日常生活
藤宮史(ふじみや ふひと)
第1話
人生の
男が、駅前にひとり立っている。駅前は、東京の
駅前は、夕刻の
男は、男と
話が
ショーウインドのなかには、漫画家 永島慎二氏の単色木版画が額にいれて懸けてある。木版画は全部で十二、三点あるのか、壁にびっしり詰めて懸けてある。またウインド内の幅のせまい床には永島慎二氏の漫画本が五六冊置いてある。
永島慎二氏は、六十年代、七十年代始めに特に活躍注目された人生派漫画家で、瘋癲(フーテン)、ヒッピーなどと精神的な
T氏の豆本、そして、氏の令弟氏の漫画単行本一、二巻も展示してある。それらはすべて
私が、先程から熱心に見ているショーウインドは、(株)JR東日本都市開発の所有で、私が借りているものであった。これはひと月の賃貸料が三万円で、三ヶ月まとめてお金を支払う形式になっているので計九万円、三ヶ月ごと
今の黒猫堂は、前とはちがう。違わなければいけない。前のように採算もとれず暮らしも立たなければ何のための事業であるのか、と思う。思わなければいけない。これまで無店舗営業で何だか仕事をしているんだか、いないんだか判らず、世間体もわるく、実績も上がらずに小売店まかせで、これからは少しでも世の中に出て、結果をださなければいけないだろう。
では
ショーウインドは、ショーウインドだけで他に店舗の部分がつながっていたり、離れたところに店舗があると
ウインドの大きさは畳二枚分ぐらいの
ショーウインドの前に立っている私はゆきかう人々の通行の邪魔にならぬよう身をかわしながら立ちつづけている。
私がいるそこは通路になっていて、駅前の、駅ビルと云うのか、それは一階部と二階部に分かれ、そのなかにさまざまな業種の店舗が幾十店舗も入って、建物の最上階にあたる三階部分が駅のホームになっている。駅ビルは、ビルと
ショーウインドはビル一階部分の駅改札口の南側通路脇に
ショーウインドは大きいひとつの広告枠で、枠の上部に「ダイヤ街」と
ショーウインドの
チラシには、漫画家T氏の貸本時代の単行本二冊が豆本仕立の復刻刊でT氏の直筆サインと
私は、この豆本を中野の漫画古書店で一冊買い求め、これは偶然、この古書店のガラス棚で見かけたのであったが、N氏のことはそれ以前より知っていて、
この豆本は、私にとって
ショーウインドに貼ってあるチラシはコンビニのカラーコピーで造ったもので、はじめ大量にカラーコピーで綺麗に印刷してウインドに貼ったり
ショーウインドは、スライド式の
私は毎日ここへ来て、私のところのショーウインドをまじまじと近くからつぶさに観察し、またすこし離れて眺めるように見ている。いつしか私の両眼は顕微鏡的反応を示し、わずかな
またチラシが貼ってある
*
私の暮らす部屋は整然と散らかっている。木造アパートの一室に金はいつも無かったが、本と物だけは不思議とたくさんあった。
部屋のなかを占拠する物の内容は、おもに黒猫堂商店関係のものであった。また、この商店は、もとは
ちらかる部屋の話にもどるが、大量の品物は黒猫堂商店の販売用版画五百枚、版画の額縁十数点や版木。版木は永島慎二氏からの
六畳間の畳の数は六枚だったが、部屋の広さは七畳分あった。私の部屋には押し入れがひとつあり、また隣の部屋にも押し入れはあるだろうが、普通アパートを造る場合は、部屋ごとに押入れが互い違いに隣り合ってあるもので、どう
この一畳に銅版画用小型プレス機を置いて、時折銅版印刷の注文があると仕事をしている。ここにも銅版画印刷をするためのテーブルがひとつ、ベニヤ板で作ってある。
大きい棚がそのテーブルの横に置かれ、その棚のなかには藝術雜誌發行 黒猫堂関係の銅版画・木版画・コラージュ作品のファイルや「黒猫堂百年のあゆみ」ファイル二巻、それから未発行に終った黒猫堂初期の刊行書「總合藝術雜誌
それから黒猫堂関係ファイルの横には、五年程まえに
また棚のなかに水彩、不透明水彩絵具(ガッシュ)の
テーブルの上には竹棒幾本かを並べて荒っぽくしつらえた棚がひとつ、その棚には銅版画の完成品と試作品をいれた大きい紙袋が十程あり、また未使用の版画用ブレダン紙、木版画用土佐和紙、また丸めて縦に挿してある水彩紙類数本が
書籍の類は、部屋のなかを見わたせば、所どころきたなく平積みになっている。色とりどりの大小の雑誌類、安価なハードカバー本、文庫本、大型の画集、函つきの豪華な背革装丁限定署名入り本までが、区別もなく
部屋のあちらこちらに散らばる文房具類も少なくない。日頃あまり使わなくなったペンや何度か書いて使えなかったペンまで、三つの紙箱に無造作にいれてある。
それらの箱は、ときに忙しい気持ちのときに限ってひっくりかえったりする。
そのなかには、大小の使用済み消しゴムから小さくなってゴロゴロしている消しゴムのカスまで入れてあり、カッター三本、カッターの替刃、替刃のケース、それに錆びたカッターの刃、刃の折りカスなど、またホチキス、ホチキスの針箱、ホチキス針のつぶれ折れカス、大小いろいろの大きさのクリップ数百個、輪ゴム数十個、セロテープふたつ、両面テープ各太細ふたつずつ、十円玉、一円玉数枚。そして、数百本以上の油性水性の太細ペン類、4H、HB、B、2B、4B、6Bの各硬度のトンボ鉛筆数十本。蛍光ペン、修正ペンなど入っていて、バラバラと足の踏み場もない畳に落ちて紙類本類の間に隠れてしまう。
書籍も、それは多い。それらは、おもに都内の古書店から購入する安価なものが多いが、ここ一、二年は、永島慎二氏の知人で、氏の絵画の熱心な支持者のH氏から頂くことが多い。H氏は私が
このことは、私個人にたいしてと
話をもどして、本の話だが、部屋に山積みになっている本の種類は大変偏っている。黒猫堂商店という店の看板を一応掲げているのであったが、元々趣味的な気分ではじめたところもつよく、商売として熱心にやっているのではない。いや、本当は相当熱心にやっているのではあったが、要領がわるいというのか、古本屋稼業がのみこめてないのか、
本は、近代日本の純文学。これが部屋をうめている書籍内容の大部分を占めている。純文学の純とはヘンな謂いだが、なにか不純なことが書かれていない、話の中心が人間存在の哀しみや喜びの問題から外れていないもの、恋愛、探偵(サスペンス)、冒険、ファンタジー、SF、エロ、ホラー、政治、経済、社会派、その他もろもろのことだけを中心としない文学作品で、つまりなんにでも広く浅く関わり面白みが通俗的にきわどくならないこと、今の時代では受け入れられぬ刺激の少ない地味な物と
早い話、私はだいたい十名にも満たない作家以外は嫌い、うけつけぬと言っているようなものだが、仕方がない。その拒否反応のでない作家の名前をあげてゆくと、まず太宰治。そして、檀一雄、坂口安吾。ここら辺の名前は、私が、いま生きて、日常の生活をして、これからも忘れずに、死ぬときまで、いや死んでも
そして、織田作之助。オダサクを知ったのは阿佐ヶ谷の古書店「
これらの小説をいま読んでみても古いと
私も潰瘍を患ったことがある。二十三のときの話で、胃ではなく十二指腸だった。潰瘍は小指の先程の大きさで医者からレントゲン写真を見せられ、具体的に自分に死が迫っているような気がしたのである。
尾崎一雄の文学と罹病は随分あとになってから知ったのであったが、潰瘍は、夏目漱石も胃潰瘍で苦しみ、死に、潰瘍は死病で癌や結核のようなものであると思っていた。併し、尾崎一雄は生き延び、生還者の実例として、またひとかどの文学者として心にのこった。
人から尊敬されること、少なくとも愛されることを考え、念じてゆきたい。できればつくりものでないものを・・・。尾崎一雄の小説から、私はそれらを受け取ったのである。
小説「玄関風呂」は、風呂のない貸家住まいの貧乏所帯の話で、
私のところも同じ貧乏所帯の貸し家住まいで、併し引き戸ではなく西洋風ドアで、また同じように風呂がなかった。安い風呂桶も売ってなかった。でも玄関で風呂を使いたかった。無理をして風呂桶もなしに
部屋の話に戻って、最近は特に古本の増え方がひどく畳一枚分が二枚分になる勢いで、安価なカラーボックス棚を買い求め、他の
写真家 林忠彦氏が、終戦直後頃の坂口安吾を写真に撮っている。写真の安吾は自室に、六畳八畳と思われる部屋の大きな座卓に書きかけの原稿用紙を前に
凄絶な部屋に
私はひとり六畳間の中央にちいさい折たたみ座卓をだして今この文章を書いている。いまの時刻は夜の七時半頃で、九月の半ばにしては冷えびえと、座布団もないので寒い。まだ
また突然、頭が痒い。すごく痒くなっている。頭皮の右側上部が痒い。とても文学的じゃない。お金も欲しいが、まずは痒い。痒いのに頭を掻くのが面倒で、この文章を書いているからではあるが、面倒くさいと、ついそのままにして、そのうちに治まるだろうと多寡をくくっていると、痒い部分が右側上部から右側前上部へと移動して、また明滅する照明のように左側前部後部と痒くなり、また耳の上の付根あたりから下の付根あたりとかわり、あたかも夜のネオンの如く、痒く、騒がしくなって文章どころではなくなった。
ひと通り痒いところを掻いて治まってみると、私の坐る卓の横に女がひとり坐して居る。女は、三十女で、私の女房で、確かに女房であるが、 ひとり立ってゆき、台所で夕食の仕度をしているようだ。台所から声がする。
なにか、私に
これは私が思うに、女房は、自分の思考や行動を事前に他人に同意を求めたり、また人の言う通りに表面上従うことで自分の考えや行動に誤りがあったときの言い訳、ごまかしをするためのもので、それはとても
自分の存在の自信のなさからくるものなのか、何なのか、私にはしかと
私は以前、女房が
鼻は治った。それは
どんなふうに思い考えてみても納得のゆく解答はえられないのである。女房は静かにしている。私の気持ちなど関係ないように自在に、
女房を、いつもどおりに
日常生活 藤宮史(ふじみや ふひと) @g-kuroneko
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2011.6.5~10.27/藤宮史(ふじみや ふひと)
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