縛られティーチャー

「ちょっと鎌田かまた先生ッ! き、亀甲縛りだなんて、口に出さないでくださいっ、いやらしい!! ここ職員室ですよ!? 生徒も出入りするんですから、そういう言葉は慎んでください!」

「いえ、違いますよ坂井さかい先生……あなたが想像しているのは『亀甲』でしょう? 亀の方ではなく、私たちが企んでいるのは『拮抗』の方です。勝負がつかない、という意味です」


 職員室には数人の先生がいた。

 女性教師の慌てた声に頭を上げた先生がいたが、揉め事ではなく勘違いだったことが分かり、緊急性は低いと判断し、自分の作業に戻っていく。


 勘違いした当人の坂井先生は、自身の勘違いの中身に顔を赤くする。勘違いしやすい言葉とは言え、職員室でそんな言葉が出るわけがないと思えば、自分の耳を疑えたはずだが……、そこまで頭が回らなかったようだ。

 反射的に指摘してしまっていた。


「え……。ああ、その拮抗……じゃあ……――えっと、拮抗縛りですか? ……なんですかそれ、同じ音だから誤魔化せるだろうと、わたしのことをバカにしていますか? 咄嗟に出た言い訳だとしたら、ついつい、騙されてしまいそうになりましたけど……」


「咄嗟に出たとも言い切れませんが……咄嗟でなければ事前に予定していたわけでもないです。拮抗縛りが正解ですよ。私たちは『拮抗縛り』の話をしていました」


「……なんですかそれ」


 あながち、勘違いではないのでは? と、坂井は目を細めて鎌田先生を見る。


「勝敗をつけるな、という指示ですよ。そういう戦い方をしなさい、と生徒に教育しているんです。……ほら、私は野球部の顧問でしょう?」

「はい」

「知らなかった、みたいな顔ですね。……分かりますからね、そういう一瞬の表情というのは……。こほん、ともかく。今、一軍と二軍、三軍と四軍が練習試合をしているんです」


 窓の外を見れば、晴天の真下で、野球の試合をしている生徒たちがいた。

 数が多い……、だからチームを分けているのだろう。


「四軍までいるんですね」

「正式ではないですが、五軍も六軍もいますよ。在籍しているだけで練習に参加していない生徒ばかりですが……、で、拮抗縛りというのは、他校の偵察への、カモフラージュです」


「カモフラージュ……、一軍の情報を抜き取られないために?」


「はい。生徒には一軍対四軍だろうと、大差をつけるなと言ってあります。手を抜け、と言っているのではなく、四軍の練習のために、狙ったプレーをさせろ、という意識ですか。まあ、強過ぎる一軍への課題ですね。力でごり押しするのではなく、変則的に、タイミングをずらすようなプレーも織り交ぜていけ、という狙いがあります。同時に、偵察してきた他校の生徒が、どれが一軍なのか、判別できないようにする意図もありますけど……」


「でも、見ている側はすぐに分かるのではないですか? 一軍と四軍が戦えば、やっぱり動きの一つ一つが、一軍の方が洗練されていますし……、すぐにばれてしまうと思いますけど……」


「かもしれませんね。それでも、拮抗縛りを意識しているので、一軍の選手も本調子ではないでしょう。そこを見られたところであまり影響はないと思いますよ。情報を抜かれたところで、崩れる選手たちではないでしょうけど、簡単に情報を渡すのは癪ですから……。最低限の抵抗、と言ったところですかね」


「はぁ……」


「興味があるなら練習を覗いていきますか? 坂井先生のような美人が顔を出せば、選手たちもモチベーションが上がるでしょう。そのままマネージャーをしてもらっても構いませんが――」


「あははっ、お断りです」


 青春は外側から見ているに限る。

 当事者でなくとも、周囲にいたいとは思わない。

 こうして窓から無関係を主張して覗いているのがちょうどいいのだ。


「……そうですか。顧問ほど忙しくはないと思いますけど……、どころか、立っているだけで充分、仕事になりますよ? 生徒との触れ合いの機会を増やすのも悪くはないと思いますが」

「あのですね、鎌田先生……」


 坂井は窓を開け、入り込んでくる熱気に「うっ」と顔をしかめた。

 一瞬だったのに、じんわりと首に汗が出てくる。


「外、何度だと思っているんですか? 酷暑ですよ……、立っているのも嫌です。冷房が効いたこの部屋から出たいわけないじゃないですか」

「…………」

「こんな暑い日に野球だなんて…………言葉を選ばなければ、あいつら頭がおかしいんじゃないですか?」

「言葉を選んでください」


 本音がぽろっと漏れてしまった……、熱さのせいである。


「しまった……ついつい口が……、これはあれですね、夏バテですねっ」

「冷房が効いた部屋にいるじゃないですか。設定温度が低過ぎて、こっちは寒いくらいですよ、まったく……」

「鎌田先生も、寒そうですもんね」

「おい、視線を上に向けたな? 分かっているからな?」


 肌色が多い頭を見た坂井が、すぐにさっと視線を逸らす。

 普通、そこは黒いはずなのに(もしくは茶色)、肌色だと無意識に目がいってしまうのだ……。

 意識すれば見ないこともできるけれど、無意識になるとすぐに向いてしまう。

 ……仕方のないことである。


「上着を被せるつもりはないんですか?」


「カツラを上着と言うな……、そんな悪足掻きはしませんよ。今の私がカツラを被れば、一発でそうだと分かるでしょう。仮に被ってくれば、いじってくれますか? 生徒はいじってきますが、先生方は触らぬ神に祟りなし、と言った具合に、触れてくれないでしょうし……、正直、そっちの方がつらいんですよ。だったら被らない方がいいだろう、という判断です」


「確かに、わたしたちはいじりませんね。いじって笑いにする自信もありませんし……」

「なので被りませんよ。もうこのままハゲでいいです」

「お気の毒です……」

「私は納得している髪型なんですけど……」


 両手を合わせて一礼する。

 ご利益なんてなさそうだけど。



「――さて、私は野球部に顔を出してきます。……本当にきませんか?」

「はい、絶対にいきません」

「頑なですね……、なら冬は……それはそれで、寒いから、と言うのでしょう……?」

「分かってるじゃないですかぁ」


 少々、甘えた声が漏れ出てしまっている。肩の力が抜けたせいかもしれない……、普段は他にも先生がいて、なかなか喋れない相手と多く喋ることで、打ち解けたのかもしれなかった。

 それでも先輩だし、年上だし、上司なのだが……、一度崩れた口調はすぐには戻らない。


「はぁ。……顧問をしないのは勝手ですが、後々、厄介な部活動が発足した時、あなたに白羽の矢が立つことをお忘れなく。問題行動ばかりを起こすおかしな部活の面倒を見るくらいなら、みなが知る一般的な部活の顧問で、自身のスケジュールの穴を埋めておくのも一つの逃げの手ですよ――先生」


「はぁーい」

「聞いているのか、いないのか……まあ、痛い目を見るのはあなたですから……」


 熱中症予防のため、帽子を被った鎌田先生。


「では、坂井先生、資料作りも程々に。冷房に当たり過ぎて風邪を引かないようにしてくださいね」

「はいはーい。…………お母さんみたいなことを言いますね……」


 退出した鎌田先生を見送り、坂井は作業を再開させる。


 気づけば、数人はいた他の先生もいなくなっている……現時刻はお昼過ぎだった。



「……ふう、資料作りも一段落したし、お昼休憩にでも――」


 と、立ち上がった瞬間だった。

 控えめに扉がノックされ、入室したのは生徒である……、夏休み中なので学校にいる生徒は少ないが、0ではない。部活で登校している生徒はいるのだ。


 職員室に先生が少ないのも、顧問の仕事があるから――だ。

 ……通常業務もあるはずだけど……、顧問の仕事が優先されることも少なくない。


「あっ、坂井先生がいる!!」


 偶然、職員室には坂井一人。誰でもいいから声をかけた、のではなく、最初から坂井を探してやってきた生徒のようだ。


 授業の質問だろうか。それとも宿題について? 顧問をやっていない坂井へ、生徒が訪ねてくる時は、勉強についてである。

 教えるだけなら、冷房が効いた部屋で済ませることができるので楽だ。


「はい? あら、どうしました? わたしになにか用でも?」

「はいっ、実は先生にお願いがありまして……」


 お願い?

 質問ではなくて?



「――新しく部活を作りたいんですけど、顧問になってくれませんか!?」



 ――現在、顧問を引き受けていないのは、坂井先生、一人だけである。




 …了

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