ですが……」


「そう思うのなら、なぜ渋る。過程を重要視するのか? 恋人でもなく、彼女の許可もないまま唇を奪うことは嫌だと? ……賞賛するべき紳士の振る舞いだが、このままだと彼女を見殺しにする理由になってしまうぞ? 助けられたかもしれない美少女を殺すのは、貴様がキスをしなかったせいだ――それを抱えて苦しむのは、貴様ではないのかね?」


「ええ、分かっていますよ……ですが、やはり抵抗が……」


「ええいっ、面倒な男だ。集まれ兄弟っ、コイツの手足を捕まえろ――残った三人がかりで、頭を突き出させて、レラ嬢にキスをさせるんだ!!」


「うわっ、足下に集まっ――やめっ、やめてくださいっ! このままだと本当にキスをしてしまいますよ!?」


「だからっ、キスをしろと言っているだろう!? 貴様のキスが蘇生のための治療になるんだ、どうして躊躇うッ。救護活動はキスとしてカウントはせんよっ、彼女も分かってくれる……蘇生した後で、――この変態ッ、だなんて最悪なレッテルを貼られることはない……。儂らが総出で誤解を解くことを約束する――だから頼むよ、レラ嬢を助けてくれ!!」


「しかし……彼女はその、やはり、死んでいるのだろう……?」


「当たり前だッ、だから蘇生をしてくれと頼んで――」



「死体にキスをするのって、きつくないか……?」



 ――空気が凍った。

 小人たちの手が止まる。王子は、今の内に抜け出すこともできたが、急激に冷えた空気に、彼も戸惑ってしまったようだ。


 おかしなことは言っていないはず……、との認識なので、原因が分からない。


 死体にキスができるのか? と言われれば、大半が「無理」と答えるだろうけど……。


 虫が飛び回る腐臭のきつい死体であれば当然。だからと言って、目の前の彼女のように、見た目も綺麗に、清潔に整えられたから、と言っても、キスができるわけではない。いくら美少女でも――死体は死体だ。


「は、あ…………、なんだと?」


「いや、単純に考えてくれ。死亡後、数秒なら、まだ私もいけるが、死後一日も経っていれば、体温もなく冷たくなって……完全な死体だ。綺麗に整えられてはいるものの、しかしこれは死体だ。どうしたってそれは誤魔化せない。……さすがに好みの女性とは言えだ、私は死体愛好家ネクロフィリアではない――これは躊躇ではなく、嫌悪の問題だ」


「レラ嬢は死んでも綺麗じゃっ、死体でも清潔に保っている! 儂らを信用しろ!」


「いや、死体という時点でダメなんだよ……、どう説明されたところで誤魔化せない。最初から死体ではなく、眠っているだけと言ってくれれば、知らない私はキスをしたかもしれないが……しかしもう遅い……死体にキスはできないよ」


「死体ではない!」

「なら、私がキスをする必要はないのではないか?」


「ッ、わがままばかり……っ、貴様は黙ってキスをすればいいだけなんじゃッ!」


「待て。……キスである必要があるのか? 王族の先祖の誰かに、『キスをして蘇生させる』能力が宿っていて……、その能力を継いでいるかもしれない私がこうして選ばれたわけだろう……? なら、唾液さえあればいいわけだ。彼女の口を開けて、そこに唾液だけを流し込めば――」


「それは、そうだが……絵面が気持ち悪いだろう……」

「言っている場合ではないのではないか?」


 小人たちはお互い、顔を見合わせる。死体にキスをしろ、と無茶を言っている自覚があるようで、キスでなくとも目的が達成させられるなら、と妥協したらしい――。

 目的を忘れるな。キスをさせることではなく、蘇生させることなのだから。


 小人の小さな指が、少女の唇の隙間を広げる。


「……ほら、望み通りに口を開けてやったぞ、貴様の唾液を落とせ」

「自分で言っておいてなんだが、これはさすがに蘇生後に訴えられるのではないか……?」

「儂らも庇えるか分からんぞ」

「じゃあやるわけないだろう……っ」

「冗談じゃ! いいから早くやれい! 気が変わる前に唾液を落とせ早く!!」


 少女と目線を合わせるように、王子が少女を見下ろす。

 口内に溜めた唾液を、ゆっくりと、小さな隙間に垂らして――落とす。


 引いた糸はすぐに切れ、彼女との繋がりも一瞬だった。


 唾液は彼女の舌を滑り、喉の奥へ。

 王子に先祖の能力が受け継がれていれば、やがて少女は目覚めるだろう――。



「ん……」

「おおっ、レラ嬢……目覚めたか!」


「爺、や……?」


 ゆっくりと目を開けた少女――シンデ=レラ嬢。

 体温が戻り、顔の赤みも見えてくる。さっきまでは、美し過ぎて死体ではないのでは? なんて疑ってもいたが、こうして生きている姿を見ると、さっきまでの彼女はやっぱり死体だったのだとはっきり分かる。


 体を起こした彼女は、意識を失う前と今が繋がらないことに戸惑っているようで、何度も目を瞬かせる。


「え、なに、どういうこと……?」


「初めまして、シンデ=レラ嬢……、目が覚めたのなら、これ以上に嬉しいことはありません。あ、口元に涎が垂れていますよ……」


「あ……っ、すみませんっ、わたしったら、はしたない――」


 頬を赤くする彼女の手が、すぐに唇へ向かったが、


「レラ嬢、じっとしてください。私のハンカチで拭いて……はい、綺麗になりましたよ」


「…………あ、ありがとうございます……」


 さらに顔を真っ赤にさせたシンデ=レラ嬢。

 目をぐるぐると回して今にも後ろへ倒れそうだ。……棺の角に頭をぶつけて、今度こそ蘇生不可能な外傷にならないことを祈るばかりだった。


「気分はどうですか? どこか苦しいなど、異変があったりはしませんか?」

「はい、あります……」


 王子の顔色が変わった。

 蘇生をした責任がある。蘇生して、はい終わりではない。体に異変があるなら、最後まで面倒を見なければ、男ではない。


「……それは、どこでしょう?」

「胸が苦しいです……、あなたのことを、一目見た時から――」


 棺のふちに手をかけ、ぐっと身を乗り出してきた少女。

 シンデ=レラ嬢と王子の距離がぐっと縮まる。


「あなたが、キスをして、わたしを起こしてくれたのですね……」

「……ええ、まあ」

「唇に、温もりが残っています……」

「…………」


「あなたとのキスは、夢で見たかもしれません。――ふふ、とても良い目覚めでした」


「はは……(キスではなく唾液を落としただけです、とは言えない……。彼女とは違う意味で、私はとても、心苦しい……っっ)」


「王子様」

「は、はいっ、……なんでしょう?」


「お時間はありますか? 良ければわたしの家まで。……拙い手料理ですが、あなたのために振る舞わせてください」


「それは……もちろん。ですが、よろしいのですか?」


 遠慮しようとした王子の視線の先には、睨みつける小人たちがいて――

 厚意(好意)を無下にするな、と言外に言われている。


「いえ。では、お言葉に甘えて」


「ふふ、自慢のアップルパイをご馳走してあげますよ」


「…………」


 毒リンゴを食べて死んだ、という事実を知らない彼女は、自覚なく言った自慢の手料理なのだろうけど……、死因を知っている側からすれば、笑えないジョークだった。


 ……それに。


 問題の毒リンゴは、彼女の食材の棚から、きちんと取り除かれているのか……?




 …了

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